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BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

「ラ・ラ・ランド LA・LA・LAND」(2016)、「ひるね姫」(2017)。

いわゆるゴールデンウィーク進行というやつで
あしたからしばらくまた うんざりくるほど大変になる。
いまも 休んでいる場合ではないような気がして
ものすごくきもちがそわそわしてる。
が、きょうは日曜日だから休んだ。
どうかんがえても、休んでる場合じゃないどころか
むしろ休んでる場合だ。
休まんと。マジで。

先週の話なんだけど、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムに
「ゴールドマンコレクション 河鍋暁斎展」をみにいったが、
あれがとてもたのしかったので、
きょうもまた行ってきた。
きょうが最終日だった。
河鍋暁斎はほんとにたのしくていい。
また会いたい。だいすきだ。
才気と気迫が 紙をはみ出してほとばしってる。
あと、新しい。なんといっても新しい。
こんどいつ こういう大規模な特別展示があるかわからないが
埼玉の河鍋暁斎美術館にもまた行きたいとおもっている。

www.bunkamura.co.jp


それから、これも、きょうの話ではないのだが、
ラ・ラ・ランド」を観た。
( LA・LA・LAND デミアン・チャゼル監督、2016年、米)

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これはとってもよかった。
わたしには ほんとうにとても響くストーリーだった。
ミュージカルとしてというよりはただシンプルな
物語として観てた気がする。
ミュージカルだともちろん認識してたし、
形式としてはまちがいなくミュージカルだったが、
基本的に、役者さんたちが、
表現の手段としてはダンスや歌をやっていなかった。
なんつうかな。 ダンスや歌に、テクニック的な意味で
一生懸命すぎるというかな。
だから ミュージカルというかんじがうすかった。
音楽劇ってのは キャラクターたちが、
あふれてくるきもちを言葉では表現しきれないから
歌や踊りであらわす、というていのものだとおもうので、
歌や踊りを表現の道具として自分のものにしていない役者さんたちが
いくら一生懸命 ミュージカルで歌や踊りをしても、
それはあくまでも歌であり踊りであって、
キャラクターの心の表現ではない、と感じるわけだ。

その点やっぱ メトロゴールドウィンメイヤーとかの黄金期の
ミュージカル映画って、
というか それに出てた役者さんたちって、
ほんとすごかったわなと。
あと、
「ウエストサイドストーリー」
サウンド・オブ・ミュージック
屋根の上のヴァイオリン弾き
心そのものだ、歌や踊りが。
ああいったのがミュージカル映画だわなあ。

だがべつに そこはどうでもいい。
つい長々説明してしまったから なんか
マイナスポイントみたいな印象を
与えてしまったかもしれないが、
べつに重要な問題だったとはとらえてない。

わたしはすごく楽しんでこの映画を観た。
というか 後半など迷わず号泣であった。

わたしは、主人公のミアが、
もう一度勇気をふりしぼって受けたオーディションで、
自分のことを語ってください、といわれて、
自分が女優をめざしたきっかけ、叔母さんの思い出を
語りだすシーンに感動した。
「どうか乾杯を、夢追い人に
愚か者に見えても 彼らの混沌に
どうか乾杯を、心の痛みに・・・」
という歌詞には泣かされた。

また、ミアと恋人のケンカのシーンもよかった。
お互いに、「ほんとはこんなことが 言いたいんじゃない・・・」
とおもっている感じがすごくあって、
それなのに口がとまらないというか、
なにかおかしな狂った空気になってしまっているかんじが
じつにリアルに出ていてよかった。
あのギリギリとした緊迫感に
わたしはかなり緊張させられた。

あと、ミアが脚本・演出・主演をぜんぶ自分でやる一人芝居の
興行に 失敗した夜のシーンもとてもよかった。
ミアはあわててかけつけた恋人の顔をまともにみようともせず
車ではしりさってしまう。
彼女がとても傷ついていることが よく伝わってきた。


夢をおいかけることと現実とのギャップ、というような
大人ならぜったいにだれもがぶつかることについて、
そしてそれでも前をむいて挑戦しつづけることの
せつなさと重みと傷とについて
一生懸命 語ろうとしている物語だったとおもう。

おもえば エマ・ストーンが出ている映画には
きまってこれまで やられてきたな。
「ヘルプ 心がつなぐストーリー」
「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」。
エマ・ストーンがでていることそれ自体は偶然だとはおもうが。
このふたつもふりかえると ラ・ラ・ランドの物語のような
要素をもったストーリーだった。
勇気づけられるよな。


それで先週の話はおわりで、


きょうの話にもどると、
河鍋暁斎展2回目をみたあと、
地元にかえってきて、まず図書館にいき、
小林泰三の「人獣細工」(角川書店)をかりて、読んでみた。
小林泰三という作家さんのことは
わたしは数か月前まで知らなかった。
けれども、知り合いからすすめられて、
まず「玩具修理者/酔歩する男」という短編集を読んだら、
怒涛のおもしろさだった。
その知り合いにこのまえまた会ったときに、
玩具修理者おもしろかった」と感想をつたえたところ、
こんどは「人獣細工」という短編集におさめられている
「本」という短編をすすめられた。
その「本」を読むために「人獣細工」を図書館でかりた。
そのあと映画をみる予定であったので、
映画がはじまるまでの数十分だが、読んでみた。
まず最初の 表題作を読んだ。
わたしは夢中だった。
まったくすごい作家さんだ。
なんでこの作家さんが もっと文壇でちやほやされないんだか
わけがわからんな。
正直「酔歩する男」なんかは
おんなじようなかんじの話を東野圭吾さんが
パラレルワールドラブストーリー」で書いているけども
あれの半分のページ数で あれよりもずっと深いことを
書いていたなあ。小林泰三さんは。



時間になると、映画館に行き、
ひるね姫 知らないワタシの物語」を観た。
神山健治監督、2017年、日本)

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こいつはとてもたのしかった。

清新、ということばがぴったりの、よい映画だった。
ファミリーにもおすすめ。
何回も観たい美しい映像。
ブルーレイでたら 買って またみたい。
映像表現における
イマジネーションとハイテクノロジーとノスタルジーの
混ぜぐあいが
わたしにはちょうどいいかんじでとても快適だった。
物語は、あまり深く考えないでみたほうが受け入れやすい。
でも観おわった今は わたしは深く考えたくなってしまっている。

高畑充希ちゃん歌うまい。
しっとりした よくのびる声でとてもよかった。

それにしても ワタナベの狙いが 
どうもなんとも よくわからない部分があったな。
なんだろう、完全自動運転車のお披露目を
オリンピックのセレモニーという大舞台で失敗させておいて、
あとで自分が自動運転車のノウハウを
モモタローから奪い取って形にすることで
名声を横取りして 会社を乗っ取ってやろう
ということだったんだろうか。
だが、
なんか、そこまでのことができる器の男に
まったくといっていいほど みえなかったな(^^)!!
そもそも 仮にそうした目論見が成功したとしても
そこからどうやったら 会社が乗っ取れるのかよくわからないし(^^)!
イクミが会社の中枢から離れて、末端の系列会社に
とばされたっぽいことは、エピローグで理解できた。
本編でそのころのイクミとモモタローの記念写真がでてきて、
すみっこにワタナベがうつりこんでいた。
イクミが、左遷されても 社長の娘であり、
非常に優秀な人材であることを理解していたから
へつらっていたということなんだろう。 
目端はきかないわけじゃないらしい。
だけども、なんかちっちゃいんだよな。
どうせちっちゃいなら、
話ももっと小さくまとまってたらというか・・・
たとえば、
オリンピックのセレモニーで自動運転車のお披露目をしたいのに
車のシステムがどうしてもうまく動かない
だがセレモニーは失敗が許されない大事なものだ
いまさらシステムの開発がうまくいってないってことを
社長に言い出せなくって、それで
モモタローがもっているノウハウを奪おうとしたとか
そのへんのかんじの もうちょっと ちっちゃい話だったら 
あのワタナベという男の小物っぽさが 納得できた気がする。
夢の世界でも、
エンシェン姫が、機械至上社会において 
いまわしい存在である「魔法使い」だから
幽閉しているんだけど
じつはかくいう自分も魔法使いなんです っていう
王さまに言えない秘密の部分で
ごちゃごちゃやってくれれば
現実と夢との話がそれなりにリンクするので 
ムリはなかったとおもうのだが。
ワタナベが会社を乗っ取りたいと 考えていたことは理解できるのだが、
彼にそれができそうに とてもおもえない感がすごかった。

エピローグでは、
モモタローと亡き妻のなれそめの物語が語られていて、
妻が亡くなった原因も、ほのめかされていたのがうまかった。
モモタローの顔に ちょっと出すぎだとはおもったけども(^^)

ひるね姫は、とくに 
ずっとみたいとおもってて みたというわけじゃなかったけど
すごくたのしい いい映画だった。
またみたい。 映像がうつくしかった。
















R・シュトラウスの「サロメ」。ブラスフェスタ多摩2017。

9時くらいにおきて何冊か本をよんだ。
そのあとDVDで「サロメ」をみた。
R・シュトラウスのオペラのやつ。
コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団、ドホナーニ指揮、
リュック・ボンディ演出のを
もっている。
これがいーんだわなー。
サロメの愛情に、
カナーンが、まったく関心がないわけではないかのように
演出しているのが このバージョンの
特徴なんじゃなかろうか。
カナーンが、追いすがってきたサロメを手で押して
追い返したり
ヒザにしがみついてきたサロメの頭を両手でかかえたりする
手つきが、ちょっと、やさしいようにみえる。
サロメの誘いに懊悩しているようにもみえるしなあ。

サロメ役のソプラノのキャサリン・マルフィターノは
オペラ歌手であってダンサーではないのに
「七つのヴェールの踊り」をちゃんと踊っていてえらい。
キャサリン・マルフィターノはこの演奏のとき
たぶん50歳はとうにこえていたとおもう。
なのにそうとはおもえないほど
踊りに迫力があり、自信に満ちてすごくきれいで、ドキドキさせられる。
こういうのがほんとの「セクシー」ってことじゃないかなあ。
最後のほうは、つかれてくるらしく、足あがってないけど(^^)
むりもないとはおもう。しかも10分くらい踊ってそのあと
やすみなく、長い歌をうたうんだよ。
すごいとおもうわ。

衛兵部隊長が自殺するまでの心の動きを
もっとちゃんと描いてほしいような気もする。
何度みても、なんで死んだの、ってかんじがする。
愛しいサロメがヨカナーンにイカレていくのを
これ以上みるくらいなら死にますという
ことだというのは わかるのだが。

ユダヤの祭司たちのところや
ヘロデ・アンティパスの狂いっぷりもとても観ていてたのしい。

オスカー・ワイルド
やっていいことわるいことってのを考えない人だなとおもうけど
それなのにぜったいに品位をそこなわないし、深いよなあ。
新しいよ。いまでも。

歌劇サロメのDVDはほかにもいくつか
図書館の視聴覚サービスなどで観て 比べたこともあったが
もうこのコヴェントガーデンので
観慣れちゃったなあ。
でもほかにもいいのがあったらみてみたいかなあ。


夕方からは、多摩センター駅にある
パルテノン多摩というホールにいき
「ブラスフェスタ多摩2017」という吹奏楽のイベントを
聴いてきた。
(BRASS FESTA多摩 2017
パルテノン多摩、15:00開場、15:30開演)

各高校の吹奏楽部や、一般のユースウィンドアンサンブルなどが
何団体か出演して演奏し
さらにさいごにはそれらのメンバー+公募参加のプレイヤーの
巨大合同バンドの特別演奏がおこなわれた。
この合同バンドに自分の友だちが参加したので
聴きにいってきた。

高校生たちの演奏は とにかく
きらきらしていてとてもよかった。
でもなんだか 自分もおなじ道をとおってきたので
いろいろ ヘンに思い出して 彼らをみていることが
それはそれはめっちゃくちゃに恥ずかしかった。
さいしょのほうとか、ほとんど赤面しどおしで
下をむいて、顔を両手でおおい、目をつぶって聴いてた。
まわりからみたら この人なにやってんだろうという
かんじだったにちがいない。
なんか とにかくはずかしくて(^^)
高校生たちが とてもかがやいていた。

片倉高校の演奏は折り目正しく正統派そのものだった。
決然としつつも 音のしっぽの処理にこまやかに
気を遣っているせいか とてもやわらかい感触の演奏で、
彼らの誠実なきもちとかが伝わってくるかんじだった。
スキでやってんだな、というのが伝わってきた。

永山高校が披露したマーチングも
元気いっぱいでかわいらしかった。
バスーンがマーチングにちゃんと参加してたどころか
むしろほかのどの楽器の子よりも動きがキレッキレだったのは
みていて驚いたしおもしろかった。
あんなに動きまくって クルークがひん曲がらないか
またはリードがぱっきり割れて口の中が血まみれにならないか
はらはらしたけども
意外とそんなことにはまったくならないみたいだった。
わたしは 中学校のときに1回だけ
自分の部活でマーチングをやったので参加したけども、
そのときはバスーンではなく、
臨時で打楽器に入れてもらって、グロッケンを演奏した。
オーボエの子も打楽器に入ってたな。
バスーンがマーチングできるなんておもってなかった。

コンクール全国出場常連校の
淀川工科高校の指導者として有名な丸谷明夫氏が
片倉高校と合同バンドの指揮をしていた。
わたしは丸谷氏におそわったことが
あるわけじゃないからわかんないが、
もし自分が バンドのバスーンの席にいて
丸谷氏の手がける練習に参加したとしたら、
たぶん、たのしいだろうなとおもった。
というのも、プレイヤーたちの表情が
なごやかで、不要なストレスを かかえてないように
みえた。
わたしも片倉高校や合同バンドの演奏をきいていたとき
ちっとも緊張しなかった。
ライブって、聴くだけでも、なんだかイヤに緊張することや、
聴いていてたのしくない、力がはいるなあ、と
感じることがままあるもんだ。
そういうのがなかった。
だから、きっとみんな 練習がたのしかったし、
練習をまたしたいと おもうような練習だったんだろうなと。

ラストの合同バンドは総勢170名だかいたようで、
演奏はものすごい迫力だった。
フォルテやピアノのコントロールはまったくきかないようだった(^^)
ステージの床が抜けないかどうかがいちばん気がかりだった。

若い人たちの熱い演奏がきけてたのしかった。

自分はもう吹奏楽はやんないかもなあ(^^)
とにかく、なんかもう、はずかしかったんだよ。
いろいろおもいだしちゃって。
もうあのようには自分はできないとおもったし。
わたしにとっては吹奏楽は すぎさった青春の歴史なんだわなあ。
それにわたしはバスーンのプレイヤーだからな。
また団体やるとしたら今度はオーケストラかアンサンブルやりたい。





心があたたまりまくったきょうのできごと。

きょう、仕事の帰りに、お店に寄って夕食をたべた。
そのお店には4~5か月くらいまえにも1回いったことがあった。
まえに行ったとき、わたし、料理をたのんだのに、
食べようとしたとたん、なにか急に体調がわるくなって、
とってもじゃないがこりゃ 食べられないなと。
というか 頑張って食べるためにこれから数十分 お店に
滞在したとしても、それで体力をつかいはたしてしまって
そのあと家に帰る力がのこらないとおもったんだよ。
そのくらい、急激にしかも深刻に調子がわるくなった。
それで まよったんだけれど、
料理を残して帰ることにしたんだわ。
残すことは、本意じゃなかったんで、
紙ナプキンをつかって、お店の人あてにメモをのこしたの。
体調がわるくなってしまったもんで 申し訳ないが残すと。
でも料理に問題があったわけではけっしてなく、
残すことをもうしわけないとおもっていると。
それでお盆のうえにそのメモをおいて、帰った。
貧血かなんかだったかなーとおもうけど。
一晩寝たらもう治ったけどあのときは実際つらかった。

で、きょう、おなじ店に行ったんだわ。
わすれてて。そんなことがあったことを。
そしたら、お店の女性の店員さんがお水をもってきたときに
「このまえはお手紙ありがとうございました。
体調はいかがですか」って。
そういやそんなことあったわ!!っておもいだして。
「あのときはほんとに残してすいませんでした。
覚えていてくれたんですか。」
といったら
「はい、お手紙、ここに」って
ネームプレートのケースの裏側に、わたしがあのとき
おいていったメモ、たたんで入れてくれてたの。

ほっこりか!!!!!!!!

いやー 1日のつかれが ふきとぶにもほどがあったわ。
それに、あんなことが、ネームプレートに入れて
とっておこうなんて思うくらい、店員さんのきもちには
ひびいたのか、とおもうと、
店員さんも日々、きっといろいろ大変なんだろうなと感じた。
わたしは いつもは 仕事帰りに晩御飯しようとおもうときなんて
ほんとに最高レベルにぐったり疲れきっている時間帯だから、
お店にいっても、お店の人と必要以上になにかからもうとか
まったくもっておもってないんだけども、
でも、ありがとうとかごちそうさまとか
そのくらいのことは やはり惜しまずちゃんと
口にだして言わんといかんなとおもったわ。
店員さんはきっととてもたいへんなんだとおもうよ。
わたしのように覇気も生気もない無表情の
つかれた客がつぎからつぎへとやってきてろくに口もきかず
そんななかでせいいっぱい笑顔をふりまいて働いて
とてもたいへんな仕事だろうなあ。
もうちょっとくらいは 疲れていても 
わたしも愛想というものをもとうとおもったわ。




「アサシン・クリード ASSASIN'S CREED(2016)」。

先週の日曜日は、「アサシン・クリード」を観た。

アサシン・クリード
(ASSASIN'S CREED  ジャスティン・カーゼル監督、2016年、
英・仏・米・香港)

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アサシンクリード」は、心のなかの「中二」の部分が刺激される
すごくたのしい映画だった。
世界を支配する力を秘めた宝物をめぐって、
ふたつの勢力がぶつかり合い、
数百年の時を超えてあれやこれやする
スペクタクルアクションだった。
目新しいとか斬新とかいう部分はなかったかもしれないし、
素人目にみていてもこまかいところに難を感じたとこもあったが、
全体的に作り手のやる気がみなぎってて
重くシリアスな雰囲気がとぎれないのがよかった。
パルクールをつかったバトルシーンも、
見せ方は平凡かなあとはおもったけど、
やってることは超ハイレベルでよかったし、
音楽もすごくおしゃれだった。
なにしろ全体的に雰囲気があってとてもよかったとおもうわ。
キリスト教文化圏に生まれたときからいないことには、
なかなか理解しにくく、「自分に関係ある」ともおもいにくい
ストーリーだとは感じた。
でも日本でもかつて「ダ・ヴィンチ・コード」とかが受けたわけだから、
この映画も、楽しいとおもう人はけっして少なくないだろう。
高く評価されていい映画だったとおもう。

ストーリーはもっともっと複雑なのかとおもったが
案外そうでもなかったなあ。
このくらいならわかるわかる。

マイケル・ファスベンダーはむずかしそうな役をうまく演じてた。
アクションも自分でやってたみたいだし。体のできあがり具合からさっするに。
ルックスの個性が強すぎないから、どんな時代の物語にも、
どんな社会的地位の役柄にもハマれるのだろう。
どっちかというと陰気で不幸せそうな顔だから
ハッピーな男の役はあまりこないのかもしれないけど。
シャーロット・ランプリングがでてておどろいた。
マリオン・コティヤールがでてたことにもおどろいた。
彼女なんででたんだろう(=_=)?
マリオンが演じたソフィアという学者さんが
主人公のご先祖の動きをみて
「イーグル・ジャンプ!」と感嘆するシーンは
なんかちょっと笑ってしまった。


そして、むしかえすようだが、
やっぱ、素人がみても「?」とおもうところは
あちこちにあったように感じた。
たとえば、アニムスだっけ。あの、自分のとおいご先祖の記憶を
実体験することができるというハイテクメカだけれども、
単純に記憶をたどるだけじゃだめだったんだろうか。
べつに体まで動かさなくちゃいけないことはなかったとおもうのだが。
まあそれいっちゃあ おしまいか。

あと、主人公のご先祖は、どうして大事なあの宝物を
他人なんかに託したのかなあとおもった。

それに、主人公のご先祖から宝物を託されたその人が、
ご先祖の記憶の中で、たまたま歴史的に有名な言葉を発したから
あの人物が誰であるかがわかったようなものの、
そんな都合のいいたまたまって、あるかなあ(^^)??とも。

それと、主人公はソフィアとその父の目的地が
どうしてわかったのだろう。
わたしは観衆であり、ソフィアの考えも主人公の考えも
ぜんぶ観ているから、ソフィアがつぎはスペインの
セヴィリア大聖堂に行くつもりなのだということがわかってたし、
そのあとどこで何をしようとしているのかもわかっていた。
でも、主人公はあのとき、アニムスから降りて、
自分の先祖の過去の幻影が
実体化して目の前にあらわれるという謎の体験のまっただなかにおり、
「次はセヴィリア大聖堂に行かなくっちゃ!」という
ソフィアたちのスケジュールなんか 知るよしもなかったとおもう。
なのになんで、ソフィアたちの目的地を さがしあてたのかなあ。
主人公たちが、テンプル騎士団の集まりにやってこられたことの理由も
よくわからなかったし。

また、物語の中心的なところにある宝物
「エデンの果実」ってのはいったいけっきょくのところ
なにをどうやってどういうふうに使うものなのかなとおもう。
なんか緑色の光を発していたけどなあ。
そんなものが天地開闢のときからあったなんて
考えとしてはおかしいし。作れる技術がなかっただろう。
比較的新しい時代にだれかが「エデンの果実」という名前で
ハイテクデバイスを作ったということなんだろうか。
エデンの果実のことはよくわからなさすぎた。

ソフィアとマリアのあいだにはなにか関係があるのかなあ。
みんなだれかしらなにかしらの関係があるみたいだったけど
ソフィアとマリアだけはなんのつながりもないんだろうか。


そんなような疑問はいくつかかんじた。
でも自分がみたものきいたものが全部だったとはもちろんおもってない。
字幕に書ききれない情報が原語で話されていたとしても
わたしにはそれらが聞き取れてなかったとおもうし、
あと、なんでも人気ゲームシリーズの映画化だそうなので、
そのゲームのなかでは、これらの疑問のことも
ちゃんとぜんぶ説明されているのかもしれない。
それにどのみち、こうした疑問はたしかにあっても
だからといってダメな映画だったとはおもってなく
わたしはむしろ積極的にたのしんだ。
だからべつにいいっちゃいいとおもうわ。

じっさい この映画はもう1回くらい見たい。


あと、つぎは、トリプルXをみたい。

「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち MISS PEREGRINE'S HOME FOR PECULIAR CHILDREN(2016)」。

先々週の日曜日、「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」を観た。

ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち
(MISS PEREGRINE'S HOME FOR PECULIAR CHILDREN
ティム・バートン監督、2016年、米)

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テレンス・スタンプがでてておどろいた。
テレンス・スタンプいいよねえ。
エンダーズ・ゲームのエイサ・バターフィールドくんが
ずいぶん大きくなったことにもおどろいた。
エヴァ・グリーンがうっとりするくらいきれいだった。
あの人はふつうの現代劇ではなくてこういうファンタジーものとか
こう・・・ キッチリお化粧していかにもなコスチュームつけて
演じる役が ハマるよなあ。
れいだよね。目もとの、濃いお化粧が
ドキドキするくらいイイ。

今年にはいってからずっと、アクション映画ばかりみていて、
バイオハザードザファイナルも、マグニフィセント・セブンも、
それらはどれも、観ていてなんにも考えなくてよかったし、
観終わってからも、一生なんにも考えなくていい映画だったけど、
「ミス・ペレグリン」は、なにかを考えずにはいられない映画だった。

ティム・バートン監督は、いつも映画に、欠陥をかかえた人間や
まわりとうまくやれない人間を出すよなあ。
そういう人の映画ばかりだよなあ。
自分が、そうだった、もしくはいまもそうなのかもしれないけど。
そうして、それらの 欠陥ある人びとやふつうには生きられない人びとを
とても積極的に認めていて、たたえているようにおもうな。

「ミス・ペレグリン」では、ペレグリン夫人の保護下で生活している
子どもたちはみんな一種の異形であり、ふつうの人たちに
まじっては まず生活できないような力を持って生まれてしまった
子ばかりだった。
どれも使いようによっちゃ ほんととんでもない能力だった。
でも、どの子も、その力をつかってなにかスゴイことをやろうとか
そういったことはしていなかったし、
その手の「自分たちこそが優秀な人種」みたいな教育を
うけている形跡もまるでなかった。
彼らの世話をするペレグリン夫人なども、べつに
子どもたちに「その力をつかってよりよい世界をつくりましょう」とか
言ってなかった。自分たちが、力を持っていない人間よりも
優れた偉大な存在、とも なにもいっていなかった。
彼らはなにも変わらない世界、彼らだけの安全地帯で、
ただたのしく 生活しているだけだった。
お人形あそびをしたり、家庭農園から野菜をとってきてご飯をつくったり、
ホームシアターをみたりしているだけ。
なにもしてない。せっかくすごい力をもってても。
いさぎよいまでになにもしてない感が
どうもなんだかすごかった。
エイサが演じた主人公の男の子も、
一種 特殊な能力者であることがあきらかになった。
でも彼は、その力があったとしても、ふつうの人びとにまじって
生活することは不可能じゃないかんじだったとおもう。
とくに見た目が異形というわけではなかったし。
けども、この男の子も、最終的には
ペレグリン夫人の子どもたちとおなじ
閉じた世界にとびこんでいくことを選んでいた。
こういうときふつう「でも主人公の子は、この子どもたちとの
出会いを経ておおきく成長し やがて ふつうの人びとのなかで
力強く生きていくことを決意するのでした。」
とかいう結末になるもんじゃないだろうか。
ならなかった。
きっぱりと自分から あの不思議な子どもたちのいる
閉じたほうの世界へと旅立っていった。
たいへんな苦労をしてもあきらめずに 
閉じた世界への鍵を探し求め、そして探しあてて旅立った。
そのような結末をものすごく肯定的に前向きな雰囲気で
描いていたことがとても印象的だった。
ティム・バートン監督は 自分がまわりとうまくやれない
子だった、のかもしれなくて、
そんなかつての自分に「それでいいのさ。一生だれともうまくやれなくても
わかってもらえなくっても 自分の道をつらぬきとおしていいのさ。」と
言ってやりたくて
こういう映画を作り続けてるんだろうか。
自分自身のために。
でもそうなのだとしても こうして わたしにもその
メッセージが 熱く響くよなあ。
わたしはティム・バートンじゃないのだけども。

まじわれないならまじわれないでいい、誰になんといわれようとも
自分の道をすすんでいいと いうメッセージでもあったし、
けども べつにだいそれたことをしなくてもいい、
ただ いまそのままの自分でもべつにいい
というメッセージでもあったとおもうわな。
つまるところ自分の存在を恥じなくてよいということかな。
まわりになにかいわれて揺らぐようなものじゃないわけだから。
みたいな?

ティム・バートンだわなあ。









雑記。近況。映画わりとみてた。出会いと別れ。中里学さんのライブ。心境の変化。

しばらく忙しめで 書く時間があまりとれなかった。
でもおおむね平穏な毎日をすごしてた。

映画は「マリアンヌ」「破門」のあとは
「ミス・ペレグリンと奇妙な子どもたち」と「アサシン・クリード」を
みてた。どちらもけっこうたのしかった。
そのうちちゃんと感想を書こうとおもう。
でも書かないかもしんない。
アサシン・クリードはなんとなく続編もありえるような
終わり方だったかもしれない。
マイケル・ファスベンダーはほんっといい役者さんだ。

次の機会にはトリプルXをみたい。
「スノーデン」をみたかったのだが
もう関東は都内くらいでしか
やってないみたいだ。 
行けるかなあ。
あと、今月末にはユーリ・ノルシュテイン監督の
特集上映をみにいくつもりだ。
近所の映画館では自分がいけそうな日にはやらないと
かんちがいしていて、唯一いける可能性があった
長野県松本市まで いこうかとかんがえていたのだけど、
よくよく公式サイトを確認したら、松本市のと同じ日に
電車で30分くらいでいけるところにある映画館で
上映されることがわかったので
そちらにいくことにした。
松本市にいくのもたのしそうだけど。
ずいぶんまえに一度 友だちと長野県に旅行に行き、
松本市を拠点に2日半 いろんなところを観光した。
あれは最高だった。あんなにくつろげる所ってないとおもうな。
すずしかったし みんないい人で最高だった。
今回はいかないが、長野県にはまたいきたい。

ユーリ・ノルシュテイン監督・・・
「外套」は 完成するのかなあ。
ひそかに、しかし確実に わたしは完成のときを
待っているんだけれども。

映画 今年はいまのところかなりみてていいかんじだ。
去年ぜんぜんみなかったこと後悔している。
今年はこの調子でしっかりみるつもりだ。


ずっと、本はたくさん読んでた。
昨年の暮れから 夜道を歩くときあの曲がり角でクマに遭遇したら
どうしよう、という われながら 言いようもなくわけのわからない
妄想みたいなものに かなり真剣に悩まされてきたのだが、
「クマに会ったらどうするか」(ちくま文庫)という
本を読んで その悩みがすっかり解消された。
今年に入って読んだ本としてはかなり衝撃的というか
すごく のちのちまで思い出に残りそう。
「クマに会ったらどうするか」。
ほかにもいろいろ読んでた。
おもにニーチェ読んでた。
気分が落ち着いているとき、ないしやや落ち気味のとき
ニーチェをつい手に取っているかんじがする。
べつにそんなに深く あの人の思想とかを
理解しているわけではないとおもうが。
尊敬している。その強さを。

 


ほかにもいろんなことがあった。2月3月は毎週のように
いろんな人と会って話したり 
新しい友だちとの出会いがあったりして
いま、ずいぶん充実感がある。
でも 別れもひとつあった。
心からかなしくおもう。
落ち込んでる。
自分に落ち度があった。
これもほんとうは くわしく自分の心境をかきたいような気持ちだが
いろいろとわけあって、むりだ。
事情をぼかして書いたんじゃ、自己満足以外のなにものでもない
内容になってしまい、人に読ませる前提のブログなのに、
それじゃ何の意味もないからなあ。
だから書かない。
しかし この件については正直ちょっとまいってる。
いろいろ考えすぎてしまっているみたいで
別れがきまった日の夜からどうもあんまり眠れない日が
つづいてる。
でもまあ自分でまいた種といえば自分でまいた種だ。
それに 自分よりももっと傷ついている相手がいるわけで。
ただ、やっときょうになって、すこし気分がかるくはなった。
自分はわりと なにかあると その影響がまず睡眠にくる傾向がある。
なにかというとすぐ 眠れなくなってくるのだ。
緊張しているとか、落ち込んでいるとかそういうことがあると。
うまいこと眠れない日が続いたことは 以前にもあり
はじめてではない。 
2週間同じ状態がつづいたときはさすがに 
これはまずいとおもった覚えがある。
疲労の回復ができないからヘロヘロになってしまって。
またつづくようなら 対策をかんがえたい。はやめに。

3月5日に、ソロシンガーの中里学さんのワンマンライブきいてきた。
こぢんまりとした会場のちいさなステージに
中里さんとギターとベースとドラムとパーカッションとキーボードと
コーラスとヴァイオリンとさらにダンサーまではいって
すごく豪華な編成だった。
わたしはガクさんはもうもっと大きな会場でやればいいとおもうけどな。
すごくたのしい いいライブだった。
じつは今日の夜も、ガクさんの追加公演的なミニライブがあり
行ってきた。 何度聴いてもあきないんだよな。
いいよね。
みんな中里学さんの歌聴けばいいんじゃないかな。
きっとたくさんの人に受け入れられる音楽だとおもうけどね。
共感できるんだよ。歌詞も音楽も よく考えられているけれども
平易でまっすぐ心に入ってくるし。
エモーショナルだけど押しつけがましさがなく シンプルでいいよ。

www.nakazato-gaku.info


去年のワンマンライブにも 行ったんだけど
そのとき、感想をブログに書いたから
参考までに ここにはらせてもらう。
たいしたことかけていないけど。
このブログ古いんだよな。こっちにはやく
ぜんぶ引っ越してこないといけない。
ブログがふたつある状態になってしまっている。

mollenhauer8rk.blog.fc2.com




ところで、
1か月半ばかりまえ、自分にとってたいへんに大きな
心境の変化があった。
これについては わすれることなくちゃんと 近いうちに
ここで告白したい。
これまでに数人の 信用できる人びとに
自分ですべての事情を話してきたので
だいぶ考えがまとまり、ちゃんと順序立てて
まともに話せる状態になったとおもう。
だからそろそろ書いてもだいじょうぶだとおもってる。

睡眠がどうかんがえても足りてなく 疲れがひどい。
胃とか腸とか調子わるいみたいだ。
どうせねむれないのに ねむりたい願望だけは
めちゃくちゃある。
とりあえず明かりを消して横にはなってみようとおもう。

またあした。

「マリアンヌ Allied(2016)」「破門 ふたりのヤクビョーガミ(2017)」。

午後から外にでて映画館に行き、映画を2本たてつづけにみた。
どうも自分の心が「沈黙」を観ることから逃げているのを感じる・・・
観たいとおもっていることはたしかなのだが
勇気がないようだ。
ああ・・・
だれかいっしょに観に行ってくれないかなあ。
あのいかにもヘビーそうな映画を ひとりで受け止める度胸がないよ。

その場の思いつきでぜんぜん毛色のちがう2本の映画を選択した。

「マリアンヌ」
(Allied、ロバート・ゼメキス監督、2016年、米)

movie.walkerplus.com

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1941年 第二次世界大戦下のモロッコから物語がはじまる。
カナダ人の諜報員マックス(ブラッド・ピット)と
フランスのレジスタンス・マリアンヌ(マリオン・コティヤール)が
夫婦をよそおってナチスドイツの社交界にもぐりこみ、
ドイツ要人の暗殺作戦を遂行することになる。
ふたりは偽装夫婦生活をおくるうちにほんとうに恋におち、
この作戦を成功させたのち 英国で結婚。
子どもにも恵まれ、幸せな日々をおくるが、
ある日 マリアンヌに二重スパイの嫌疑がかかり、
マックスは 妻を殺害せよとの命令をくだされてしまう。
マリアンヌがスパイだなどと信じられないマックスは
妻の無実を証明しようと奔走するのだが・・・。

話は先が読めまくるし、映像にもとりたてて印象ぶかいものは
なかったので、 
正直あくびがでるほどたいくつだった。
この手の話はちっともめずらしくないからなあ・・・
でも「カサブランカ」(モロッコつながりで思い出したのだが)
とか いま考えるとたいしたことのないメロドラマでも
当時はものすごく評価されたみたいな映画はたくさんあるもんね。
べつに「カサブランカ」が悪い映画だとおもうわけじゃないよ。
ただようするに 特徴というものがまったくない。
それと同じ感覚で 「マリアンヌ」も
これといった映画ではなかった。
悪いとおもったわけじゃないのだが。
二度はみないとおもうね。
妻はウソをついているのだろうか、
自分を愛しているといったのはウソだったのだろうか、
信じたいけど信じられないけどやっぱり信じたいという
複雑な 夫の心のうごき・・・というやつは
ナイロビの蜂」とかのほうが
もっとうまく じっくりと描いていたようにおもう。

この映画をみていて一番印象にのこったのは、
マリアンヌがマックスにフランス語の発音を教えているシーンだった(^^)
どういう意味の文章なのかわからないのだが
早口言葉みたいなもので発音の特訓をしていて
ブラッド・ピットの発音がへたくそでかわいらしかった(^^)

ブラッド・ピットはやっぱりカッコイイよね。
おひげをそってちゃんとした服を着て髪をととのえて、
年齢をちっとも感じさせないカッコよさで輝いていたよ。
マリアンヌはマリオン・コティヤールが演じていて
こちらもほんとうにすてきだった。
あの女優さんは魅力的だ(^^)
大きな大きな目がとってもすてき。


「破門 ふたりのヤクビョーガミ」
小林聖太郎監督、2017年、日本)

movie.walkerplus.com

 

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こちらは とくになにを期待したわけでもなかったせいか
かなりおもしろく、なんだ、みてよかったな!と
明るい気持ちになった映画だった。
黒川博行のシリーズものの小説の6作目だかが原作だそうで。
ヤクザとうだつのあがらぬ青年の腐れ縁コンビが
いわゆる「出資詐欺」にあって莫大な金を持ち逃げされてしまい、
それを奪い返すために 大阪を走り回るというストーリーだった。
頭は悪くないがけんかっ早くて無用なトラブルを起こしやすい
ヤクザを演じた 佐々木蔵之介
口だけ達者ななまけものの青年を演じた横山裕とが
なんだかずいぶんいいコンビで みていて楽しかった。
佐々木蔵之介のことは まえからすきだが
横山裕のほうはまったく知らなかったので 
こんないい味だしている役者さんがいたんだなとおもったら 
ジャニーズの人だった。
キャスティングした人はえらい。
出資詐欺をはたらく小悪党を演じた橋爪功もいい味だしていた。
いかにもこずるくてなんとなく憎めない 小悪党なかんじ。
ヤクザの勢力関係がどうしたこうしたという話や
出資詐欺とかお金の流れの話や、
わからない人はいくら聞いてもわからん種類の話を
興味を持ちやすいようにじつにうまくまとめてくれていた。
役者さんたちの大阪弁の会話劇もたのしく、
あきずに楽しめた。もっとずっと見ていてもいいような気がした。
佐々木蔵之介が光ってたわ。
長い手足をいかしてがんばってアクションもこなしていた。
北川景子ちゃんはめちゃくちゃかわいかったけど
やや浮いてた。いなくても困らなかった。

「マリアンヌ」は二度はみないけど
「破門」はもう1回くらい観てもいい。