BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

愛せなくば通り過ぎよ。-120116。

「愛せなくば通り過ぎよ」
というニーチェの言葉を
なにかの本で
先週くらいに見かけた。

見たそのときは
とくになんともおもわなかった。
でも、
あとから心に響いて思い出されて、
これは今後、
自分をことあるごとに救ってくれる
言葉になるかもしれないなと
思い始めている。

格言、
アフォリズムというよりは、
まとまった長い文章のなかの
一文だったんだが、
それはたしかこんなような
意味合いだった。

・・・


たとえばそこに 
すごーくイヤな
むかつくやつがいるとする。
その人からすごーくイヤな
むかつくことをされたとする。

頭にきたり傷ついたりする。
それについてくよくよ考え、
むかついた、いやだった、と
誰かにグチをこぼすことも
あるだろう。

なるほどその人は 
たしかにイヤなことを
わたしにしたかもしれないし、
ほんとにイヤなやつなのかも。

だけどそのことが 
わたしにとって
なんだというんだ。

その人はわたしに
イヤなことをするけど、
イヤなこと、というのは
わたしのなかだけの
価値観や正義にもとづく判断だ。
その人はその人の価値観や
正義のもとに
よかれとおもってやったのだ。

他人に
わたしの正義や価値観をおしつけ、
一緒にそれにもとづいて生きろなどと
もとめる資格を
いつわたしはもったのか?

その人の行為にいらついたり
傷ついたりするのではなく、
好きなものや人を愛し、
美しいものを見聞きし、
善なるものの存在を信じる時間が
いくらもある。
おなじ時間なら
そういうことにこそつかうべき。

だからもしわたしが
ほんとうの馬鹿者じゃないなら、
いつもこのことを
覚えておかなければならない。
「愛せなくば、通り過ぎよ」。

・・・

たしかこんなかんじ。
ニーチェは、わたしは、
とは書いてない。
「君は」としていた。
ここでは勝手に
わたしとさせてもらった。

先人の格言やなんかを
読んでなるほどなーと
おもうことは すくなくないけど、
忘れてしまう場合がほとんどだ。

でも、この
ニーチェのものだという ことばは
共感できた。
だからこれからも
ずっと覚えているだろうな。

マインドをいつも
いい状態にたもつのは
とてもむずかしい。
でも
なにか支えがあったり
「この人にたいして
はずかしくないようでありたい」
そんなふうに思える存在が
あってくれるとかなりちがう。

わたしにもそういう支えや
一種とくべつな存在はある。

ニーチェみたいになりたいと
おもうわけじゃないけど、
いつかわたし自身、
だれかの心をささえる
存在になれたらなあー。