BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『恋とボルバキア』-171218。

小野さやか監督
2017年、日本

ポレポレ東中野、12:30~

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映画『恋とボルバキア』公式サイト}

www.youtube.com

 

よかった。
今年観た映画では
ダンケルク』の次くらいに
よかったな。
井上魅夜さんのエピソードを
構成上の芯に据えた時点で 
この映画の「勝ち」が
決定したものと 確信する。
※上映後に、本作の監督と
話す機会をえたのだが
彼女によれば、著名な映画監督に
本作をみせて助言をあおいだところ、
井上魅夜の話は外したほうがよい
と いわれたそうだ('_') 
な~んでそんなことを 
その映画監督は言われたのか。
失礼ながら わたしには
ぜんぜんわからない。

井上魅夜さんのエピソードは 
「してやられた」と 
なんか思わされたくらい
心をわしづかみに 
つかまれた。

ゆれうごき 
グラデーションを描き続ける 
人間の心、サガを 
あの人こそが象徴してた。

なぜ、してやられたと 感じたか
あとで よくよく
考えてみたんだけれど、
わたしもけっきょく、
期待や はりつけたいラベルを
井上魅夜さんに押しつけて、
観てたんだとおもう。
井上さんは、悩み多き
「男の娘」たちにとっての 
頼れる姐御であり、
その界隈に根を下ろして
ずっと彼女たちを
支えていくのです・・・、
というポジションなんだと。
ポジションというのは
つまり本作にとっての、
ということであり、
社会における井上さんの、
ということでもあるんだけど。
勝手にそう思いながら
観てたってこと。

けど、井上さんは
そうじゃなかった。
わたしはその展開に 
当初かなりびっくりしたんだが、
いや、そうだった、
人の心は変わるんだ、と。
そうだったそうだったと。

LGBT LGBTっていうが、
自分は体も心も男/女だ、って
信じてうたがわない人でさえ、
そんなことはなにひとつ
「わからない」っていうのが
ほんとうのところなんだろう。
ゆらぐ。
やっぱり人の性って
人の数だけあるものみたいだ。

井上魅夜さんは 
性別どうこうじゃなくて
その人生の歩みというところで、
大きくゆらぎ 
ひるがえすさまを見せてくれたが
あの人をみていたら、わかった。
人はゆらぐんだ、
わからないもんなんだ、
だからこそ何かにしがみつきたいし
愛し愛されたいんだということを
この映画は言いたいんだ、と。

あと、女装を趣味とする
50代くらいの男性が
ひとり登場していた。
彼はこの映画にでてくる人たちのなかで
まちがいなく最年長。
おもえば年長の人ほど、
本作において 言葉少なだった。
若い人ほど赤裸々に悩みを吐露し、
迷っているということを
あきらかにしていた。

迷いや弱さを秘することと 
あきらかにすることと
どちらが強いのかとか
そういうのはわからない。
正直わたしには 
本作に登場するどの人も、
とっても心が傷ついて
弱っているように見えた。

また、本作は、
へたなフィクションの恋愛映画より
よほど ひりつくような、迫力ある、
しかもなんというか・・・うん、いや、
「恋」がみられる映画だった。

わたしは 
かなわぬ恋というのは、
けっきょくのところ自分に 
相手を振り向かせるだけの魅力が
なかった、それにつきるのであって
同性だからとか年齢がとか
そういうのは
あまり関係がないとおもう。
その前提にたつからこそ
本作にでてくる人びとの 
恋の苦しみ、胸の痛みがすごく
伝わってきた。
傷つきたくない
傷つけたくない
決定的なことを言って
相手の逃げ場を奪いたくない
早晩 終わりだとわかっているけれど 
それをいまはまだ 認めたくない
言っても大丈夫そうなときだけ
本当のことを言う卑怯さ
「結婚して、子どもがほしい」・・・
機先を制して相手の口を封じるずるさ
「この指輪の意味は?」
「意味とかどうでも良くない?」
心から血が噴き出す瞬間
その他もろもろ。
そいつはどれもこれも、
他人の眼から見たら
おろかなんだけれども、
でも 人をこれほどまでに
おろかにする
それこそが恋なんだろう。