BRILLIANT CORNERS-2

観た映画・読んだ本など関心ごとへの感想メインの、なんということのなさすぎる身辺雑記帳です。 少しずつ、いろいろ更新してまいります。 お気が向いたらお読みいただければさいわいです(^O^) ブログのタイトルは、セロニアス・モンクのアルバムから。「すみずみまで光り輝く」というような意味だそうで、なんとなくいいなとおもうもんで。

アルスラーン戦記8巻~ラジェンドラ礼賛

あんまり考えないようにしてはいるが、
つくづく 疲れた(^^)
みんなやっていることだから、
みんなおなじ条件だから、
・・・そりゃいわれなくてもわかってる。
けど、そういうのをいくら わかったところで、
自分が疲れているという事実が 消えるわけじゃない(^^)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コミカライズ版「アルスラーン戦記」の
8巻がでているのを書店でみたので
購入して読んでみた。
マンガを買うことじたい すごく久しぶりだ。

f:id:york8188:20171208002142j:plain

 

kc.kodansha.co.jp




パルス王国の王子である アルスラーンとその側近たちが
隣国シンドゥラにとびこんでいく
シンドゥラ遠征編がまもなく完結するところ。

シンドゥラという外国とのかかわりによって
パルスの、アルスラーンのかかえる問題や葛藤が
浮き彫りにされていくのが
この遠征編のおもしろいところだ。
すなわち
アルスラーンラジェンドラ王子、
アルスラーンとガーデーヴィ王子、
アルスラーンジャスワント
バフマンとマヘーンドラ、
ダリューンとマヘーンドラ、
ダリューンジャスワントなどなどの
対比構造。

マンガならではの描きかたで
ものすごくよく表現されていた。

神前決闘もみごとに描かれていた。
アルスラーンダリューンを案じるあまり 取り乱し
彼にもしものことがあったら・・・、と 
ラジェンドラ王子にすごむシーンは
迫力にみちてよかった。

わたしはアルスラーン戦記の登場人物のなかでも
シンドゥラ国の王子・ラジェンドラがけっこうすきだ。
コミカライズ版は
あのいいキャラがすごくよく出ていて
いつも感心させられる。

ルックスも 人間性がにじみ出ていていい。
原作小説で、活字だけで読んでいたときは、
ラジェンドラのルックスは 俳優のデイヴ・パテルのイメージでいた。
シンドゥラ国のモデルがあきらかにインドなので、
インドの男性=わたしのなかではデイヴ・パテルであるから
デイヴ・パテル的なイメージを自然につくりあげていたとおもわれる。
でも コミカライズ版のラジェンドラ王子を初めて見たとき、
「あ、こういうかんじ?」と一瞬だけ 意外に思ったものの
すんなり「イヤ でもこれもいい!」と受容できた。
がっしりとして動物的で、良くも悪くもとにかくしぶとそうな体格。
あけっぴろげで悪びれず、健康的にずるがしこい。
表情も言うこともくるくる変わって、でもいつもなんだか楽しそう。

それに、ラジェンドラ王子は仕事もけっこうできる。
アルスラーン(と彼の側近)の能力が並外れているから、
かすんで見えてしまうのだが
アルスラーンたちがいない世界観で、
シンドゥラ国が主役の物語だったなら、
名君・・・というか愛すべき 国民的ヒーローとして
描かれるはずの男だ。
小説のテイストはどう考えても
「スペクタクルロマン」とかカッコイイ系じゃなく
「抱腹絶倒の冒険活劇!」になるだろうが。

彼は8巻でシンドゥラ国の新国王になった。
ラジェンドラ
次期国王の座をめぐって 兄であるガーデーヴィ王子との
決戦にのぞむわけなのだが劣勢においこまれる。
強気で自信家のラジェンドラ
ついつい(来る予定のない)援軍が来てくれればいいのになあ・・・
と考えてしまう。
そこではっと我にかえり
「援軍なんかあてにして おれも焼きがまわったもんだ」と
自嘲する場面は悪くなかった。
彼がこのようにひとりごちるとき、部下たちが誰も
彼の内心の思いにきづいておらず、
ラジェンドラも「おい!なんとかしてくれよ!」などと
部下に甘えないところがよかった。
ラジェンドラ個人の戦闘能力、軍の最高司令官としての手腕が
どの程度なのかは はっきりわからない。けど、
すくなくとも彼は 決してことを人任せにしない。
物見役が重大な報告をしてくれば、
一国の王子であるにもかかわらず
自力で高い物見やぐらをよじ登り、その目で状況を確認する。
いくさに臨む部下たちを鼓舞するために投げかける
「奴隷の子でも王になれるということを見せてやる」
というセリフも、
彼がリーダーとしてかなり優秀であることを示しているとわたしは思う。
「俺がおまえたちに見せてやる」なのだ。
「おまえたちが、奴隷の子である俺を王にしてみせろ」ではない。
彼は自分が何もしなくてもまわりがやってくれるなんて
思っていない。
自分の下にはたくさん人がつきしたがっていても 
自分と同じ高さのところには 誰もいないということを、
王たる者は独りなのだということを、
理解している。
そしてそうしたことを受け止める胆力を備えてもいる。

ガーデーヴィには、それがない。

父王に ガーデーヴィ王子の処遇について遺言され、
ほんとなら 殺してしまいたいところなのだが 
ほかならぬ父の頼みなので強く言えない、という表情も、
かわいらしくてよかった。

ラジェンドラには
これからも思う存分いいたいことを言い 
やりたいことをやって あばれてほしい。
彼があばれてこそ パルスの対外政策のストーリーが盛り上がる。

試練はそれを乗り越えられる者にしか訪れないといわれるが/Fix You

このように なにかというといろいろ 
うまくいかなくなったり、
次から次へと 問題にぶちあたるのは、
そうしてそいつと対峙したすえ
例外なく
肉体が疲弊しゴッソリ削られてしまうのは、

自分が進もうとしている道に、
またはこの歩みそのものに、
またはこのわたしという存在そのものに、
なにか重大な
誤謬があるから 
そのことの、罰なのだろうか。

そんな よしないことを考えてしまうほど、激動の日々。

くるしい。

しかしまあそんなこといっててもしかたない
というか
人さまには関係のないこと。
そんなこともあったわな。と
笑い話にできるときが いつかきたならば、 
そのときに、話すとしよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先々週くらいに、心がほとほと まいった際、
聴いた歌。


www.youtube.com


ColdPlay
「Fix You」(2005年発表)

イヤー 
これ。
ほかならぬわたしだけへの、
わたしのために書かれた、
贈りものかと思ったくらい。
※世界じゅうのファンがそう思ったにきまってるわ(^^)!!


すてきな歌だ。
しょせんわたしの貧弱な語彙力だが
さいしょのとこだけ
歌詞を日本語訳してみる。

When you try your best but you don't succeed
When you get what you want but not what you need
When you feel so tired but you can't sleep
Stuck in reverse
When the tears come streaming down your face
When you lose something you can't replace
When you love someone but it goes to waste
Could it be worse?
Lights will guide you home
And ignite your bones
And I will try to fix you

努力してもままならない
欲しいものはなんだって手に入っても
いちばんかんじんなものに限ってえられない
疲れすぎて眠れない・・・
そんなときは
がんじがらめ 身動きがとれないと感じる
頬を 涙がとめどなくつたうとき
たいせつなものを失ったとき
愛しても報われない・・・
そんなときは
人生のどん底にいるかのようだろう
けれども救いはきっと見いだせる
それを見失いさえしなければ また歩き出せる
家路を照らしだす灯りのように
きみを支え、癒してあげるから


こんなかんじだろうか。
わたし自身がこう理解したいという願望が
多分にこもっているんだけれども。

When you get what you want but not what you need
欲しいものはなんだって手に入っても
いちばんかんじんなものに限ってえられない

この部分 とくに深い。


コールドプレイは まえからすきだ。
でも、
これまでまともに 歌詞を理解しようとしたことはなかった。
洋楽は、
意味があんまりわからない外国語だからこそいい
(BGMとして、聴き流せる)
という面があって、
コールドプレイもそう。 
耳ざわりのよさが、すきなだけ。
MP3プレイヤーに何曲かだけ入れて、
いつも適当にかけているんだけど、
先々週の ほとほと疲れはてた ある夜、
この歌のタイトルが「Fix You」だということに
ふと 思いが至った。
Fixは第一義に「修復する」だから
「あなたを修復する」が直訳だが、
すると これ どういう歌なんだろう?と
よくある恋の歌とかじゃなさそうだ・・・と。
そこで初めて、歌詞を理解するよう努めつつ
まじめに聴いてみた。

夜も更けた帰りの電車のなか、
人びとがみてるまえで
ちょっと泣いてしまった。
よほどわたしも まいっていたんだろう。

でもこの「Fix You」との出会い。
一過性のことでなく、
自分にとって 今後もずっと、
大切な歌になるだろう。
すごく なぐさめられたし、
泣いたからか、心がすっきり洗い流される感覚があった。

コールドプレイ やるなあ(^^)

この曲が収録されているというアルバム
X&Y」のジャケット、独特。
モチーフは ・・軍事暗号かなにかかな?

f:id:york8188:20171203004905j:plain





























吉田兼好→古文は現代語訳で→おもいで→ボコられる自尊心→逃避

きょうはかなり寒かったです。
職場でついに一日中 上着を脱ぐことができませんでした。

自分のいる部屋は 比較的広く
窓から出入り口に一直線に風が
ふきぬけるかんじの間取りになっています
夏は風通しがよくて
たいへんけっこうなんですが
冬場は底冷えがします。
吉田兼好徒然草で 
家のつくりようは夏をむねとすべし、
冬はいかようにも住まう。
(家は夏の暑さ対策こそを大前提として作れ、
冬なんかはどうやったって暮らせる)
といっていて、 
まあそれはたしかにそうなんですけど。

徒然草でおもいだしたのですが
いぜん 自分の知っている人が
徒然草ってすごく変な作品だ、いったいなんであんな
おもしろくもなんともないものを 書こうとおもったもんか、
また、残そうとおもったもんか」と
あらたまって スゴイことを言っていました。
徒然草の存在意義とか 
つまるだのつまらないだのについて
考えたことなんて 自分はそれまで一瞬もなかったものですから
返答に窮しました。
たしかに なんでといわれると・・・・(^^)

そんな 古典文学のことでおもいだしたのですが
つくづく考えるんですけど
古典って
むりして原文で読まなくていいんじゃないですか。
現代語訳でばんばん読んだ方がいいですよね
意味がわかるだけおもしろいですから。

シェイクスピアとかチェーホフもそうだとおもいますよ
わからないところや読んでいると眠くなってくるところを
全部読まなくては・・・と むりに時間をかけなくてもいいのです。
もとが演劇なんですから。
照明器具やマイクや舞台装置がいまのようにちゃんとしていなかったせいで
表現しきれなかった部分を
観客席のうしろのほうにまで聴こえるように
すべてセリフで説明しようとしたから
(また、衣装替えなどの舞台裏の作業の時間をかせぐために)
あのように もってまわった長ったらしいセリフなどが
つらつらと続く、そういう側面があるのではありませんか。
わからないところ、読んでてあきるところは 
研究者でもないなら
とばして読んでいいのです。
まずWikiで調べながらでもなんでもいいですから
雰囲気を感じ、流れをつかみ、とりあえず読むと。
研究者だってさいしょはそうしたのではないですか。
そうでなくちゃおもしろさだってわかるわけがなかったはずです
つまんないとおもったら、べつにそれでいいし(^^)

希望者は、それから原文、それから細部へと踏み込めばいいのです。

でも原文で読んでもぜんぜんおもしろいと感じないけど、わたし(^^)
だって時代と、言葉がもう、昔すぎますので。
読みはしますし、理解もしますけど、
文章がうまいとかどうとか以前の問題で 
その意味でまったく楽しむことができないし。
ただ小さい子のかわいらしい様子を描くシーンなんかでは
筆が走ってるな というか、
ウキウキしてるな、作者が、
くらいのことは わかりますが・・
源氏物語の話ですが。
(若紫、夕霧、雲居雁、冷泉帝はほんとうにかわいいです。)
それ以上のことは 正直いってよくわかりませんよ。
外国語みたいなものですよ。
母語じゃありません。
母語じゃない言葉は、どんなに深くしっかり身につけたつもりでも
母語とおなじように 微妙なニュアンスまで感じ取れるようには
ならないとわたしはおもいます。
しらんけど(^^)

あと、確実にいえるのは、
国語の教科書にのっている源氏なんて
なにがおもしろいんですか あんなもの(^^)
そりゃみんな古文 苦手って言うわ。
どうだっていいのではないですか(^^)、品詞分解なんか。
(品詞分解まるでできません、わたし。)
もっと先のもっとおもしろいところを
娯楽として読んだほうがいいですよ。
現代語訳いっぱいでてますから。
なんでもいいんですよ。
谷崎潤一郎円地文子のはとくにおもしろく感じます。
登場人物たちが 勝手に動き出す感じがするところが
いいとおもいます、生き生きとして。
それでも54帖もあるし
昔のもので、冗長に感じることは否定できませんから
あまりずっと読んでいるとしんどくなりますが。

まず 文学のおもしろさにふれることからだということ。
おもしろさに分け入る術をしることからだということ。
その術とは必ずしも 文法を学ぶことではない可能性があること。
そういうこと わかってる先生がいたんです
高校3年生のときの現代文の先生。
あの人の授業はおもしろかった。
本人が、文学を愛していることがとてもよくわかる教えかただった
のではないかと。
定期試験の問題は、創意工夫と 今おもえば
生徒の潜在的知力や 自力で考える力への刺激にみちていて
好きな人にとっちゃ とてもわくわくするものでした。
点数よりもどんなふうに考えたのかを見ようとしてくれる試験でした。

安部公房のデンドロカカリヤとか
シュタイナーとか読ませてくれる先生なんて
あまりいないのではありませんか。
シュタイナー(^^)!! 
どこからもってきた!!
文学っていうの あれ!
あの先生よかったな。
おもいでぶかいのは 学年末試験のとき、
問題にとりくむ1時間があまりにもたのしくて
あっというまだったので
前の席の ぜんぜんそれまで接点がなかった
すごくおとなしい系の同級生の男の子と
おもわず「おもしろかったよねこれ!!!」って
目で会話をしたことが 心に残っています。
回答用紙をうしろから前に回収していくときに
目が合ってね。 その子の色白のお顔が紅潮して
瞳がきらきらしていたのをよくおぼえています。
わたし、その子とほとんど 話したことはなかったんだけど、
その子の文系科目の成績がたいへんに優秀だということは知ってました。
それで内心 いつも競うきもちでいたんですよね
自分も比較的 文系科目はすきだったものですから。
なんかわかりあった瞬間でしたねあれ。
よかったなあの問題。
またあの先生の授業 きいてみたい。
そもそも あのころ先生はおいくつで、
いま、おいくつなのか。
現役でいらっしゃるのだろうか。


平家物語吾妻鏡も教科書のはぜんぜんおもしろくない、
那須与一おもしろくない(^^)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

きょうも職場で自尊心をボコボコにされてきました。
まいりましたね。
あまり考えたくはないけれど
パワーハラスメントの範疇とみていいだろうとおもいます。
バカだとおもわれているんだなとおもいながら働くのは
しんどいものです、
むくわれないんだなという思いがつのるから。
自分で自分をバカだとおもうことは いいのですが
他人にいわれると、なにを!! 
というきもちになるのは
おかしなものですね。
そんなにバカだとかいうんなら 
全部自分でやってくださいよーとか
ちょっとおもってしまうんですけれど(^^)
まあ相手には相手の考えがあるのでしょう。
とっくに 理解することを放棄してしまったからなあ・・
でも心はいたく傷つきます。当然のことです。
人の立場を 自覚的に奪うなんて最悪ですよ。
辞めて ほかの職場にいこうかな(^^) 
なんてね。

でも自分にとって 世界は仕事だけではない、
というのが
救いですね。
わたしは、
家に帰ることができれば、仕事じゃない時間をもつことができれば
の話ですが、
仕事とぜんぜん関係のない勉強に打ち込むことによって 
まったくべつの世界にいける本を読むことによって、
その日のしんどい気持ちを かなり忘れるか小さくすることができます。
勉強とは逃避のためにするものではないかもしれません。
でも逃避のためにやっちゃいけないという法律もありませんし、
たのしいからいいか。というきもちです。
あしたになったらまた きつい現実と立ち向かわなくちゃ
いけないわけですが・・。

さてどうなることか。
あしたの心配はまああしたに任せるとしましょうかねー。

オリヴァー・サックス「道程 On the Move」/ヨハネ8:3

仕事が進まず、たまる一方で 
しんどいです。
これほどまでに 進まないと感じて、
気が重くなる仕事はひさしぶりです。
こまったもんだ まったく。
自分としても 肉体的疲労がいちじるしいことも 
仕事が停滞してしまってることの原因なのかもしれない 
とはおもいます。
しかしですね! 
どう休めっていうんですかこれで(^^)!
みんな会社にとまりこんで連日徹夜してるよ(^^)!

休んでいる場合じゃないことは ほんとに毎日感じているんですが
きょうは日曜日というのもあり もう 休んじゃいました。
というか家にいて、家で仕事してました。
仕事のことがねー 
心配で 頭からはなれません。

ただですね!!
哀しいかな、
わたしはねー この仕事を愛しているんです!!!
仕事への愛を人質にとられちゃってませんか、
わたしってやつはバカだから!!

なんだかなあああーーー!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本は毎日ちゃんと読んでます。
いつどうやって読んでんだ、
そんなことしてるから仕事が遅れるんだ
いろいろ言われそうですが
読む時間はつくるのです
それには命をちょっとだけね、けずるのですよ(^^)
つまり睡眠時間をちょっとアレするのです。
あとは電車にのっている時間にね。
好きなことをするのにまとまった時間をとろうとすると
失敗しますね。
まとまった時間、なんてものが作れるとおもったら大間違いです。
そんなものは作れません。
すきまを つかうのです。
わたしはそれを理解し実践するのにずいぶん時間がかかりました。

意地でも最低5冊、最低1200ページくらいは
読むことにしてて、また、読めているとおもいます。
しらんけど(^^)

なかんずく
神経科医のオリヴァー・サックス氏の自伝
「道程」がすばらしかった。


f:id:york8188:20171119220021j:plain



www.hayakawa-online.co.jp



レナードの朝」っていう映画、あります
ロバート・デ・ニーロロビン・ウィリアムズのやつ。


f:id:york8188:20171119222611j:plain

 

movie.walkerplus.com


サックス氏はレナードの朝の原作となった本を書いた人です。

www.hayakawa-online.co.jp


わたし 映画観たことありますしだいすきですけど
その時点でわたしは一作も氏の本を読んでませんでした。

氏は2年前になくなりました。
新聞で訃報をみましたけど、
その時点でわたしは一作も氏の本を読んでませんでした。

「道程」を読み、
「いままでこの人の本を読んだことがなかったとか
わたしはいったいどういう神経をしてんだ!!バカか!!」
という わりと週に何回かくるあのろくでもないショックの
特大版を体験しました。

自由で闊達な感性
その正直さと臆病さ
心のやわらかさ
病み傷ついても走り続けた強さが
あまりにもいとおしく、また、うつくしいとおもいました。
とってもじゃないけど理解できない、
ってところも多々あったけど。
自分が力をつけていくことによって、
これからわかるようになっていく
・・・だろう、と 自分に期待します。

本書の、本筋とはややズレているのかなとおもいますが、
ふたつ、とりわけ心をうたれた部分がありました。
もう図書館に返してしまったので、引用は正確ではありませんが・・

ひとつは、
サックス氏が、老境にあった友人に、
「人びとに、自分のことをどのように記憶していてほしい?」
と尋ねたときのエピソードです。
その友人は、在野の人ながらきわめて多才で、たしか生物学方面の
研究、著述、教育、さらに実業家、法律家、政治家などなどとして
精力的に働いた人でした。
じつは本人は教育者の道にしぼって活動したかったみたいなんですけれど、
晩年はそれができなかったようです。
教師としてだけ活動したくても いろんな業界から引く手あまたなもので、
むずかしかったんですね。
※読んだかんじ、幅広い分野にずばぬけた才能を発揮した彼だけど
そのなかで教育者としての側面はあまり高く評価されてなかったような・・・
そんなニュアンスもあったかな。
(でも本人は やりたかったんですな。)
晩年の彼はサックス氏に「みんなにどのように自分のことを
覚えていてほしいとおもうか」と聞かれて、
「教師として。」
と答えたそうです。
うめくように、じゃなかったか とわたしは想像します。

自分がどういうふうに人におもわれて死んでいきたいかを
思うことは わたしは たまにあります。でも、
どういうふうに人におもわれて死んでいきたい?と
人に尋ねたことはこれまでなかったし、
尋ねようという発想が、そもそもなかったことを
ここで告白します。
人にそう聞かないのは、もしかして、
「どう記憶されたいか」について
じつは自分自身がまだちゃんと考えていないから じゃないかと
おもわされました。

また、結びの、謝辞の一節にも考えさせられました。

「人生で出会ってきた愛する人びとすべてについて、本書において
語ることができなかったのは残念だ。でも、自分が彼らのことを
忘れたわけではけっしてない。たとえ本書のなかに名前がでてこなくても、
自分があなたのことを心から愛していて、忘れないということを、
信じてほしい。」

さきにのべたように 引用は正確ではないですが、
主旨と、「信じてほしい。」は間違いなく正確です。
「信じてほしい」。
言葉のチョイスのおさなさ、シンプルさがいいですね。
原語がなんだかわからないけど。

本書をあらわしたころはサックス氏も
病気が重くなっていて、
死期について考えていたろうとおもいます。
人は死んだあとのことは自分ではどうにもできないわけなんですけれど、
「(いなくなっても)自分はこうおもっていたということを信じて。」
「(いなくなっても)けっして変わらないから、そう信じて。」と
彫り込むように刻み付けるようにこうして書き残そうとした
その せつなる思いが胸にせまりました。
人の心は変わりやすく 命は有限、しかし循環するということを
よくよく思い知って生きた人だということが 
わたしにもわかるから、
その人がこのように書いたということが 
いとおしく感じられましたね。

彼の、一般向けの
いわゆるメディカルエッセイ的なもので
日本語訳があるものは
この1か月くらいで どれもがっつり読みました。
とってもおもしろいので
氏の著書はどれもつよくおすすめします。

まー あれですよ、
大丈夫です。

わたしと会ったことがあり すこしでもわたしのことを知る人なら、
わたしがいかに 「理系っぽいこと」全般に弱いかをごぞんじのはずです。
「脳神経科」「医学」
このふたつのワードがわたしの口からでた時点で
「おまえ頭大丈夫か! 熱はかってみろ!!」レベルですよね。
そのわたしが読んだんです 全著作を最後まで。
そしておもしろいと言ってる。
だから だいじょうぶ。
みなさんはぜったいに読めるし、
わたしよりももっとふかく理解できておもしろがれるはず(^^)


「音楽嗜好症」には ひじょうな共感をよせつつ読みました。
どーでもいいけど表紙のデザインがかっこいい(^^) 
こういうのだいすきです。
図書館でかりて読んだあと 自分で新品を購入もしました。
氏の著書の文庫版は どれもハヤカワノンフィクションで
音楽嗜好症とおなじデザイナーさんが手がけたのであろう
表紙デザインのものがほかにもあります。
カッコイイです。
どーでもいいっていったけど やっぱりどーでもよくはないですね。
ルックスがかっこいいことはだいじです(^^)

f:id:york8188:20171119220310j:plain



www.hayakawa-online.co.jp



あと
「見てしまう人々」

見てしまう人びと | 種類,単行本 | ハヤカワ・オンライン


「色のない島へ」

色のない島へ | 種類,ハヤカワ文庫NF | ハヤカワ・オンライン



タングステンおじさん」

タングステンおじさん | 種類,ハヤカワ文庫NF | ハヤカワ・オンライン




「火星の人類学者」

火星の人類学者 | 種類,ハヤカワ文庫NF | ハヤカワ・オンライン


などなどなどなど・・・・・

ハヤカワノンフィクション文庫に感謝します。
高いけど(^^)!!
まえに
高橋和巳澁澤龍彦バタイユをいっぱい出してくれる河出文庫にも
同様の感謝をよせたことがありましたが。

サックス氏の文章の魅力は、
論理と時制をとびこえる発想。
直観と連想と転換。
文章で書ききれない種類のことを 書いているからですね。
そういうものを見てきたことについて、書いているわけなので。
人の脳の不思議、知覚の不思議。
だからこういうかんじになるのでしょう。
子どもの落書きさながらの熱と 賢者の知性が混交しまくってます。
すばらしい~。
おこがましいにもほどがあることをこれからいいますが、
なんか、こういう自由なスタイルでいいんだとおもうと
自分ももの書きのはしくれとしてはすごく勇気をもらえます。

それにサックス氏の著書は
翻訳もとてもいいんじゃないかなと感じます。
いつも大田直子というかたが担当されているようですが。
柴田元幸氏のポール・オースターみたいに
ブドウのかおりがちゃんとします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、
まえはいろんな 人間のいとなみのなかで、
社会的にうしろゆびさされるようなことについては
わりと杓子定規というか、
ぱきっと 子どもみたいに
「そんなのってありえない!」という
スタンスを示すことがおおかったです。わたし。
ダメなものはダメ的なね。
社会的に認められてないこと、倫理にもとることは
当然、してはいけない。あたりまえだ。
というかんじのことです。

でも、そんなことって 言えんよな。
どこのどいつですか 
そんなつまんないことをまじめぶって言う輩は(^^)
そういう自分がどれほど おキレイだというんですか(^^)
あやまちをおかしたことのない人間なんていない(^^)
そんなことくらいわかっているんじゃなかったのか おまえは(^^)

人の心を檻にいれて カギとかかけておくことは できない(^^)

まったくつくづくまいります。
毎日生きるごとにひとつひとつ 
自分のそういう 心の未熟さにあきれ、
がっくりきますわ。

しかし檻のカギがかかっていないからといって
じゃあ そこから
「やったー! 出ちゃえ出ちゃえ」と
あとさき考えずに飛び出していくか
(出たその足下が地獄の窯だとしても)
いや、慎重に、と
とどまってさらに一考するかを
自分できめられるのが 人、ではあるとおもいます。
いちおうね。
理屈としてはね(^^)。







忙しくてどうしようもない/知識と教養は依存しても困ることはない/JK3とシガー・ロス

こんばんは。
どなたか存じ上げませんが、毎日、ほんとに
多くのかたが このブログを読みにきてくださり
心からありがたくおもっています。
おどろいてます。
1週間に10人もきてくれたら、スゴーイ!という
かんじだったのに、
いったいいつのまにこんなことになったのでしょう。

御身の人生のたいせつな時間を割いて、このような
ブログをのぞきにきてくださって ありがとうございます。
殺風景なつまらんデザインのブログで
まことに気の利かないことですみませんが
どうぞお気のむくまま ゆっくりしていらしてください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

暮れにかけて じつに仕事が忙しいです。
なにしろ終わらない! 進まない!
心配ごと、不確定要素がおおすぎて
毎日不安でしょうがなく、仕事いくの気が重いです ほんと。

正直 家に帰ってきている場合じゃないというかんじなんですが
会社にずっと詰めて 朝から晩までろくろく寝ずに机にむかって
なんてことを際限もなくやってると、病みますからね。
体も心も。
そういうことはやっちゃいけないです。
一時期ほんとにそれをやって凝りましたから。
意地でも毎日家にちゃんと帰り、自分の部屋で2時間でも寝て、
新しくつぎの1日を始めなくちゃいけないとおもっています。

それよりなにより、忙しさにかまけて
多方面に不義理をかさねていることになやんでます。
まいっちゃったなあ・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

仕事は忙しいですけど 
勉強をしたり本を読んだりをかかさず
いっしょうけんめいやっています。
読む本の種類がさいきん 激変しつつあります。
考えることの内容も 激変しつつあります。
性格とかが変わったわけじゃないですが。
でも・・・すこしだけ、
以前よりも へこたれない性格にはなったかな?
これは読む本が変わったこととは関係がないか(^^)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人はだれしもなんらかのものに よりどころを
求めつつ生きているもんなんだろうとおもいます。
恋人や家族、ペット、友だち、
趣味とかそういうの、
それから、お酒、買い物、クスリなどなどに
なると 病気扱いにはなりますが、
でも よりどころという意味ではまあおなじなのかなと。
なければ生きることはむずかしい気がします。

わたしの場合、よりどころは、
知識、教養です。
知識を吸収する、教養をえることは
すごくわたしを救ってくれます。
おもえば子どものときからそうだったかなと振り返っています。
それにこのたぐいのことは、吸収してもしすぎることはないし、
むだには絶対になりませんからね。

学問がこの世にあってよかった。
学問がわたしを拒まないでいてくれてよかった。
心からそう感じます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分のアイデンティティにかかわることについて 
けっこう 真剣におもうところができはじめ、
手探りながら そろそろと 実践にもうつったほうがいいのかな?
とか おもっているところです。
でも、深刻な話のつもりはありません。
いやー どうなんですかねえ。
でもべつに 答えがでなくてもいいのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨今 すきな音楽シリーズ。
身近な友だちとかにはしょっちゅうこの人たちイイ!って話
しているので もう飽き飽きされてるかもしれませんけど

www.youtube.com


やっぱり イイなあ~。
わたしは速い音楽が好きなので
もう「Running」というタイトルと このすがすがしい
疾走感からして この世に生み出されたときからもう
わたしに好かれることが決まってた、みたいな
音楽だとおもいます。
いいなあ。

しかしさきにものべたとおり、
わたしはこのところJK3の話を人にしすぎているので
もう みんな飽きているでしょうから
ほかの音楽も今回はあげたいとおもいます。

これ。

www.youtube.com

 

シガー・ロス
「Olsen Olsen(オルセン オルセン)」

「Agaetis Byrjun(アゲイティス・ビリュン、『良き船出』の意)」
っていうアルバムにはいってます。

あれ、速い音楽がすきとか ついさっき言ってなかった、
ってかんじなんですけど 
気にしない気にしない。

アイスランドのバンドなんですけれど。
アイスランドのミュージシャンというとビョーク
メジャーなんでしょうかね。
わたしビョークもだいすきです。
いわゆるポストロックでしょうかね。シガーロスは。
わたしが知っているくらいだからすでに著名なはずです。
寒いところで生まれた音楽だな、いかにも、というかんじがします。

シガー・ロスでは 
これもしょっちゅう聴いています。↓
疲れすぎてて眠ることもままならないような夜に
まっくらな部屋で音量を極小にまでしぼってかけておいて
ボケーっと聴き流していると、
眠れなくても、心がだいぶやすらぐかんじがします。

www.youtube.com


あと、これも。

www.youtube.com


「Hoppipolla(ホッピポッラ)」
なんかいい。
ひやりとしているけれど優しくて、祝福されているかんじなのが
いいですね。
あと、おもいもよらないところで 聴いたこともないような
音がきこえてくるのも 意外なかんじでたのしいです。
おなじアイスランドmumっていうバンドもそういうかんじですけど。












 

もしもシリーズ:ベーシックインカム

ベーシックインカムをもし日本で導入するならばという話なのだが、

導入するならば、
生活困窮者への継続的な生活支援、みまもりをわすれないでほしい。
さらに、幼児段階から、生活のしかた、お金とのつきあいかたを
おぼえさせるべく、教育をかえてほしい。
みんながそれを学ぶ機会をえられるようにする意味でも
幼児教育から義務化してほしい。

つまりベーシックインカム関連の施策は
ベーシックインカムの導入
生活困窮者への継続的・包括的生活支援とみまもり
幼児教育の教育課程の改革
幼児教育の義務教育化(大学の無償化よりもこっちが先かと)
の4つを一体化、セットでやってほしい。

ぎゃくにいえばそれができないうちは 
ベーシックインカム導入はしてほしくない。

日本まるごと根元から腐らせたいなら話はべつだが。

お金にこまりがちな人は お金だけでなく 
ほかのこともいろいろこまりがちなのであり、
いってしまえばおよそ社会生活をおくることじたいが
壊滅的にヘタクソなのだ、と わたしは考えている。
今月だけどうしても要り用で 貯金にちょっと手をつけちゃった、
みたいなのとはわけがちがう。 

わたしの身近(連絡先をおたがい知ってて会うこともあるような
関係ということ)にはたまたまいないにせよ、
世のなかには ほんとにほんとに かなりまずいレベルで
生活がヘタクソな人がじっさいにいることを
だれもが知っておくべきなのだとおもう。
存在だけでなく そのヘタクソぶりの深刻さをも。

その人は、お金があればあるだけ(なければかりてでも)
一瞬でお酒などに使ってしまい、
「それで今月生活するのだ」というふうに考えることを知らない。
ある意味 けものにちかい生き方をしてる。
単身者だけでなく家族がいる人でもだ。
なんとか依存症みたいな病気とかじゃない場合もある。
ただ、生活のしかたを知らない。

ふつうの社会生活は ふつうの社会生活をおくれるだけの 
基礎的な養育をうけてこそみにつくものだということを
わたしたちは改めて理解しなくてはならない。
教わってないものは身につかない。
大人になってから勉強したかったらどうぞしてくださーい、というものと、
そういうもんでないものとが世のなかにはあって、
お金とのつきあいかたを含む「社会生活」は
「そういうもんでない」ほうのことだ。

社会生活ってのは、人に生まれたらだれでも自然に
できるようになるってもんじゃないわけだ。
自分が知っていることを、知っているようにしか、人はできない。

お金とのつきあいかたを含む一般的な消費生活、
ごくふつうの社会生活、それは、
できない人はほんとにできないし 
できないまま大人になる。

くどいようだが「ほんとに」できない。
その「ほんとに」の内容の深刻さを、
深刻じゃない人たちこそ
ちゃんと知っておくべきではないだろうか。

でないと 国のなにをどう変えようが
その人たちをおいてきぼりにしてしまい、やがて、
「できる人だけ」が生きられるという体制を
積極的におしすすめる国になってしまう。
最初はそれもいいのかもしれない。
ただなりゆきでそうなった、未熟ではあるがとりあえず
やってみるだけだから最初はこれでいいだろうということにして
やった、そんなかんじでおのれをだまくらかして
できない人をおいてきぼりにした事実をわすれたふりも
できないことはないだろう。
あたかも なにかが成功したように見えることだろう。
できる人だけでサクサクやったほうが
なにごともラクにきまっているのだから、
おそらくおおくの国民に歓迎されるはずだ。
でも、
そうして、見てみないふりをしているうちに、
できない人たちは着々と ふえていく。
これは確実だろうとおもう。

ことは、次の世代に連鎖するからだ。

日本は 子どもと若い人がへりつづけており
おじいさんおばあさん、お父さんお母さんの年代が
どんどん増えていっている。

国民全体のなかの生活ヘタクソさんの割合がいまより増える。
べつのいいかたをすれば、
国民ひとりあたりの
「支えなくちゃいけない生活ヘタクソさんの人数が増える」。
ひとりあたりの負担がそうやってずっしりと
こなきじじいのように重くなっていく。
そしてみんな、その状況をかかえて高齢になっていく。
するとどうなるかというと、
わたしがおもうに 
「めんどうみるのがめんどうくさいし実りもすくなくて、支える側がつらいだけ」
だから、
「生活ヘタクソさんに死んでほしいと思うようになる」。

さすがに今生きている人に 「そんなわけなので死んでください」とは
言えないが、
まだいない人に「生まれてこないでください」と
言うことは できるだろう。

「どうせどう教えたって一生できない人に、
その状態でこの社会で生きていってくださいと言うほうが、
本人にとって酷というものだよ。そもそも、
なんでちゃんとできる人たちが、わざわざできない人を
支えてあげなくちゃいけないの?
わたしだってぼくだってそんなに余裕があるわけじゃないなか、
一生懸命まじめに生きているのにさ」。

これは、わたしがおもうに、
優生思想とむすびつきやすい考え方だ。
優生思想そのものは そのなりたち的にみるとべつに
悪い考えかたではない と わたしはとらえているが 
勘違いが起こりやすく、人は弱いから、
自分の都合の良いように拡大解釈してしまい、
結果、まずい心理とむすびつきがちだ。 
相模原の障害者施設で起こった あの19人が犠牲になった事件の背景に 
この思想があったとみられているように。
あの事件は、それだけがすべてでは、なかったと
わたしは想像してるけども・・・。

優生思想は、たぶんいまのわたしたちの手には 
あまる思想であるとおもう。

このように、
「できない人」たちに、合法的にいなくなってもらいたい・・・
と思うきもちが、国の空気のなかに蔓延し始めると、目も当てられない。

蔓延・・・いや、ちがう。
すでに たぶん 国民のなかに眠っている
そうしたきもち・・・
ルサンチマンともふかくかかわっていそうなきもちが
「隠さなくってもいいもの」として扱われるようになり、
はっきりと外にだされるようになってきたら、大変なわけだ。

カッコイイ言葉でいうと 日本の社会に生きる人間としての
最後の矜持を捨てるということなのだが。
つまりおもってても口が裂けても言っちゃだめ方面のことを
言ってしまうということ。
武士は食わねど的精神をかなぐりすてるということ。

こうしたことこそが、先述した、わたしのおもう 
「日本をまるごと根元から腐らせる」ということだ。
そして、それは、わたし個人のかんじでは
すでに、ちょっと、はじまってる。

できる人だけでサクサクやったほうが
なにごともラクにきまっていると さっき書いたが、
これはほんとうにそうにきまっている。
だから、いったん「もうそういうことでいいよね!」と
誰かが言って、それをみんなが受け入れてしまえば、
「できない人は生きられない」国づくりなんて
あっというま、まさにあっというまだとわたしはおもう。

やったことがあるのだし。
ユダヤ人であるというだけで何百万人という人を殺したことがある。
黒人だからというだけで奴隷として働かせた。
ネイティブアメリカンやロマの人たちを差別した。
精神障害や同性愛やハンセン病の人に断種手術を強制したことがある。
在日朝鮮人の人たちを ただそれだけでいじめたことがあったではないか。
われわれは いろんなことをやってきた。

言ってもいい、やってもいいと誰かが言いだし、
そうだそうだという空気があったということにさえしてしまえれば、
こんなことはかんたんにやれてしまう。
そういうところがあるのが人間だ。
時代もなにもかんけいない。
いつでもこうなる可能性がある。
わたしたちは無関係ではない。

でもわたしはやっぱり、それでもいいはりたい。
すくなくともわたしはなんだけど、
国民がその矜持を堂々と捨てる国には住みたくない。
そんなところには怖くて住めない。
なにがおこるかわかったもんじゃない。
「(なにがであろうと)できない人は生きられない」
そんな場所にはわたしだっていられない。

なにせ、わたしだって、できないことばかりの人間だ。
わたしのできない数多くのことのなかのどれが、いつ
「それができない人は 残念ですがこの国では生きないでください」
の条件に当てはまるとされるか、わからない。
たとえば泳げない、
たとえば視力が低い、
たとえば結婚をしていない、
たとえば子どもがいない、
・・・
いまはなんでもない こうしたことが、
足切りポイント」に絶対ならないと、だれにいえる?

わたし以外の人はどう思っているんだろ?

話をひろげすぎと 人はいうだろうか。
でも、
本気で そういったことから、
安易なベーシックインカム導入は まずいと 
いまはわたしはかんがえる。

数カ月まえまではベーシックインカムってなに、っておもってて
「インカム」という言葉から「ベーシックなトランシーバー」みたいな
通信機器的なものを想像してたレベルだったけど・・・。

お金のつかいかた、お金への態度のとりかたが
一般的に想定しうる範疇をおおきく、しかもマイナス方面に
逸脱してしまってる人に、
お金でだけ 生活保障をしても それは生活保障じゃない。

そのお金はすぐ 消えてしまう。
彼らをすこしも活かしてくれないうちに。

お金で生活保障をするのがわるいとはいわないが、
それはお金とのかかわりかたを
ある程度理解している人にとって、の話にすぎない。

お金とうまくかかわれない、またはそうなる危険性が高い人
(お金とうまくかかわれない人の、子ども。)
がどこにいるか、それがだれかを
がっちり把握してサポート体制を構築しないまま
かんたんに施策を導入しちゃまずい。
ベーシックインカムをすでに導入している国のやりかたを
よく勉強させてもらい、けっしてうわべだけ、骨組みだけマネするような
ことがあってはいけない。
やっている国にあって 日本にないもの、なければならないものを
よく確認しておく必要がある。
なぜ実現が可能だったのかをしっかりたしかめ、
なんのための、だけでなく 施行したことによる社会への影響や効果までも
シミュレーションしてほしい。

生活が上手にできない人に、生活するのがもうすこしうまくなるように、
似たようなことで二度も三度も困窮することがないように、
お金のつかいかたと暮らしかたの基本をおしえ、
継続的に支援するという 盤石の用意が必要だとおもう。

ベーシックインカムをもし導入するなら
そこをまずかためてほしい。

つまり包括的支援、 
ようするに福祉、
しかしおおもとをたどれば幼児教育であり、
けっきょく
話がとっぴすぎるといわれるかもしれないが
幼児教育を義務教育化するとこからだと わたしは思う。
なんで幼児から、小学校からではいかんのかという意見も
もしかしたらあるのかもしれないけど
わたしは幼児教育からだろうとかんがえる。
そのわけは また時間があったら書きたい。

人体の不思議

4ヶ月くらいまえに遭遇した事故の影響で 
うまく声がだせない問題をかかえるようになり 
ずっと治療をうけてきました。 
事故前と まったくおなじにもどれた、という実感は 
ありませんが 
筆談せざるをえなかった時期まで あったことをかんがえると 
よくもまあここまで、というくらい 回復できました。
いまや ほぼ なにも困らず。

心因性の、っていったって まず 
心は目に見えません。
頭にものどにも異状がない場合
便宜上 そういうことにする(心因性とみなす)的な部分も
多々あると推察します。そうなると、治療する側も 
これでほんとにこの患者 声でるようになるかなー、
医学的にまちがったことはしてないけど・・・ 
でるかな でるかな みたいな
ヒヤヒヤするとこがあるんじゃないですかね 
程度の差こそあれ。
すくなくともわたしが医者だったら 
けっこう 内心 気が気じゃないと想像します(^^)
だからその意味でも おおむね双方
「よかったね」という結果となり
(半分よけいなおせわですが)ほっとしたというか。

信用できるお医者さんと訓練士さんで 
わたしも治りたいもんで 自分で言うのもなんですが努力してますから
容態が すみやかに好転してくれたのかなともおもいます。

ただ 
すごくよくなったんですけど
人の体ってのはわからんもので 
なぜか じゃっかん吃音ぎみになってます。
さいしょの1フレーズがすらすらとでてこなくて
冒頭1文字を何回かくりかえす、というのが 
不定期に 発生します。

なにこれ(^^) 

すごくよくしてやるひきかえに 
これだけは残してくぞ みたいな
契約上のトレードオフ的なことなんでしょうか。
(どんな悪魔との契約だ(^^))
万事都合よくは いかないもんですね。何ごとも。
でも考えてみると 基本 
「すらすらと」なんて話せたためしがないのが 
元来の自分だった気もする。

きょう 病院にいったところ 
「ほぼ問題ないともいえるので、気にしなければ、
治療をやめてもかまわない」とのこと
ならば まー もういーか という気持ちに
かたむきはじめました。
以前は ぽーんと 声を張れていたから、
それを できることなら とりもどしたい
(プラス 可能ならこの「どもる」のも解消できれば)
 というだけの話なんですけど
これだけのことなら 今すぐでなくても・・・。
ちょっと考えて 治療はもういいやとか まだ続けるわとか 
意思表示する約束をして きょうの通院をおえました。

心と体の連関と反応は ほんとに複雑怪奇、
考えようによってはおもしろいです。
生まれたときから この体なのに 
われながら ちっとも理解できません。
心のどの部分と体のどの部分とがつながって 
なにがどうなってこうなるのか 
っていうことが 起こりまくります。
たとえば、まったく同じできごとでも 前と今とで 
ちがう反応がでる、ということも ありますし
「自分の体のことは自分がいちばんわかっているよ」
よくきくフレーズですけれど
言えるか そんなこと(^^)!!