BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

もう大丈夫、と体が悟る/調子悪い子はとりあえずだまって寝かしとけ-181105。

体調を崩した。
でも良くなったともいえる。
というのもじつは
昨年の今ごろからずっと
毎月一度くるはずのものが、
ぱったりととまっていたのだが
それが、きた。
あれによる影響ってのは
ほんとうに個人によって程度も内容も
異なるものと聞いてるが
わたしの場合は
体調が悪くなったり
気分がおちこんだりすることが
いつもはあんまりないほうだ。
ただどうも今回は、
発熱したり頭が痛くなったり
腰が痛くなったり
おなかをくだしたり
びっくりするくらい
かなりむちゃくちゃいろいろでた。
きのうまでとても元気だったから
朝、目が覚めたとき
なぜこんなに体が重いのか
頭が痛いのかちっともわからず
おののいたくらいだった。


およそ1年。
ようやくわたしの体が
緊張を解いても大丈夫そうだと
悟ってくれたんだろうか。
ずいぶんかかったような
早いほうだともいえるような
まあ、こんなもんだろう

めんどくさい毎月恒例イベントだが
健康の確認のためには
やはりこの調子で来月もまた
きてくれるといいが。


40度も出られると
さすがに仕事にならない
欠勤の連絡を入れ
薬を飲んでおとなしく寝た
夕方にはかなりましになった。
まだ役所が
開いている時間であったので
行って「印鑑登録」をしてきた。
兄に、印鑑証明を
用意しておくようにと
いわれているので。
実家の電話回線の名義変更で
必要になるからと。

対応をしてくれた職員さんの声が
TBSラジオでおなじみの
堀井美香さんにそっくりだった。


寝てるぶんには元気なつもりでも
歩くとふらふらだった。
役所から帰ってまたすこし寝て
さっき起き出して
今度はカーテンのとりつけを行った。
もんだいない。ぴったりだ。

カーテンをしめると
雨戸をしめなくても
しっかり部屋が暗くなって
いいなあ笑
雨戸をしめることでできる
部屋の「暗さ」には
なにかすこしじめじめとした
ややぶっきらほうな雰囲気があるが
カーテンをしめることでできる
暗がりには
外の光がはいるからか
しぜんなやわらかさやあたたかみが
なにかすこし含まれていて
安心して眠れる。


このあとは
ちょっとなんか口にいれて
薬を飲んで
朝まで寝てしまうつもりだ
朝おきてからお風呂に入ればいい。





生来あんまり丈夫でなく
なにかってーと健康を害した
年中カゼをひき熱をだし
神経質でストレスをためやすいせいで
なんだか、調子悪いのがふつうで
元気なときが異常、
そういう子ども。

幼いときはまだよかったが
小学校高学年あたりからは
体調をくずすと
なぜかひどく叱責され
いっそう冷遇されるようになった
もやしっこのわたしには
家で安心して
休むことができないという意味で、
それは正直しんどいことだった
調子悪いから寝ていたいのに
いつまで寝ているんだとどなられては
そりゃ子どもとしちゃ立つ瀬がない
でもいつまでも治らないと
それはそれで怒りを買ったりした
やれやれどうしろと笑。

でももういまはちがう
調子が悪ければ
寝ていていいし、
調子がよくなったかなとおもって
外にでてみたって
なにしたって
だれにもとがめられない。

もやしだが、
わたしはいまや大人なのだ
弱っているとき何時間でも
寝ていられる場所を
手に入れた。


親には親の
病児にたいするきもちや立場が
もちろんあるだろう
しかし
なにもいわずに
寝かしておいてくれないと。
なにもしてくれなくてもいい
ただ寝ることを許してほしいのだ
なんたって本人は
調子わるいんだから。
体調わるいときにいらいらされたり
どなられたりしても
よけい調子わるくなるか
なおらないかのどっちかで。
なにも好転しないよ事態は。

お買い物/眠れない夜のための音楽/アイロン-181104。

佐々大河「ふしぎの国のバード」の
バイリンガル版」なるものが
今年はじめから出ているらしい。

どういうものかというと・・・
まず
「ふしぎの国のバード」は
明治初期の日本を旅して
「日本奥地紀行」などを著した
実在の英国人旅行家、イザベラ・バード
彼女の日本旅行を支えた
実在の通訳ガイド、伊藤鶴吉の
旅をえがく物語だ
じっさいのイザベラと伊藤は
道中いつも英語で会話をしていた。
だけどマンガではふたりのセリフは
もちろん日本語で表現される。
そしてイザベラが聞き取れない
「日本人たちが話す日本語」は
筆の崩し字であらわされている。
これが佐々大河オリジナル版の
セリフの表現手法だ。

だけど「バイリンガル版」では
イザベラと伊藤の会話や
かれらが道中で出会う
英語圏の人たちとの会話が
じっさいにそうであったはずのとおり
英語で表現されてるそうだ。

たとえばイザベラに
身分証明書か
信用できる人の紹介状を
みせてといわれて
伊藤が
「(このまえ家が火事にあい、燃えてしまったから)なにもありません」
というような意味の
返事をするシーンが
序盤にあったのだが
そこなんかがバイリンガル版だと
That is to say・・・ I don't have a letter.
になってる、ということだそうだ

すごくおもしろそう。
読んでみたい。


・・・


きょうはお昼から友人が、
生後もうすぐ3か月のお嬢をつれて
部屋に遊びに来てくれた
まだぜんぜん片付いてないというか
家具のたぐいがほとんどなにもない
この状態の我が家にきてくれた
かずすくない相手のひとりとなった

電車で1駅のところにある
カフェにいって
ともにファンである
シンガー・ソングライター
中里学さんの
ミニライブを聴いたあと
午後いっぱい車をだしてもって
家具店などにつきあってもらった。

けっきょくいまだに買えてなかった
カーテンをぜんぶの窓ぶん購入。
そのほか
IHコンロや瞬間湯沸かしケトル、
基本的な調理器具(もってなかった!)
押し入れの収納力を高めるための
ハンガーラックなどなどを
助言してもらいながら揃えた。
もし徒歩と電車でこれらをやってたら
わたしなんかの力では
どれほどの回数を要したか、
どんなに時間がかかったか
しれたものじゃない。
友人が力をかしてくれて
すごく助かった。

そしてさらに
部屋の文化レベルが上がった笑

コンロが入ったから
いよいよ自炊に努めなくちゃ・・・


友人がわたしの部屋の
内外の雰囲気や
アパートがある地域のようすをみて
「なんか安心した。
守られてるかんじがする。
Yちゃんが安心して
生活していけそうな
ところだとおもう。」
と言ってくれたのが
うれしかった。


あとは
本棚とデスク、
押し入れ収納もうちょっと。
案外と服や靴が多い。
どれもだいじに長く着ていくために
かぎられたスペースのなかで
だめにならないきちんとした
服のしまいかたができる方法を
考えていかなくちゃいけない。


近所を散歩してて
なかなか書店がみつからない、
図書館もないみたいだしと
やや不満だったが
さいきん駅前にすごくちいさな
古書店をみつけた。
この週末いっぱいまで1週間
神田の古書店街に出店するので
休む、と貼り紙がされていたのだが
あしたからはまた開いているはずだ
帰りに寄ってみて
中上健次の初版本が
まだもし売れないでのこってたら
ぜひ購入しちゃいたい

また、駅ビル内にもおおきな書店が
あることに気づいた。
エスカレーターで
わざわざ上階までいかないと
たどりつけないところが
ちょっとめんどうだけど
なにもないよりはいいとおもう。


図書館はやはり
この地域にはないみたいだ。
となりの駅までいかないと。
歩いていけないこともないから
予定がない休日に散歩がてら
行ってもいいとおもう。

・・・

ジャンゴ・ラインハルト
なんとなく
夜聴くかんじの音楽だ
ゆったりしたきもちになれる
チャールズ・カイナードのオルガンや
ビル・エヴァンス
うつくしいし、そしてよい意味で
あんまり冒険しない、
「なんのへんてつもない」感が、
心に安定をもたらしてくれる。
その意味ではガブリエル・フォーレも。

ジミー・スミス
ジョーイ・デフランシスコ
キース・ジャレット
ジェイコブ・カールゾンは
聴いてておもしろすぎるから
夜はだめだ
その意味ではわたしは
シベリウスブラームス
バルトークラヴェル
夜にはあんまり聴けない。
だいすきで、楽しみすぎてしまう。



・・・



夜、アイロンが
電源スイッチをおして
温度「高」に設定しても
ちっとも熱くならないので
まいったが
マニュアルと格闘し
20分くらいかけて
よく調べたところ
コンセントをさしてないだけだった。

めずらしく食べものの話/ベルセルク序盤-181102。

コーヒー牛乳が好きであることや
お豆腐や納豆が好きであることや
豆乳でつくられたヨーグルトが
好きであることを
4日くらいまえに思い出した。
近所のスーパーマーケットで買って
冷蔵庫にいれた。
毎日食べるし飲むから1週間ぶん。
冷蔵庫のなかが豆だらけになった。

料理があんまりすきではないのもあり
また部屋のキッチンに
コンロすら入れてない
だけどおのれの成長のために
これからは苦手なこと関心がうすいことも
すこしはやらなきゃなっておもう。
自炊とか。

ミネストローネと
大根と豚肉の煮付けと
チーズオムレツ(スペイン風みたいなやつ)と
お豆腐のハンバーグと
トマトとキュウリのサラダ
ひややっこ
ハヤシライス
チーズチキンステーキ
ほうれん草とベーコンのソテー
納豆チャーハン
お豆腐とわかめのお味噌汁
くらいは自分で食べても
「おいしい」と
思えるくらいになりたい。
なんか、ざっと見ても
大豆が4~5回
出てきた気がするが笑


コーヒー牛乳っていいよね
「ブレンディ」の
無糖のアイスコーヒーに
牛乳って、
すばらしいくみあわせだとおもうな



あしたは
午前中、洗濯がおわりしだい
お風呂用品とトイレ用品を
そろえに買い物にいき
靴をなおし
寄れたら外付け用ハードディスクと
無線LANルーター
蛍光灯をみに家電店にいくか
カギ屋さんに部屋のセキュリティの
強化について相談にいく
15時までには戻る
体調を見てムリそうなら
あんまりほっつき歩かずに
おとなしくはやく帰る笑



この
まだなにひとつそろってないし
まともに始まってもいない
未完成すぎる生活を
ものすごく満喫している笑



このところ
夜になるといつも
ラジオを聴きながら
ベルセルク」の2巻とか3巻を
読んでいる。
この世のものでない
魔物たちに注がれた
作者の真摯な愛情が
息苦しいほど伝わってくる。
こんなきもちわるい
こんないろんなカタチしたものを
よく思いつくなあと。
何回みても身の毛がよだつ。


伯爵の娘のテレジアが
その後
どうなったのかなとおもうね。
たぶん14歳くらいだろうけど
生きていくうちに人の心は変わるから
ガッツへの逆恨みや
激しい憎悪も
そのうち忘れられていくのかも。
そのほうが彼女にとっても楽だろう。

ポカ/ぽかぽか/傷痕/カギ-181101。

仕事でポカをすることが
増えてきた。
勤務時間がのびたぶん
自分がかかわるものごとがふえて
したがってミス発生の
確率もあがることになる
つらい。
怒られるのもつらいけど
それよりなにより
結局のところ
自分の責任ということには
ならない、というところが。
なんかそれはいつも
この職場にいて
この仕事をしてると
おもう。

気をつけていきたい。


仕事でなにかあったとき
仕事で人と摩擦を感じたとき
各人にとって仕事とはなんであるのか
つまりたぶん
各人にとって生きるとはなんであるのか
その人とはなんなのか
ということに
どうしても考えがいきつく気がする
わたしは仕事って
人間にとってなんなのか
いまだにほんとうはよくわからない
だけど大事なもののようにおもう
だれにとっても。

いろいろあったから
銭湯にいって
温まってから帰った
お風呂につかって
ゆっくり100かぞえるだけで
気分は最高だ
すこしくらいもやもやすることや
かなしいことがあろうと
そんなものは湯気といっしょに
ぜんぶどこかへ飛んでいく

服を脱げば
左腕にのこった傷痕が目にはいる
カッターナイフによる
自傷行動にはしったあとだ
もうすっかり消えることは
ないだろうとおもう。
ただ傷としては完全に
治っているし
くりかえしてもいないから
いまや気にしないで
へいきで腕まくりしている
とくになにかを
おもってのことじゃない。
いつもそうだが
とくになにもおもってない。
わたしには案外
セオリーとかポリシーなんて
ものがない。
生きている感覚が
うしなわれてきていたとき
それがきわめてつらかったから
生きているとわかりたくてやった。
いまはもうやらない。
あれは
当たり前のことだが
たいへん痛かった。
しかしながら
たぶん、自傷行動を
していなかったら
自死を選択するのに
躊躇しなかったとおもう。

いまもフラッシュバックは
おこるおそれをまだ感じる
のこった問題がある
生きているかんじがしないことも
まだまだある
だがどうにかやれている。

帰宅して
玄関の前で、カギをとりだすために
バッグをあけようとして、
「バッグのふたのカギが壊れた」
ことに気づいた。
わたしがいつもつかってるバッグは
ふたにカギがついている
ふたをしめるとカギがかかる
開けるには、備え付けの
ちいさなキーをつかって
解錠しなくちゃならない
最初はややめんどうだったが
慣れれば開閉なんか一瞬だ
ちょっとかわったバッグ
かもしれないが
これ、なんと中学生のときに
校外学習(鎌倉だった)にむけて
ためてあったお小遣いをはたいて
奮発して買ったもので
中学生のときのものではあるが
ちゃんとした本革製のもので
高校でも短大でも大学でもつかい
数年やすんでいたが
さいきんまた復活させて
通勤につかっている。

でもキーを鍵穴にさしこんで
いつものようにひねったら
なんかヘンな感触が笑
開かなくなってしまった
部屋のカギ
というか
部屋のカギがはいった財布
携帯電話の充電器
手帳
電子マネー機能付の
クレジットカード
銀行のカード
ぜんぶ入ってる
PASMOだけはバッグの外だが
1円もチャージしてない

駅前にいそいでとってかえした
駅ビルにたいていある
カギ・靴・バッグリペアの
あのお店にとびこんだ
部屋のカギのコピーを
つくってもらったり
靴をなおしてもらったりして
転居まもないころから
何度かおせわになっている。

「カギ作るのはやってるけど
カギ開けはやってないんだよね」
といわれたが
あせってて聞く耳もてず
軽いパニック状態のわたしを
あわれにおもったか
やってないなりにも
いろいろ手をつくしてくれ
さいわい、
バッグを破壊することなく
ふつうにふたが開いた。
「鍵穴のなかで
なんかひっかかってるから
よくわからないけど
あんまりカギかけないほうが
いいかもね」。

わたしはバッグのふたが
閉められなくなった笑
鍵屋さんに持っていって
まずは鍵穴を
(なにか問題があるならば)
正常になおしてもらうことを
検討したい

いろいろあるもんだ笑

やりたいことの見つけ方-181031。

水曜社の「わたしがつくる物語」を
読みなおしてみた。
桐光学園が各界の著名人を
まねいて講義してもらうという
特別授業をずっとやっているそうで
「わたしがつくる物語」は
ようするにその講義録
柄谷行人内田樹柴田元幸斎藤環
すきな人ばっかりだ
「わたしがつくる物語」をベースに
ちくまプリマー新書から
「中学生からの大学講義」シリーズ
もでてる。
「中学生からの大学講義」シリーズの
第3巻「創造するということ」
は わたしも最近買って
クリエイター系の仕事についている
友だちや
お店をやっている友だちに
プレゼントした


「わたしがつくる物語」に
哲学者の中島義道の講義が
収録されてる


自分で決断して選んだ道でも
後悔するときは後悔する
でも自分で決めてなにかをやると
強くなることができる

「例えば
『有名になる』
『世間体がいい』
『金持ちになる』
といったことが
将来の進路の基準だと、
とても大変だと思います。
なぜならば、目標が具体的だから。
それが叶えられなかったときに
つらい思いをすることになる。」

「『もしそれがなければ、
他に全部与えられても
つまらないかどうか』
これが自分の好きなことの見つけ方」

「安全な思考というのは
積もり積もっていくと、
自分の志向性をもごまかして
変えてしまいます。」



もしそれがなければ
他に全部与えられても
つまらない。とおもうもの
わたしにはたしかにそれがある。
つまらないというか
ないと
すこやかに生きることが
できなくなること、だ。
書くことと読むことだ。
これがないときびしい。
いつもこのふたつにしがみついて
なんとか生きてきた
あってさいわいだった。
だから守らなくちゃいけないと
おもう。

引っ越しまでの2週間。-181030。

実家を出てきたことに関して、
いきさつをつぶさに
書いておいたほうがいいのかなあ
(自分の備忘のためには。)
と考えてて、
ずっと書こう書こうとおもってたが
できそうにない
ここでいういきさつとは、
母親とのあいだに
どんなやりとりがあったか、
どんな言葉を自分が発したか、
何を言われたか、
何をしたか、
何をされたか、
どう感じたか。
それを書いといたほうが
いいかなあって
ことだったんだけど
言われたことされたことよりも
言ったことしたことを
わたしはここに書きたくない



だが
ここではなく
しかるべきところで
話はする。



もう耐えることができそうに
ないとは考えた。
こんなにがまんばかりする
べきじゃなかったと。
だれがしろといったわけでもないのに
生まれてこのかた
自分の限度をはるかにこえて
がまんしてしまったせいで、
順当かつ理想的な独立の計画は
崩壊した。
つまり順当かつ理想的な独立
なんてのは
わたしと母親であるかぎり
さいしょからムリだったとも。


いつも
どなられないよう、怒らせないよう、
不興を買わないよう、喜ばれるよう、
が、わたしの行動原理だった。
でもわたしのそういうのは
原則ぜんぶ「ハズレ」だった。


それで10月9日の正午すぎ、
財布と通帳と印鑑と保険証
携帯電話と充電器とMP3プレイヤー、
わずかな着替え、あたりだけ持って
くつしたのまま、
奥の四畳半の部屋の窓から
家を出た。
玄関のドアは重くて
開閉すると音がかなりひびく
母親が聞き付けるとおもうと
靴をはいて
ちゃんと玄関からなんて
でてる場合じゃなかった
実家から100メートルくらいの
ところにある
スーパーマーケットで
サンダルを買って歩いた。


そこから1週間は
叔父の家に身を寄せていた。
さいしょの2日間はなにもせず
ただ休ませてもらってた。
頭と顔を負傷した関係で
ひどい発熱があった。
メガネもこわれたため
叔父に修理にだしてもらった。
たまたま部品があり
翌日直されて戻ってきた。
これで体調がもどればすぐ
仕事にでられる。


ひきずられても家には帰らない、
このまま可及的すみやかに
独立への道をつけると
叔父に表明して、実家との
なかだちをたのんだ。
兄に連絡し、家にはもう
帰らないことをつたえた。
以後引っ越しまで、
叔父はほとんど毎日のように
わたしの実家に通って、
わたしの近況や行動計画を
伝達したり、
気を回して
足りなさそうな洋服などを
わたしの部屋から持って
きてくれたりした。
しかし、叔母がやがて
部屋から荷物をもちだすことは止めた。 本人のためにならないし、
勝手に 本人がいない部屋に入って
ものにふれるべきじゃない、と。


叔父は母親に
わたしが独立することへの
承諾をあらためて
とりつけてくれた。
わたしは10年かけても
できなかったことだった。


2日やすんで体調がもどり
仕事に復帰した。
以後その週いっぱいは
叔父の家から通勤した。
転倒してケガをしたので休むと
伝えてあったが
上司に事情をすべて話した。
午後からのパートタイム勤務から
常勤にあげてくれるようお願いした。
手前がってにもほどがあるお願いだが
だめでもともとだった。
だめかもしれないが
かなうならそれがいちばん
いまの自分にとってありがたい
形だった。
だから、頼んでみた。
上司の尽力で申請がとおった。



10月13日、部屋を決めた。
職場のすぐちかくの不動産会社に
予約もなしで飛び込んで、
部屋をさがしてる、
可能ならすぐにでも入居したい、
と相談した。
たいへん力になってくれ、
たまたま適した部屋がみつかった。
昼過ぎに内覧にいき、
数時間後、夕方にもう一度
みせてもらい、その場できめた。
原状回復とクリーニングがあるが
はやければ1週間で入居可とのこと。


翌週あけ、10月15日、
叔父の家を出た。
実家から1駅のところの
年上の友人宅に身を寄せた。
以後19日の夜までお世話になり
ここから通勤もした。


16日、部屋の契約をすませた。
カギ受け取りは20日(土曜)か
21日(日曜)になりそうだとのこと。


部屋を決めたら
すぐに叔父の家からは出る約束だった
引っ越しまでたった1週間
それまでは
ネットカフェででも寝泊まりすれば
いいと考えてた。
前職でいそがしくて
帰れなかった日には
そんなことしょっちゅう
やっていた。
叔父夫妻には、しかし反対された。
預かっていた身として
ネットカフェみたいに
だれがいるかわからないような
あぶないところに行かせたとは、
わたしの母に言えない、
と言下に。
一方でビジネスホテルは
金がかかるからやめろといい、
友だちの家などは迷惑がかかるから
だめだともいわれた。
こういう
「なにをやるといっても
結局だめといわれる」
的な、袋小路的な展開に
よく、おちいる。
とくに母親とのあいだで。
「だめといわれた」
「やめろといわれた」
「禁じられた」
「反対された」
だけのことであり
わたしがほんとうにやりたければ
わたしの責任をもって
冒してもかまわないはずだ
だが
ダメだといわれたことは
絶対にやってはならない
なぜならどなられるから、となる。
そのことを急におもって
冒してみようと。
ほんとうはどうしたいかを
かんがえたとき、
「安心できるところにいきたい」
というのがでてきた。
それが身を寄せた友人宅だった。
事情あって友人も
きわめて多忙な時期だった。
だが、
おいで!うちにはネコがいるよ!
1週間、たのしもう!
と言ってくれた。
母親ではなく叔父だったからかも
しれないが
反対したのにわたしが友人宅に
行くことにしたと知ったとき
しぶい顔はしたが、
くどくどおなじことは
言わずにおいてくれた。
叔父は15日の夜、
友人の家まで車で送ってくれた。
だが車中で、
友人が年上であること
飲食店を経営している人で、
自分は彼女のお店に
客として訪れて親しくなったこと
などを話したところ
叔父の考えでは
それは友人とはいわない、
自分は送り届けるがその人に
あいさつはしない、といって
きゅうに不機嫌になった。
あいさつをしなければさぞかし
その人は、失礼な叔父さんだと
思うだろうよ、などと
叔父らしくないとおもうような
奇妙なイヤミまで。
正直わたしには今もって
いったいなんだったのか
なにが叔父は言いたかったのか
どうしてほしかったのか
ぜんぜんわからない。
わかる人がいたら
ぜひおしえてほしい。



18日、部屋のカギが20日土曜の
夕方にはうけとれるということが
確定した。
これにより
20日土曜の引っ越しが決まった。



19日夜、友人宅をでた。
20日の朝までだっていていいよと
友人は言ってくれたが、
20日は彼女もいそがしいことを
聞いていたのでおいとました。
実家のすぐちかくにある
ビジネスホテルを一晩予約しておき
そこに泊まった。
ひさしぶりにテレビを観た。



20日朝、
迎えにきてくれた叔父と
実家におもむき、
引っ越し作業をおこなった。
引っ越し業者を頼まずに
叔父の軽トラックに
兄の力をかりて
荷物を積んだ。
15時30分ごろ出発した
カギをうけとるために
職場ちかくの不動産会社に
まず向かった。
ふつうなら30分くらいだとおもうが
道が混んでいて1時間くらい。
叔父がイライラしているところを
わたしが知る限り初めて見た。
不動産会社は繁華街にあり
自動車では入りにくい
不動産会社からあるいて
20分くらいのところに車をとめ、
そこから店にいき
カギをうけとって
また20分あるいて叔父の車の
ところまでもどる、という
ことをやった。
この徒歩の道のりで
繁華街からはよい加減に離れて
かつ、もっと不動産会社までの
アクセスが楽なパーキングは
いくつでも見つかることに気づいた。
だがわたしはふだん
車を運転しないから
そういうことに目がきかない。
この街も
勤務先があるというだけで
そう土地鑑があるわけでもない
叔父の軽トラックにはカーナビがない
不動産会社を中心に
近隣のパーキング検索、とかできない
しかも叔父はいらいらしていた
いろいろしょうがなかったとおもう
カギをうけとって叔父の車に戻るとき
ひどいにわか雨に降られた
ようやく車のところに到着すると
おまえは20分でもどるといったが
25分かかったと不平がとんできた
車でアパートにむかった
にわか雨がつづいていて
作業はたいへん難航した。
だがはやく終わらせたい
きもちがあったからか
30分くらいで
荷物の運び入れがおわった。
叔父はもうきょうは、というか
しばらくはおまえの顔は見たくない
といったようすをありありと見せて
帰っていった。
とうぜんだとおもった。
驚異的な忍耐力にあたまがさがった。
とか他人ごとみたいに
人に頼らないと
なにもできやしないくせに
わかったような口をきくところが
叔父からしてみたら
まったくかわいげのない
ムカツク姪なんだということに
もしかしたら叔父も今回
きづいたかもしれない。
叔父への返礼として
わたしにできることが
なにかあるとすれば
もう煩わさないことにつきる気がした。



これはまだあんまり
ちゃんと考えてはいなくて
的確なことをいっているという
自信はもちろんないが
わたしの母親は
叔父の実姉で
叔父にとってはたったひとりの
存命の肉親だ
わたしは自分の肉親といえる人に
たぶんあまり健全、または一般的な
愛情や感慨をもちあわせてないから
わからないのかもしれないが
叔父にしてみたらわたしの母親は
とてもだいじな存在なのかも。
叔父はわたしのことも
たいへんだいじにしてくれるが
それは姉の娘だからで
実の姉はほんとうになにか
べつのところで
たいせつにおもうものなのかもと。
わたしはその
彼の姉を苦しめた。
わたしはここに書いたことで
必要なことをぜんぶ言い切った
とはまったくおもわないが
でも彼の実の姉を苦しめたことで
叔父のことも苦しめたんだろうなと。

こんなふうにロボットみたいな
ものの言い方しかできないわたしは
母が言うように、きち○いなんだろう。
わたしはあたまがどうかしている。
こんなまともでちゃんとした
人間のもとで育ちながら
なぜこうなったのか
とか一応
口では言ってみるが
本音は
「たしかにそうかもしれないけど
なっちゃったものはしかたない」。


にわか雨がやんで
ひとりになった。
外にでて近所を散歩した。
2時間後くらいにもどって
床にふとんをしき、すぐにやすんだ。
睡眠導入剤は行方不明になっていた
のまずに朝までぐっすりねむった。

ムリをしない/「卑怯」-181029。

あまり会う機会がない友だちに
メールをおくり、
一人暮らしをはじめたことを
伝えたところ、

「そういうときは
気づかないうちに疲れが
たまっていくとおもうので
いつも以上に自分をいたわるように」
といった趣旨の返事があった。

はっとした。

たしかにそうだ。
急がなくても誰にも怒られないんだし
そんなにあくせく
部屋の整理とか
やらなくてもいいか。

だがカーテンだけは
はやく着けないとな

それと今週 知り合いから
ソファーベッドを
ゆずっていただくことになった。
これで、やっと
ベッドで眠ることができる。
いまカーペットのうえに
ふとんをしいて横になっているが
背中とか腰の痛みで目が覚めて
あんまり気分のいいもんじゃない
板張りの床だからカタイのかなあ。
子どものころはふとんだったが
部屋は畳だった。
ベッドに慣れると
やっぱりベッドがいい
っていう気がする。

カーテンとベッドが入ったら
いったん部屋の整備の
ペースをおとして
休日は休日らしく
すこしのんびりしようかなあ

およそ20日後にネットがつかえる
ようになる。
(おそい笑)
そうしたら押し入れのなかとかの
収納力をたかめるためのラックとか
洋服だんす、デスクなんかの
おおきなものを
ネットでさがしてそろえられるから
12月いっぱいくらいで
そのへんの手配をすませたい
台所も。

たぶん本棚はさいごのさいご、
年明けくらいだ。

2月は雪の季節だから
そこまではかけたくない。


体が丈夫じゃないという
基本設定をとかく忘れがちだ
その深刻度をこの年齢になっても
よく理解してないとこも問題
いまはさいわい体調はふつうだが
カゼやらなんやらかかろうものなら
ざっと10日はまるまるつぶれる
ひとたまりもない
わたしが元気でいなくちゃ
わたしの部屋がある意味もない
気をつけて元気でいよう。


それにしても
引っ越してきてからというもの
かなりスムーズに
寝付けるようになった
睡眠導入剤、もう1週間のんでない
引っ越し初日、薬をどこにしまったか
わすれちゃったのだが
あとで荷物を整理したとき、
お薬がはいった袋を
一応みつけた
だがお守りに置いてあるだけで
のまないでも、寝付ける。
時間は4時間から
ねむれて6時間と短めだが、
でも寝られている。
フラッシュバックも
すくなくともこの1週間は
起きてない。
いいかんじだ。
心配ごとはたえないが
もっともおおきく根深かった問題と
距離をとることができたのは
よかったようにおもう。

のんびりいこう。
ムリはまずい。
人にそれを言われても
ぴんとこないことが
これまでは多かったが
いまは自分ではっきりと
「ムリをしちゃいけない」
と、思える笑
わたしの場合
ある程度ムリをしたいときに
がんばってもらう、あたま、
「マインド」の方にも
不具合をきたしている。
ムリはできない。


・・・


勤務先の同僚が
「卑怯」を
「ひきょう」でなく
「ひきよう」と発音した
ちいさい「ょ」じゃなく
「よ」なのだ。
口調がゆっくりな人なので
ものすごくきわだって聞こえた。
どうなんだろう
おおもとの、もともと、
元来は
おおきい「よ」だった
・・・のかな?
中国由来で「怯」は「興」だったはず
「興」を「きよう」とよんだときが
あったなんて聞いたことがない
すくなくとも現代日本語では
「卑怯」はやはり
「ひきょう」かなと
おもう。
まあべつにいいのだが
本人に
「きのう『卑怯』を『ひきよう』って
発音してたね。」
とか 言ってもなにがなんだか
わからないよな・・・
本人は「卑怯」という言葉を
自分がつかったということさえ
あしたになったら忘れてるかもしれない
すごくおもしろかったんだけど笑

同僚は昨年、仲間とふたりで
どちらがよりよい個人業績を
あげられるか競争して、
勝ったらしい。
なのに仲間が
そのことをあたかも
なかったかのようなかんじで
なにか重要な話を
進めようとしたので
「ちょっとまって、ずるいよ!」
の意味で
「卑怯だ」
と不服を申し立てたのだ
(この流れはすべて
険悪な雰囲気でもなんでもなく
冗談まじりで。)


おだやかな性格のもちぬしで
声を荒げたりなんてことは
ふだんまずない人だ
それが冗談でも
「卑怯」なんて強い言葉をつかって
仲間のズルに鋭く反応した。
その意味でもかなり
印象的だった、このできごとは。