BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

最終目的地を忘れない

心が絶えずみだれ、おちつかない。

おもな要因は
いそがしいのと 
「本音を言えば そりゃこんなことはちっともやりたかないんだが
しかし やらなくてはならない」
っていうことに取り組んでいることに起因する
まあ一言でいえばストレスにあるんじゃないかなと 
いちおう考えている。
べつにだれかにむりやりやらされているわけじゃない
自分で選択してやっていることだ
でも 自分で決めたことならいっさいストレスがたまらないか、
疲れないかというと ふつうにストレスはたまるし疲れる(^^)
そういうものだろ。言うか言わないかのちがいだけで。
わたしはそういうの 認めないのはどうかとおもう(^^)

むやみやたらな さびしさや焦燥感をおぼえ
すごくくるしくなることがある。
正直なところ 
死んじゃおうかなくらいのことが頭をよぎる瞬間も
何度となくある。
きょうもそんなときがあって まいった。
進行中のできごとと、そのきもちとのあいだには
なんの関係もありはしないのに
(つまり いくらなんでも死にたいとかおもうほどつらいことに
取り組んでいるわけではない。)
なんでそんな 追い詰められたきもちになるのかわからない。

まあ ようするに疲れてるんだろうな。

つらいのだが、
そういうときは 自分にはこのさきに行きたい場所が
ちゃんとあるんじゃなかったのかと 
その部分を見つめなおすように努力している。

成長したいと  今できないことができるようになりたいと
自分はおもってきたはずなんだよな、
勉強したいんだよな
というのを できるだけ思い出すことにしている。
いっときのさびしさや苦痛に
一日に何度ものみこまれ 食いつぶされそうになるが・・
極力 冷静になって考え直す。
なんだかしんどい作業だがそこをなんとか努力している。
それでけっこう もどってくることができる。

気をしっかりもって 取り組まなくてはならない。
わたし自身のことであり、わたしがやらなくてはならない。
まだ これをお読みくださっているかたがたに
詳しくお話することができず
わたしもほんとにざんねんなのだが。

これが終われば ためらうことなく前に進める。

きもちを表現していない

自分のきもち、感情を
けっこう言葉にして表現するほうだと
自分ではおもっていた。
しかし、
このまえ、お医者さんから、
「あなたの話には、あなた自身のきもちをあらわす言葉が
人とくらべて極端に少ない。考えたことや、起こったことの内容を
話してくれることはあっても、きもちは表現していない」
という意味のことを言われた。

これにはとても意外におもったが、
人から見た自分というのが
自分でおもっている自分よりも的確、みたいなことって
案外あるものだとおもう。
自分のことわかってるのは自分自身、とは 言い切れないわけだ。
だからこのお医者さんがおっしゃったことは
もっともなのかもしれない。

お医者さんからは、
「自分のきもちを言葉にするわけにはいかない、と胸の内に
おさえこんできた期間が長かった、または今もそういう環境に
自分を置いているのではないか」
とも指摘された。
そうであるか そうじゃないかでいったら、
そうだ、としか言えない(^^)・・・

「オリエント急行殺人事件 Murder on the Orient Express(2017)」を観た。

※以下、原作小説のファンのかたには
かなり申しわけない内容なので
(映画がじゃなくて、このブログ自体が、の話です。) 
おイヤなかたは お読みにならずにおくことをおすすめします。


映画
オリエント急行殺人事件
(Murder on the Orient Express、ケネス・ブラナー監督・主演、2017年、米)

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みた
74年ルメット版のほうが(先にみたせいか)
グッときたことは事実だが
これはこれですごくよかった。
原作を読んだことあるなしにかかわらず 一見の価値あり。

ケネス・ブラナーのポワロ、ツボだな。
いままでのどのポワロとも違うから 
受け入れられない人も多いかもしれないけど、
わたしはむしろ従来のポワロのルックスこそですね、
そりゃ原作によせてるんでしょうけど、
ちっとも好きじゃないんですわ(^^)
それもあってかわたしは ブラナー版ポワロ、好きだったな。
ポワロ一流の鼻につく尊大さも、
見た目がツボだからなのか 受け入れやすかったし(^^)、
彼がみせる心の迷いや、葛藤の表現も、納得できた気がする。
お国なまり満載の英語表現にも驚嘆させられた。
小説なら文字で「ポワロの英語は なまってます」と
説明すればいいだけだが 
じっさいにやるのはたいへんなはずだ。すごかった。
それよりなにより、あの 深い青色の瞳。ひきこまれた。

ウィレム・デフォーもいてくれてほんとによかった。
トム・ベイトマンは、すくすく育った健康的な体型といい、
ボンボン息子で、チャラ男で、
でも憎めなくて、頭も悪くない・・・っていう
アルスラーン戦記」のラジェンドラみたいな役をやらせたら 天下一品だ。
ジョニー・デップは、ざんねんだが 本気でやってなかった。
なんといっても ポワロのこっけいなほどの折り目正しさとの 
対比がきいてないと しょうがないのでは。
そこをジョニーがもっとマジメにやらないといけなかったのに。
ぜったいできる人なのに、どうしてやらなかったのか。 
あれなら、ジョニーでないほうがよかった。
トム・ハーディとかどうかな('_') 

女優さんで、わたしがおおきな拍手をおくりたいのは、
ミシェル・ファイファー
お歳相応の・・・つまり・・・お肌のかんじとかを、
迷わず、むしろ積極的に出していた。
というか、さらにいえば、
基本的には輝くばかりに華やかなマダムにみえるが、
ポワロ視点のときだけ妙に老け込んでみえる、というふうに
演出されていたようにおもう。であるならば
そう撮られることをミシェル・ファイファーが 
受け入れたということになるはずだ。
わかる人にはわかる積年の心のいたみを、しっかりと表現するには、
その手法が必要だったから。
いつまでも若くてきれいにみせたいのが本音だろうに、
一流だなとおもった。

なんといっても 古典ともいわれる小説が原作だ
実写版映画は、ストーリー、トリック、犯人さがしを
本気でたのしむためのものではないんだろう。
雰囲気を、アレンジを、華麗な美術を、
豪華俳優陣の演技を味わう、
それが実写版「オリエント急行の殺人」だ。
(数年前の、三谷幸喜監督・野村萬斎ポワロのドラマ版は 
果敢にもストーリーやトリックの表現まで凝ってて、
しかもうまくしあげてたかんじがするんだけど)。
そしてその点は まぎれもなくすばらしく成功してた。

エンディングまでゴリゴリに装飾的にしてなかったところが 
個人的にヒットだった。
そこまでやられてたらノーサンキュー、だったところだが、
単色濃紺の背景に、ポワロの瞳の色とおなじブルーのクレジットで、
スッキリしててよかったようにおもう。

なお、最終章(「犯人はおまえだ」のところ)は
わかってても すごく胸にせまるものがあった(^^)
やはり、俳優さんたちがよかったというのが 多分にあるとおもわれた。
脚色の妙もさることながら。 
実際にはそれほど詳細には描かれない、
各キャラクターのこれまでの人生の苦みや、心の痛み、
かなしみが、過不足なく推し量られて、泣けるのだった。

ちなみに
原作の小説にかんしてなのだが、

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www.hayakawa-online.co.jp


※いまは映画とのタイアップで 表紙がポスタービジュアルの
バージョンが販売されているようだ。※

現代文学史にのこる作品ということで、
わたしも、押さえたことはもちろんあり、
数年に1回 読みかえしさえするものの、
(こんなことをいうと世界中のファンに1回ずつ
心臓にナイフをつきたてられて殺されそうなのだが、)
正直言っておもしろいとか良いとか傑作とか感じたためしがない。

さきほど、数年に1回読みかえすことがあると述べたが、
そうする理由は、
「世界が認める古典的名作なのに 良いと感じないなんて、
自分がおかしいんじゃないか。良さがわかるステージに
自分がきてないだけなんじゃないか」、
今回こそは良いと思いたいと願うから、だ。
けれども 
今のところいつ読んでも ふしぎなほど これっぽっちも
おもしろくない(^^)

ミステリー小説は
だれがそれをやったか
どうやってそれをやったか
なぜそれをやったか
の どれかに主眼をおく物語に、ほぼ例外なく、なるものだ。
それはアガサ・クリスティー以前に確立されてた 
類型といってさしつかえないと思われる。
だから アガサ・クリスティーが物語の構成のしかたを
試行錯誤していたその中途段階にあった小説だった・・・、
とかいうことにはならないはずだ。
しかるに小説「オリエント急行・・」は、わたしが読むかぎり、
この3つすべてに 中途半端に力がいれられてる。
なかでも「なぜそれをやったか」に力点をおこうとしたことは
確実と考えられるが(でないとそもそも成立しない小説だ。)、
それが成功してるとはいえない。
わたしにしてみれば、どこもかしこもモヤっとしてて 
正直 響かない。
3つの要素の「おもしろみ」の希釈限界値を探るために書いた
実験小説(うまく言えてるかな・・)、なんじゃないかと
おもいたくなる そんな小説だ。

では 
シャーロック・ホームズ」シリーズが
いまとなってはヴィクトリア朝英国のかおりをつたえる
「雰囲気小説」の側面をもつものと なっているのと同様 
小説「オリエント急行・・」も 
もう昔の小説なんだし 雰囲気をたのしめばいいんじゃない、
という話かもしれない、が
これがまた 「オリエント急行・・」は 
文章表現が淡泊すぎて 雰囲気もへったくれもないんだわ! 
訳が自分に合わないのか知らないが
雰囲気あるなあ・・とかいうことで楽しめたためしがない。 
わたしのように映像をイメージする力が貧弱な読者には 
これでは 無理なのかもしれない。

逆に考えれば、作品発表当時の読者たちは 
なんと想像力がゆたかだったことだろう。 
乏しいところから自力で補完し、読みとる力の、
なんと鍛えられていたことか。

でも、
いましも 当のわたしが それっぽいことを申し上げたように
「それでも、なにも感じない とは言わせないよ。
だってほんとに駄作と感じるなら 
たとえ名作の呼び声高くとも 
数年に1回読み返すなんて絶対しないはず。」
という声がやっぱり どこからか 
聞こえてきて無視できない、
この作品をめぐっては・・。

それは この偉大なミステリー小説にガッカリしたくない 
というわたし自身の気持ちが 生む幻聴なのか、
それとも こういうおもしろさだって厳然と、
あるんです世の中には。という真実が 
わたしには見えないけどギラリとやっぱり光ってる、
ってことなのか。
わかんないが。

いずれにしたって やっぱり数年に1回
読み返してみることをやめる気には
とうぶんならないんだろう。

 

シャーロック・ホームズの誕生日の過ごしかた/魔裟斗とコブラ/「事件」

1月6日はシャーロック・ホームズの誕生日ということに
されている日だ。
ベイジル・ラスボーン版ホームズの実写映画
「緑の女 The Woman in Green」(1945年)
「闇夜の恐怖 Terror by Night」(1946年)
殺しのドレス Dressed to Kill」(1946年)

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を観て、
さらに小説の
「バスカヴィル家の犬」と
「踊る人形」を
読み返してたのしんだ。

www.shinchosha.co.jp



www.shinchosha.co.jp



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5年くらい前まではホームズのお誕生日には
ケーキを買ってきて食べていたが、
昨今は このように
映画やドラマを観返し、小説を読み返すのを習慣にしている。

作品群すべてのうち、
「踊る人形」が どういうわけだかいちばん好きだ。
(短編集「シャーロック・ホームズの帰還」に収録されている。)
これよりおもしろいものはほかにいっぱいあるはずなのだが。
おもえば 初めて触れた「ホームズ」が わたしはこれだった。
小学校高学年という多感な時期の入り口に読んだ覚えがある。
それでなにか特別 思い入れが できたのかもしれない。

ラスボーン版ホームズの 上記3作のなかでは、
「闇夜の恐怖」がなんとなく もっとも好みに合うようで
おもしろく感じる。
あんまり停まらない長距離列車、という準密室的状況で発生する
殺人事件、というと 「オリエント急行の殺人」が
どうやったって思い浮かんでしまうが 
まあそれはしょうがない。
終盤も終盤になってバタバタといっきに事件が片付くのが
せわしないんだけれど、
ホームズがとっさにしかけるアクロバティックなフェイクが
おもしろかったりして 楽しく観られる。
あまり深刻になりすぎないところがいいような気がする。
あと、女優さんがすごくきれいだ。

ラスボーンのホームズはあまり知られてないようだけど
わたしは悪くないとおもっている。
(もっともわたしは やっぱりジェレミー・ブレット派なんだけど・・)
ルックスがかなりそれっぽくて わたしはなんの不満も感じない。
頭が良すぎてもはや変人という ホームズのキャラをあまり強調しすぎず
抑制ぎみに演じているところも
飽きずにみていられるという点ではいいようなかんじがする。
セリフがとにかくスラスラとよどみなくて 
自信たっぷりなキャラもよく出ており、安心できる。
ヴァイオリンはぜんぜん弾けてないが。

このシリーズのワトソンくんは とにかくヌケてて
ホームズの足をひっぱってばかりの
どうしようもないおじちゃん、というキャラだ。
人物像が原作とかけ離れているせいか、
(原作のワトソンくんは、ホームズが切れ者すぎるために目立たないけれど 
優秀な医師で、良識ある紳士でもあり、「ヌケてる」というかんじじゃない。)
批判が多い(というかほとんど評価に値しないくらいの扱い)らしいのだが
聞くところによれば、
ベイジル・ラスボーンは
ナイジェル・ブルースのワトソンくんの演技を
高く評価し、信頼していたそうだ。
ワトソンくんの人物像を、
みててイライラするようなヌケ作に設定しようと決めたのは、
プロセスはどうあれ、当然、演出側だ。
ナイジェル・ブルースは役者として それを実行しただけなのだから
まあすくなくともナイジェル・ブルースに落ち度はない。
じっさい 演技上の、役者としてのコンビという意味では、
ラスボーン版ホームズとブルーズ版ワトソンの息は
ぴったりだとおもう。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

きょう、テレビを観ていたら、
格闘家の魔裟斗が、猛毒を持つヘビと闘ってて、おもしろかった。
ヘビの眼がくりっとしていてかわいかった(^^)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

11月、
「野火」「レイテ戦記」などで有名な大岡昇平
「事件」の文庫版がでたようだ。
きょう、読売新聞の書評欄で見かけて おもわず二度見した。

www.tsogen.co.jp



「理由」(宮部みゆき)という小説があるが
(傑作だ。暮れに書棚を整理したとき まよわず手元にのこした。)
作者はぜったい意識してたと思う。「事件」。

渋い。なにせ古い。40年以上もまえの小説だ。
けれど タイムリーだ、とも。
ひっぱりだしてきた出版社が 何を考えたか知らないが、
わたしは「やるなあ!」って感じた。
「シンプルにおもえること、平凡に見えることほど 
その実情は複雑だったりするものだ。
でもそれは与えられる情報からはけっしてわからない、
疑問をもたないことには、そして的確な手法をもって
みずから探りに行かないことには。」
・・・って、言おうとしている小説だとおもうから。
そういう姿勢こそ いま われわれに足りてなくて、
しかもとても難しいことでもあるとおもうから。

ただ
これまでけっこう何回も文庫になったり
べつの社から出たりしてきたなか、
そのたびにすごく大幅に、書き直されてきたと聞いてる。

そのうちのどれが今回の文庫の底本になったのか 気になる。
やっぱ最終バージョンなのかな。
でもいつだってなんだって最後が一番とも限らないからなあ
わたし最終バージョン読んだことないとおもうな

もう持ってるけど 中身が気になるから また買おう・・・



波がある/徒歩励行/ダーウィン、池谷裕二、バチカン/The Grateful Dead

昨今 体調に波があり、
鋭意 必要な治療・療養にいそしんでいる。
自分で思っているよりもこたえているらしく
想像も及ばないようなところをふくめて
さまざまな影響がでている。
もうさすがに出尽くしたろ、もうないだろと思うのだが、
思い出したように まだこんなところにも!!みたいな。
驚きの侵食ぶりだ。
案外長引くのかもしれない。
とはいえ、
こうなった原因とおもわれるものからは
すでに距離をとっている。
下がるだけ下がるかもしれないにせよ
いずれにしてもあとは上がるだけ、のはずだ。

問題は自分でも自分の状態が いまもって
正確にわからないということだ。
正確にわからないし
どっちかというと
「言ってもまー だいじょぶでしょ」寄りに
理解してしまっている。
つまり
自分では 元気だとおもってる。
そこへきて びっくりするような不調にしばしばみまわれる。
まさかそんなことになるとは予想もしてなくて
元気なつもりでいろんなことをやっているから
そういうことが起こると 
やってきたことが頓挫するので困る。
実際にいくつか頓挫した(^^)
それに、まわりの人も驚かせてしまうし。

こういうこともありえる時期なんだと
頭では理解してるつもりだが
これといった対策は講じてない
わたしはわたしの置かれた状態を
完全にナメている と言ってさしつかえなかろう(^^)
おしりに火がつかないと(いや 火がついても)
なにもやらない、悪い性格傾向は
こういうとこにも しっかり出てる。
いけないことだ(←思ってない)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

病院で頭の検査をうけた。
頭に電極的なものをいっぱいつけられた。
そのとき頭皮に塗られた白いクリーム。
検査がおわったとき ふきとってもらったが
少しのこったみたいで
いま なんか かゆい。
あとで髪の毛をあらうときに ちゃんと落とさないとなあ・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

元気なときももちろんあって、
そういうときは問題なく元気だ。
3駅~4駅ぶんくらい(徒歩40~60分)であれば
歩くように努力している。
歩くのは気分がいい。
歩き用のルートとして 
いまのところ想定しているのは
最寄りF駅-H駅 4駅相当と
最寄りF駅-M駅 3駅相当、
さらにS駅-W駅 4駅相当だ。
電車をつかったとき、
いちばん駅と駅の間隔がひろくて時間も長く感じるのは
まんなかに挙げた 最寄りF駅-M駅 3駅相当だから
「最寄りF駅-M駅 3駅相当」が一番 長いルートだと
おもっていた。
でも、
調べてみたところ いちばん距離が長く時間もかかるのは
「最寄りF駅-H駅 4駅相当」だと
わかって 意外におもった。
正直そんなに遠くも長くも感じない。
地元で土地鑑がどこよりもあるので そう思うのかも。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本はいろいろ読んでる。
最近読んでおもしろかったのはこの3作。

チャールズ・ダーウィン著、ノラ・バーロウ編
ダーウィン自伝」
(筑摩叢書)

www.chikumashobo.co.jp


・・・偉大な人物のなしたことや それをなすにいたった考えの道すじ
みたいなことを知りたいとおもったとき 自伝は第一級の資料だと
いわれるが たしかにそのとおりだ。
書かれていることが客観的事実かどうか もそうなのかもしれないが、
客観的事実でなかった、わざとウソを言ったとしても
事実でないことをあえて言うことを選択したその点に
当人の思考を見ることができるとすれば・・・
といったふうに。
ああ それにしてもダーウィン 文章うまい。
訳がよいのだろうが、
読んでてしあわせだった。



池谷裕二
「単純な脳、複雑な『私』 
または、自分を使い回しながら進化した脳をめぐる4つの講義」
講談社ブルーバックス

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bluebacks.kodansha.co.jp


・・・心と脳は関係しているから 心のことを学ぶなら
脳科学、神経学についての本も読んだ方がよいと
助言してくれた友人がおり
この人の本をすすめてもらった。
人は、それを「やらない」ことを選択できる、という点に
おいてのみ自由である
という考えかたにかなり打たれた。
わたしでも 理解できないところはいっこもなかったくらい
ていねいで易しい解説、
しかも内容は深遠かつ 限りなく現行最新ときている。
これは読んだほうがいいよ!


あとは 再読だけど
ジャンルイージ・ヌッツィ
バチカン株式会社 金融市場を動かす神の汚れた手」
(柏書房)

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www.kashiwashobo.co.jp


・・・ローマ教皇庁のお金の管理運用を任されている特別機関が 
じつは何年にもわたり巨額のマネーロンダリングを行ってた。
司法当局も気づいてなかったわけじゃないんだけど
相手が相手だけに手をだしあぐねていたのだが
著者の証拠提出と本書による告発で決定的な裏付けを獲得、
ついに、資金洗浄されたとおもわれるお金(円で26億以上)の
押収に乗り出した。
著者がこのような本を書き上げることができた背景には
特別機関の悪さを長年にわたって目の当たりにしてきた
とある人物のひそかな訴えがあった・・・
タイトルがなんだか安っぽく、
とくにサブタイトルはいかにもださい。
キリスト教文化圏外の人間がちょちょっと15分くらいで考えて
とってつけたってかんじだ。
そのせいで
あんまりおもしろくなさそうな本っていう印象を受ける。
しかし中身は、欧州の報道人の本気が伝わる超一級の告発本。
わたしはお金のこと数字のことがさっぱりわからないたちで、
本書もかなり難解に感じはしたのだが、
それでも理解することをあきらめる気にはならない
筆力と密度。
まー人間なんてほんと 寄り集まると
考えること、モメる原因は みんな一緒だよ。
神さまがほんとにいるなら そんなわれわれ人間をお空から見て
いったいどう思っていることかね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最近聴いてる音楽。

www.youtube.com

The Grateful Dead(ザ・グレイトフル デッド)
「Wake of the Flood」(1973年)

・・・本国アメリカさんにおいては知らぬ者のない
伝説的ロックバンドだそうだ。
サイケデリックロック、で間違いはないはずだが
カントリー、フォークの雰囲気が確実にあり
でもアシッドロックのようでもあり
ホークウィンドみたいな・・・なんか
ああいう宇宙っぽい?かんじの音もきこえてくるし
しかしレゲエの香りもする!
どの曲もどのアルバムも全部ちがってて、
内容がとにかく多彩。
しかも流行っている音楽のうわべだけをちょろっとパクって
それらしく整えましたというような安いものではなく(そんな
ことができるだけでもある意味たいしたもんかもしれないけど。)、
どんなテイストも自分たちのものとして 
飲み込み、取り込み、自分の音楽にしてしまってる。
また、たとえばクラシックトランペットやっていた人がベースを担当してて
ふつうロックバンドのベースでこういう動きってあまりしないよねっていう
変わった演奏を聴かせてくれたり、
メンバーの入れ替わりがけっこうあったようなんだが
いつの時期も精鋭ぞろいのすばらしいグループだったみたいだ。
みんなハッパやってたけど(^^)
このアルバムは・・・ちょっとジャズっぽいかんじもあるな。
あと、女声コーラスやヴァイオリンも入って
清潔感あるサウンドになっているところも わたしはすきだ。
長年のファン(・・・グレイトフルデッドの熱狂的ファンは
「デッドヘッズ」と呼ばれるそうで、彼らはツアーをバンドと一緒に
めぐり、ボランティアで裏方・運営のお手伝いもしたりする
文字通りのおっかけだったそうだ。ちなみに、グレイトフルデッド
ファンサービスとしてもいろいろ先進的なことをやったグループで、
オーディエンスがライブの音声を録音することを許可していたし、
ツアーについてきてくれるファンのために
巨大な宿泊キャンプや食事、ヘルスケアサービスまで
提供したんだって。先進的っていうか、やらないよねそんなこと、
どこのバンドも(^^))には
「いまさらだなオイ!」って叱られそうだけど
ヒットだなこれは(^^) 
まちがいなく偉大な、本物の、ミュージシャンだ。
やっていることはあきらかに高度なのに主張が強すぎず
ゆったりとした雰囲気できもちがいい。
いつまで聴いていても飽きない。
たぶんこれからずっと、おばあちゃんになっても聴ける。

 

正義は本質的に無神経なものだ-保育園の子どもの声がうるさいという訴えが最高裁に棄却された件

朝日新聞デジタルの、この記事を読んだ。
以下、内容をそっくり引用した。
リンクが切れてしまうと読めなくなるので・・


www.asahi.com



園児が遊ぶ声「うるさい」 訴えた男性、敗訴確定
12/21(木) 18:03配信
「園庭で遊んでいる園児の声がうるさい」として、
神戸市の男性が近隣の保育園を相手取り、
慰謝料100万円と防音設備の設置を求めた訴訟の上告審で、
男性の敗訴が確定した。
最高裁第三小法廷(木内道祥裁判長)が19日付の決定で、
男性の上告を退けた。
一、二審判決によると、保育園(定員約120人)は2006年4月、
神戸市東灘区の住宅街に開園。
高さ約3メートルの防音壁が設けられたが、
約10メートル離れた場所で暮らす男性は
「園児の声や太鼓、スピーカーの音などの騒音で、
平穏な生活が送れなくなった」と提訴した。
今年2月の一審・神戸地裁判決は、園周辺の騒音を測定した結果、
園児が園庭で遊んでいる時間帯は国の環境基準を上回ったが、
昼間の平均では下回ったとして、
「耐えられる限度を超えた騒音とは認められない」と結論づけた。
7月の二審・大阪高裁判決は、園児が遊ぶ声は
「一般に不規則かつ大幅に変動し、衝撃性が高いうえに高音だが、
不愉快と感じる人もいれば、健全な発育を感じてほほえましいと
言う人もいる」と指摘。
公共性の高い施設の騒音は、反社会性が低いと判断し、
一審判決を支持した。
(岡本玄)


わたしはこういうのについても 
最近ほんとおもうんだけど、
っていうか 考えをこういうのにまで拡張して 
おもってることがあるんだけど、

感じかたと事情と背景は人それぞれであるので
訴える権利はだれにでもいつでもある。
上告がしりぞけられたけど、それでも今後も
訴える権利はだれにでもある。
困ってるなら困ってると、言っていい。
敗色が濃いから最初から断念する、というのも
もちろん本人の自由なのだが、
負けそうだろうが 感じが悪かろうがなんだろうが
訴えたいとおもうなら まったくかまわないはずだ。

「ノイズキャンセラ付きのヘッドホンでもしとけや」とか
「イヤなら引っ越せば」とか
「訴えるのはいいがそのまえに 自分でやれる努力を全部やったのか?」
的な言い草は、わたしに言わせれば、つめたい。
「やることは全部やったけどそれでもだめでした」と
まわりにいちいち言い訳して 認めてもらってからでないと 
訴えることもできない
なんてことは あるはずがない。
いかにも そんなかんじがしなくもないが・・・
本当は、まったくそんなことはない。

困っているときは ただ困ってる、と言っていい。
もちろんそういうのは訴えてみて初めて実感できることだから、
訴えてない立場では わからなくてあたりまえだが。

いや わたしがいいたいのはじつは そこじゃない
・・・前にも何度も似たようなこといってきたかなとおもうんだけど、
こういうとき、
「自分だって子どもだったときがあっただろ! 
さわいでも周りの大人は多めにみてくれたんじゃないのか。
だから大人になったら 子どもがさわいでも許してやれ」
と 言うのは簡単なのだ。
(そしてそれはほんとにもっともな言い分なのだ。)
でも、

この「自分だって子どもだったときがあっただろ!」・・・
は、
(殺人などの)重大事件の加害者が、
ちょっとでも擁護されたときにかならずといっていいほど 
どこかからきこえる
「自分の身内が殺されても同じことが言えるのか!」
と言う声と 質的におなじではないだろうか。

鬼の首でもとったかのような こういう声が
かならずどこかからでてくるんだが・・・。

言っとくけど、
その「声」は、どうかんがえても正しい。
何度もいうけど べつに わたしは 
その声の内容が、まちがってると言っているんじゃない。
言うな、と言いたいのでもない。

ただ、
正しいからこそ危険だし、
場合によっちゃ人を殺すこととおなじくらい、
こういう声は、暴力だ。
正しいからこそ、たちがわるい。ってことがあるんじゃないかね。
ひとりひとりの声は、たいしたおおきさじゃないかもしれない。
「正しいことを言ってやりこめた気持ちになってみたい」とかいう
その程度のきもちで 言ったことかもしれない。
でも、そうしたちょっとした声も、
集まって固まれば 弾丸にも刃にもなる。
それは問題の渦中にある人の心を・・・というか 
とても重要な足場というか・・・
立場を、激しく損なってしまうおそれがある。
生きていけなくなるくらいに。

立場を奪われるってのは人にとって
ものすごくつらいことだよね。

そういうことは、していいのかな?
悪いことをした人、その考えには逸脱があると認定された人は、
「ダメなやつ」だから、何をされてもしかたがないかい?

わたしはそれはちがうと考える。
たしかに、
敗訴がきまったこの人が訴えた、園児の声のうるささは、
客観的にはそこまでじゃないよ、と されたのだし、
たとえば殺人などの重大事件の加害者は、そりゃ、
殺人などの重大事件の加害者なのだ。

けれども、
その認定が、または、「重大事件の加害者である」という事実が、
彼らの立場を奪っていい理由になるかというと、
やっぱりならないかなとわたしはおもう。

たとえどんな間違ったことをしたのだとしても、
それだからその人をどんなふうにも傷つけていいんだ、
ということにはならないはずだ。

とくに、その人物と実際的にはなんの関係もない人たちが、
正しさをふりかざすことによって その人物の立場をおかすことは
許されないことではないかなとおもう。

今の世の中、
誰でも、なんでも、すぐに言うことができる。
正しいっぽいことを言って悦にいることも簡単だ。

それだからこそ、なにごとも、
ことはそう単純じゃない っておもってないと 
危ないんじゃないかな。
そんなかんじがしてしょうがないんだけど。

無神経な正しさは、暴力にひとしい。
否、
正しさとは、本質的に無神経なものなのだとおもう。


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※フリー素材サービス「足成」でもらってきた画像です。



朝早い/読書への衝動/ベートーヴェンとピーターソン/「BOX」

あしたも病院にいくのか・・・。
朝早いな。
寒いから起きるのがつらい。
もうすこし近いところの病院に通えないか相談してみよう。
なんだかんだで超いそがしい。
できればすべてのことを一刻も早く終わらせて、
とにかく明日のことを気にせず 1日でもいいから
眠りたい。
それさえかなうなら ほかには当面なにもいらない。

図書館に立ち寄ったとき、
持ち帰るあてもないのに何冊もてあたりしだい本をかりてしまい
両手で抱えて電車にのり家まで歩くはめになった。
とちゅうで これはむりだなあとおもい
100円均一ショップでショッピングバッグを買ったが(^^)
読みたければ いつでも買うなりかりるなり
とにかく今日じゃなくたって読めるはずなのに
なんだって いつもこうして 
衝動をおさえることができないのかと
われながらおもう。
本だけはどうしても しんぼうがきかない。

友人がベートーヴェンと オスカー・ピーターソン
ベストをかしてくれたので
ぜんぶMP3プレイヤーにいれて聴いている。
ミサ・ソレニムスとか 聴いていてきもちがいい。
でも 騎士バレエのための音楽は
なーんでベートーヴェンもこんな曲つくったかねと
恐れ多くもおもってしまうくらい
なんということのない曲だなと感じる(^^)
なんでもありがたがって聴くもんじゃない。
ベートーヴェンも人間だからね。

オスカー・ピーターソンのピアノは 明るくて軽いところ、
豪快なのにミスが少なくて安心して聴けるところが
いいところだなと感じる。

諸星大二郎の「BOX」の3巻を買ったので
今夜 読んでから横になろうとおもう。

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kc.kodansha.co.jp



この巻で完結するようだ。
いつもスッキリ短くて イイわ 諸星大二郎氏のマンガ。
でもこの先 あと何作読めるのかなあ。とか思ってしまう。