BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

手記-其の参(仮題)-ちょっとすすめて20171129-20171130未明

数多くの 詳細な検査の結果、
心臓やら脳やらに悪いところがあって倒れたのではないことを
いちおう確認することができた、お医者さまらが。

激しい頭痛と側頭部の違和感はつづき
ひねった足首と頭のたんこぶの痛みも 
まだその存在を声高に主張していた。
さらに、
謎の熱が でたりひっこんだりをくりかえしてたが、
「まあ、このくらいならば、退院するなとまでは言いません」
とのこと。
 
治りかけの肺炎にともなう高熱によって
けいれん発作を起こしたもの、というところで落ち着いた。
(1か月後、もう一度 詳しい検査を受けたが
やはり頭やら胸やらに原因はみつからなかった。)

わたしもできれば
家の 自分の部屋で休みたい・・・と願っており、
はやく仕事に復帰しなくてはと 考えてもいたので、
退院がきまったことを 心からうれしくおもった。

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退院の日 11月29日。
洗面台でコップを洗っているとき、
インターンのおふたりがきてくれて、
きょう退院ですね、当初よりずいぶん元気になってよかった、
あとでまた来ますから、と。
わたしは
おふたりとお話した時間がすごくよい気晴らしになったと
伝え、厚くお礼をもうしあげた。

左隣のベッドの・・・
ナースコールを床におとして 困っていたところを
自分がお手伝いしたおばあちゃんは、
朝からいくつもの検査で 院内をぐるぐるまわっているとかで
ついに ごあいさつすることもなかった。
あいさつくらいしておわかれしたかったような、
でも会わずにすんで 正直ほっとしたような。

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朝10時すぎごろ、母と兄が病院に迎えにきてくれた。

わたし自身は
毎日 都内の職場まで通勤してるわけで
取材やなんかで都内をかけまわってるわけで
新宿、歌舞伎町、若松河田、代々木、大久保・・・
東京メトロ都営地下鉄副都心線京王線
小田急線、中央線、山手線・・・どれもこれも
なんということはない。 東京は、活動圏内だ。
けど、兄は職場までマイカー通勤でほんの数十分。
母にいたってはおそらく 
自宅周辺半径2.5キロメートルくらいの
範囲内でしか ふだん活動してないと思う。
入院した期間は3日間にすぎなかったが、
彼らにとって その間 毎日 都心まででてくるのは
けっこうプレッシャーのかかる、大仕事だったろう。
救急搬送された夜以外は、電車できていたようだから
(兄は東京の道に慣れていないので 車でくることを
さけざるをえなかったのだろう。27日深夜も、
たぶんタクシーで来たはずだ。)
わたしは兄まで 毎日通ってこなくても 
よかったんじゃないかとおもうんだが
(仕事を2日も休ませてしまった。)、
母も、せめて兄がついててくれないと
不安だったのかもしれないね。
いろいろな意味で 
ふたりには、悪いことをしたとおもう。

そういえば、父方の親戚のお墓が台東区にあったので、
子どものころ年に何回か 中央線などを利用して
東京にでかけたものだが、
この おもえば1時間半ちょっとのおでかけを
とほうもない大冒険のように感じてたことを記憶してる。
煉瓦作りの橋の下をながれる隅田川
電車の窓から見える
長屋づくりの家々はすっごく「細くて」、
おたがいにひしめきあって建ってるようにみえたものだ。
お墓参りのあとはいつも、
浅草花やしき」に連れていってもらったっけか。

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さいごにあいさつをすることになっていた
主治医の先生やインターンの先生がたが
退院予定時刻になってもこなかったので、
わたしたちはぼんやり そのまま待ってた。
わたし、体がかなりつらく ふつうに横になって待機。
自動販売機で買ってきた冷たいウーロン茶のペットボトルを
あごの下にはさみ 熱でほてる首を冷やしながら
寝てた。※はたからみるとかなりヘンな姿だ。

家に帰りたいのはやまやまだけど 
帰る道のりがなあ・・・ 
ぜったい かなりきついだろうなあと内心。
小田急ロマンスカーを使おう、座れるから。
わたしが3人ぶんのお金を出せばいい。

そんな時間を過ごしつつ
わたしは ふと

「会社、クビになるかもしれない、
こんなことになってしまったんじゃ・・・。」

と つぶやいた。

じつをいうと、ふだんのわたしは、
家族とほぼ完全に 没交渉だ。
仕事がとにかくずっとずっと忙しかったから
生活のサイクルからし
家族のそれとすっかり乖離して長いし、
家にぜんぜんいないし・・・、
そもそも 母とも兄とも
良好とはいえない関係にある。
それがこんな 
「きもち」みたいなことを
見せてしまうとは。
言ってしまうとは、おもわなかった。
漏れた自分の声を 聞いてはじめて
「あれっ、なにいってんだろう、わたし」
って。

「こんなことになってしまった」なんて
妙にキッチリした言葉遣いをしているところが
いかにも ぎこちない関係ってかんじだよね(^^)

心が弱ってたからなのか?
発言をコントロールできず。
こんなことを言って どう思われるかとか
なにも考えてなかった。

たぶんだけど、
気になっていたんだろう、
このことがずっと、一番に。

「クビになるかもしれない」。
仕事を愛してる。
たのしんでやってきた。
ものすごく大変だったけど。
なんども体調を崩したが 
そのたびになんとかふみとどまり、
自分なりに工夫をかさね、乗り越えてきた。
やっとのおもいで 本を作れる仕事につけたのになあ。
自分にはできない、能力がないということを
今回こそ露呈してしまった。
戦力外通告されるかもしれない。
ここでも必要とされないかもしれない。
一番 必要だと 言ってもらいたい場所なのに。
もしそうなったら、
わたしの居場所って、いったいこの世界の
どこにあるんだろうな?
それを探す旅を 再開できるんだろうか?
すべてうしなっても、また?

そんなかんじだったかとおもう。

わたしがこんなふうに すなおっぽいことを言うなんて、
母と兄にとっても たぶん超意外だったろう。
だって、
ここ4年~5年くらいは
兄はまあともかくとしても
母となんて ほんとうに、
まともに会話してなかったからね。
家にいないんだもん、わたし(^^)!!

けれども、
母と兄のリアクションは 
なかなかに わたしをおどろかせた。

「何を言ってるんだ。
まさか仕事を続けるつもりなのか。
死ぬところだったというのが わかってないのか。
バカなことを言うんじゃない。
一刻も早く辞めろ。」

ふたりは目をまんまるにして 
異口同音にこう言った。

あれっ、そういう反応!!??
(じゃあどういう反応なら納得だったのかといわれると
それもよくわかんないんだけども。)

返答に窮しているうちに
遅れていた先生がたが病室にみえて、おわかれ。
退院手続きと清算をすませ、
帰途につくこととなった。

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わたしは 母が清算をしてくれているあいだ、
待合スペースのふかふかしたイスに
全身をしずめて呆然としてた。
ていうか寝てた。
いつのまにか隣の兄の肩によりかかってた。
帰りは小田急線の特急を利用して 
すわって帰りたいとか いろいろと
考えをめぐらせていたはずなんだけれど、

こうして外にでて いざ歩いてみると、
意識がずいぶんもうろうとしていて
まっすぐ歩くことさえおぼつかなかった。
眼前が かげろうみたいにゆらめいて
よく見えない。
母がわたしの腕をつかんで 
軌道修正しながらでなければ
蛇行してしまってまともに歩けない状態だった。
つかれていて、また、眠くもあった。
入院して休まされていたというのに
じっさいにはまったく休めてなかった。
この「休んでいるはずなのに実質まったく休めてない」という
かんじは、
以後もずっと、続くことになった。

なにせ頭が痛くてしょうがない。
考えがぜんぜんまとまらない。

特急に乗ろう、お金を自分が払うから、と
ついに提案できないまま。
ふつうの快速急行に乗り(昼間でとても空いてた)
ふつうのJRに乗り換えて、
最寄りの駅からだけ タクシーに乗り、
病院を出た1時間ちょっとあとには、もう自宅に到着してた。

自室に戻るとベッドがととのえられていた。
このまま横になってしまったほうがいいのか
すこしはなにか口に入れたほうがいいのか
ぜんぜんわからず。
(そのどちらかをやったほうがいいことくらいは
いちおうわかってたのだが。)

兄が お風呂をわかしておいてくれ、
母に
「お風呂にはいって、寝てしまいなさい」
と言われ、
そのようにした。

目が覚めると25時を回っていた。
11月30日だ。
ざっと10時間以上 寝入ってたことになる。
病院では3日間ほとんどまともに眠れなかったのに。
わたしって案外繊細なのかもしれないね(^^)

携帯電話の充電は 入院2日目の夜から切れたまま、
パソコンの電源もいれずじまい。
パソコンをひさしぶりに開いて、
メールを見てみたところ、
取引先からはさいわい連絡がなにもはいっておらず。
職場の同僚に、わたしといっしょに作業をしていた人がいて
わたしがこういうことになってしまったので
仕事を かぶってくれたらしく
プリプリしながら
「Aのデータはどこにありますか 連絡ください」
「Bの画像はどこにありますか 連絡ください」みたいな
ことを言っているメールが何件か。
(どうやら わたしが倒れて入院した事実は
専務の口からオフィシャルには共有されなかったようだ。
じつはうちの職場ではそれがデフォルト。重要なことが、
なにも知らされない(^^)!!!)
しかし、それをほかの同僚が カバーしてくれたようで、
「AとBの件はなんとかしたので大丈夫です、
うわさ聞いてます、こっちのことは気にしないで
快復に専念してください」と
やさしいことを言ってきてくれていた。

専務が
「電話だけはつながるようにしといて」と言っていたのに
音信不通の状態になってしまってたことが気まずく、
でも もう夜中だったので 電話もしづらく、
とりあえずぜんぶ あした、あした!ということにして
いさぎよく また横になることにした。
だが、もう眠れはしなかった。
職場の状況を想像すると、もう休んでいられないっていう
きもちになっていた。

しっかり睡眠をとったのに
頭がやっぱり痛くてたまらなかった。
なんなのかこの頭痛は。
たしか何度も頭が痛いと 先生に話したはずなんだけど
なんか、まともに聞いてもらえなかったよなあ・・・
頭が痛くても、脳に異状さえなければ、
だいじょうぶってことだったのかもしれない。

鎮痛剤のロキソニンを口にほうりこんで
しょうがないから朝まで本を読んですごした。

翌11月30日は木曜日だった。
考えたすえ この週いっぱいはすべて欠勤することにした。
専務に電話をしてその旨つたえると
「いいよ、ぜんぜん!でもいつ戻るか決めたら教えてね
せかすわけじゃないけど」。とのこと
あ、戻っていいのか、すくなくとも専務レベルでは。

では翌週12月1日から復帰しよう。
ほかの人たちになんて 言われるかわからないけど・・・。
もうこなくていい、辞めろといわれたら
それは・・・帰ってくるよりないだろうが。

そんなことをおもいながら
週末をすごすことになったわけだが・・・、
この間に、じつに くそくらえな現実に
ぶちあたることとなってしまった。

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さて、おおくのかたがたにとって
ここまでまっっったく 
なにがなんだかわからない
ほんっとに 意味不明な手記が続いた感が 
おありだったかとおもう。
なんなんだ、なんのための文章なんだ、
なにを言おうとしているんだ、
病気の話ばっかりしてるけど。
なんなんだ。方向性が見えない。
どういう気持ちで読めばいいのかわからん。
これ書いてるやつって頭わるすぎだろ。
っていうかマジで なに!!!??

そういう内容になっちゃってること
わたしもよくわかってる。
わかってるけど そのまま 指が動くのに任せて書いてる。
もうしわけないとはおもうけれど、
今はまだ このまま放置しておいていただきたい。

次回以降は、
きかんしゃトーマス」について書きたい。
(いよいよもって あたまおかしいんじゃねえのかと 
おもわれるかもしれないが だいじょうぶ、正気だ(^^))
わたしが病気にかかって入院して退院した話、とかいう
超どうでもいいストーリーは
この「きかんしゃトーマス」をもって 
いったん終了とし、
つぎのセクションへと すすむつもりだ(^^)
でも次回「以降」は、というところだけが決まっていて
ほんとに次回
きかんしゃトーマスがでてくるかは
ちょっとわたしにもわからない。