BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

ラフォルジュルネ2024-240504。

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今日は、日中はお洋服を買いに行ったり図書館に本を返しにいくついでに散歩をしたりしてのんびりすごした。

 

わたしはワイドシルエットのデニムが似合わないなーと、つねづね思っている。なんでなんだろう。ほんとにわからん。みんなに似合うのに。わたしがはくとなんか違う。だからいつも細身のストレートジーンズやスキニージーンズばかりはいている(こっちはちゃんとサマになる。)。ワイドシルエットのデニムが似合うようにするためにはどうすれば良いのだろう。あこがれて買うんだけどなんか似合わなくていつもあんまりはかずにタンスのこやしにしてしまう。

 

夜から有楽町にいきラフォルジュルネ2024のホールAの本日ラストの公演を聴いた。

ガーシュウィンの『ラプソディ・イン・ブルー』とラヴェルの『ボレロ』のジャズアレンジバージョン。

 

ガーシュウィンは、ピアノがなんだかうわすべりしてたというか、音の重量が足りなくて、最後までいまいちハマってこなかった感じがあった。運良くすごく良い席で聴けてたんだけど・・・ プレイヤーが悪いとかいうわけじゃない。なんか音響の関係かなーとおもう。なんかもうすこし硬質な、クリスタルみたいな星屑みたいな響きが聴きたかったのだが、そうじゃなかった。

 

ボレロは最初のほうはオリジナルのとおりの進行をしていって、途中からフルオーケストラ・ジャズアレンジにきりかわる、という構成。まあ蛇足といえば完全に蛇足な企画なのだが、こういうのやりたくなる気持ちはわかる気がしたし、形にしちゃうんだから、やっぱすごいよな、と思った。

ラヴェルの音って、潜在的ブルーノートになりたがってるような、わずかになんかそういう指向性、欲求?みたいなものをはらんでるんだよね。わかるよ。めっちゃわかる。

蛇足なんだけどすごく楽しかった。べつにこれを聴いてもラヴェルは怒ったりしないだろう、と思った笑 ラヴェルとは違うけど、すごくさわやかでキッパリとした清潔感のあるサウンドだったし、全然悪くなかったとおもう。

 

ミュージシャンはみんな一流だったしなー。

 

ソロをつないでいくところはただでさえスリリングだけど、普段ボレロなんて演奏しないであろうゲストのジャズメンたちが該当の楽器のソロをそれぞれ担当してたので、まことに失礼ながら、ミスらないかどうか、音とか外さないかどうか、とか無駄にハラハラしてしまい、ソリスト3人いたのでスリルも3倍増しの大サービス。もちろんミスなんてしてなかった。けどサックスの人はソロの基本的なリズムをさりげに間違えて暗譜してたな😆 とても有名な旋律だし、このたったひとつの主題をさまざまな楽器でかわるがわる演奏するのだから、何度も聴いているうちにみんな覚えちゃうので、間違えるとバレちゃうよねー笑

 

アンコールもたのしかったー。

 

今年のラフォルジュルネは女性の指揮者が活躍してる。みんなかっこいいし、素人がみても(いや、わたしは素人なのだろうか笑)その指揮によって何を伝えようとしているのか、意思がはっきりとわかる、わたしとしてはすごく好きなタイプの指揮。練習でガッチリ握るから、本番の指揮はちょいちょいと要所要所で棒をふりまわすだけです、みたいなスタイルの指揮者も世の中には全然いるとおもうのだが、それだと演奏者としては本番が死ぬほど怖いし、鑑賞者としてはみてて楽しくない笑 

本番も練習みたいにちゃんと振ってくんないと笑

ラフォルジュルネ2024-240503。

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今日と明日、ラフォルジュルネ2024の公演をそれぞれひとつずつ聴きに行く。ほんとは最終日5日も行きたかったけどべつの優先したい約束が入ったのでやめた。でも早く帰れればいけるかも。夜遅くまで開催されてるから。

 

今日はモーツァルトの『フィガロの結婚』序曲と ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。協奏曲のソリストはアブデル・ラーマン・エル=バシャ。わたしがすごく好きなピアニスト。毎年ラフォルジュルネに来てくれてて、うれしい。

 

演奏はすばらしかった。

あんまり胸に響いて、むやみやたらと涙が出た。
いろんなことが思い浮かんだり、思ったり、思い出したりして、もはや混乱したほどだった。


心が弱ってるなあ。

 

どうしてあんなにみずみずしくて可憐な音色がだせるんだろう。

 

 

240503-ごはん。

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午前から昼過ぎにかけてコンサートを聴きに行ってて、お昼ごはんは帰宅して15時ごろ。

たまごやき用の四角いフライパンにピザ用チーズをしきつめたうえにハムと溶きたまごとパンをオンしてパッタンしたトースト

チーズはめちゃめちゃいっぱいいれてしかもしっかり焦がすのが好き。

うまい☺️
それにささっとできた☺️

そういえば目玉焼きをちゃんと作ったことがないな。

あした目玉焼きつくろう。

納豆チャーハンもつくりたい。

 

 

晩ごはん

豚ひき肉をお団子にしたやつとキャベツとえのきのフライパン蒸し

厚揚げとたまねぎのお味噌汁(きのうの残り)

豚ひき肉のお団子が、うまく手でぎゅっとできなくて、崩れたものもあれば、固くぎゅっとしすぎて火が通りにくくて何度か加熱を要したものもあるが 

おおむね成功!

素朴な味でめっちゃおいしい。お醤油やブラックペッパーをかけても良い。
なにせお野菜がどっさり食べられて、かなり糖質オフだから、こんなにおいしいものをおなかいっぱい食べても、太る心配がない、ってのがすばらしいよね。

にんじんをピーラーで削ったのを入れても良かったかもな。

まんぞく。

240501-ごはん。

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きょうは連休中日のテレワーク

 

お昼ごはんは キッシュみたいなたまごやきと バタートースト(と お豆腐とわかめのお味噌汁)
厚切りのベーコンを使い切りたかったので、せいぜい1枚半のところを3枚投下してしまい、かさが増しすぎて、たまごやきはちょっと失敗した。

けど おいしい。

そろそろ計量器を買わないとな・・・

 

 

晩ごはんは

豚バラ+いろいろ野菜のフライパン蒸し
厚揚げとたまねぎのお味噌汁 こねぎ乗せ

今日はテレワークだったし一日じゅうひどい雨でランニングも見送ったので 炭水化物オフ、お肉&お野菜&植物性たんぱく質メニュー。

まえにも作ったフライパン蒸し。
超かんたんでおいしいうえに 包丁とか使わないので洗い物がすくなくてすむのが良いところだなー

まあキャベツはもうすこしいっぱいいれても良かった。

お味噌汁に小ネギをちらそうと、あとで思いついて、冷凍のこねぎを解凍しないでそのままパラパラっとやったら、お味噌汁の表面に一瞬、ぱりぱりと、氷が張ったようになったのがおもしろかった笑 一瞬だけど。

 

 

 

『こんにちは、賢治さん』-240429。

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宮澤賢治の『セロ弾きのゴーシュ』のアニメ映画と、オリジナルの演劇・朗読をとおして、賢治の目指したかったものを探る、というのを観てきた。

 

セロ弾きのゴーシュ』のアニメ映画、昔、観たことがあった。なつかしかったし、こんなシーンあったっけか、と、記憶から抜け落ちてたところもいっぱいあり、もはや新鮮だった。

 

ゴーシュのキャラクターは賢治の願いの投影、という解釈は、おもしろいなとおもった。

わたしは宮澤賢治の文学の研究にはうといので、そっち方面はよくわからないのだが、言われてみれば、たしかにそうなのかなという気もした。

 


演劇は、現代が舞台で、天国の賢治が『セロ弾きのゴーシュ』の映画を観るためにこの世におりてきた、ということになっていた。賢治は、亡くなったときよりも天国で歳をとって、おじいちゃんの姿になっているという設定であり、賢治おじいちゃんを演じた役者さんがすばらしかった。彼が朗読する『注文の多い料理店』の有名な序文は、とても心がこもって、美しかった。なんか、涙出そうになった。

わたしは、活字であの序文を読んだことがあっても、あれがなにを意味してたかなんてちっともわかってなかったんだなと、今にしておもう。

 

 

ゴーシュが、賢治の願望の投影としてのキャラクターだったかどうか、は置いといて、単純に『セロ弾きのゴーシュ』の物語をみたとき、
いま考えると、ゴーシュが動物たちとの夜ごとのセッションをつうじて、あのように音楽的、人間的に飛躍的成長をとげるのは、「ひとりぼっちのつもりだったけど本当は多くの人に愛されていた、誰の役にも立てていないと思ってたけど、知らないうちに誰かの役に立っていた」ということを悟ったからだとおもう。それを描こうとした物語だったんだろうなと、おもう。
それはおもに、最後の晩にやってくる、ねずみの母子とのやりとりのなかで描かれることなのだが・・・。ゴーシュはとても大切なことに気づいたのだとおもう。自分は独りじゃない、今のままでも人の役に立ってるんだ、という事実を知る、それはつまり、他者との関係のなかに自分があるということを知る、社会のなかの自分という視点を持つ、ということだ。

 

 

あのラストの、もう会えないであろうカッコウへのセリフ「俺は怒ったんじゃなかったんだ」は、
わたしはずっと、カッコウにつらく当たって怖がらせてしまったことを悔いるセリフだとおもっていたが、今は、そうじゃないのかもしれないとおもう。

 

カッコウとのセッションのときはまだ、ゴーシュは人としての成長の途上にあった。人の輪のなかの自分、社会のなかの自分、ということを少しもわかっていないから、このときのゴーシュの感情の感じかた、表現のしかたはすごくザツだ。喜怒哀楽の4種類の色分けしかない。自分で自分の気持ちを理解できていなかったんだとおもう。人の感情の複雑な濃淡なりグラデーションは、他者としっかり関わって、幸せや哀しみやいろんなことを感じるなかではじめて自覚されるものであり、ひとりぼっちだと思って心をうまく解放できないでいるときには、感情は、十分にはうまれてこない。ひとりぼっちだと思っている時には、ひとりなので、哀しいことや傷つくことはすくないかもしれない。でもそのかわり、喜びや幸せもまた、ないのだ。

 

怒ったような態度でカッコウに接した結果、ゴーシュとカッコウの別れは気まずいものになってしまった。けれども成長した今、ゴーシュはわかったのだとおもう。あのとき、自分は「怒った」んじゃなかった、カッコウに音楽にたいする怠慢な姿勢を戒められて、それが図星だったから、恥ずかしかったんだと。なのにあんなふうにひどいこと言わなきゃよかった、カッコウのいうことに素直に耳をかたむけるべきだった、そうしたらカッコウともこれからも仲良くできたのに(実際、カッコウの次の晩にやってくるタヌキには、第2弦の動きの遅れを指摘されるが、すなおに聞き入れる。まあ、楽器が悪いんだとかちょっといいわけするんだけど)。・・・そんな、「他者とのやりとりのなかで、自分の至らなさゆえに時としてやらかしてしまう失敗への、苦い後悔」を、ゴーシュがはじめて体験した、あれはそういうラストだったんだとおもう。ゴーシュなりに他者と一生懸命にまじわったからこそ感じることができた心の体験なのであり、それは、ほんとうはすごくぜいたくなことなのだ。

若き演奏家の、人として、音楽家としての目覚めのときをみられる、成長の物語。

240428-晩ごはん。

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ケチャップと焼肉のたれのポークチャップ

わかめとお豆腐のお味噌汁

ランニングの疲れをいやし筋肉の回復をうながすには なんせお肉がいちばん
てことで お腹ぺこぺこで へとへとだけど 頑張って台所に立ったよ。

 

おいしい!

 

2人分を完食!

東日本国際親善マラソン10キロ-240428。

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東日本国際親善マラソン10キロ 制限時間内に完走☺️

 

スマートフォンのアプリで計測を始めるのが遅れたので アプリでは10キロになってないけど。10キロちゃんと走ったことと、制限時間内にゴールしたことは、掲示板の計測速報で確認したから大丈夫。

 

ちょっと歩いてしまったんだけど、全体的にはけっこううまく走れたのではないかとおもう。集中できた時間が長かったし、給水もぜんぶちゃんとできた。なんにも考えられず、ただ足を動かすだけ、というのではなく、最初から最後まで、局面に合わせて自分なりに少しは考えて、それを実行できたレースだった。

 

 

ずっとわたしとだいたい同じペースで走っている人がまわりに何人かいて、そのなかにまじって走っていた感じだった。

でも、3キロ地点あたりで給水のお水をやや急いで飲んだのがいけなかったのか、なんだかお腹が痛くなってきて、5キロあたりでちょっと歩いてしまった。当然、集団に遅れをとり、さらに、うしろの20人か30人くらいに抜かれた。あの集団にまた追いつきたいなー、でも、追いつこうとして変に飛ばすと、バテて、あとが続かないからなー、とか思いながら、ギリギリなんとかこのくらいならあとでバテることもないはず、という範囲でほんのすこしペースアップを意識して一生懸命走ったら、抜かれた30人ばかりをまた追い越して、さっきまで一緒だった集団の最後尾にとりつくことができた。あのときはうれしかった。

ただ、あの集団は、ペースはわたしと同じでも、わたしよりずっと経験豊富だったようで、ラスト1キロで明らかにスパートをかける人が何人もいた。

だから、最後まであのなかにまじって走れたわけではなく、最後にめっちゃ置いていかれた笑 わたしはとてもあんなふうに飛ばす余力はなくて、あの集団よりも30秒くらい遅れてゴールすることとなった。

 

 

7キロあたりからはやっぱり俄然、股関節、大腿部、ヒザまわりが痛くなってきて、こうなると、メンタルや呼吸には何も問題がなくても、走りにがんばりがきかなくなり、ペースを上げるとか、前の人を追い越すとか、走る場所をちょっと変えるとか、やりたくてもいっさいできなくなり、痛いよーと心でしくしく泣きながら、とにかくあと100メートル走ろう、あのポールのとこまでは何がなんでも止まらないで走ろう、みたいなかんじで、短くこまかく心の中で目標をたててクリアして、それを積み上げて、どうにかこうにか。

 

でも、結果的にちゃんとゴールできた。

すごくうれしかった☺️

 

翌日に残るような疲れ方もしなかった。ケガもなく、お腹はちょっと痛くなったけど、すぐに治ったし、元気に自分の足で家に帰ってくることができた。天の神さま仏さま、ありがとうございます🥲

 

友だちとそのお嬢ちゃんが応援にきてくれてうれしかった☺️

 

楽しい一日を過ごすことができて、久しぶりに幸せを感じられた。