BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

寄席に行きたい/腕がとれる夢をしばらく見ない/めったにない体験-180125。

毎日 当ブログに
こんなにたくさんのかたが
おいでくださって。
いったいどこのどなたが。
ほんとうにありがとうございます。

だれかが読んでくれている、
とおもえることは
自分にとって 
たいへんなはげみになっております。

・・・

ひさしぶりに 寄席にいきたい。
九代目雷門助六師匠に会いたい。
直近では来月あたまに浅草か。
浅草寺まいりがてら 
行ってみるかなあ。
師匠はもうご高齢だから
正直言って 心配。
あと何回きけるかとか思って。
テレビに出たり
しているわけじゃないし、
寄席で会えなくなったら・・・。
そう考えると気がせく。

旧年秋ごろに
ニュースになっていたが
浅草寺仲見世の家賃が 
従来の16倍に値上げされるとか。
されたとか。
もともとの家賃が安いので
16倍になってようやく
一般的なテナントレベルだそうだが
でもそんなに上がったら払えないという
お店は当然閉めざるをえない
そして 外資系とか 
おしゃれなチェーン店が
入るんだろうが
それじゃあねえ・・・というんで
話題になっていた。
あれどうなったのかな

ざっとネット上をさがしたかぎりでは
最新情報はこのあたりっぽい

president.jp


どうなるかねー。
どうかなったのかね すでに。


・・・

ちょっとばかりまいっていて
月2回ほど、心療内科で 
カウンセリングをうけている。
こんなことになるのは短大時代ぶりだ。

夜、夢をみたら、
内容をおしえてくださいと
いわれているのだが
このところ夢を見てない
おもいかえせば 
はっきりと見たおぼえがあるのは
旧年の晩秋くらい
右腕が切断されてしまい 
それをくっつけてもらうために
腰までつかるきれいな水のなかを 
ざぶざぶ かきわけて進み
湖上の診療所をたずねるといった
なかなかどうして 
センセーショナルな内容だった
湖はなぜか 
上高地(旅行したからかな)
右腕がちょんぎれた理由は不明
切断されたところが熱かった
その夢は強烈だったから
よくおぼえているが。
いまは、
夢は見ているのかもしれないけど
すこしも思い出せないし、
不眠の傾向があり 
一睡もしない夜もあったり。
夢どころじゃない。
語るほどの夢がない、
夢を語るほどのよゆうがない
といったところか。

河合隼雄氏の著書のどれかに 
こんなことが書かれてたな
氏が患者さんに、 
夢を見たら次の面会のときに
内容をおしえてくださいと
いったとき、
患者さんが
「でも、次のときまでに
夢を見るかどうかわかりません」と
心配した。
氏は、
「だいじょうぶです、必ず夢みますから」と。
じっさい、つぎのときまでに
患者さんは夢をみてきたそうだ。

どういうことなんだろうな。
なぜ河合隼雄氏の患者さんは
そういわれてちゃんと夢をみたのか
今 わたしが夢をみないのはどうしてか。
みないことはよくないことなのか。

・・・

わけあって 
霞が関厚生労働省を訪問
問題となっている
某大企業の労働問題の
渦中の人物が 
記者会見を行っているところを
ものかげからこっそり見た。
そのあと 
衆院議員会館を訪問
厚生労働大臣などをふくむ
議員先生がたと
面談した。
そんな機会はめったにない。
どうしてこんなことになったものか。
ふってわいたような機会だったが 
せっかくなので行ってきた。

国会議員は国民の代表だ
彼があけてくれた時間は 
国民ひとりひとりの
だいじな人生の一部の結晶と
いっていい
(自分で言っててじつはよくわからん)
なんだかそんな人に会える自分て
とてつもなくりっぱな人
なんじゃないかみたいな 
気分になりかけもしたけど
あくまでも気分であって、
じっさいはりっぱではない。
じっさいは半病人であり、
ついでにいうと、無職だ

感心したのは
とくに 元厚生労働大臣から発される
ものすごい「圧」。「エネルギー」。
「しらない人と会うこと」
「新しい世界を知ること」に
まったくストレスを
感じてない人 特有の 
圧力・・エネルギー。
知識不足であるという
ご自身の現状を
すこしも恥じていないところも 
あの年代の、
社会的地位もある人物にしては・・・
一流の大人はもしかしたら
逆にこういう人なのかも。

娘ほどの年齢の
半病人&失業者の話を 
メモをとりながら 
目を輝かせて聞いてくる姿は・・・
あのオーラ、
あのまなざしを
浴びることができただけで
一生ものの経験になったとおもう。

でもやはり冷静にかんがえると 
厚生労働大臣までやったにしては 
その道について
勉強不足すぎかな(^^)
某R系広告代理店の
内勤アルバイトさんのほうが
よほどちゃんとわかってる
(内輪話だが。)。

国民のために
ぜひともがんばって
勉強していただきたい。

送迎をしてくれた
秘書さんによれば
「彼はすっごく
一生懸命話をきいてくれるし
真剣そのものなんですけど 
けっこういろいろ忘れちゃうので 
3回くらい同じこと言わないと
いけないんです」
とのことだった。

購入6年めにしてプリンタをセットアップ/映画の感想-『ハンガー・ゲーム』-180124。

1日かけてだらだらと
部屋の整理整頓を続けた。
順調に 
曲がっていたものがまっすぐになり、
順調に 
モノが減っている。
デスクの引き出しの中身を整理したら、
3色ボールペンが50本くらいでてきて、
ぜんぶ黒色のインクが切れてた。

6年くらいまえに
ノートパソコンといっしょに購入した
ワイヤレスインクジェットプリンタ
(hp社製 PHOTOSMART 6510)を
設定し、使えるようにした(^^)
購入したきり、いそがしくて、
梱包をほどくことさえせず、
プリンタを持っているにもかかわらず
文書の印刷には
コンビニのネットプリントサービスを
使うという
なんだかよくわからない事態になっていた。

購入当時、わたしは
パソコンやその周辺機器に
ぜんぜんくわしくなく、
無線接続にもたしか数日がかりだった。
プリンタまでつなごうとおもったら 
きっと相当苦労したことだろう。
パソコンの接続で疲れてしまって
プリンタはもういいや、今度で。
と なってしまったのかもしれない。
そして月日がたち、
さすがにそこまでうとくは なくなった現在、
とりかかってしまえば セットアップなんて
10分もかからなかった。
無線接続 べんりだー。

これでもう 
ネットプリントも必要ない。
でも大きなサイズの用紙には対応してないから
そういうときは
コンビニを頼ることになるのか・・・

・・・

部屋の整頓につかれると
あいまに本を読んだり
断続的に映画を観たりした。


今日観てみた。

ハンガー・ゲーム
原題:The Hunger Games
ゲイリー・ロス監督
2012年、米

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movie.walkerplus.com

公開当時は観なかった。
興味がなかった。
じっさいに観てみても、
そんなにおもしろくなかった。
ただ、
観られたもんじゃないというほど 
ひどいとも感じなかった。
最後までけっこうたのしんだ。

ノリがテレビドラマみたい。

主役のジェニファー・ローレンス
とってもよかった。
こういってはなんだが、
どことなく貧乏くさいというか、
なにか幸うすそうというか、
セレブっぽくないルックスが 
役にマッチしていた。
似顔絵が描きやすそうな顔つきだ。
横顔の輪郭などがくっきりしていて。
笑うとすごくかわいい。
しっかりとした体格で
体にフィットするような服が似合ってた。

作品全体についての感想としては、

まず、もっと 
ぎりぎりとしめつけるような
緊張感がほしかった。

また、
何が言いたいのか、
何が描きたいのかが
よくわからない映画だった。
「映画には内容がなくてはならない」
というルールはないので
内容がなくても べつにいいのだが、
かといって
無内容な映画を全力でつくりましたと
胸をはっているかんじがなく、
いかにも何か描きたそうでありながら
描くことに失敗してしまった映画、
との印象。
狙いがあったにもかかわらず
失敗したということは、
それはとりざたされるべきで、
反省されるべき点であると
わたしはおもう。

舞台は近未来?の米国だ。
ごくごく一部の特権階級が 
大多数のまずしい労働者階級を
支配・搾取する社会。
かつて労働者たちによる
大規模な反乱がおこったことがあり、
政府はその鎮圧に成功したのだが、
以来、おなじことが起こらないように 
見せしめとして
労働者階級のなかから
24名の若者を選出して
広大なフィールドに配置、
最後のひとりになるまで
殺し合いをさせるサバイバルゲーム
ハンガー・ゲーム」が
定期的に開催されている。
政府肝いりのビッグイベントで、
労働者階級にとってはいい迷惑だが
特権階級のほうは 
ハンガー・ゲーム」を、
オリンピックや
サッカーワールドカップのように
楽しみにしている。

24名の出場者たちは、
ゲーム開催前に一か所に集められ、
一定期間、
格闘術やサバイバルスキルの
訓練を受けるほか、
豪華なプレ・セレモニーに参加したり、
テレビショーに出演して 
インタビューに答えたりする。
わたしがつまらなかったのは
そうしたときに、
ホスト側である富裕層の者たちが
出場者たちを丁重にあつかっていて、
すこしも彼らまずしい階級への
差別感情の発露が
みられなかった点だ。

出場者たちを、
人間としてというよりも
消費の対象として見ている、
というかんじは
かろうじて演出されていたが
わたしがなんとなく期待してた
差別感情の発露の表現は
ちょっと、なんか、
こういうのじゃないんだよな。

また、労働者居住地区の
反乱の再発防止のために、
おそらくできるだけ 
武器になるようなものを
人びとに持たせないように
また、危険な思想をいだかせないように
彼らの生活を厳しく監視している 
という設定のはずだから、
若者たちは 
ゲームへの出場が決まるまでは
戦闘訓練などをうけてきていない
ただの子どもと推測されたのだが、
そのわりに 
訓練内容を修得していくのが 
異常に早いのも気になった。
それどころか 
もともと一家そろって殺しのプロ、という
チートな経歴の出場者まで
いたのはおどろいた。

観ていたかぎり、
労働者たちの12の居住地区は、
それぞれに
「炭鉱」「紡績」「農業」など
主産業ごとにだいたい分けられていた。
それなら 出場者たちが
自分たちの なりわいならではの
特殊技能を活かした戦いかたをする
シーンがもっとみられても
よかったとおもうのだが、
そのような演出はほとんどなし。
「ケーキのデコレーションの要領で」と
顔に迷彩ペイントを
ほどこすキャラはいたが。
いったいふだん 
どんなケーキ作ってるんだ。

24人中、ひとりしか
生きて帰れないのだから
若者たちはもっともっと、
運命におののいてしかるべきだ。
とにかく、おかれた状況に
適応していくスピードが
どの子もあまりに早いのが 
不自然た。

富裕層たちによる
労働者居住区の管理体制は
まったく不十分。
完璧だとつまらないが 
せめてもうすこし徹底されていて
もうすこし骨抜き済みの民衆が
多いほうがよかった。
ハンガー・ゲームを開催する
きっかけとなった
さいしょの大規模な反乱というのは 
物語の現在からみて
何年前におこったことなのだろう。
ゲームが年1回開催で 
たしか第70数回という
アナウンスがあったので
70年くらいまえのこと?かな?
労働者たちの心はまだ
ぜんぜん屈服させられていなかった。
だれもがいつでも蜂起する気まんまん。
70年もあれば 記録や記憶の改ざんは
けっこうできそうだし
人間の魂を人工透析のようにそっくり
一部の人間にとってつごうのよいものに
入れ替えてしまうことは ある程度
可能だとおもうんだけれど。
すくなくとも表層にかぎっては。
個人差もあるだろうが、だいたいは。
なのに
ぜんぜん管理がゆきとどいてないね。
管理する気が案外ないんだろう。
ゲームのルールを
その場しのぎでコロコロ変えたり
支配者層はじつにテキトー。
いったいなにがしたいのか。
まあ でも、
ほんとになにか考えているのは
上の上の上の一握りの
人間だけなんだろう、
どんな世界でもおなじだ。
ハンガーゲームに
政治的意味を見出している者は
ごく少数にすぎない。
ほかの者たちはみんな 
ぜいたくで不自由のない日々の生活を
あしたもあさっても送れれば
それでいいという考えなんだろうから
じつのところ 
みんなだいすきハンガー・ゲームでさえも
どうでもいいといえば
どうでもいいものなのだろう。
ほとんどのエグゼクティブにとって、
ただのテレビショーなのだ。
そう考えればたしかに
出場者たちを対象に行う
事前品評会のシーンでも
みんな 食事に夢中で 
品評はどうでもいいみたいだった。

労働者たちへの見せしめ、
反乱防止目的というよりも、
全人類のひまつぶし、
うっぷん晴らしのために
ハンガーゲームはあるのです、
という設定のほうが
ムリがない気がしてきた。

ところで、
こういった超格差社会
舞台装置にすえる映画としては、
わたしはアンドリュー・ニコル監督の
『TIME』を とっさにおもいだすのだが、
※ハンガーゲームとだいたい前後して
公開されたみたいだ。

f:id:york8188:20200415233301j:plain
movie.walkerplus.com

この『TIME』のほうが 
作りこみ感がもっと徹底していて、
よかった気がする。

・・・

ハンガー・ゲーム』は
アクションシーンも大事な売りのひとつだと思うんだけど
そちらも正直あんまり迫力がなく、独創性も今一つだった。
だけど、ハチの巣の場面にだけは
かなり強烈に心をひかれた。
役者さんの演技が光ってた。
だって本物のハチの巣をつっついて
撮ったわけじゃないんだからね。
どう考えても。
CGなんだから。
それであの演技は、スゴイ。

全体に、
もうちょっと、人の心が
「染まっていく」かんじ、
逆に、染まりたくなくて、
染まる自分を見ることにおびえて
葛藤する人の姿、
そういう・・・ 
ゴールディングの『蠅の王』的な、
心理描写を観たかった。

全体的に どうも、
なまぬるかったのかなあ
そんなに真剣に観るような
映画じゃなかった。
だがまあ、
それなりに楽しめた。
かなりのヒットをとばし、
第2、第3作もあったらしい。
まあ 続きがみたいとまでは
わたしは おもわないかなあ(^^)・・・

部屋の整理整頓/不健全な人間関係に悩む-180122。

旧年の暮れから、
書棚を中心に
自室の整理・整頓を
おこなってきた。

わたしにとっての整理・整頓とは、
「曲がってるものをまっすぐにする」か、
「要らないものを処分する」の
どっちかだ。

曲がってるものは
だいぶまっすぐになった。
要らないものも
かなり処分できた。

こういう作業を
いちど始めてしまうと、
以前は徹底的に
どこもかしこもやらないと
気がすまなかった。
それがわかっているから、
まとまった時間がとれないかぎり
整理・整頓をやらなかった。
けど、
ちょっとずつ
こまめにやることが
だいじなんだなと
理解するようになった。
徹底的にでなくてもいいし、
全部でなくてもいい。
きょうは書棚の1段目だけ、
そういうかんじでもいいわけだ。

ほんとは自室内の動線を、
蔵書、パソコン、デスクのエリアと
寝る場所、洋服などの身の回り品エリア、
のんびりするためのエリア・・・と
やることのジャンルごとに 
区分けできるといいのだが
まず 作り付けの複数の書棚が
室内に分散、
窓の位置から考えて
ここにはベッドは置けないとかいう
どうしようもない事情もあって、
理想どおりにはいかない。

まあ いまは時間があるから
こだわりたくなるだけで、
忙しくなってきたら 
どうでもよくなるだろうが。

・・・

近くで 春から
シュタイナー哲学の専門家の
講座が開講されるらしい。
月1回で、「自由の哲学」などの
購読をおこなうそうだ
受講したい。


・・・

かかわっても
むなしいだけの関係を、
つなぎつづけることは 
自分にとって害であると
一応理解している。
ふつうに考えれば もう 
かかわらないほうが身のためだ。
連絡をとるのをやめればいい。
一緒にすごしているときは
うれしいとか 
幸せだとか感じないわけじゃ
ないけれども、
自分の心は確実に傷ついている。
それでもいいからとか
おもっているわけじゃない。
わたしはそういう考えかたが
できる人間じゃない。
ただ傷と向き合えなくて 
やりすごしてしまうわけだ。
健全じゃない。
理解しているのに 
行動にうつせない。
それよりも好きだというきもちのほうが
まさってしまう。

父のことを知りたがりつづける。-180120。

叔父をたずねた。
今やっていることの進捗や
見通しを報告するためだ。
確定事項はすくないけれど 
把握できていることは
いちおうすべて話した。
複数のことをやっている。
きょう話した案件にかんしては
あと2手順くらいふめば 
完結するとおもっている。
あまりたのしいことじゃない。 
早くおわらないかなーと
願ってる。

・・・

わたしには父がいない。
わたしが14歳のときに
両親が離婚し、
父は家をでた。
それ以来父とは会っておらず 
彼の消息は不明だ。
死亡したという話や 
再婚したという話を
聞いた記憶があるのだが、
死んだという証拠も
再婚したという証拠も
ない。ない、で確定だ。
でも たしかに聞いた記憶がある・・・。
というかわたし
父の のちぞえとなった女性に
(その時点で正式に結婚していたか
内縁関係であったかはわすれたが)
15年くらい前に
たしか会わなかったっけか・・・
記憶があるんだけどなあ
でも事実、
ないものはない。
なにかの記憶と混同したのだろう。
家族のことですら
そんな調子なのだ記憶ってのは。

まあそんな 
間の抜けたこともあったものだから 
今日きいた話は最新情報として 
書けることは書いておきたい。

わたしは 
両親の離婚をめぐっては
しょうがないことだった、と 
ただそのように理解しており、
彼ら大人の 当時の判断を 
うらみもつらみもしていない。

しかしながら 
父はどうしているのかなあと、
ずっと思ってはいる。
というのも 
両親が離婚することは 
父が家を出ていく前日に
突然知らされ、
翌日の父の引っ越し日、
われわれ3人の子どもは
早朝から叔父の家にあずけられ 
父ときちんとお別れしなかった。
帰宅したときには もう父はおらず
家からすべての痕跡が消えており
それ以来会っていない。
なんとなく変なかんじだ。
父がいなくなったことが
なにか、腑に落ちてない
そんな子ども時代の自分が 
まだわたしの心のなかにいる、
ってかんじかも。

また、さきほど、
うらんでいないと書いたが、
うらんだりする気力がなかった 
というのもある。
「かわいそうな子」ぶりたくて
こういうことを書くのではないが、
離婚までの何年ものあいだ
両親の不仲、険悪な家のムードに、
恒常的に傷ついてきていた。
傷つかなかった日などなかった。
体験してみないことには
わからないことだとおもうが
ただそこにいるだけで
生命力を削られるものなのだ、
おだやかでない家庭というのは。
昔から神経が細く
辛抱のきかない性格だったせいか
わたしは 消耗が激しかった。
しかも学校生活もあったもんで、
毎日を消化するだけで必死であった。
自分ではどうすることもできず、
どうにかできるなどという頭も
なかったわたしは 
ただ傍観し、ただ傷つくだけ。
無力そのものであった。
でも、
のちに、同じく両親の離婚を
経験した友人と話したとき、
「あんなおやじとは早く離婚しろ」と
自分の母親を説得したよ、と
彼は振り返っていた。
この子はなんてすごいんだ、
それにくらべてわたしは
なんて未熟でバカだったことかと
はずかしかったことを覚えているな。

父がいなくなることを 
かなしんでいた・・・とはおもう。
でも、同時に、
いられても去られてももう 
たいした問題におもえなかった。
わたしの兄も弟も 
そんなかんじだったんじゃなかろうか。
愁嘆場なんていっさいなく 
だまってそのときをうけいれた。
なんの話し合いもしてない。
これからはわたしたちがお母さんを支えて
力をあわせてやっていこう!
なんてことを言い合ったことも
まったくない。
協力体制みたいなものはなく、
それぞれに精いっぱい。
現実って、そんなもんだ。

ところで、
わたしは明確に、
お父さんっ子であった。
娘だからか 父にはかわいがられたし、
わたしも父がけっこうすきだった。

母と折り合いがよいといえず、
わたしは家を心のよりどころと
感じられてなかった。
父も、相当早い段階から
母との夫婦関係が崩壊し
家庭に居場所をみいだせなくなっていた。
(性格が似てるわれわれふたりが 
どちらも 母とうまくいかなかったのは 
とうぜんっちゃとうぜんだ)
似た境遇の者どうし 
わたしたちは わりとうまくやっていて
週末になるとふたりで
図書館にでかけたり
あてもなくドライブをしたり
したものだ。
ほかのだれもしらない 
わたしと父だけの思い出は多い。

父が家を出てから今日まで、
父はどこでなにをしているものか
・・・と おもわない日は
ほんとに1日だって、ない。
メガネをかけて 
白髪あたまをうしろになでつけた
70代くらいの男性をみれば 
父じゃないかと反射的に
凝視してしまう。

会いたくてたまらないとか
会えなくてつらいとか
そういうふうには感じない。
少しも苦しくはない。
わたしは凡庸な子どもであったが
人並みの感性や思考力はもちあわせてた。
ちゃんと
「わが父はしょうもない男である」と
認識してた。
好きだったきもちにウソはない。
でも、
父との関係をもっと打算的に
考えていた気もするのだ。
母とうまくやれないのに
むりして深くかかわって
いやな思いをするよりは 
この人と一緒にいたほうがラクだ。
居場所を確保するために、
父とは仲良くしておこう。
・・・といったかんじ。

そんなぐあい、
そんな程度だったと言えば言える
それなりに仲がよかったとはいえ
希薄な関係でもあったのだ
・・・
が、それでも、
今も毎日、
お父さんはどうしているのかな、と思う。
知りたいと思う。
だからといって、
母に父のことを聞いても
けっして話さないだろう。
ことがことであるし、
むこうが話さないのを 
こちらで聞くのは酷というものだろう。
(それに、どうも、
母もほんとうに
父の現在については
知らないようだ。)

父のことが知りたいとき、
(というか「父のことが知りたい」
と意思を表明したくなったとき、)
わたしは叔父や叔母に、それを言う。
ずっと、そうしてきた。
叔父や叔母に
「お父さんのことが知りたいのか」
と聞かれれば
いつも、間髪入れず
「知りたい」と答えてきた。

兄と弟が 
わたしにはひとりずついる。
彼らとこの件にかんして
話し合ったことは一度もない。
彼らが父について 何をおもっていたか、
いま、何をおもっているか、わからない。
それを知りたいとも おもわない。

父は しらふで手が出るたちであり、
兄と弟に暴力をふるうことがあった。
ふたりが父をうらんでいたり 
家からいなくなってほっとしていた
としても、むりはない。
兄弟には兄弟のきもちがあるだろうから
今さらわたしの気分で
それをほじくりかえしたいとは思わない。

叔父夫妻によれば
両親の離婚の経緯と顛末、
そして父の消息について 
知りたがる姿勢を見せる者は
3人きょうだいのなかで 
わたしだけであるという。

これまでに(今日も含めて)
叔父夫妻から聞き出した、
父あるいは両親のこと
※わたしの直接体験分も
 このさいだからまとめておく。

・現在父がどこでどうしているかわからない。
 存命であるかもふくめ。
・弁護士に相談したこともあったようだが、
 両親の離婚は最終的には協議によった。
 ※両親が離婚にあたって相談した弁護士が
  だれであるか じつはわたしは知ってる。
  事務所を訪ねて話をきかせてくれと頼んだ。
  が、その当時まだ15歳であり、
  両親のことを知ることはよい考えとは思えない
  と、拒まれた。
・離婚の要因に、父の多額の債務があった。
・母が、父の洗濯物のポケットから
 借用書らしきものを発見したことによって
 父の秘密は露顕した。
・離婚の決定的要因はこの債務問題だが、
 父には結婚当初から、女性問題など、
 ほかにも母をまいらせることが多々あった。
・じつをいうと わたしは 
 知らない女性からの父あてのハガキを
 家のポストから発見したことがある。
 ハガキを見たとき、わたしは
 これは母に知られてはいけないものだと直感し、
 秘密裏に回収・処分した(^^)
・母は実母(わたしにとっての祖母)に頻繁に
 父と別れたいと相談したようだが
 祖母は 共感をしめしつつも 
 娘夫婦の離婚に消極的だった。
 われわれ3人の子どもの生活を案じたからだ。
 母がようやく父と離婚したのは、
 祖母の死後4年がたったころ。
・父の債務は母の実弟(わたしの叔父)が
 かわってすべて返済した。
・債務の肩代わりの条件として離婚、
 養育費の支払い、すくなくとも成人まで
  われわれ子どもといっさい会わないこと
 という約束がかわされた。
・離婚後3か月で養育費の支払いはとどこおった。
・養育費の支払い額は父自身が提示してきたものだった。
 叔父と母は 父の懐をかんがみて
 もっと少なくてもよいと伝えたのだが
 父はあくまで自分が提示した額を払う、と言った。
 しかし遂行されず。
・母は支払い督促を断念した。
・父は離婚後、アルコールの問題で
 肝疾患をかかえるようになった。
・かつてご近所だったKさんが、
 F駅近くの地下道でわたしの父とばったり遭遇し、
 あいさつをかわしたと聞いたことがある。
 ※これは今から10年くらい前の情報。
・再婚のうわさはきかない。

まあ、よく聞く話だな。
元配偶者が
養育費払ってくれないとか。
借金が原因で離婚。
アルコール。
ある。ある。
どこにでもある人生の失敗の話ってかんじだ。

養育費の支払いが
とまってしまったこと
この額を払うと 自分で言ったくせに
約束を反故にしたこと
・・・まあ、
ほめられたことじゃないのは
たしかなのだが、
しかし、
父を恨む気にはならない。
ばかだなあとはおもう。
約束をやぶったらわれわれ子どもと
余計に会いにくくなることが
わかっていても、それでも 
養育費を払いたくなかったのか、と
ややガッカリみたいなきもちには 
なるのだが・・
約束したけどできない、
思ったよりも大変で、ムリだった、
・・・そういう失敗って、 
あるよね・・・
ほんとに大変だって聞くし 
養育費を払い続けることって。
きもちは理解できるんだよな。
自分が父の立場だとして、
いや自分はぜったい父みたいに
いいかげんなことはしないと 
言えるかはわからない。
想像でなく 
本当にその立場になってみないと 
わからないことだとおもう。

・・・
叔父も叔母も、
わたしの父をあしざまには言わない。
しょうもないエピソードだらけだが
あくまでも淡々と 
事実だけを話してくれる、いつも。
ウソがあるとはおもわない。
「話してくれてないこと」は、
もしかしたらあるかもしれないが。
そして叔父も叔母も、
どうもほんとうに 
父の現在については知らないようだ。

きょう、叔父夫妻に、
父の現状について、
いまのわたしが 
知る必要はないのではないか、
と言われた。
父を探し出すことができたとして
父が支援を必要としていて 
わたしを頼ってくるかもしれない。
でも いまのわたしには 
父を支える力がない。
老父を全面的に支援する、という
心づもりと実際的な余裕があれば、
父の捜索も接触を試みることも
かまわないだろうが、
それができない状況なら
知らないままに
しておいたほうがいいとのこと。
知っても父のためになにもできず
苦しいだけとすれば。

たしかにそのとおりだ。

また、叔母はこうも言ってた。
母とわれわれ3人の子どもは、
離婚後も、父と暮した家に住み、
引っ越さなかったのに、
父はわれわれを一度たりとも
たずねようとしなかった。
(会わないという約束だったとはいえ)
子どもの様子を知りたがる
姿勢をみせなかった。
その父に、会いたいという願望を
仮に叶えても、
わたしにとってよい結果、
理想的なリアクションが
待っているとはおもえない。

まったくもっともな話だ。

けど・・
わたしはこれからも
父のことを知りたいと
言い続けるだろうとおもう。

14年間 おなじ家で暮らしてた。
おなじ家で暮らしてたけど、
その人はある日家を出て行き、
そしていなくなった。
いない理由はわかっている。
べつに謎の失踪とかじゃない。
離婚して家を出て行った。
だからいないのだ、父は。
けど、よくよく考えると
いたのにいなくなった、
って すごくへんなかんじだ。

ちなみにわたしの本読みは 
あきらかに
父からうけついだ性向だ。
そして読むこと、書くことだけが
いままでずっと
わたしを助けてくれた。
子どもが人に頼らず
自力でできる心の整理方法として、
また、もっと単純に、
食べていく手段として。
おもえばまがりなりにも、
これだけでわたしはずっと食べてきた。
もしも、今ほどにも
読めて書けてなかったら 
もっと早くのたれ死んでた。
それか、すくなくとも
子どものころのわたしの 
心のなかの世界は
信じられないくらい貧弱だったはずだ。
だから父に感謝しているかと言われると
そんなおおげさには考えてないと 
こたえるしかないのだが。

父がどうしているか、
死んだのか生きているかを、
父のことで 
わたしが知らないことを、
知ることを求める。
わたしは知りたいと
言い続けるのを やめないだろう。

このまえ、
近所の図書館の
古い貸し出しカードを
発見した。
なくしてしまったと思っていたのだが。
その図書館は10年ほど前に
貸し出しシステムが刷新され
貸し出しカードも
そのときリニューアルされた。
古いカードは、持っていけば
引き取って処分してくれることに
なっていたのだが、
わたしはあえて手元に残した。
というのも
その古い貸し出しカードに
父の筆跡が残されていたからだ。
初めて利用者登録をしたときに
父がわたしの名前を書いてくれた。
ラミネート処理されているため 
文字が消えることもなく
きれいに残っている。
自分の持ち物で 
父の何かといったら、
もうこれしかない
失くしていなくてよかった。
びっくりするような場所に
隠れてたとかいうわけではなく
めったに使わないカード類を
まとめてあるファイルケースに
ふつうに入ってた。

映画の感想-「キングスマン:ゴールデン・サークル(2017)」「シネマ歌舞伎・熊谷陣屋」/コーガンは呪う/メイドインアビス

先日、映画を2本観た。
どちらもおもしろかった!

・・・

キングスマン ゴールデン・サークル」
原題 KINGSMAN: THE GOLDEN CIRCLE
マシュー・ヴォーン監督
2017年、英

※ほんのちょっとだけど
ネタバレ的なことを書いています。

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movie.walkerplus.com

前作をわたしは観てないが
Wikiやらで軽く予習をしておいたところ
問題なく楽しめた。

世界のために人しれず戦う
特殊国際諜報組織
キングスマン」の活躍。
ロンドンにある彼らのオフィスが
何者かに爆破されて壊滅、
諜報員もみんな死んでしまった。
生き残った主人公と、その教官は
爆破犯を探し出すことを決意、
同盟組織の協力をえるために
アメリカにわたる・・・。

お話運びが極度にていねいで 
わかりやすかった。

おもえば 本作の監督の出世作
「キックアス」シリーズにも
このかんじは共通している。
「レイヤーケーキ」は
どうだったか微妙だが・・
「はいこのセリフ伏線でーす」
「こいつあやしいよ!裏切るよ!」
なんてことを キチンと知らせてくれる、
極上の親切設計。
「ありがためいわく」や
「バカにしてんのか!」感を
とおりこして
ほほえましい。

黒タクシーのステレオからながれる
プリンスにのせて
冒頭からくりひろげられる 
アクションシーンが
かっこよく、一気にひきこまれた。
あのかんじが
最後まですこしも 
おとろえなかった。

主人公のメンターを
コリン・ファースが演じていた。
主人公とこの老練なエージェントの
強固な信頼関係は
前作をしらないわたしにも 
ひしひしと伝わり、
観ていて 心があたたまった。

イメージでものを言って恐縮だが、
ユーモアに、ちょっとだけ
「粘り気」があるのが 
英国産てことなのかなと感じる。
敵地の茂みで
カントリーロード」を
フルコーラス歌われるだけでも
おなかいっぱいなのだが、
さらに最後に1オクターブ上げて
朗々と歌い上げてた。
上げないとおもうんだよね
アメリカだったら。
でもそこを1オクターブ
上げるのが英国、みたいな。

メインキャラクターで
命を落とした人がいたのが残念。
だが 今回、
前作で死んだキャラが
じつは生きてた、という展開があった。
そういうのがアリな映画らしい。
もし第3作があるなら
あのキャラクターに「生きてた設定」を
適用してくれればな。

・・・

シネマ歌舞伎 一谷嫩軍記 熊谷陣屋」
熊谷直実中村吉右衛門
白毫弥陀六:中村富十郎 他 
2011年、松竹
movie.walkerplus.com


平家物語に材をとった物語。
・・・熊谷直実が帰陣するが
どうもその表情が浮かない。
彼は このいくさで、
平家の若武者・平敦盛を討った。
敦盛は、直実の息子と同じ年ごろ。
年端もいかぬ子の首を
とってしまったことに 
落ち込んでいるのだろうか。
直実の陣屋には
故あって敦盛の母・藤の方が身を寄せている。
直実は、敦盛を斬ったことを彼女に報告。
ご子息の戦いぶりやあっぱれと 
やけにはりきって、その死にざまを
かたりきかせたかとおもうと
「これからわが君(源義経)に
ご子息の首級をお見せしなくちゃ
いけないから・・・」といって、
そそくさと部屋をでていく。
なんだか直実のようすがおかしい。
その理由が、
義経の首実検の段で、あきらかになる。
直実が 提出した首級は、じつは・・・

といったストーリーだ。

シンプルな物語だ。
言いたいことは、ただひとつだ。
それしかないだけに 
観ているこちらの
胸に深くくいこむ。
洗練のきわみのような脚本だ。

わたし、
歌舞伎を観るのはこれが初めて。
難しそうだと おもっていたけど、
そんなことはなかった。
観てたのしく、聴いてたのしい。

・・・

ひさしぶりに 
最近聴いて すきになった音楽や演奏家
だれにも待たれてはいない企画だが・・。

www.youtube.com

ドミトリ・ショスタコーヴィッチ
ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 作品77
ヴァイオリン独奏:レオニード・コーガン
モスクワフィルハーモニー管弦楽団

曲と関係のない
「コーガン氏の日常」の映像が
さしはさまれるのが
ジャマっちゃあジャマだが 
演奏はちゃんと聴ける。
こんな感想をいだくのは
わたしがおかしいのかも
わからないが
音楽を聴いているというよりは 
黒魔術のようなものを
一心不乱に(?)かけられている、
というのが
最初の感想だった。
この前に、パールマンかだれかの演奏を
ずっと流し聞きしていた。
音色が変わったことにきがついて
確認したら
この動画にきりかわっていた。
尋常でない集中力が
どこか呪術めいた雰囲気を
かもしだしているのかもしれないし
ショスタコだからそうおもうんだよ
といわれたら
言い返しようもない。が、
メンデルスゾーンもきいてみたけど
やっぱりこの人の演奏は
なんか呪いっぽい・・・。
なんとなくネクラで、
真剣で鋭くて、でも、やさしくて、
つまりどこかあかぬけなくて、
つきつめると、スゴくすきな音だ(^^)



www.youtube.com


ケヴィン・ペンキン
Underground River Full (ft.Raj Ramayya)
Episode 1 Opening Theme
アニメーション「メイドインアビス」挿入曲

アニメ「メイドインアビス」の劇中曲。
第1話の中盤あたり?で 
この曲がかかったときは
なにか、どきっとしたな。

このケヴィン・ペンキンという人、
メイドインアビスの劇中音楽を
ほかにも(おそらくすべてを)
担当したようで、
YouTubeには
アニメのサウンドトラックらしき
コンテンツが
いくつも公開されている。
どれもとても美しい。
アニメーションも、傑作だ。
けど すごくなまなましく、
ある意味で残酷な物語だった。
こんなこと、描いちゃいますか・・・と。
そのかわいらしい絵柄、
かわいらしい声で、と。
攻殻機動隊もそうだけど
どこのだれが 何の目的で・・・
そんな、とほうもなさがある。
だから、傑作と評価することに 
異存はないが
もう二度と観たくない。
なまなますぎる。

miabyss.com

最終目的地を忘れない。-180116。

心が みだれ、おちつかない。

おもな要因は
いそがしいのと 
「本音を言えば 
こんなことはちっともやりたかないんだが
しかし やらなくてはならない」
っていうことに
取り組んでいることに起因する
まあ一言でいえばストレスにある。

べつにだれかに
やらされているわけじゃない
自分で選択してやっていることだ
でも 自分で決めたことなら
いっさいストレスがたまらないか、
疲れないかというと 
ふつうにストレスはたまるし疲れる。
そういうものだろ。
言うか言わないかのちがいだけで。
わたしはそういうの ちゃんと
認めないのはどうかとおもう(^^)!

むやみやたらな 
さびしさや焦燥感をおぼえ
すごくくるしくなる。
正直なところ 
死んじゃおうかなくらいのことが
頭をよぎる瞬間も
何度となくある。

きょうもそんなときがあって まいった。
進行中のできごとと、
そのきもちとのあいだには
なんの関係もありはしないのに
(つまり いくらなんでも
死にたいとかおもうほどつらいことに
取り組んでいるわけではない。)
なんでそんな 
追い詰められたきもちになったのか。

まあ 疲れてるんだろうな。

つらいのだが、
そういうときは 
自分には
このさきに行きたい場所が
ちゃんとあるんじゃなかったのかと 
その部分を見つめなおすように
努力している。

成長したいと  
今できないことができるようになりたいと
自分はおもってきたはず、
勉強したいんだよな
というのを 
できるだけ思い出すことにしている。
いっときのさびしさや苦痛に
一日に何度ものみこまれ 
食いつぶされそうになるが・・
極力 冷静になって考え直す。
しんどい作業だが
そこをなんとか努力している。
それでけっこう 
もどってくることができる。

気をしっかりもって 
取り組まなくてはならない。
わたし自身のことであり、
わたしがやらなくてはならない。

まだ 
これをお読みくださっているかたがたに
詳しくお話することができず
わたしもほんとにざんねんなのだが。

これが終われば 
ためらうことなく前に進める。

きもちを表現していない。-180112。

自分のきもちを
けっこう言葉にして
表現するほうだと
自分ではおもっていた。
しかし、
このまえ、お医者さんから、
「あなたの話には、あなた自身の
きもちをあらわす言葉が
人とくらべて極端に少ない。
考えたことや、起こったことの内容を
話してくれることはあっても、
きもちは表現していない」
と 言われた。

これには
とても意外におもったが、
人から見た自分というのが
自分でおもっている自分よりも
的確、みたいなことって
案外あるものだ。
自分のこといちばんわかってるのは
自分自身、とは 言い切れない。
このお医者さんが
おっしゃったことは
もっともなのかもしれない。

お医者さんからは、
「自分のきもちを
言葉にしてはならない、と
胸の内におさえこんできた
期間が長かった、または
今もそういう環境に
自分を置いているのでは」
とも指摘された。
そうであるか そうじゃないかでいったら、
そうだ、としか言えない。