BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『女帝 エンペラー』-120629。

原題:夜宴 
英題:The Banquet 
馮小剛監督、2007年、中国

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movie.walkerplus.com


スクリーンで観た記憶があるが、
最後のほう、覚えていない。
もしかして劇場では 
寝てしまったのかも・・

もともとのタイトルは
『夜宴』らしい。
こちらのほうが 物語には合う。

シェイクスピアの『ハムレット』を、
ガートルード視点で
翻案したものといえる。

もっとも、
ガートルードとハムレットは実の母子で、
恋愛関係だったわけじゃない。
だが本作においては
ガートルード/ワン皇后と
ハムレット/ウールアン皇太子は
義理の母子であり
かつて恋愛関係にあったという設定だ。

ワンが 
ウールアンに入れ込む理由が
あんまりよくわからなかった。
ウールアンもそれほど
ワンが好きなようには見えない。
最初はほんとうに
愛し合っていたかもしれないが
ふたりの心は別のことに
向いていったんだろう。
ワンの前夫にして 
ウールアンの父であった
先王の死をきっかけに。
ウールアンのほうは
とくに変わった。
ワンへの愛情よりも
父の位を奪った叔父への、
不信と怨恨に
その心を明け渡してしまっている。
そして彼の恋情はいまや
チンニー/オフェーリアに
かたむいてきていたようだ。

チンニー、気の毒すぎた。
ただ本人は、あれで幸せだったのかも。

ワンとウールアンは 
今上を恨んでいたことになっている。

だが、今上はべつにそんなに
悪い奴じゃない。

今上が、
先王を謀殺したのは 
事実のようだったが、
そんなのは古代の王朝では
いくらでも起こりえたことのはずだ。
人殺しは今も昔も犯罪だが、
昔の物語を 
今の感覚でとらえるべきじゃない。
だから、
謀殺によって王位を奪った
という事実以外の部分で
今上が恨まれることの納得性を
だす必要はあったとおもう。
もし今上を 
復讐されてしかるべき
救いようのない悪者として描くならば。
でも 
今上は この時代の王にしては、
底抜けといっていいほど寛大で、
妻にも家来にもやさしい。
こんなにコケにされたら、
もっとキレてもいいのにと
はたでみていて 
おもうシーンも多かった。
容姿もととのい、威厳はたっぷり。
仕事はできるようだし、
王としての自覚もじゅうぶん。
「うわっ気持ち悪い・・触らないで」
生理的にノーサンキュー、的な
不快な存在感もない。

ワンは今上に毒を盛った。
しかし、そのせいで今上が倒れると
取り乱して泣いた。
早くいなくなればいい、
死んでくれれば
わたしとウールアンの天下だわ
そんなふうに
本気で思ってはいなかったのだ。

愛していたかは別としても
妻として妃として尊重され
今上に情がうつってたんだろう。

今上にはそれだけの
器と真心があった、という描かれかただ。

ということは、本作は
単純な復讐劇じゃない。

ワンがウールアンに いまも
思いを残していることはまちがいない
本作のストーリーはほぼ、
ワンがウールアンを守ろうとする、
それだけのために動くのだから。
でも、ワンは、
今上の真情と、ふところの深さに、
ほんとうは ほだされつつあった。

ウールアンも ワンへの想いを
すてきれていたわけではないが
先王がなくなると 
まよわず今上の妃の座におさまった 
彼女の かわりみの早さに、
不信感をいだいている。
同時にチンニーの純粋な愛情に
心動かされてもいて
おもいが千々に乱れていたようだ。

けれどもウールアンもワンも、
その心のなかに長い間育ててきた
怨念や憎しみを 
いまさら棄てることはできない。
いっぽうでめばえつつある、
新しい愛情に動揺しながらも
ずっと つきすすんできた道を
いまさらそれるわけにはいかない。
そのまま すすむしかなかったのだ。

形骸化しつつあった
「怨み」をはらしてみたところで
そのさきに、ほんとうの幸せなど
ありえないと、わかっていたはずだ。
それよりも 自分の心に生まれた
新たな愛をすなおにうけとめて、
そちらにむかっていったほうが
ふたりははるかに幸せになれた。

ワンは今上の愛に
すなおに応えればよかったし、
ウールアンはチンニーに 
早く心を開けばよかった。

それができなかった。 
彼らの悲劇、ってところだ。
一貫性を保たなければ、などと
どうでもいいことを
突き詰めてしまったのだろうか。
たしかに、ふたりは
自分の希望をかなえるために
これまでに何人もの人間をまきこみ
その命や立場や人生を犠牲にして
きたのであるから
それをいまさら
やっぱりわたしは今上を愛してるわ!
おれは憎しみを捨ててチンニーの愛に応える!
なんて言い出しにくかったかもしれない。
だが 一貫性なんてないのが人の心で
それだからこそ 人は人なのだ。
ハムレット』でも
ハムレットは オフェーリアを
ぜんぜん相手にしてなかったくせに
彼女が死ぬと「おまえを愛していた!」
といって わんわん泣く。
ガートルードは
先王を深く敬愛していたが
彼から王位を簒奪した今上のことも
真実を知りながら、愛してる。
人の心のなかには、
一貫性とか論理性を
とびこえたことが 起こる。
矛盾するふたつのきもちが共存する。
それはおかしいことじゃない。

ワンとウールアンは
人の心の不思議なところを
身をもって痛いほど感じていながらも
その痛みから目をそらして
つっぱしってしまったのだろう。

でもおもえば
ワンとウールアンが
実の親子でないということにしたのは 
その意味では
ちょっとこの作品、失敗だったのかも。
何度もくりかえすが
ハムレット』では
ガートルードとハムレット
実の母子なのだ。
やさしかった先王にも
その人から王位を奪った現王にも
尻尾をふる、軽蔑すべきあばずれ女。
でもその女、おれのおっかさんは 
心からおれを愛してくれており
おれもやっぱりおっかさんを愛してる
その葛藤が ハムレットを苦しめた。
ワンとウールアンは 
実の母子じゃないので
そうした苦悩が 
ウールアンには生まれないのだ。


チャン・ツィイーがよかった。
ファン・ビンビンみたいな
ああいうかんじの美女が 
ワンを演じても
たぶんハマらなかった。
チャン・ツィイーこそ
ワンに合っていた。

だが ワンをおそったあの凶刃は・・・?

音楽は、すごくかっこよかったけど、
ときどき
場面に合っていないように感じた。
とくにエンディング笑・・・

ところで 
話の筋とは関係ないことだけど、
中国の王朝ものって
大掛かりな儀式の場面がよく出てくる。
お城の中だけでなく外にまで、
大地をうめつくすように
何万人もの兵士や従者が並んで。
外に並ばされた人たちは、
お城のなかで、おえらいさんたちが
なにをやってるかなんて
まったくわからないで、
何時間も立たされていたはずだ。
式次第が案内されていたら
親切なほうだが、それでも
やってることが見えないんじゃ
最低に退屈だ。

となりの人としゃべったり、
疲れたらしゃがんだり、
なんか食べたりできたのかね。
いつ終わるのかもわからないまま
飲まず食わず、トイレにも行けず
何時間も立たされるなんて
絶対にいやだな。

古代の人が日記なんか
書き残していたらなあ。

王に仕えた人たちのなかでも、
儀式のときに
外で並んでなきゃ
いけなかったような人たちの
リアルを描いた 映画、
あれば観てみたい。