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BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

読書感想-阿部謹也「ハーメルンの笛吹き男-伝説とその世界」

阿部謹也ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界」(ちくま文庫)

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www.chikumashobo.co.jp



おもしろかった。
グリム童話などでしられている
ハーメルンの笛吹き男の物語は、
西暦1200年代後半ごろにじっさいに起こった事件がもとになっているのだが、

本書は、いかにしてその事件が「ハーメルンの笛吹き男」の物語に
なっていったのか、また、どうしてこれほど長きにわたって
人びとに語り継がれる必要があったのかについて論じていた。

同種の研究は じつは欧米で500年くらいまえから
いろんな学者さんがしてきたそうで、
著者は既存の研究をかなりていねいに紹介しつつ
するどく矛盾点を突き、
自分にしかできない切り口から結論をだしていた。

とくに、こういう考えかたは昔の学者さんはまだ
できなかったのかもしれず、
著者だからできたのかもしれない。
「伝説とは本来庶民にとって自分たちの歴史そのものであり、
その限りで事実から出発する。
その点でメルヘンとは質を異にしており、
『伝説は本来農民の歴史叙述である』(ゲオルク・グラーバー)
といわれるゆえんである。そのはじめ単なる歴史的事実にすぎなかった
出来事はいつか伝説に転化してゆく。そして伝説に転化した時、
はじめの事実はそれを伝説として伝える庶民の思考世界の枠のなかに
しっかりととらえられ、位置づけられてゆく。
この過程で初発の伝説はひとつの型(パターン)のなかに鋳込まれてゆく。
その過程こそが問題なのであって、こうして変貌に変貌を重ねてゆく
伝説の、その時その時の型をそれぞれの時代における庶民の
思考世界の次元をくぐり抜けて辿ってゆき、最初の事実に遭遇したとき、
その伝説は解明されたことになるかもしれない。
しかしそれはなかなか難しい。解明しえたと思ったとき、
気がついてみればわれわれがわれわれの時代環境のなかで、
伝説の新しい型を『学問』という形で形成していることに
なるかもしれないからである。伝説も庶民が世界と関係するその絆なので
あるし、学問もわれわれが世界とかかわる関係の表現であって、
そこには本質的な違いはないからである。」
(「ハーメルンの笛吹き男-伝説とその世界」117ページ)

これって つまりまあこういうことじゃないだろうか。
 
人びとが語り継いでいる伝説ってものがあって、
それはなんらかの歴史的事件に基づいている可能性が高い。
その事件てなんだったのかについて考えるときは
つぎのことに気を付けなくっちゃいけない。
すなわちそのおおもとの歴史的事実ってのは
おおまかにいって2種類のヴェールを 何枚も何枚もかぶってる。
昔のものであればあるほどヴェールの枚数が多いのだが、
それをぜんぶ、ていねいにはがさなくちゃいけない。
まず1種類めは、
まず 当時の人びとがどんな社会でくらしてて、
どんなものの感じかた考えかたをしてたのか というヴェール。
2種類めは、
そんな当時の人びとがその事件を語り継いでいくうえで
よりわかりやすいようにより受け入れやすいように語りやすいように
「お話」としての一定のパターンてのに自然とはめていったわけで、
その「パターン」という名のヴェール。
これらをぜんぶわきまえたうえで1枚1枚はがしていかないと
歴史的事件は歴史的事件なんだけど、
ほんとのところとは全然ちがう歴史的事件にたどりついて
しまうかもしれない。
「なんとかお姫様の物語」は本当はAという実際に起こった事件が
元になった話なのかもしれないのに、
ヴェールのはがしかたをまちがえたり2枚も3枚もまちがえていっぺんに
はがしちゃったりすると
AじゃなくてD事件が元でした、という 誤った結論を
出してしまうおそれがある。
でもこの作業はけっこう難しい。
考察するわれわれ新しい時代の人間は
いろいろと知って頭がよくなってきちゃっているので、
「昔の人びとのものの考え方」
「昔の人びとが構築したお話としてのパターン」と
いう従来の古いヴェールのうえにまた
こんどは「学問」っていうヴェールを
自分でかぶせてしまっているかもしれない。
それが「この伝説の元になった事件てなんなのだろう」と考えるのの
さまたげになってしまうのかも。

・・・・


本屋で立ち読みしたときは、
ブリューゲルヒエロニムス・ボッシュの絵が
挿絵としていっぱい載っているのを見て、
もっと見たいとおもって買ってみただけだったが、
内容的にすごくおもしろかったし、感銘さえうけた。

2017年5月7日の思い出。-「ワイルドスピード ICE BREAK THE FATE OF THE FURIOUS(2017)」。

5月7日は「ワイルドスピード ICE BREAK」を観た。
(THE FATE OF THE FURIOUS F・ゲイリー・グレイ監督、2017年、米)

 

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今回はドミニク(ヴィン・ディーゼル)が
仲間を裏切ってサイバーテロリストに加担するという話だった。
シャーリーズ・セロンが、
ずいぶんうまく、サイコな悪役をやっていたとおもう。

ジェイスン・ステイサムがすっごくかわいらしかった(^^)
あと、ヘレン・ミレン姐さんもすてきだった。

車を使ったアクションは、シリーズをかさねるごとに
派手に、手がこんできている。
今回の敵は、街中にある何台もの自動車を遠隔操作して、
弾丸代わりに使う(じっさいの映像をみればわかる)
という とんでもないやつらなもんで
街がもう、スゴイことになっていた。よくやるわなー。

めちゃくちゃなところは数多く、
ドミニクが部屋の入り口にかけた十字架のネックレスが・・・
というところを観たときはもう
ツッコミを入れる気力もうせてたが、
そんなところがいくらあったとしても
観ていてあきることがなく、ずっとたのしめた。

ただ、これいっちゃ身も蓋もないかもしれないが、

「車」がすごくだいじなポイントのシリーズなのに
車をそまつにあつかいすぎってかんじがする(^^)
壊しすぎでしょ車!
シリーズの最初のほうはここまでじゃなかったと
記憶しているんだけどなあ。
もうちょっと、車をだいじにしたらどう(^^)???


2017年5月4日と5月5日の思い出-「帝一の國(2017)」。

2017年5月4日は、高校生のときに所属していた
市民楽団でお世話になったご夫婦のところに遊びにいっていた。
当時楽団でなかよくしていた同年代の友だちといっしょにいった。

ご夫妻のあいだには中学にあがったばかりの女の子と
小学校高学年の男の子がひとりずついて、
とってもかわいい。
まだまだ、遊ぼう遊ぼうと甘えてくるが
このまえにあったときよりもずいぶん大人っぽくなっていて
おどろかされたわ。

子どもってかわいいよな。
すぐに成長していってしまうから、
おちおち目をはなしてはいられんなあ。

奥さんがいつも びっくりするくらいたくさんの
美味しいごちそうを作って迎えてくれて
ありがたい。しかしほんとこっちはなにひとつ
おどろくほどなにひとつ役にたてないもんで
恐縮でもある。



翌5月5日は、
映画「帝一の國」を観た。
(永井聡監督、2017年、日本)

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とくに、かねて観たいとおもっていたわけでもなんでもなく
なんとなく映画観たいなとおもい
映画館にいって、ちょうどいい時間にやっているものを
選んだらこれだったというかんじだ。

けどこれがかなりおもしろかった。

いろいろ、弱かった部分もあり、
それはときに
「さすがにそこはそんなテキトーだとマズいんじゃないの」
「え~、そんなんでいいの?」とか思われるような、
だいじなとこにまで及ぶ問題ではあった。

たとえば、
主人公の帝一が「自分の国を作りたい」と熱望する理由が
のちのちあきらかになるわけだが、
あれはもうちょっと、
子どものころのエピソードを時間をかけて描いてたら
より納得感がでて、よかったんじゃないかなーとおもう。

また、帝一が通う学校では学内の権力闘争がさかんで
ライバルどうしの足のひっぱりあい、
頭脳戦がすごいわけだが、
帝一に恋人がいるという超重大な情報を
最後の最後の最後のほうになっても
本気でだれも把握してない、という点が気になった。
帝一本人が
「恋人がいるなんてすごいスキャンダル」と
言って、彼女と会うときにはわざわざ変装し
連絡に糸電話使ってたくらいだから 
これは完全にフリで、
ぜったいあとでだれかが彼女の存在をかぎつけて
ここぞってときに切り札にしてくるんだろうなとおもってたが、
ほんとにだれにもバレてなかった。
これはおかしいんじゃないかな~と。

おなじような意味で、
帝一が最初ついた生徒会長候補が
帝一の父の政敵側の人物であることが
発覚し、
それがバレると帝一にとってもマズイ・・・
という話になっていたが、
そのくらいのこと、なぜ事前に腹心をつかって
探らせておかないのかとおもった。
政界の重鎮である父親同士のライバル関係が
息子たちにもいやでも影響をおよぼすということの
表現が、どうも中途半端だったとおもう。

あと、帝一が最初ついていた生徒会長候補が、
いまいちキャラが立ってなかったので、
最後にみっともないところを見せたときも、
「うわー みっともなーい」と思い切ることができなかった。
最後のみっともなさに説得力がでるように
もっとおもいっきり高慢に、おもいっきりイヤなかんじの
人物であってほしかったかなとおもう。

千葉雄大はハマってた。
さわやか苦学生を演じた役者さんもすごくよかった(^^)


スピード感がおとろえず、
むりくり観る者の感情にうったえかけ、
パワーで引っ張りきるかんじは最高。

たまにおなかかかえて笑った。
とくに「拍手」に笑わされた。
あの拍手をみんなで練習したのであろう
撮影現場を想像するだけで
コーヒーの一杯や二杯は噴き出しそうだった。

主役の帝一を演じた若い役者さんが、
多面性のある強烈な男子学生を、
あきれるくらいまじめに生ききっていた。
うまいのかどうかは知らないが、
力いっぱいやってて、じつによかった。

最初は、だれだよこいつ、って思ったけど、
だんだん、彼がいないシーンがたいくつに感じるようになっていった。

彼ら若い役者さんの父親を演じたベテラン俳優陣も、
みんなかっこよかったし、いてくれてほんとによかった。

いろいろと、粗さや不十分さはあったような気がするが、

これからも日本に暮らし、
国産の映画を観ていくという前提にたつとき、
どうも、観ておいたほうがいい映画のような気がする。
帝一の國」は。

2017年5月3日の思い出-小林賢太郎さんのコント公演 KAJALLA #2 『裸の王様』。

5月3日はラーメンズ小林賢太郎さんのコント公演
「KAJALLA #2 裸の王様」を観てきた。
(日経ホール 14:00開演)

 

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kentarokobayashi.net



「KAJALLA」の前作「大人たるもの」は
正直なとこいうとあんまり自分には響かなかったのだが
今回はすごくたのしかった。
腹かかえて笑ったし、「裸の王様」の物語の
新解釈的なセリフには「なるほどなー」と思わされた。
なんかやっぱりまったく別の短いコントを集めたようにみえても
どこか通底するテーマみたいなものがあるのが
小林賢太郎氏のコント公演じゃないのかなとおもう。
それが、どうも前作の「大人たるもの」には
感じられないようにおもわれたんだな、わたしには。
でも 今回はまさにそういうかんじで、
おしつけがましくなく、深刻になりすぎず、
それなのにどこか響いてくる
重みを帯びたメッセージがちゃんとあって、
やっぱりこういうのがいいわなー!! と 感じた。

でもまあそれは観る側の勝手な願望なんで
作るほうがどうしたいかとはまた別の問題なので
違ってもしかたがないことだとおもう。

春夏秋冬それぞれの国をめぐる仕立て屋を演じた
小柄な役者さんがすごいよかった(^^)
めちゃくちゃかわいらしかった。 

夏の王さまを演じた役者さんがすごい筋肉マンで、
彼が衣装をぬいだときに、
ムキムキの腕がのぞいて、
観客席からちいさく歓声があがっていた(^^)

あと、ラーメンズのコントにまえにでてきた
あのキャラクターが復活してた。
あれはうれしかった。
うれしかったっていうか 
一瞬わが目と耳を疑った。

今回はほんとにたのしかったな。
次のKAJALLAもぜひ観に行きたいというきもちになった。

それにしてもいまでも気になっているのだが、
日経ホールの各座席の背中に、
主電源マークが描かれたちいさなスイッチみたいなものがついてたんだよね。
あれいったいなんだったんだろう。
開演を待つあいだ、気になって気になって、
押してみたくて押してみたくてしょうがなかったわ。
スイッチじゃなかったかもしれない。
ただのランプだったのかもしれない。
なんだ あの主電源マーク。
あれ いったいなんだったのか。
押せるのかどうか(スイッチなのかどうか)
確認してみたくてしょうがなくて、
でも、座席の背中についているということは、
わたしがみているそのスイッチをもし押した場合、
わたしが座っている座席になにかが起こるのではなく、
わたしの前の座席になにかが起こるってことになるとおもうんだよね。
とりかえしのつかないことをしちゃうといけないから
押したいんだけどやっぱり押せなかったよ。
自分の後ろの席の人に、
「わたしの席がどうなってもいいですからちょっとこの
スイッチを押してみてくれませんか」と
よっぽど 頼もうかとおもったけどね。
まあ 開演前のこの時間にめんどうな騒ぎを
起こすのもなんだからな とおもってだまっていたよ。
超 押してみたかった(^^)

まあどうでもいいことなんだが(^^)




2017年4月30日の思い出-修善寺

2017年4月30日は、静岡県修善寺にいっていた。
まえに働いていたことがある会社で同僚だった子が
静岡出身の子で、
結婚していまは静岡県修善寺に住んでいる。
わたしは、この友だちが結婚したとき、
お式に招待にあずかっていたのに、行くことができなかった。
不義理をしたことと、用意していたお祝いを渡せなかったことが
ずっと気になっており、
いつかはかならず会いにいかんとなと考えていた。
ところが、そうこうするうちに
自分が失業したり、仕事を探したり、
仕事が見つかってみるとこれがまためっちゃくちゃに
忙しくなり、しばらく休日にちゃんと休むことさえ
おぼつかないようなときが続いたりした。
ようやっと、そんな日々が落ち着き、
とりあえずカレンダー上の休日はちゃんと休めるくらいに
なったもんで、
いよいよ予定を調整して、会いにいってきた。


自分の地元から修善寺までは、
新幹線を使わない場合
電車で3時間弱くらいだ。
事前にインターネットで
乗り換えのしかたや運賃を調べたときに、
新幹線に乗るとしても、乗る時間がそんなに長くないことと、
新幹線を使わない場合との所要時間が案外それほど
かわらないような気がしたので、
1時間も新幹線にのらないんじゃ、あわただしいし、
べつに新幹線じゃなくていいか、とおもい、
普通の電車だけで行くことにした。
やってみると、電車の乗り継ぎをくりかえすことが、
冒険みたいで、わくわくした(^^)
ぜんぜん混んでなかったし。
最後に三島から乗った電車だけちょっとこんだけど。


東海道線の窓から美しい朝の海がみえたときは
おもわず「わー」と声をあげてしまった。


友だちがお嫁にいったおうちは兼業農家で、
訪ねたときはちょうど、田植えの準備をする時期だった。
そこで、自分もその作業をてつだわせてもらった。
あらかじめ土を敷いた薄いプレートのうえに、
手動式の機械をつかって種をまき、
そのうえに3重にまた土をかぶせるという作業だった。
そういうプレートを何枚も作成して、
温度管理が可能な専用の棚にセットし、
一定期間おくと、芽がはえてくるということらしい。
芽がはえてきたら、5月末ごろそれを田んぼに植えるそうだ。


プレートのうえに種をまんべんなくまいていくのが
なんかすごくむずかしかった。
でもなにもかも初めてやることなもんで
すごくたのしかった(^^)


おうちの軒先にツバメの巣があったのが印象的だった。
ツバメって でっかいなあ(^^)


作業がおわって、みんなでお昼をたべたあと、
友だちに車をだしてもらい
修善寺のハリストス正教会をみにいってきた。
教会の中にはいることはできなかったので
外観だけ見学した。
修善寺駅周辺は修善寺温泉をふくむ観光地エリアになっていて、
なつかしいかんじの温泉街をちょっと歩いた。
射的ゲームとかができる、おばあちゃんが経営しているような
ゲームセンターがあったりした。
竹林の小径というところと、
橋がかかっているところもすこし歩いた。

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ミニ観光からかえってくると、
夜まで友だちとその夫君と 
ワインを飲んだりしながらいろんなことを話した。

友だちとその夫君が何度もひきとめてくれて、
またいつでもおいで、こんどは泊まりがけでおいでと
いってくれたのがほんとにうれしかった。
夫君が東京で仕事がんばってつかれたら
いつでもここに休みにくればいいと言ってくれたのが
心にしみて 正直にいうとちょっと涙ぐみそうになった。

家族のように迎え入れてくれてふたりには心から感謝している。

次の日ふつうに仕事だったんだけど、

農作業を手伝わせてもらったうえに
夜遅くまでお酒も飲んで、何時間も電車に乗って
けっこう体力的にハードだったはずなんだが、
ぜんぜん疲れがのこっていないことにおどろいた。
朝スッキリ目が覚めたことといったらなかった。
いつも、起きたそばから頭が重いし、腰や背中も痛いのになあ。
ほんとうに1日すごくたのしく過ごさせてもらったからな。
しあわせだった。
友だちにずっと渡せなかった結婚のお祝いを
わたせたので、気になっていたことをすませることができて
すっきりしたのもあるだろう。
だがいつか行こうというか いつか行けるはずだという
気持ちのままずっときていて、いざそのときがきてみると
いろいろギリギリになってしまい
前日の夜に確認したら、お祝いの紙幣が新札じゃないという
驚愕の事実をまのあたりにしたわ。
まさか新札に交換していなかったとはな。
そんなことも忘れていた。
結婚式のとき どうするつもりだったんだっけな。
前日までのどこかしらで銀行に行って
新札両替をするつもりだったとおもうんだが。

もう夜だし、当日は早朝から出発だから
銀行にも行けないという。
そんなツメの甘さがまた、自分らしいといったところだ。
やれやれ。







「美女と野獣 BEAUTY AND THE BEAST(2017)」。

美女と野獣」をみた。字幕版。
ビル・コンドン監督、2017年、米)

www.disney.co.jp

 

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ディズニーだけあって 
あいもかわらず非のうちどころのない
「美」ってものを味わわせてくれる作品だった。
まったく、感嘆させられた。
人間の力でも、これほどまでに完璧なものを
作ろうと思えば作れるんだな。

だがまあ 内容について正直なとこいうと
これだったらわたしは
アナと雪の女王」のほうが
まだしも好きだったかもわからん。

美女と野獣」は、
とってもすてきだったけれど、
ほんのすこしでも自分のこととして考えられる部分というか
つまり共感しやすさみたいなものが 
なかった。
わたしはそうした不足感をまさに 
ディズニーランドやディズニーシーに
行ったときに、きまって感じるのだが。
それがイヤとか、悪いこととかおもうわけではないものの、
まあようするに、
「わー スゴイね!」
「わー きれいだね!」
「わー 華やかだね!」
っておもうんだけれど、
おもうんだけれど ただそれだけ、というか。
そこに体ごと飛び込んではいけないわけだ。決して。
ディズニーの世界ってのはわたしにとっては
ともすれば他人ごと になりやすいんだわな。
ディズニーが、完璧な夢を、完璧な美を
追求すればするほど、
それに触れるとき、わたしは
この不足感を自分のなかでつよめていくことだろう。
もちろん そんなのはわたし個人の問題で、
ほかのだれにとってもどうでもいいことなんだけれど。

あと、本作は、観たあとで
はっきりとした疑問点が意外にも いくつか残った。
いままで観たディズニー映画ではそういうことって
あんまりなかった気がするんだけどなあ。

・ガストンはその後どうなったのか。
・ベルの父のその後は?
・ベルは王子の哀しい事情をいつだれから聞かされたのか。 
 なんか気づいたときにはもう全部わかってるって感じだったが。
・王子の事情や彼の存在は、魔女の呪いによって、人々の記憶から
 消されてしまっていたようだが、呪いが解けて、人々のなかで
 存在が復活したいま、王子と民衆の関係はどうなっていくのか。
 まあこれは考えるだけ野暮ってものか。
・民衆にとって、王子はいったい誰なのか。
 どこの国の、なんという領土の、なんという王の子なのか。
 これも物語の本筋には関係ないことだとわかってはいるが
 すごく気になる。
・王子は今後 民衆から税金とか徴収するんだろうか(^^)
 王家なら税金とっていたはず、呪いをかけられる前までは。
 でも呪いのせいで民衆の記憶から王家が消えてしまってからは
 税金はとれなかっただろう。
 どうやって暮らしていたんだろう、呪いがかかっていた間。
 食料とか燃料の確保をどうやってしていたんだろう(^^)
 森から採ってきて適当にやっていたのかな。
 でもまあこれは完全に 夢ぶちこわしのケチをつけているだけ
 というかんじが、われながらする。けど気になる。
・ル・フウは、終盤で、
 王子の城に過去に来たことがあるようなことを
 言っていたが、そのあたりの事情が 
 自分が観ていたかぎりでは
 語られておらず、いっさいが謎だった。
 まえに来たことがあるってのは いったいなんでだ。
ヴィルヌーヴ村と王子の城の距離関係が、どうも不自然。
・ベルの父は 王子の城にもう一度たどりつくことができなかったのに 
 なぜガストンはああも苦しまずに城に行けたのか。
 ベルから奪った魔法の鏡は持っていたが、あれはナビ機能までは
 ないみたいだったしなあ。
・その点にかんしては、ル・フウも、
 ベルの父に案内をさせたときには城の存在を
 疑っていたのに、
 終盤で「まえにこの城に来たことがある」ようなことを
 言っていたのは、やはり
つじつまがあわないだろう。
 ベルの父についていったときは、
 城に行くのが面倒くさくなってきたから
 どうせ城なんかないだろうということにしたかった
 ・・・のかもしれないが、
 それはむしろガストンのほうの言い分で、
 ル・フウはそういう感じじゃなかった。
 観ていたかぎりでは、ル・フウはもう少し気のいい人間だ。
 城が本当にあるかどうかはともかくとしても、ベルの父に
 つきあってやろうくらいの気持ちは持ち続けていたように見えた。
 城があるってんなら(ガストンがベルを救出しに行きたがっているし、)
 行ってやってもいいんだけど、と考えていたということだ。
 しかるにル・フウはあとになって
 城に前にきたことがある的なことを言った。
 城に見覚えがあるというんなら、昔むかしの人の方向感覚は
 現代人とはぜんぜんちがうんだから、
 山道、けもの道でも、
 城へのルートや周辺の地形まで見覚えがあるもんじゃなかろうか。
 そもそもル・フウが心酔するガストンは
 猟師のようなこともしているみたいだったし。
 ガストンといっしょに行動するなかでル・フウの方向感覚も
 さぞかし磨かれてきたことだろう。
 なのになぜル・フウは 城に来てみてはじめて
 ここに来たことあるなあ、なんて言ったのかなとおもう。
 逆に言えば 城を知っているんであればなぜル・フウは
 率先して道を進み ベルの父を城に連れて行ってやらなかったのか。
 ガストンが城に到着できてしまうと
 ガストンとベルがくっついちゃうから
 それだとイヤだから、ってことか?
 うーーーーん。いや、弱いわな。それじゃ。おかしい。
 「城に来たことがある」自体が、誤訳だろうか?
 なんでだったんだろう。
 日本語吹き替えを観ればわかるかなあ?
・ベルが幼少期をすごしたパリのアパートの部屋に
 医師用の防疫マスクがおきっぱなしになっていたのが腑におちぬ。
 なにがあったのかしらないが、 
 患者の家で、マスクとらないだろ、医者は。
 でも母の死の真相を知りたいというベルの思いが
 あのアパートの部屋の幻影を作り上げた、ということならば、
 そこは夢と魔法の物語ってことで、
 まあ、目をつぶってもいい。
 でもペストなどが流行ったときに、ああいう鳥のクチバシ型の
 マスクが用いられていたなんてこと、
 欧米の子でも、大人に解説してもらわないともうわからない知識だと
 おもうのだが、ずいぶんマニアックな小道具 持ってきたなと感じた。
 もっとわかりやすく 過去の事情を説明しようとは思わなかったのかな。

 

あと、疑問というか、不満だった点もあった。


・ベルに、個性ってものがほとんどなかった。
 読書好きの美しい娘、というのはわかったが、
 もうすこし「風変り」感を実感させてくれるエピソードが欲しい。
 ベルの晩餐のミュージカルシーンと
 ラストの大団円の舞踏会シーンを
 それぞれ20秒くらいずつ削ってでも
 ベルの性格や人間性をもうちょっとだけ掘り下げる
 エピソードを散りばめていって欲しかった気がする。
エマ・ワトソンにはもうちょっとでいいから
 やる気ありげに演技をして欲しかった。
 「思慮深く心優しい性格」はかならずしも
 「無表情で声が小さい」という
 演技で表現するもんではないとおもう。
・王子がベルにやさしくなるタイミングが唐突すぎた。 
 バカがつくほど丁寧なストーリーテリングのくせに
 なんでそこだけそんなに性急なんだ。
・いろんな人がいる、いろんな愛のカタチがあるという
 現代の風潮を意識して、じつにきめこまかくそのへんの
 教育的配慮がなされているのを感じたが、
 さすがにこうまで いろいろ気を遣ってくれなくても、いい。
 ル・フウのダンスシーンとか。
 いや、べつにいいけど(^^)
 かえってディズニー側の基本的なスタンスが
 映画とは真逆です、ってことが強調されている気がして
 だいじょうぶなのこれ、って思っちゃったんだけど(^^)。
・エンディングのデュエットは、歌いかたが下品だった。
 とくに女声のほう。
 だれが歌っているのかしらないけど すくなくとも本編は
 そういうかんじの音楽性じゃなかったじゃないの、全然(^^)。
 なんか上質なフランスのオペレッタを観たあとにいきなり
 なんだろうな 
 和田アキ子かなんか聞かされるような気分だった。
 和田アキ子がわるいわけじゃないけどな(^^)


けど 本作は 楽しめたところもいっぱいあったな。
・ガストンの人気者っぷりが歌と踊りで表現される、
 酒場のミュージカルシーンはたのしかった。
 「お山の大将」感がすごくうまく描き出されていた。
・こまかな時代設定はよくわからないが、
 医師のマスクの形状からみて たぶん
 18世紀のフランスがベースかなというかんじが
 したのだが、当時の民衆のあいだにあった、
 特定の身分の人
 (未亡人、お嫁にいきおくれた女性、物乞い、精神病患者など)
 にたいする差別感情や、
 そうした人たちがすごく生きにくかった、という事情が
 それとなく、しかも案外シビアに表現されていて、
 おっ、と思った。
・ル・フウが歌がうまい。
・ガストンも歌がうまい。
・馬の「フィリップ」がかわいくておりこうさん。
・ティーカップの「チップ」がカワイイ。
・時計と燭台のコンビの友情に泣けた。
・城の蔵書に感激するベルがかわいかった。
・ベルを愛しながらも解放してやったときの王子の表情が
 かなり泣けた。「オペラ座の怪人」のあのシーンみたいで。
・城の面々と民衆のバトルシーンは 工夫が凝らされていて
 すごくよかった。暴力をおさえて光と音で表現してたのが
 よかった。でも女は殴ってたけど(^^)
クラヴサンの鍵盤をマシンガンみたいに発射して
 戦うっての笑った。
・そういやクラヴサンに変身させられていた「マエストロ」は
 だから変身が解けたとき歯が何本か抜けてたのか。
 いや、あれはマエストロじゃなかったかな??
・ベルが、呪いが解けたときの王子の顔をみて、
 「あなたってこんなにイケメンだったのね!」じゃなくって、
 「野獣だったときのあなたの面影はどこに?」と
 いう表情をしたのが、わかっちゃいるが すてきだった。
 王子の顔に野獣とおなじ碧眼がかがやいているのを見て
 「あなたなのね」と安堵の表情をうかべたのが
 じつにドラマチック。


いろいろとケチはつけたが
良いところもたくさんあった映画だった。

しかしながら、こうしてふりかえってみて、
今いちばんやっぱりここは、と
残念におもうのは、
「ベルに個性ってものが感じられなかった」
というとこだった。
わたしは、「アナと雪の女王」では
エルサにけっこう、個性を感じた。
心の通ったひとりの女の子、ってかんじがして、
いまでもエルサのことを、
「こういう子だった」と思いだせる。
そして、エルサにかなり強く共感した。
でも、ベルには、わたしはそういうのがない。
だから、その意味で「アナと雪の女王」のほうが
まだしもよかった、と感じるのだとおもう。

ベルが、こう、もうちょっとなー。
覇気の感じられる子だとよかったんだけど(^^)





「ラ・ラ・ランド LA・LA・LAND」(2016)、「ひるね姫」(2017)。

いわゆるゴールデンウィーク進行というやつで
あしたからしばらくまた うんざりくるほど大変になる。
いまも 休んでいる場合ではないような気がして
ものすごくきもちがそわそわしてる。
が、きょうは日曜日だから休んだ。
どうかんがえても、休んでる場合じゃないどころか
むしろ休んでる場合だ。
休まんと。マジで。

先週の話なんだけど、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムに
「ゴールドマンコレクション 河鍋暁斎展」をみにいったが、
あれがとてもたのしかったので、
きょうもまた行ってきた。
きょうが最終日だった。
河鍋暁斎はほんとにたのしくていい。
また会いたい。だいすきだ。
才気と気迫が 紙をはみ出してほとばしってる。
あと、新しい。なんといっても新しい。
こんどいつ こういう大規模な特別展示があるかわからないが
埼玉の河鍋暁斎美術館にもまた行きたいとおもっている。

www.bunkamura.co.jp


それから、これも、きょうの話ではないのだが、
ラ・ラ・ランド」を観た。
( LA・LA・LAND デミアン・チャゼル監督、2016年、米)

movie.walkerplus.com

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これはとってもよかった。
わたしには ほんとうにとても響くストーリーだった。
ミュージカルとしてというよりはただシンプルな
物語として観てた気がする。
ミュージカルだともちろん認識してたし、
形式としてはまちがいなくミュージカルだったが、
基本的に、役者さんたちが、
表現の手段としてはダンスや歌をやっていなかった。
なんつうかな。 ダンスや歌に、テクニック的な意味で
一生懸命すぎるというかな。
だから ミュージカルというかんじがうすかった。
音楽劇ってのは キャラクターたちが、
あふれてくるきもちを言葉では表現しきれないから
歌や踊りであらわす、というていのものだとおもうので、
歌や踊りを表現の道具として自分のものにしていない役者さんたちが
いくら一生懸命 ミュージカルで歌や踊りをしても、
それはあくまでも歌であり踊りであって、
キャラクターの心の表現ではない、と感じるわけだ。

その点やっぱ メトロゴールドウィンメイヤーとかの黄金期の
ミュージカル映画って、
というか それに出てた役者さんたちって、
ほんとすごかったわなと。
あと、
「ウエストサイドストーリー」
サウンド・オブ・ミュージック
屋根の上のヴァイオリン弾き
心そのものだ、歌や踊りが。
ああいったのがミュージカル映画だわなあ。

だがべつに そこはどうでもいい。
つい長々説明してしまったから なんか
マイナスポイントみたいな印象を
与えてしまったかもしれないが、
べつに重要な問題だったとはとらえてない。

わたしはすごく楽しんでこの映画を観た。
というか 後半など迷わず号泣であった。

わたしは、主人公のミアが、
もう一度勇気をふりしぼって受けたオーディションで、
自分のことを語ってください、といわれて、
自分が女優をめざしたきっかけ、叔母さんの思い出を
語りだすシーンに感動した。
「どうか乾杯を、夢追い人に
愚か者に見えても 彼らの混沌に
どうか乾杯を、心の痛みに・・・」
という歌詞には泣かされた。

また、ミアと恋人のケンカのシーンもよかった。
お互いに、「ほんとはこんなことが 言いたいんじゃない・・・」
とおもっている感じがすごくあって、
それなのに口がとまらないというか、
なにかおかしな狂った空気になってしまっているかんじが
じつにリアルに出ていてよかった。
あのギリギリとした緊迫感に
わたしはかなり緊張させられた。

あと、ミアが脚本・演出・主演をぜんぶ自分でやる一人芝居の
興行に 失敗した夜のシーンもとてもよかった。
ミアはあわててかけつけた恋人の顔をまともにみようともせず
車ではしりさってしまう。
彼女がとても傷ついていることが よく伝わってきた。


夢をおいかけることと現実とのギャップ、というような
大人ならぜったいにだれもがぶつかることについて、
そしてそれでも前をむいて挑戦しつづけることの
せつなさと重みと傷とについて
一生懸命 語ろうとしている物語だったとおもう。

おもえば エマ・ストーンが出ている映画には
きまってこれまで やられてきたな。
「ヘルプ 心がつなぐストーリー」
「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」。
エマ・ストーンがでていることそれ自体は偶然だとはおもうが。
このふたつもふりかえると ラ・ラ・ランドの物語のような
要素をもったストーリーだった。
勇気づけられるよな。


それで先週の話はおわりで、


きょうの話にもどると、
河鍋暁斎展2回目をみたあと、
地元にかえってきて、まず図書館にいき、
小林泰三の「人獣細工」(角川書店)をかりて、読んでみた。
小林泰三という作家さんのことは
わたしは数か月前まで知らなかった。
けれども、知り合いからすすめられて、
まず「玩具修理者/酔歩する男」という短編集を読んだら、
怒涛のおもしろさだった。
その知り合いにこのまえまた会ったときに、
玩具修理者おもしろかった」と感想をつたえたところ、
こんどは「人獣細工」という短編集におさめられている
「本」という短編をすすめられた。
その「本」を読むために「人獣細工」を図書館でかりた。
そのあと映画をみる予定であったので、
映画がはじまるまでの数十分だが、読んでみた。
まず最初の 表題作を読んだ。
わたしは夢中だった。
まったくすごい作家さんだ。
なんでこの作家さんが もっと文壇でちやほやされないんだか
わけがわからんな。
正直「酔歩する男」なんかは
おんなじようなかんじの話を東野圭吾さんが
パラレルワールドラブストーリー」で書いているけども
あれの半分のページ数で あれよりもずっと深いことを
書いていたなあ。小林泰三さんは。



時間になると、映画館に行き、
ひるね姫 知らないワタシの物語」を観た。
神山健治監督、2017年、日本)

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こいつはとてもたのしかった。

清新、ということばがぴったりの、よい映画だった。
ファミリーにもおすすめ。
何回も観たい美しい映像。
ブルーレイでたら 買って またみたい。
映像表現における
イマジネーションとハイテクノロジーとノスタルジーの
混ぜぐあいが
わたしにはちょうどいいかんじでとても快適だった。
物語は、あまり深く考えないでみたほうが受け入れやすい。
でも観おわった今は わたしは深く考えたくなってしまっている。

高畑充希ちゃん歌うまい。
しっとりした よくのびる声でとてもよかった。

それにしても ワタナベの狙いが 
どうもなんとも よくわからない部分があったな。
なんだろう、完全自動運転車のお披露目を
オリンピックのセレモニーという大舞台で失敗させておいて、
あとで自分が自動運転車のノウハウを
モモタローから奪い取って形にすることで
名声を横取りして 会社を乗っ取ってやろう
ということだったんだろうか。
だが、
なんか、そこまでのことができる器の男に
まったくといっていいほど みえなかったな(^^)!!
そもそも 仮にそうした目論見が成功したとしても
そこからどうやったら 会社が乗っ取れるのかよくわからないし(^^)!
イクミが会社の中枢から離れて、末端の系列会社に
とばされたっぽいことは、エピローグで理解できた。
本編でそのころのイクミとモモタローの記念写真がでてきて、
すみっこにワタナベがうつりこんでいた。
イクミが、左遷されても 社長の娘であり、
非常に優秀な人材であることを理解していたから
へつらっていたということなんだろう。 
目端はきかないわけじゃないらしい。
だけども、なんかちっちゃいんだよな。
どうせちっちゃいなら、
話ももっと小さくまとまってたらというか・・・
たとえば、
オリンピックのセレモニーで自動運転車のお披露目をしたいのに
車のシステムがどうしてもうまく動かない
だがセレモニーは失敗が許されない大事なものだ
いまさらシステムの開発がうまくいってないってことを
社長に言い出せなくって、それで
モモタローがもっているノウハウを奪おうとしたとか
そのへんのかんじの もうちょっと ちっちゃい話だったら 
あのワタナベという男の小物っぽさが 納得できた気がする。
夢の世界でも、
エンシェン姫が、機械至上社会において 
いまわしい存在である「魔法使い」だから
幽閉しているんだけど
じつはかくいう自分も魔法使いなんです っていう
王さまに言えない秘密の部分で
ごちゃごちゃやってくれれば
現実と夢との話がそれなりにリンクするので 
ムリはなかったとおもうのだが。
ワタナベが会社を乗っ取りたいと 考えていたことは理解できるのだが、
彼にそれができそうに とてもおもえない感がすごかった。

エピローグでは、
モモタローと亡き妻のなれそめの物語が語られていて、
妻が亡くなった原因も、ほのめかされていたのがうまかった。
モモタローの顔に ちょっと出すぎだとはおもったけども(^^)

ひるね姫は、とくに 
ずっとみたいとおもってて みたというわけじゃなかったけど
すごくたのしい いい映画だった。
またみたい。 映像がうつくしかった。