BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

誕生日によせる。

まあ
これから生きていくうえで
いちばん自分に必要なのは
感じすぎない心。
心。もう いらないくらいだ。
これだけが重い。
生きるのに じゃまなだけにおもえる。
あんまりにも重い。
感じすぎない心さえ手に入れば。

そう思い切れたらどんなに楽だろうな。

でもやっぱり そのようにはおもえない。
性懲りもなく心は痛む。
痛まないことなんて 生きているかぎり ありえない。
いかんともしがたく苦しい。
棄ててしまいたくても棄てられない。
ほんとにつらいものだ。

わたしがこのように思うのは
けっきょくのところ もう傷つきたくないからだが
でも わたしも 気をつけているつもりでも、
どこかでだれかの心を傷つけていることだろう。
きょうも、きのうも、数日前、数年前にも。
自分の傷には敏感でも
人さまのそれには気づけない。
ならば 人さまがわたしを傷つけたとき
その人がそれと気づかなくても 当然だ。

傷つけてしまったときに
あなたの言動によってわたしの心は傷ついた、と
はっきり わたしに伝えてくれたらなあ。
そうしたらおわびでも釈明でも
必要を感じれば すぐにさせてもらうし、
やりとりの やり直しが可能になるのだが。

たのむから わたしに何も告げないまま
その心を 閉じてしまわないでほしい。
なにをいってもどうせ通じない、とか
真意を聞いてもしかたがない、とか
その心のなかだけで なにもかもあきらめてしまうのを
あと一回だけでいいから 待ってほしい。
あきらめるまえに 
なんとかその気力をちょっとふりしぼって 
わたしに聞いてみてくれないだろうか。
なぜだったのかと。
どうしてそうおもったのかと。
どんなつもりでしたのかと。
意外となにも考えてなかったかもしれない。
ましてあなたのことを 傷つけるつもりなんかでは
なかったかもしれない。

そんなふうに食い下がるのは 
うっとうしいだけなんだろうか。

けれども
わたしにとって大切な人であればあるほど
やっぱりそう願わずに いられない。
うしないたくないとおもってしまうんだ。

慎重にやっているつもりだ。
なのにそれでもまちがえてしまうことが 
まったく うんざりくるほど多すぎる。
だから話すことがイヤになる。
話さなければ弊害も生まれないとか
つまらないことを考えてしまう。

わたしはそのとき 
たしかに無神経だったかもしれない。
でも、そんなつもりじゃなかった可能性が高い。
そのことを
もう一度 話す機会がえられればなあ。

でも
わたし自身が だれかの言動によって傷ついた時
傷つきました、と相手に伝える気力も意思も
たしかに ないわなあ。
すこし時間がたてば 違ってくることもあるけれど。
人には人の そのときにはそのときの
タイミングってものがあるから
そりゃたしかにしょうがない。
相手には相手の 
受け止めて意思決定をするだけの
時間というものが必要なのだ。
つまりわたしにも。


ある音楽に関する素朴な疑問。

音楽的に成立させないことを目的として作られた
音楽、というものが あるのかなと。
それってそもそも音楽なの? といわれると
ウーンって 一瞬 迷うんだけど
でも、音楽なんだわ どう考えても

スキかキライかでいえばキライ?であり
ついていけるかいけないかでいうと ついていけそうにない。
受け入れられるかどうかでいうなら
受け入れられない。

そうおもうのは、
聴いてると疲れるから。
音楽的に、破壊を旨としているとしか思えない構成をしている。
聴いていて それがおもしろくないと言ったらウソになるが
おもしろいけど しかしすごく疲れる。
頭のなかで 聴きやすいように 勝手に編曲してしまいたくなるから。
頭のなかで 聴きやすいように 勝手にミックスしてしまいたくなるから。
でもそういうことってするもんじゃない、という気持ちがあり
そこでせめぎあって苦しくて、
こんな思いをするために音楽を聴くつもりではないのだが、
という気持ちが湧き上がるから。

でも
良いか悪いかでいうと 
これはたぶん、良い。
良いだけに 耳にはいってくると心をそらすことがどうしてもできない。
すごくまいった。
そんな変なライン上の音楽にでくわすことになるとはおもわなかった。
聴けば聴くほど理解できなくなってくる。
あまり深くかかわらない方がいいんだろうか。

最近読んだ本の感想をちょっとだけずつ(20170801)。

この2週間くらいは 仕事で使う本の読み込みが中心で
趣味ではそんなにたくさん読まなかったが
何冊かには目をとおした。

小林紀晴「ASIAN JAPANESE」新潮文庫

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goo.gl


・・・ずいぶん前に買って、それきりに。
自分があんまり旅行などができないもので、
せめて人の旅行記 紀行文を読んで 
旅をしたような気になりたい、と
おもっていたときがあって、
そんな 旅行記マイブームのときに 買った一冊と記憶。
本作は著者が20代のころ、カメラをかかえて
ふと アジア方面に旅にでたころの フォトエッセイ。
行くさきざきで出会った日本人の旅行者たちに
インタビューをし、写真を撮らせてもらったもの。
文にはそれほど 心をひかれなかった。
自分の心のステージが本書と合ってなかったのかも。
けど、これは勝手な想像だが、
著者自身も いまこの本を読み返したら、
「おれ、なにいってんだろう。われながら意味がわからん。」
と、思うんじゃないだろうか(^^) 
人ってそんなもん。
けれども、
写真がどれも印象的で、気づけばじーっと何分も
見つめるということをくりかえしてしまった。
また写真をながめるために 読み返すんじゃないかとおもう。





文藝春秋
「泥水のみのみ浮き沈み 勝新太郎 対談集」
文春文庫

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books.bunshun.jp


・・・昔の「文藝春秋」
勝新太郎が各界の著名人と対談するという連載があったそうで
その対談がほぼすべて 本書におさめられている。
森繁久彌三國連太郎瀬戸内寂聴ビートたけし
石原慎太郎津本陽、奥さんの中村玉緒など。
勝新太郎という人は、めちゃくちゃだけれども
筋がとおっている。
人としてとか仁義がどうとかの、その「筋」ではなく、
勝新太郎という筋がとおっている」。
いまや芸能界の重鎮のビートたけし
勝新太郎にまともに相手してもらえてないかんじとか
すごく 読んでておもしろかった。
三國連太郎のところもよかった。
恋人だった太地喜和子の話とか。





よしもとばななさきちゃんたちの夜」(新潮文庫

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www.shinchosha.co.jp

・・・同じ「さき」という名前の5人の女性たち
それぞれに訪れるちいさな奇跡、喜びを
描く短編集。
観念的すぎるようなかんじはしたが
5編のうち いくつかは好きだった。
よしもとばななさんは あれですな。
手を変え品を変え ずっと おなじことを言い続けてますな。
「デッドエンドの思い出」あたりが
ここ数年だといちばん 個人的にはすきだな。




石井光太「蛍の森」新潮文庫

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www.shinchosha.co.jp


・・・著者の初めての小説だとおもう。
著者はノンフィクションライターだから。
サスペンス・ミステリーだった。
主人公(狂言回し)を担当するのは
関東にくらす30代くらいの男性で、医師だ。
とおい四国の山村で、おじいちゃんがふたり失踪。
主人公の実父が、この事件の重要参考人となってしまった。
じつは父は以前にも この行方不明のおじいちゃんに
暴力をふるったかどで逮捕され、刑務所にはいったことがある。
それなもんだから 重要参考人と目されたわけだ。
父が刑務所なんかに はいるようなことをしたせいで
主人公は これまでずっとつらい日々をおくってきた。
妻との関係は悪化し、職場でも肩身のせまい

思いをさせられるなど 生活がおおいに乱されたのだ。
それでも肉親だからと 釈放後の生活の面倒をみたり
主人公はそれなりに 父に歩み寄ろうとつとめてきた。
やっとなんとか 生活が落ち着いてきたところだったのに
ここにきて またか! という気持ち。
男性は父が聴取を受けている四国に旅立ち、
事件の真相を父本人に問いただそうとする。
しかし、
そこで彼がたどり着いたのは 
この小さな村がひたかくしに隠す ある陰惨な過去の事件だった。
・・・
ハンセン病差別の歴史と その暗い実情を
わしづかみにして見せてくる。
もし娯楽としての小説 という見かたをするなら、
てんで読めたもんじゃなかったし まずい部分もあった。
でもグイグイ最後まで読まされたのは
やはり 娯楽じゃないから。
書きたいことのためにどうしても
小説の体裁をとらなければならなかった、
本当は 渾身のルポルタージュ
だからこそ、おしまいまで読まずにはいられない。
ラストは ちょっとドラマチックにしすぎだったし、
そんなに何もかもにきちんと 結末を与えてくれなくても
いいよ、とも感じた。
しかし、不当な 苦しみの人生を強いられてきた人に
やさしい救いがもたらされる よいラストであり、
海老沢泰久の「青い空 幕末キリシタン類族伝」(文春文庫)や
島崎藤村の「破戒」の ラストをちょっと おもわせる
すがすがしさがあって、好きだった。
海老沢泰久の「青い空」よかったんだよなー
いったいなんだったんだ あれは。
わたしは海老沢泰久という作家さんには
はずかしいけど 当時まったくのノーマークだったから
突然変異的にあらわれたかんじをうける 超絶佳作だった。
ほんとにすばらしかった。タイトルはダサいけど。
また読みかえしたくなってきたな〜。




あとは、
モーリヤック、プラトン、ワイルド、
コルタサルニーチェサマセット・モーム
ジャン・ジャック・ルソー坂口安吾酒見賢一
恒川光太郎澁澤龍彦小林秀雄とかで
みじかいのを文庫で 1冊ずつくらい読んでた。
プラトンとかモーリヤックとか 読んだところで
いったいなにになるのかと いわれると
たぶんなににもならない、としか答えられない。

・・・わたし、コルタサルなんて作家を
いったいどこで知ったんだっけな。

あと
15年くらいまえの世田谷一家強盗殺害事件の
ルポを10冊くらい
図書館でかりて読んでた。
議論百出。みんなそれぞれに 
まったくちがうことを言っていて
どれも もっともらしいのだから おどろき。
独自の結論にたどり着いているどころか
犯人をほぼ名指ししている作品もいくつかあったけど
それらによると あの事件は
すでに犯人はわかっているというか
情報をていねいにたぐりよせ 正しく結びつけて考えれば
かならず犯人像をみちびきだすことができる
(じっさいにこれらのルポの著者はそうすることで
彼らなりの結論を出し「犯人」を指名してみせている。
まったくなにひとつわからない お手上げの事件
というわけではないらしい)
のだが、
警察のくだらぬ縄張り意識や旧態依然としたシステムが
情報の各署共有、活用への道を阻んでいる
だから
逮捕にむすびつかない、的なことを指摘していた。
そんなことで!と おもうけど
そんなもんなのかも。
だが亡くなった人たちはうかばれないし
のこされた人たちも本当に気の毒だ。





二階堂ふみとロミー・シュナイダー。「墨攻」(2006)。

毎日暑い。
もう、これから8月いっぱいくらいまでは、
日中はへたに 外にでるもんじゃないだろうな。
仕事か約束でもないかぎりは。

窓に触れてみると、
冷房のきいたこちらがわは ひんやりしているけど、
外のすさまじい熱気を、感じるもんね、手のひらに。

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ゆうべは、友だちがバイトをしている串焼き屋さんに
いって お酒を飲んだり焼き鳥を食べたりした。
夏場になるとどうしても食欲が減退しまくるが、
みんなでいっしょに食卓をかこむと、
楽しいからけっこう食べられる。
このときに、いっしょにいた友だちと
テレビにでるような有名人で すてきだとおもう人、カッコイイと
おもう役者さんなどを つぎつぎに挙げて、
単純にそのルックスについて批評してたのだが
ひとり、どうしても、顔はわかるが名前がおもいだせない
若手の女優さんがいて、
夜おそく、帰宅してようやくパッと おもいだすことができた。
桐谷美玲ちゃんだわ。桐谷美玲ちゃん。
有村架純高畑充希桐谷美玲の3セットで、
脳内のおなじ引き出しのなかに入っている。

ところで、
わたしは若い女優さんでは 二階堂ふみちゃんにこそ
別格の評価をしてる。
単純にその雰囲気、そのルックスの話だが。
彼女をみていると、ロミー・シュナイダーをおもいだす。

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ロミー・シュナイダーって女優さんは・・・
ドイツとかフランスで活躍した人で
一時期アラン・ドロンの婚約者でもあったようなんだが。
あの人、イングリッド・バーグマン
グレース・ケリーカトリーヌ・ドヌーヴみたいな
あっち系の女優さんでは断じてなかった。
道ですれちがったらバラの香りでもしそうな、
正統派の美女ではなかった。
けども、ロミーには、
なにか、なまなましい 特別な、女の存在感がすごくあった。
こりゃあ 近づいちゃいけないぞ、
大変なもんだぞみたいな(なにが大変なんだかわかんないが(^^))。
そういうかんじを、
当時のきれいどころの女優さんは
どこの国の人であろうが
ぜったい隠して売り出していたはずで。
でも、ロミーだけは、
生きた女の体温というのか・・・ 
腕とかさわったら熱いだろうな、みたいな。
顔や首に、ちゃんと毛穴あるだろうね、みたいな。
道ですれちがったら、きっとバラの香りではなく、
香水とたばこと、肌のにおいが混ざったにおいが
するだろうな、って。
そういうことを思わされる存在で、
そこに、すごくわたし、ひかれるんだが。

そのロミー・シュナイダーをおもわせる。
二階堂ふみちゃんは。
まえに、「プレイボーイ」でバニーガールのかっこで
グラビアやってたけど、
わたし、あれをネットのニュースで見たとき、もう、
あまりのなまなましさ 特別さに
ロミーが思い出されてしょうがなくて、
なんか
「あーーーーーーーーーーーーーーー」
っていうきもちになったからね
あーーーーーーーーーーーーーーー
っていうきもちに(^^)。

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きのう、おそくに帰宅してからは、
墨攻」という映画を観た。
(ジェイコブ・チャン監督、2006年、中国・日本・香港・韓国)

movie.walkerplus.com

 

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わたしはこの映画がなかなか、まあまあすきだ。
正直レッド・クリフなどにくらべるとバトルシーンに迫力はないし
いろいろと、もっとほかにどうにかできたのではと
感じないこともない。
しかし、難しい複数の要素を けっこうわかりやすく
まとめあげていて、かなり意欲的に、
がんばっている映画におもえる。
かくしようもない安っぽさテキトーさは、
いかにも中国というかむしろ香港というかんじがして、
べつに、そんなにイヤじゃない。
外国の映画を観るたのしみのひとつとして
受け入れられる範囲内だ。

ところで、
現代にものこる言葉で、墨家思想が語源のものとして
「墨守(なにがなんでも決まりごとなどを守って変えないこと)」
があり、博愛・非抵抗を説く集団だったわけだから
墨攻」なんて言葉は生まれえなかったのだが、
邦題では「墨攻」だ。
原作のタイトルどおり。原作者の造語だそうだ。
この「墨攻」を墨守してるところが
とても特徴的だと わたしには おもわれる。
中国語には墨攻って言葉がないんだろうし、
むりやり字からなにがしかを解釈しようとすると
彼らは彼らの価値観で なんか まったくちがう印象を
もってしまうのかもしれないから、それはしょうがないんで、
日本だけ、日本における漢字文化のなかでだけ、
ありえたタイトルなんだろう。

墨攻」は
映画としての厚み、気迫、品格どれをとっても
くらべるべくもないのだが、しかし、
内容的に、
まあ「七人の侍」に やや近いところを
かすっている映画だ。
それに、
墨家思想がどうして けっきょく絶えたのか、
まちがってはいなかったように思えるのに、
なぜ受け入れられなかったのか
ということについて考えさせられる映画でもある。
墨家も自分たちの思想を当時 ひろめていくためには
どうしても戦争にかかわらなければならなかった、というのが
すでに自己矛盾になってしまっていて、
気の毒だし、
みててイライラするくらい 不器用な人たちだったんだなと。
主義主張的に 存在する時代を完全にまちがえている。

どんな弱小国の王だって、
軍の指揮権を、どこの馬の骨ともしれぬやつに
渡したいわけがない。

梁の王も 梁の民衆も、いい気なもんだが、
でも ああいうもんだったんだろう。
革離目線でみるから革離が気の毒におもえ、
梁王が救えないあほうにしかみえないけれども、
梁王や梁城の民衆からしてみれば、
雇っておいてなんだが、見れば見るほど
いったいこの墨者ってのはなんなんだ、
なにを企んでいるんだと
うたがわしくなって当然だったろう。
本人に利益がないのに なんの約束もしてないのに、
他人のために命を賭けようとしている人間なんて、
もしほんとうにいたら、そりゃ信用できない。


この映画の 日本でのキャッチコピーは
「10万の敵にたった1人で挑む。」だった。
革離は梁の軍の指揮権をちゃんと王から借り受けて、
梁城内の民衆もつかって防衛戦を展開したわけなので、
ぜんぜん「たった1人」ではない、という声もあったようだが、
でも、映画をみれば、たった1人 と言うのもおおげさではないことが
わかってくるとおもう。
革離は趙だけでなく 雇い主の梁までも敵にまわして
戦うはめになっていたので。
つくづく革離は気の毒な男だなあ。
苦労ばかりで みのりがない仕事をしてる。
本人がそうしたかったんだから まわりがどうこういっても
しょうがないのだが。

騎馬隊の女騎士が 東伯が死んで以降
軍務から離れて平服でうろうろするようになった理由が謎。
彼女は梁王の重臣の娘らしかったが、
その重臣て東伯なんだろうか?
そうならば、父の喪に服すから軍務から離れた、というので
納得してもよいのだが、
それでも、あんなに革離の力になりたいといって 
昼夜をわかたず働いていた騎士だったのに、
きゅうに鎧を脱いで ふつうの服で城を徘徊するようになった。
それに、やっぱり東伯の喪に服してたんじゃないみたいなんだよな。
そのあとに起こった、敵軍の地下道侵入作戦のとき、
彼女はほかの持ち場にいたから、作戦の顛末はみていない、と
話していたから。ふつうに仕事はしていたはずなんだよ。
なのにぜんぜん 勤務中の彼女のシーンがでてこなくなるんだよね
東伯の死以降。 
そういうとこ ザツなんだよ~(^^)
あと、彼女が革離の居室に出入りするようになったという情報を、
だれかがもっと早く キャッチしなかったものかとおもう。
そうすれば、革離が気に入らないっていうんなら
雇われ者の墨者が仮にも王の家臣に手をだした ということで
こじつけて、殺すこともできたのに、
だれもそうしたことには目をむけず、
革離の「謀反」をでっちあげたことは 納得がいかない。
革離は謀反もなにも、もともと梁の人間ですらないのだし
謀反で 革離を追い出そうという動きには 無理があったとおもう。
それで王の嫡子を死なせてるんじゃあ 仕事がずさんにもほどがある。

あの女騎士の存在じたい、
墨攻」には そぐわなかった。
たしか原作にはでてこなかったとおもうんだよね あの女騎士。
画面に華をそえるためだったのだろうし、
ファン・ビンビンはもちろんきれいだったが、
必要性がかんじられないキャラクターだった。


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先週も本をずっと 何冊か読んでたが
感想は別枠であらためて。

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テレビにでてたおばあちゃんの話と所感。

たとえほんのいっときでも、かりそめにでも、
自分を必要としてくれたり、案じてくれたり、
会いたいとか話したいとか言ってくれる人には
心からの感謝を捧げたい。
そんなことを言ってくれる人はほんとうに貴重だ。
あしたへの力になるし、自信にもなる。
たいせつにしなくてはならない。
そういう人に 不義理はぜったいしたくない。
そういう人にだけは ガッカリされたくない。
そのように心の底からおもう。

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まえから、このことを覚えときたいから
いつか書かなくっちゃなと
おもっていたんだけど、
数か月前の日曜日の昼間に、テレビをみていて、
ある番組に登場したおばあちゃんのことが
印象に残ってる。

番組は、途中から観たし、最後まで観なかったから、
どういう趣旨のものだったか正確にはわからない。
でもまあ、
一般のご家庭にカメラが入って、
そのおうちのかたに、家族の歴史とか思い出を
語ってもらうような 内容だったことはたしかだ。

それで、番組スタッフが、あるお宅を訪問した。
おばあちゃんがひとりで暮らしている、
ほんとうに一般のふつうのおうちだった。

おばあちゃんは70代~80代で、
お国なまりが かなり強く、
当然しゃべりのプロではないので、
話があっちこっちに飛びまくるし、
話のなかによくわからない登場人物がいっぱいでてくるし、
正直なにを言っているのかわかんない、
要領を得ないところは多々あった。

のだが、
よくよく話を聞いてみたところ、
取材開始からずいぶんたってから あることが判明した。
おばあちゃんは、娘さんを亡くされていた。
娘さんは 30代になったかならないかのお若いうちに病をえて、
幼い子どもをふたり残して亡くなったのだ。

おばあちゃんはその娘さんのことを、
(自分には娘がほかにもいるけれど、)あの子だけが
わたしの夢をひきついで、かなえてくれた子だった、
と なつかしそうに語った。
子ども好きのおばあちゃんは、
若い頃、学校の先生になりたかったのだが、
時代も時代のことで、まともに通ったのは小学校ぐらいで、
ついに夢はかなわなかった。
しかし、亡くなった娘さんが小学校教諭になったことで
自分の夢がかなったような気がして とてもうれしかったようだ。

が、学校の仕事にも慣れて これからだというときに、
娘さんの体に、難しい病気が見つかった。

そこからの壮絶な闘病、そして最期のときまでの思いをかたった
おばあちゃんの言葉がすごくて、
数か月もたったけど いまも覚えている。

要約すると、
おばあちゃんはこういうことを言っていた。

「『わたしの命をかわりにさしあげますからなんとかこの子は
助けてやってください』と、仏さまに何度おねがいしたか
わからないが、でも、本心は、
わたしも生きて、娘が元気になったところを見たい、
というきもちがあったから、
その点で、わたしのねがいは本当じゃなかった。
だから仏さまは、わたしのおねがいを
聞き届けてくれなかったんだとおもう」。

このようにおばあちゃんが話すのを聞いたとき、
かなり強い衝撃を受けた。
じゅうぶんな学校教育をうけてなく、
社会的地位とかもまったくなく、
ふつうの、ご近所のお年寄りである
このおばあちゃんの
自分自身の心を見つめる力のたしかさ、
素朴な信仰と現実的な思考とがまったくぶつかりあうことなく
ブレンドされたその心のしなやかさ、
心の美しさにおどろかされた。

苦悩と、傷と、かなしみと、混沌と、透徹と、あきらめの
まじりあいが ほんとに美しいと感じて
胸をうたれてしまった。

これほどまでに高水準な心の境地に
到達できてしまっている人だったのだが、
カメラが入ってなかったら、ちゃんと長い時間をかけて
話をしんぼうづよく聞いてなかったら、
このおばあちゃんの心はだれも見られなかったのかも
しれないとおもう。
こんな思いを抱えて生きてきたことを、
ご家族にだってちゃんと話したかどうかわからないし。
むしろご家族だからこそ話さないこともあるだろうから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なにかを好きだとおもう気持ちと、
そのなにかに関する知識量および経験値とは、
本来 かんけいがない。
「好きこそものの・・・」ということわざはあるし、
まあそれはそのとおりだ、とはおもうが、
そのことわざは、えーーーと要するに
話のステージが、いまからわたしが言おうとしていることとは、ちがう。
必ずしも誰もが
「●●が好きだから●●のことめっちゃ知ってる」
っていう状態でなくても かまわないのではなかろうか。 
●●のこと好きだけどあんまり知らなくって、
でも知りたいとはおもってる。」
みたいなきもちであることを 恥じる必要はまったくない。
だって・・・ 最初はみんな、そこから始めるんじゃない。


まして
「そんな自分は中途半端なんじゃないだろうか」
「そんな状態で●●がほんとに好きな人たちの輪に飛び込んだら
『あなたは本物のファンじゃない』とか言われちゃうだろうか」
とか 心配する必要はさらにない。 

とくに後者のように
「まわりになにか言われることを恐れる」思いでいることは 
とてももったいないだろう。

自分にとってたいせつな人であればあるほど 
その人がこの手のことで苦しんでるのをみると 
千尋の谷的な 清水の舞台的な 
ものっすごい高いところから
「うっせーーーー!!行ってこい!!!!」って 
うしろからドーンと突き落としてやりたくなる。
よけいなおせわだから もちろんやらないけど。

仮に
「あなたは●●のことちゃんと知らないから、本物のファンじゃない」
といったたぐいの ばかげたことを 言ってくる人がいても、
それは言う人のほうに問題があるのであって、
言われたほうに非はないと わたしはおもう。
たいして知らないくせにすごく知ってるっていう
フリをするのだとしたら 
自分自身の心に対してたいそう非があるだろうが。

「自分はまだこうこうだから、こんなことを言ったら
みんなに批判されるかも・・・」
という気持ちはだれでも(わたしも。)抱くもんだ。

だが、それは多くの場合ただの「心配ごと」、もしくは
「心配ごとのようにみせかけた『やらないいいわけ』」であって、
「最優先事項」では断じてありえない。
「他人に批判されないようにすること」
が最優先事項になりえてたまるかよ。

「批判されたくない」「傷付きたくない」が先に立ち、
自分がなにをしたいとおもっているのか 何がすきなのかが
わかんなくなる、
またはそれについて考えるのをやめてしまうようでは、
やっぱり いけない。

知らないことも、足りてないことも、恥でもなんでもない。
人の体はほとんど水でできてるんだから、
構造的に、熱くなりにくいんだとおもう。
自分で自分が半端におもえようがなんだろうが、
ちょっとでも心に熱いものが沸き立つ予感をおぼえたなら、
だいじにしたほうがいいんじゃなかろうか。

きらいなものよりも 好きなもののことについて
たのしそうに話してくれる人のほうが わたしは絶対的にすきだ。
(わたしの好き嫌いはどうでもいいか。)

ところで、こんなことまで 
いま言う必要は本来ないんだろうが
口がすべったから言ってしまうけど(なんだそれ!)、
もちろん、自分にとってどうでもいい人の前であったら、
おのれの責任の範囲内で
いくらでも自分を演じていればいい。
うそもつけばいい。
本心を隠しててもいい。 
それはすきにすりゃいい。
だれだって、程度の差こそあれ 
対する人によって自分を演じ分けて うまいことやっている。
でも もしも そんなことに腐心しすぎたあまり
結局自分がなんなのか、なにがしたいのかを忘れてしまったり、
非常に重要におもわれたなんらかの好機を逸したり した場合に、
(べつにそれもそれで人生なんだが、)
ともかく、
他人のせいにだけはしてはいけない。
それだけはお約束だ。
それはなぜかというと、
いつかこのさきの、自分自身のために、
人のせいじゃなく全部自分でそうしてたんだということを
理解していることがすごく大事だからだ。

 

定期健康診断てやつはまったくたいへんだ。

きょうは職場の社会保険の定期健康診断を受けた。
それにしても、
以前働いたことがあるべつの職場でも
こういう健康診断があったわけだが、
そこは健診先の医療機関
こういっちゃなんだが環境的に なにからなにまで劣悪そのもので、
健康診断だってのに、行っただけむしろ調子が悪くなりそうな
なんだかそのくらい 行きたくな~いかんじだった。
行きたくないかんじだったということを
かくも鮮明におぼえてるくらいひどかった。

けれどもいまの職場で受ける健診はそういうことはない。
一流ホテルもかくやとおもわれるような 
サービスがゆきとどいていて
いやな思いなんて まったくしない。
職場はまじりっけなしのブラックなのだが 
健診だけは、純白だ。


そんな健診で、
まともにいろんな計測などをうけたなかで
体重と体脂肪とBMIが昨年より歴然と減ってて
驚愕した。
正直おどろいて ねんのためもう1回 
はかってもらった。まちがいではなかった。
だが体調には さいわいなんの問題もない。
問題ないどころかむしろ 自分にしては いい。

じつをいうと 今年 春ごろに、
以前から なかよくしてもらっている先輩から
話をきいて すすめられた本を読んで、
この数か月 軽い糖質制限をやってみたのが大きい。

やったことを具体的にまとめると
白いごはんなどの炭水化物と およそ甘いものをすべてやめる。
1日1食~2食。
お肉、卵、チーズ、お豆腐、野菜、海藻をいっぱい食べる。
(これらを食べる量に制限はない。むりにいっぱい
食べる必要もない。)
食べるときは最低30回噛む。
※でも友だちと遊ぶとか 飲み会とか 
月数回程度のイベント的なことのとき、
これらの制限がむずかしいようなら、解禁しても可。
以上。

その本は、以下に一応紹介するが、
じつにわかりやすかったし、
そして画期的な内容にもおもえるものだった。
ちょうど自分の友だちが、
出産後の体型の変化に悩んでて
ダイエットしたいなー的なことを
言っていたのを思い出して、
この本のやりかただったら 簡単なんじゃないのかなとおもって
その子に 本をすすめた。ふかく考えもせずに。
しかし、内容がやや画期的にすぎたようにもおもわれたので、
間違ったこと教えてたらヤバイなと あとで気になってきた。
わたしは独身だから
多少なにか問題がおこっても自分だけのことだから いいが
その友だちは結婚して子どももいるから
まちがったダイエットをして体をこわしたりしたら大変だ。
あとになってからそのことが気になってきて
結果、身をもって自分が
本に書かれていた内容で 糖質制限をやってみたわけ。
といっても やれ糖質量がどうだとかカロリーがどうとか
細かい計算はいっさいしてない。 
ほんとに一番ライトなやつを
できる範囲で やっただけだ。
そもそもまず
お医者に相談したほうがいいんだろうし、ほんとは、
こういうのを始めるときは。
だが、結果 すくなくとも自分には合ってたらしく
客観的にいっても食生活をかなり変えたにもかかわらず
体調を崩すこともなく なんのストレスもなく
数値的にはなんと中学校時代とおなじ状態、
というか やや割り気味くらいのかんじにしあがった。

まあこれなら大丈夫なんじゃなかろうか。

ずいぶん大幅に 数値が変わったことにめんくらったんだが
もとが じつのとこ やせ型であるところへもってきて
しかもここ10年間は 金太郎あめみたいに
毎年まっっったくおなじ数値をキープしてきてたので
われながらその数値の大変動をみて
見慣れない感が すさまじかったというだけのことだ。
体が あきらかに軽くなってきていたことは
もちろん 始めて幾日か経ったころから
すでに自覚してはいた。
体感的に 今このくらいかなーというのは 感じてたが
家に体重計がないから数字で見たのは今日が初めてだった。

これから 自分の体にとって最適な数値に
ゆっくりと戻るなどして 推移していくんじゃないかなとおもう。
本にもそんなようなことが書かれてたし。

べつにいまのままでも どこも悪くはないからかまわないが。

その、先輩からすすめられた本てのを
以下に紹介しとく。
でもほんと 合う合わない できるできない
すべて人それぞれなんだろうし
わたしはどこぞの回し者じゃないもんで
トライするなら自己責任でたのみます。
個人的な感想としては、
「食事にあんまり興味ない人」のほうが
すんなり慣れるかもしんない。
わたしなんかはどっちかというとそのタイプでして。
「定期的な運動」とか求められてないところも
自分にはありがたかった。運動苦手なんだもん。

本はこの2冊。↓↓

ケトン体が人類を救う 宗田哲男 | 光文社新書 | 光文社

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www.php.co.jp


後者のほうがずっと実用的で簡潔ではあるが
お子さんがいる人、家族がある人は
前者を読むと いろいろ勉強になるとおもう。
自分だけでなく家族みんなのために、と
思って実践して それが成功したら最高なんじゃないかな。


まー ずいぶん体重やらなんやらの話を
長々つづけてしまったが
それはどうでもよくて(マジか。)
ほんとにいいたいのは

自分史上初めて 婦人科健診をですね!
受けたということなんですよ!!
きょう!!

わたしは婦人科健診を受けることがですね
イヤでイヤでイヤでイヤで
しょうがなかったんです 
これまでずっと。
なぜかというと 
怖いからです!!
怖いじゃないですか!! ふつうに!! 
怖いでしょあれ!!
そんなわけでですね
明確に逃げてきました。婦人科健診から。
昨年なんか事前の申込書の婦人科オプション健診の欄に
マルをつけるかいなかで2週間以上もなやんだすえ
つけませんでしたから。
けど もういい大人なんでね。
それに、アナウンサーの小林麻央さんなどの著名人が
その命を賭して啓発してくれてるじゃないですか
それですごく このわたしも刺激をもらいまして。
勇気をふりしぼって 今年はうけましたよ。
オプション健診の欄につけたマルを
何度 消しゴムで消してやろうとおもったか
ほんと ぎりぎりまで迷いましたが。
いやー
がんばりましたわ。
でも、さいわいなことにお医者さんが できたかたで、
いまのわたしに必要な検査とそうでない検査を
事前の問診でふりわけてくださって、
必要最低限のものだけでいいということになり、
かなり精神的なプレッシャーが軽減されましたね。
もうこっちは こうなったら
俎上のなんとやらのつもりでいたからよけいに。
だからそんなに おそれていたほどの
気持ちにはならなくてすみました。
そのお医者さんは、
女性の、ぱきぱきしたかんじのすてきなかたで、
いろんなことわかりやすく教えてくださって、
それだけでも なんか 
受けてよかったなって気持ちになりました。
これなら来年以降は 大丈夫ってかんじがします。
もっと本格的な内容の検査を
受けざるをえなくなったとしても。

あと問題はですね!
胃部レントゲン、つまりバリウム服用ですよ!
これだけは 一生涯 
飲まない方針をつらぬきとおすつもりです。
あんなわけのわからんものを体にいれるなんて
とうてい無理ですから。
だれが飲むか あんなもん!
よくみんながまんしてるよなあ。
もうほんとかんべんねがいたい。
胃カメラ飲むほうが まだしも ましなんで
きっぱりお断りして 胃部レントゲンは
キャンセルしてもらいました。
というわけで
胃カメラ飲む予定です。
必要を感じたらね(^^)

最近読んだ本の感想をちょっとだけずつ。

このところ 読んでた本の感想。
読んだもの全部は思い出せないから 
思い出せるだけ。
マンガもいろいろ読んでるけど
そっちはまた別枠で。




チャールズ・ブコウスキー柴田元幸 訳
パルプ
ちくま文庫

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→これ以下はないってくらい だらしがなく甲斐性もなく
下の下の下な私立探偵・ニックのもとに
いくつかの奇妙な依頼がいっぺんに舞い込む。
とっくに死んでいるはずの著名な作家を探してほしい。
宇宙人にとりつかれてる。
妻が浮気をしてるみたいだ(これは探偵への依頼としては一般的か。)。
「赤いスズメ」を探してほしい。・・・
ブコウスキーでいちばんすきなのは、というと
「くそったれ! 少年時代」だけど 
柴田元幸さんの訳書という枠でいうと
オースターよりもミルハウザーよりも何よりも
このブコウスキー、この「パルプ」がすきだ。
柴田元幸さんの訳でなければパルプ読みたくない。
ほんとうにたまにだけど 狂ったように読み直したくなる。
ブコウスキーの才能を見出した編集者は 優秀だ。
才能だ、と信じたところが まずすごい。

ただ これからパルプ読もうとおもう人は
あんまり わかりやすい「感動」みたいなものを
もとめて読まないほうがいい。
「小説とはこういうもの」
っていうのを頭に持った状態で
読むと 不当にガッカリすることになる(^^)
そういうやつじゃないから(^^)





中村智志
「命のまもりびと 秋田の自殺を半減させた男」
新潮文庫

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秋田県で、中高年の事業主などを対象とする
自殺防止相談窓口のNPO法人をたちあげた 佐藤久男という
人物についての 密着ルポルタージュ
秋田県は自殺率がかなり高いらしいのだが、
佐藤氏はそれを数年で半減させた功績に
大きく貢献した人なのだそうだ。
佐藤氏自身も会社経営者として かつてものすごく
苦労された経験があり、その頃のことを振り返る章が
とにかく圧倒的。
あと、日本の自殺問題の基礎情報にかんしても
くわしく解説されていて かなり勉強になった。
日本では 自殺率のカウントの指標が
ひとつではなく、ふたつあって、
そのうちひとつは自殺者が多く見積もられ、
もうひとつは少なくカウントされることになる、ということを
わたしこの本読むまで
知らなかったし。




西村雄一
「殉愛 原節子小津安二郎
講談社文庫)

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→映画監督の小津安二郎と女優・原節子との絆について
関係者への取材とゆかりの地歴訪を重ねて まとめた評伝。
うーん おもしろかったけど
かんじんの小津監督と原節子
話を聞けてないってところが 残念というか、
それいっちゃあおしまいなんだけれど、
でも やっぱり・・・。
監督は亡くなったのがずいぶん前だから
そのとき著者がこの本を書きたいとおもってなかったとしたら
インタビューできてなくても しかたないと思うけど
原節子はつい数年前まで存命だったんだからなあ。
じっさい著者自身も この本を書いているあいだに
原節子の訃報にせっした、と あとがきで明かしていたし。
なぜ生前 話を聞こうとしなかったのかと。
本人に話を聞かなかったところ、
グイグイいかなかったところが
つまり著者らしさといえばらしさなのかもしれない。
でも・・・ こういう本を書くんだったら・・・、
きっとアタックかけても 原節子は結果的には
なにも話してはくれなかったろうけど(門前払いされたろうけど)、
ぶつかってみるだけのことはするべきだったのでは。
結果ムリでもそれだけやった、ということだけでもあれば
まだ こっちとしても 読んだあとの気持ちが 違った気がする。
「小津と原節子の恋愛関係」に
かんしては 著者が「そう思いたいだけ」ってのが
出ちゃってて なんというか どうしようもなく。
なんとでも解釈できるから、前提に沿って資料を読めば。
いや、もちろん それなりの状況的根拠があるのは
よく理解できた。
公然の秘密的な部分があったことは
わたしだって いちおう知ってるし。
でも、なんといっても本人に話聞いてないっていうのがな・・。
ただ、映画ファン必読の一冊ではあった。
おもしろかった。当時の日本映画の現場のことを
くわしくいろいろ 知ることができて。
ちょっと、話があっちこっちと動きすぎて
ややこしい構成だったけど(^^)





瀧波ユカリ/犬山紙子
「マウンティング女子の世界 女は笑顔で殴りあう」
ちくま文庫

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→なんつう本出しちゃってんの(^^)!!
笑ったけど(^^)!!





・押川剛
「『子供を殺してください』という親たち」
新潮文庫

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→心の病で苦しんでいるとおもわれるが病院にいかず
家でひきこもるなどしている人を
説得して医療にアクセスさせる・・・という
精神障害者移送サービス」を行っている著者が
これまでに経験した事例を紹介し
各種の問題とその対策案を提示する。
精神保健福祉法が改正されたことで
当事者たちがますます苦しい状況におかれるようになってきた
ということが じつに克明に解説されている。 
震えあがらされる 内容だった。
他人事ではないと。
精神的にも状況的にも苦しんでいる患者とその家族を
もし本当にぜったいに救いたいとおもうなら
当事者家族などのだれかひとりが 自分の人生のすべてを
投げ打つくらいの覚悟で臨まなくてはならない、
と すこしも大げさでなく 伝えようとしていた。
あと、「自分の家族が心を病んでいる、病院に行かせたい」
ってことを第三者機関に相談したいとして、
家族で解決できないから他人にたよるわけなので、
どれほど困っているか、なにをしてほしいのか、
いかに本気かということを 具体的に、何度も、熱意をこめて
相談しなくっちゃ、第三者には伝わらないし、動いてもらえない。
ということを くりかえし言っていて、なるほどなと。
いや この本は 読んだほうがいいですよ。




中島義道
「東大助手物語」
新潮文庫

www.shinchosha.co.jp


→哲学者の中島義道氏が
東京大学の助手をしていた30代の頃の 過酷な体験を振り返る
エッセイのような極私小説のような。
「やってくれたなあ・・・」ってかんじの1冊。
ぜったいこの人 
こういうの書くと 最強におもしろいんですよ。
中島義道氏のファン?だったら みんなそういうこと
思ってるとおもう。
すごくよかった。
いたましくて、いじらしくもあり、
読んですごく胸がしめつけられたけど。
わたし自身のつらかった体験の記憶が
呼び覚まされるような感覚もあったからなあ。





多島斗志之
「少年たちのおだやかな日々」
双葉文庫

株式会社双葉社 |少年たちのおだやかな日々


→中学~高校生くらいの少年を主人公とする短編小説集。
わたしは多島斗志之さんのこの 繊細さと偏執性とが 
ギリギリあり?なし?なラインでうろうろしてる
奇跡のバランスが すき。

「それではっきりするんなら、いつまでかかったっていいです」(^^)。





・鬼塚忠
「花戦さ」
(角川文庫)

www.kadokawa.co.jp


→映画を観たので、直後に買って読んだ。
これは・・・ ダメだな(^^)。
読んだことは失敗だった。
自分が書いたわけじゃ もちろんなく
作家さんが苦労して書いて こうして世に出したものに
はなはだ失礼なことをいうようだけれど、
(いうようだけれど、っていうか、めっちゃいうけど(^^))
そもそも小説として
個人的に お寒く、うすっぺらく、
おもしろくなかったうえに
なんかこの作品にかんしては
小説と映画とで、ダメなところを見つけ合い
掘り下げ合っているような
おたがいの関係的に
不利益しか生んでないかんじをうけた。
秀吉の改心の理由が信長、っていうのは
映画にはその視点があまりなかったんだけど、
小説ではかなりそこが意識されていて、
まあなんか、なんとなく、よかったような気はしたが。
絶対的に、
小説は読まないでおいたほうが幸せだった。
映画だけで終わらせておいたほうが、よかった(^^)
小説を先に読んだなら、
映画は観ないほうがもしかしたら幸せかもわからん。
・・・
いや、
やっぱり小説はいいから映画を観たほうが 幸せかな(^^)?
映画はあれはあれで ちゃんと観られる「形」になっていたから。
人物造形とかが。
役者さんたちの演技にすごく助けられていた。
映画ってのは役者だけじゃないとはおもうけど。
説得力があったとおもうんですわ
利休と専好のキャラは あれで最適解だったと。





小林泰三
「因業探偵 新藤礼都の事件簿」
(光文社文庫)

www.kobunsha.com


→頭はキレるが 性格が最悪なヒロインが
抜群の推理力を活かそうと考えて私立探偵業を始めたんだけど
最初の宣伝でかなりムダに金をつかってしまい
当面の必要から いろいろと別の実入りのよいバイトをすることに決める。 
そんなバイト生活のなかで
いろいろな難事件を解決していく・・・という
連作短編集。
おもしろい。
気分転換になった。
多島斗志之と同じ方面の雰囲気を 
ちょっと感じる作家さんだ。