BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

愛せなくば、通り過ぎよ。

「愛せなくば通り過ぎよ。」というニーチェの言葉を
なにかの本で先週くらいに見かけた。

見たそのときはとくになんともおもわなかったんだけど、
あとからずしりと心に響いて思い出されて、
これは今後、自分をことあるごとに救ってくれる
言葉になるかもしれないなと思い始めている。

それは格言、アフォリズムみたいなものというよりは、
まとまった長い文章のなかの一文だったんだが、
たしかこんなような意味合いの文章だった。




たとえばそこにすごーくいやなむかつくやつがいるとして、
その人からすごーくむかつくいやなことをされたとする。

わたしは頭にきたり傷ついたりする。
そしてそれについてくよくよ考えたり、
あいつにあんなことをされてむかついた、いやだった、と
誰かにグチをこぼすこともあるだろう。

なるほどその人は たしかにむかつくいやなことを
わたしにしたかもしれないし、ほんとにいやなやつなのかもしれない。

だけどそのことが わたしにとってなんだというんだ。

その人はわたしにとっていやなことをするかもしれないけど、
いやなこととおもうのはただ、
わたしのなかだけの価値観や正義にもとづく判断にすぎない。
その人はその人なりのわけや正当性のもとによかれとおもってやったのだ。

他人にたいしてわたしだけの正義や価値観をおしつけて、
そういう正義や価値観のもとに生きてほしいなどと
もとめる資格をいつわたしはもったのか?
もってない、そんな資格。

わたしにはその人の行為にいらついたり傷ついたりするのではなく、
好きなものや人を愛したり、美しいものを見たり、
善なるものの存在を信じたりする時間がいくらもある。
おなじ時間をつかうならそういうことにこそつかうべきなのではないか。

だからもしわたしがほんものの馬鹿者じゃないなら、
いつもこのことを覚えておかなければならない。
「愛せなくば、通り過ぎよ。」



たしかこんなかんじ。
ニーチェは、わたしは、とは書いてない。
「君は」としていた。
ここでは勝手にわたしとさせてもらった。


先人の格言やなんかを読んでなるほどなーとおもうことはすくなくないけど、
忘れてしまったりそこまで強烈に覚える気はなかったり。

でもこのニーチェのことばはとてもわかりやすいし、
共感できる。

だからこれからもずっと覚えているだろうな。







自分のマインドをいつもいい状態にたもつのはとてもむずかしい。

でもなにか支えがあったり「この人にたいしてはずかしくないようでありたい」みたいに思える存在がいるとかなりちがう。

わたしにもそういう支えや一種とくべつな存在はある。





ニーチェみたいになりたいとおもうわけじゃないけど、
いつかわたし自身、だれかの心をささえる存在になれたらなあー。