BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想をおもに記録しています。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

ハシグチカナデリヤ-190519。

このまえ知り合った人がおしえてくれた

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見た目はサエないし
声も 正直言うとべつにすきじゃないけど
音楽はめちゃくちゃカッコイイ。
めちゃくちゃカッコイイ。

何回もききたくなるところがいいな。

わたしの
音楽への探求心や問題意識は ゼロといっていい。
たとえば「エアロスミス」がすきだけど
じゃあエアロスミスと似たようなかんじの
カッコイイバンドほかにないかな~とか
エアロスミスに影響を与えた/影響を受けた
人って誰なんだろうなーとか
そういうふうに「拡げていく」「深めていく」作業を
したい、と考えたことが まったくない。
欲求に駆られない。
与えられたものだけでいい。
たまに 「探求」したほうがいいかな~とおもうことはあるが
長続きしない。

だいたい

「友だちに薦められてなんとなく」
→B’zはそれで小学校5年生のころから聴いてる
でもエアロスミスと出会ったのは高校生のときだった
B’zとエアロスミス紀貫之額田王
くらいに考えてもいいほど近しいのだが(←なんの話だ)

「ラジオで紹介されていた」
→Superflyはそれで10年くらいずっと聴いてる

「教養として『カラマーゾフの兄弟』読んどくか・・・
七人の侍』観とくか・・・みたいなかんじで
クラシック音楽といわれるものほぼすべてと
コールドプレイ、オアシス、レディオヘッドはこれでハマった

こうして それまで知らなかった音楽に触れ 
脳天にカミナリがおっこちたくらいの衝撃を
うけることはすくなくない。
そういうときいっつも
もっと早くこの音楽に出会っていたら・・・とか 
おもうのだが
おもうだけで またおなじことのくりかえしだ。

もしかしたら音楽そんなに好きじゃないのかもしれない。
と考えることもあるが ・・・断言しにくい。

体感としては
わたしはたぶん人並み以上に音楽を愛してるとおもう。

好きだから逆に知りたくないっていうきもちも
人にはあるもんだとおもうのだ。

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ギターうまいなあ~

低音の導入にもただならぬセンスを感じる。

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ヒュ~。

おわかれを言いそびれる-190519。

在野のミヒャエル・エンデ研究家
須賀健太さんの講座を聞いてきた。

毎月1回 近所で開催されている。

わたしはこのかたの講座がだいすきだけど
来月から転職し 土曜が原則出勤となるから
きけなくなってしまうな。

次月の講座の開催日は
当月の講座がおわったときに
須賀さんのご都合を確認し
みんなでなんとなく相談して決めている。

だから、たとえば
土曜日はいけないので他の曜日に・・・とか
受講者が要望を出してもいいのだろうが
話を聞くに みんなすごく遠方から来ている。
須賀さんも朝早くに出て他県から来てくれている。
わたしは平日か日曜日のほうがうれしいくらいだが
このちょうしでは
みんなは翌日が平日だと こまるだろう。
平日や日曜日にしてくれないかというのは
わたしひとりの勝手であり
一定数の参加者数が確保できなくなれば
講座じたいが成立しなくなるかもしれない。
と考えたら 言い出せなかった。

来月からは参加しないということも
なんだかつらくて言わずじまいとなった。
おわかれのあいさつをしておこうかともおもったが・・・
われながら残念だ。

みんなFacebookとかやっていて
講座の外でもつながっているみたいだけど
わたしはSNSをやってない
須賀先生の話が聞けなくなり
受講者の人たちとも話ができなくなるのは
ちょっとさびしいなあ。

でもそういったことのために
SNSのアカウントを持つのはイヤだ。
SNSとはもう かかわりたくない。

須賀先生と講座の連絡調整係をしてくれているかたには
あとでメールであいさつをしておこうとおもう。

口に出せない/漢字かひらがなか/「her/世界でひとつの彼女(2013)」-190517。

気にしないでいられているつもりなのだが、
調子を悪くしているらしいとか人づてに聞くと
どうしても心配になる。
でもそんな気持ちをよせられても
むこうも困るだろう。
心配なときに心配だ、って言えない。
伝わらない。
言える人がほんとうにうらやましいとおもう。
いや、言えない状況をつくりだしたのは
このわたしなのだ。

・・・

漢字を用いて表現できる日本語と
漢字を用いることもできるがひらがなでもいい日本語がある
漢字を用いることもできるがひらがなでもいい日本語は
ひらがなで表現するのがいいかなと自分では考えている。
たとえば できるは「出来る」と書けるが
わたしは「できる」を選ぶ。
できあがる は すべてひらがなで できあがる、とする。
そぐわないと感じるときは「完成する」にすればよい。
「よい」は90%以上の率で「よい」。
すべて、は「全て」と書けるけど、 
まず例外なく すべて、だ。
方法、手順という意味での「~方」は
誤読をまねきかねないので
「~かた」のほうがいいようにおもう。
または、方法、手順の意の「~方」を避けて
別の表現を選ぶことを検討する。
見る方法、という意味の場合 ぜんぶ漢字にすると
「見方」になるのだろうが
「味方」とも音がかぶるし
あまりよい表現とはおもえない。
うまくいえないが 
エレガントじゃない、ってかんじか。
だから 何を見る方法かにもよるが 
たとえば映画の場合
「観方」ではなく「観かた」
あるいは「鑑賞方法」などとする。
「観かた」もほんとはちょっと違和感があるので
できれば使わないのが一番だが
使うとすれば
「観かたとしてはこれを選択しました」
などといったふうに文をつなげて
「『観る方法』のことを言っているんですよ」と
読む人にわかってもらえるようにする。
言うまでもないことだが みるものによって
「みる」の漢字も使い分ける必要がある。
見る、観る、診る、視る などなど
いろんなみるがある。
また 分割する、シェアするの意味の わける は
わたしは漢字かなとおもうが
理解する、悟るの意味の わかる は
断然ひらがなだろう。

たとえ~でも、の たとえ は、ひらがな一択だ。
「例え」ではなく「仮令」なのであり
これも つかってもおかしくないような
場面なんてそうそうない。わたしの場合は。

おもう は まえは 思う だと感じてたが
このところ ひらがなのような気がしている。
迷っているのを自分でも感じる。

つくる は ひらがなかなあ・・・とおもってるが
他人の書いた文章で
「創る」も「造る」も適当とはいえず
「作る」が妥当な場面において 
「つくる」に なっているのを見ると
うわ、何カッコつけてんだよ・・・
などといったきもちになる。
だまって「作る」にしとけや!って。
おかしな話だ。
わたしは 正直なところいうと
「ものづくり」という語句を見るとゾッとする(笑)。

また、漢語と和語を適切に使い分けることも
必要だ。

でも理屈で何もかも 説明することはできない。
場合によっても感覚が変わる。

自分なりの統一表記リストを作ろうかなあとか
考えたりもする。
考えてもどうせこまかいとこまでは
覚えてられないんだろうが。

・・・

スパイク・ジョーンズ監督
her/世界でひとつの彼女」(2013年)を観た。
なかなか理解しにくい部分はあった。
人工知能のサマンサがほんとうに
主人公を愛しているとしかおもえなかったし
だから彼女が急に「あのように」なってきて・・・
いったい何を言い出したのか
ほんとうにぜんぜんわからなかったのだ。
つまり
このわたしがまずふりまわされてしまった。

たぶん
言語表現による人間関係、というものの限界・・・
または非言語表現による人間関係の可能性について
いおうとしている映画だったのかなとおもう。
知的でセクシーなおねえさん(人工知能)に
本気で恋をしてしまったイタイおじさんの
物語、ではない。

音楽が美しいけど ちょっとうるさかった。

つかれた~/「ベイビー・ドライバー(2017)」-190514。

今日は職場の内勤社員が手薄となり
やや忙しかったので さすがにつかれた。
まあたまにはこんな日もある。
1日16時間も働いてた自分がしんじられない。
どこからそんな力をねん出してたのかなとおもう。
いまや1時間の残業でさえ けっこうつらい。

・・・

雨がふってかなり冷え込んだ。
でも風が冷たくてきもちがよかった。

・・・

ベイビー・ドライバー」(2017)という映画を観た。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
ブルースエクスプロージョン
カーペンターズの曲を何曲も書いたポール・ウィリアムズ
みんなだいすきだが
そのかれらが作中にゲスト出演しまくってて
めちゃくちゃに混乱させられた。
あ これブルースエクスプロージョンだなーとか
おもって劇中音楽に耳をかたむけていたところへ
でてくるんだもんジョンスペンサーが
わからないようにじょうずに変装して。
イヤわかりますけど。一瞬でバレますけど。
フリーはああいう人であるし
たしかに映画にわりとちょこちょこ
顔をだしているような気もするのだが
(まあ ああいう頭の人はほかにもおおぜいいるので
いちいちフリーだなーとか見分けてもいないのだが)
ほかの人はよく出たなあ。
ミュージシャンって どんなにえらくなっても
こういうたのしいことが きっとだいすきなんだろうね。

わたしがわからなかっただけで
ほかにももしかしたら著名なミュージシャンが
出演してたのかもしれない。

ウォルター・ヒルの「ザ・ドライバー」と
設定やキャラの配置のしかたがすごく似ていたので
オマージュ的な作品なんだろうなとおもった。
イザベル・アジャー二とくらべてしまったら
リリー・ジェイムズに酷だ
リリー・ジェイムズも健闘してた。
タイトルのベイビー・ドライバー
サイモンアンドガーファンクルだ。

衝撃的な映画だった。
あやうく 
心をもっていかれそうになった。

電灯が切れた/「それでも恋するバルセロナ(2008)」/乗りこなせない心-190513。

居間の照明の電気があれよあれよというまに切れた。
もっと前触れがあるかとおもった、
数日前からだんだんとチカチカし始めるとか
そういう前触れが。あるもんじゃないのか。
しかし、なかった。
きのうとつぜん照明のともりかたが不安定になり
烈しくチカチカしたかとおもうと 
ものの数分で切れ、うんともすんともいわなくなった。
しかも蛍光灯2本組の電灯の、2本ともいっぺんに切れた。
スゴイな。こんなことあるのか。
実家にいたときは 数日間のチカチカ期間ののち
ゆるやかに切れていく、のパターンしか経験がない。

あたらしい蛍光灯買ってこなくちゃなーと
おもっていたんだけど
買って帰ってくるのわすれた。
ダイニングキッチンの照明とLEDランタンで
とりあえずなんとかやっている。
またこれからも何度も何度もこうやって
電灯とりかえるのめんどうだなあ。
踏み台に載って高いところで作業するの怖いし。
おっこちてケガしても
誰にも助けてもらえないからな~笑
で これがまた わたしはどんくさいから
ほんとにそういうことが起こりかねないんだわ
取り換えが少なくてすむように
LEDのやつにしようかなあ。

家に設置しているルーターがあまり調子がよくなく
ネットが遅くかんじる。
iPhoneによるテザリングにきりかえたら
問題が即刻解消した。
もうルーターはつかわなくてもいいかも。

・・・

きのう「それでも恋するバルセロナ」(ウッディ・アレン監督)
という映画を観た。
もうこれ、10年もまえの映画なのか。
ぜんぜんそういうかんじしなかったな。
そういえば当時この映画を観た友人が
スカーレット・ヨハンソンのピチピチ感がゆるんで
なんかつかれた中年女性みたいだった」と
いっていたのを思い出した。
自分の眼で いま 本作を観てみて 
あの友人がいってたことの意味が
ぜんぜんわかんなかった笑
わたしの眼には10年以上前も10年前もいまも
スカーレット・ヨハンソンはつねにかわらず
超絶ぴちぴちギャルにみえる(亀仙人)。
真珠の首飾りの少女」のときもすてきだったし
「マッチポイント」のときもすてきだったし
キャプテン・アメリカ」のときもすてきだった。

ペネロペ・クルスがじつに強烈で
ほんとにすばらしかった。
こんな人が身近にいたら困るが
でも、いたら、きっと
どうしようもなく惹かれてしまうだろう。

あのオレンジのようなピンクのような
あわい色みがかった映像は
ウッディ・アレン監督作品の特徴なんだろうか。
ミッドナイト・イン・パリのときも
このような色みの映像だったが。

・・・

人に本心を語るのはむずかしい。
自分のほんとうのきもちを話すのはむずかしい。

わたし たぶん自分でおもっているよりも幾千倍も
神経質で、自意識がつよく、わがままで、
惰弱であり、幼稚でもあり、頼りない性格だ。
おくればせながら最近になってようやく
気づくにいたり、すると、
自分のきもちとか人に話すと
その人が「めんどくせえなこいつ」
と 思うだろうから
へたに話すもんじゃない、ということが
わかるようになってきた。

へたに話すもんじゃない、となると
こんどは出力のコントロールの問題がでてきて
当然、コントロールなんてことはできないので
いっそ、「まったく話さない」。
それが一番だ、ということになる。

このへん じつにやっかいだ。

自分の心という暴れ馬を
乗りこなすのがめちゃくちゃむずかしい。

それにくわえて体調の波もまだまだ
おちつかない。

生きるのってしんどいなあ~。
これはまずいな・・・
このままいくとまた際限なく落ちていくな・・・
やることやってできるだけ早く休もう・・・

メガネができた♪/ツバメの巣/不可逆的プレッシャー-190512。

先日作ったメガネができあがったので
お店にひきとりにいった。
あたらしいメガネ、うれしい。
メガネは大事だ・・・
手持ちのものと、そんなにおおきく
毛色のちがうものを選んだわけではないが
これでちょっとだけ、顔まわりのおしゃれの
バリエーションが拡大した。

手持ちのメガネと度数を揃えてもらった。
かけかえても目に違和感や負担感がないので
すぐに外でも使うことができる。

帰り道、通いつけのカフェに寄った。
カフェのちかくに、コーヒー豆専門店がある。
そこの軒下に ツバメが巣をつくったらしい。
巣の下に、受け皿状にカサが吊るしてあった。
巣やヒナが地面に落下しないようにとの
お店の人の心づくしだろうとおもう。

こういうやさしいのは、いいなとおもった。

カフェでひとやすみし、お会計のときに
店員さんに ツバメの巣とカサのことを話したら
「自分もここ何日か見てたけど、今朝になったら
鳴き声がきこえなくなっていたので、
もう巣はからっぽかもしれないです」
といっていた。
店員さんも巣を見守っていたのだな。

どうも薬がないと眠れないのと
基本的に下痢をしているのと
食べられないのと なにより
コーヒーが飲めない。
胃が荒れすぎているのか
コーヒーを飲むから胃が荒れるのか
わかんないが じっさい
コーヒーがまったくうけつけない。
いつもカフェで飲んでいるおいしいコーヒーも
飲める気がしない。おえっとなる。
ホットミルクなどという 
いつもであれば見向きもしないものを
2杯もいただいてしまった。
店員さんがキャラメルソースを
おおめに落としてくれた。

食べてないからフラフラする。
座っていてもめまいがし
冷や汗がだらだらでてくる。

やはり 自分をとりまく環境が変化する
というのは、
うれしいことでも、たのしいことでも
それなりにプレッシャーになるようだ。
わたしの心はあんまり強いほうじゃないし
如実に体に出まくっているんだろう。
神経がやすまるときとてないのを感じている。
でもしばらくは これが劇的に改善することなんかは
ないだろうとおもう。
だって どうすることもできない。
だが、ちょっとだけ、時間有給休暇がのこっている。
消化がてら早めに帰る日をもうけたい。
家で横になったり
カウンセリングにひさしぶりにいって
眠れる薬をちょっと出してもらうなど
できそうな策は講じたい。

だが このようにまいっているときこそ
よけいな力がぬけるせいか 
頭だけは非常に健康的に稼働している。
これまで何回読んでもちっとも理解できなかった
難解な本とか するっと頭にはいってきたりする。
へんなもんだとおもう。

「レイリ」6巻-190511。

室井大資:画、岩明均:原作
「レイリ」

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夜 散歩のついでに駅ビルの書店に行ったら
でていた。購入した。
完結巻とのこと。
おもえば案外みじかいマンガだった。
表紙画のレイリが、髪を長く伸ばしているのをみて
ほっとした。
武田信勝の「影武者」というつとめをはたすために
ずっと短くしていたのが
戦国末期の女性らしいヘアスタイルに
なっている。ということは
とりあえず彼女が変な場所で死に急がずに、
こういう髪型ができるようになるまで
生きたらしいことだけは確認できる、
そうおもったからだ。
それは影武者をやらなくてよくなったということだ。
・・・歴史の授業で、武田家のその後を習った。
そこからすると・・・
でも、とにかく死にたがる子だったので
ちょっと心配だったのだ。

長い間、レイリは死ぬために闘ってた。
でも、この巻では、
信勝のためだけに涙し、怒り、
刃をふるうところを見せてくれた。

レイリの心は傷つきすぎていて、
感情の種類も濃淡も深みも
それゆえに乏しく、単純だった。
でも、ちいさな背中に一国の運命を負って立つ
武田信勝という少年によりそったことは
彼女の心にとてつもなくおおきな影響を
及ぼしたとおもう。
信勝になりきり、しかも信勝を守るという
非常に変わった任務だが それをつとめきったことで
ふしぎなことに信勝の信念や思考、
人となりの一部を
文字どおり 体得していったようにみえる。

信勝になりきり、信勝をいとおしむことは
そのまま彼女が自分自身をいとおしむことを
覚えることにつながったのだとおもう。

信勝の死の事実が露見し
小山田信茂たちの侮辱をうける場面こそ
レイリというひとりの人物が
本当に生まれたときだったのかもしれない。
彼女は赤ん坊のようだった。
まだ愛情の扱いかたがわからなくて
自分と信勝の存在も未分化の状態であり
土屋にあたためてもらわなくては、
立っていられない。

レイリと信勝はじっさいには
まったくの他人なのだが
レイリが信勝をとりこんだようにみえた。
「すべての人にそれなりの事情や立場があり
単純にどちらが正しい悪いとかいったふうには
決めきれないことが、この世にはたくさんある」
そんな、けっこう複雑なことを
彼女が学ぶには まだまだ時間がかかると
わたしはおもっていたけど
小山田信茂への最後のあいさつはすてきだった。

表紙画をみて、ほんとうにレイリは
美しい女性に成長したとおもう。
晴れやかだが、どこか憂いをおびた
深みのある表情だ。
すこやかで幸福な人生を送ってほしい。

レイリのきもちもそうだが、
武田勝頼・信勝父子の関係の問題など
このままなにも進展しなかったら
かわいそうだな~とおもって
読んできたところが いくつかあった。
それらが、いちおうすべてきれいに
最終巻で解決をみて、よかった。