BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-「グレイテスト・ショーマン(2017)」-180318。

※最後のほう やや ねたばれしてるかな※ 

原題:THE GREATEST SHOWMAN
マイケル・グレイシー監督
2017年、米
movie.walkerplus.com

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IMAXシステム版上映で観た。
音がとてもよかった。
ビジュアルのちがいはちょっとよくわからなかった。
いまの映画館はスタンダードな上映システムでも
そこそこいい映像で観られるものなんじゃないのかな。
観比べればわかるかも。
音はまちがいなくよかった。

19世紀中ごろの米国はニューヨークを舞台に
いまでいうショープロモーターの先駆け的存在として活躍した
フィニアス・テイラー・バーナムをえがく ミュージカル映画

すごく楽しく観られた。
かなり早いテンポ感で 物語がすすみ、飽きさせなかった。
ミュージカルナンバーはどれをとっても
覚えやすいキャッチーな曲調。

すこししらべたところによると、
本作は観客の評判はきわめてよいが
批評家からの評価は両極端にわかれるという。
酷評している側は、
ストーリーがぺらっぺらであるとか
人間が描かれていないとか
一部の役者さんが自分で歌っていないとか
時代考証がまるでなってない
といったことを言っているようだ。

その酷評には一理ある。
言ってることの意味は 理解できる。

だが、本作は、
楽しませてくれる映画だった。
わたしは、「あれっ なんでこの映画を今 観ているんだっけ」
といったことを 鑑賞中に一瞬でもわれにかえって考えてしまう
ようなことがあれば
その映画は駄作、と判断しているが
本作はまずそういうことがなかった。

ドラマの描き込みが足りなかろうが、
吹き替えをもちいていようが、
昔の話なのに現代的な価値観に寄せすぎていようが
そこはあんまり たいした問題でない、と
だからわたしは言い切れる。
全面的に本作を擁護する。

ストーリーが厚く濃くなければ ドラマが描かれてなければ
時代考証がたしかでなければ 映画でないのかというと
それはちがう。
映画は いかなる意味であれ 
まず、楽しかった!と思って
家に帰れることがとてもたいせつだ。

映画に なにを求めるかにもよるけれども、
リアリティ、という言葉にそんなに重きをおくものでもないのでは。
というか それを求めるなら 観る映画として本作を
選ぶことがもうまちがっている。

ただ、個人的には、
映画には、
たとえほんの数秒ほんのワンシーンでもいい、
たったひとことでもいい、
いままでに観たことがない!と心からおもえるシーンが観たい、
聞いてよかったとおもえるセリフが聞きたい、
そんなきもちはある。

本作にはそれらも ちゃんとあった。
(それがない映画も意外と多い。)

シーンというか、登場人物、物語の横糸的な部分そのものを
とりあげたいのだが、
バーナムをつかのま惑わせる
天才歌手、ジェニー・リンド。
この人のうつくしさと歌声、その存在感には
バーナムよろしくすっかり心をうばわれた。

彼女という存在の背景には、ほとんどなにもない。
どうも 誰にもかえりみられない苛酷な半生をしいられ 
生きるために歌い のしあがってきたようだ。
成功しているスター歌手なのに、
とりまきらしき連中がひとりもおらず
いつも彼女は彼女ひとり。
そして 息をのむほどきれいなひとだった。
幻影のように光る、大輪の花。

たったひとり、
自分の宿命に打ち勝つために、
自分の信じるなんらかのものをつかみ取るために
輝きつづけるのは 並大抵のことではない。
彼女の歌う姿があれほど美しかったのは、
才能の煌きと 孤独と もろさ
そのあやうい均衡が
レベッカ・ファーガソンによって
よく表現されていたからじゃないかな。

もろさ、と言ったけど、
じっさい、彼女はギリギリの状態であり
バランスは間もなく崩れた。
いままでずっと ほんとうにひとりだったのであり、
自分の荷物を自分で背負って生きることしかしらなかったのに
バーナムなら半分背負ってくれるかもしれないと、
ここにきて思ってしまった、そのために
そのきもちに彼女自身が圧倒されたように見えた。
なにがなんでも彼を自分のものに、と企図し
あくまでクールに あくまで自分を保ち
その魅力と才能でもって・・・と
やるつもりだったのかもしれないが、
そんなこざかしいことがじつのところできない
(そうした計画を上手に隠すことも
思いつかないくらい、というべきか。) 
純なひとなのだ。

たしかにプライドがたかく 打算的、 
利己的で高慢、自己愛は強め、 
お高くとまったかんじの女性ではあった。
でも、プライドや打算、自己愛はだれにでもあり
ジェニーが間違っている、とは言えない。
ジェニーはジェニーなりに真剣で、
ただバーナムの愛をもとめて歌っていたのだ。
彼女は悪役でもなんでもない。
うつくしいから、でも ひとりだから、
どうしようもなく惹きつけてしまったのだとおもう。

彼女と一種 好対照をなすのは 
バーナムのショーの出演者たちで
彼らは結果的に、
怪物、フリークスなどといわれ、差別をうけてきた
人たちだったからこそ 手をとりあい
グループの力で 居場所を作り上げていった。

この物語で描かれる人間関係には
想っても伝わらない心、
想いあっているのにすれちがう心、という
構図がいくつかみられたけれども、
ジェニーもそれらのひとつだった。
かわいそうだが しかたがなかった。
ジェニーに深く同情した。
映画の登場人物にすぎないが、
彼女の心がずっと傷ついたままでないことを、
いつか力をとりもどして、また歌っていってくれることを
心から願った。


印象にのこったセリフとしては、
ミュージカルナンバーの歌詞にあった

「自分にも愛される資格があるはず」
I know that I deserve your love.
※deserve 聴き取りに自信はない。前後の流れから判断。

「誰かに(この存在を)謝る必要などない、これがわたし」
I make no apologies, this is me.

さらに、
バーナムがジェニーに
「なぜわたしに出演依頼を?」と問われたときの答え
「わたしのショーは、楽しく騙す。でも、ときには本物を見せたい。」

さいごに
バーナムのショーをいつもこきおろしていた劇評家が
どん底にあるバーナムをめずらしく励まして言うこのひとこと

「わたしは好きではなかったが、
しかし、(あなたのショーは)
肌の色も背丈も大きさも(ふつうと)ちがう者たちを
平等にあつかい その個性を輝かせることで
いつもは舞台に興味をもつべくもないような 
生活をしている人たちを 数多く劇場にいざなった。
わたし以外の劇評家なら あなたのショーを
きっとこう表現しただろう、
『人類の祝祭』と。」


これらは印象的だった。

また、バーナム夫妻の会話が
けっきょくすれちがったままなのだけれども
それでも心はふたたびよりそい、
また同じ方向をむいて走り始めた、
というのが ちょっとおもしろかった。

なにもかも失ってしまったバーナムが
ショーの仲間たちの励ましを得て
再起を決意する 酒場のシーンはよかった。
あれを観るためだけにあと3回くらい 観に行ってもいい。

せっかくひさしぶりに すてきな
ミュージカル映画が でたわけなので
あらさがしに腐心することなく
好意的に、作品の世界にとびこんだほうがよい。
ミュージカル映画が苦手というなら
まあ無理にとはいわないが。


わたしは十二分にたのしめた。
最近あんまり 楽しいとおもうこと、ないなーと思う人に
ぜひおすすめしたい。