BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『美女と野獣』-170515。

原題:BEAUTY AND THE BEAST
ビル・コンドン監督
2017年、米

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ディズニーだけあって 
あいもかわらず非のうちどころのない
「美」ってものを味わわせてくれる作品だった。
まったく、感嘆させられた。
人間の力でも、これほどまでに完璧なものを
作ろうと思えば作れるんだな。

だがまあ 内容について正直なとこいうと
これだったらわたしは
アナと雪の女王」のほうが
まだしも好きだったかもわからん。

美女と野獣」は、
とってもすてきだったけれど、
ほんのすこしでも自分のこととして考えられる部分というか
つまり共感しやすさみたいなものが 
なかった。
わたしはそうした不足感をまさに 
ディズニーランドやディズニーシーに
行ったときに、きまって感じるのだが。
それがイヤとか、悪いこととかおもうわけではないものの、
まあようするに、
「わー スゴイね!」
「わー きれいだね!」
「わー 華やかだね!」
っておもうんだけれど、
おもうんだけれど ただそれだけ、というか。
そこに体ごと飛び込んではいけないわけだ。決して。
ディズニーの世界ってのはわたしにとっては
ともすれば他人ごと になりやすいんだわな。
ディズニーが、完璧な夢を、完璧な美を
追求すればするほど、
それに触れるとき、わたしは
この不足感を自分のなかでつよめていくことだろう。
もちろん そんなのはわたし個人の問題で、
ほかのだれにとってもどうでもいいことなんだけれど。

あと、本作は、観たあとで
はっきりとした疑問点が意外にも いくつか残った。
いままで観たディズニー映画ではそういうことって
あんまりなかった気がするんだけどなあ。

・ガストンはその後どうなったのか。
・ベルの父のその後は?
・ベルは王子の哀しい事情をいつだれから聞かされたのか。 
 なんか気づいたときにはもう全部わかってるって感じだったが。
・王子の事情や彼の存在は、魔女の呪いによって、人々の記憶から
 消されてしまっていたようだが、呪いが解けて、人々のなかで
 存在が復活したいま、王子と民衆の関係はどうなっていくのか。
 まあこれは考えるだけ野暮ってものか。
・民衆にとって、王子はいったい誰なのか。
 どこの国の、なんという領土の、なんという王の子なのか。
 これも物語の本筋には関係ないことだとわかってはいるが
 すごく気になる。
・王子は今後 民衆から税金とか徴収するんだろうか(^^)
 王家なら税金とっていたはず、呪いをかけられる前までは。
 でも呪いのせいで民衆の記憶から王家が消えてしまってからは
 税金はとれなかっただろう。
 どうやって暮らしていたんだろう、呪いがかかっていた間。
 食料とか燃料の確保をどうやってしていたんだろう(^^)
 森から採ってきて適当にやっていたのかな。
 でもまあこれは完全に 夢ぶちこわしのケチをつけているだけ
 というかんじが、われながらする。けど気になる。
・ル・フウは、終盤で、
 王子の城に過去に来たことがあるようなことを
 言っていたが、そのあたりの事情が 
 自分が観ていたかぎりでは
 語られておらず、いっさいが謎だった。
 まえに来たことがあるってのは いったいなんでだ。
ヴィルヌーヴ村と王子の城の距離関係が、どうも不自然。
・ベルの父は 王子の城にもう一度たどりつくことができなかったのに 
 なぜガストンはああも苦しまずに城に行けたのか。
 ベルから奪った魔法の鏡は持っていたが、あれはナビ機能までは
 ないみたいだったしなあ。
・その点にかんしては、ル・フウも、
 ベルの父に案内をさせたときには城の存在を
 疑っていたのに、
 終盤で「まえにこの城に来たことがある」ようなことを
 言っていたのは、やはり
つじつまがあわないだろう。
 ベルの父についていったときは、
 城に行くのが面倒くさくなってきたから
 どうせ城なんかないだろうということにしたかった
 ・・・のかもしれないが、
 それはむしろガストンのほうの言い分で、
 ル・フウはそういう感じじゃなかった。
 観ていたかぎりでは、ル・フウはもう少し気のいい人間だ。
 城が本当にあるかどうかはともかくとしても、ベルの父に
 つきあってやろうくらいの気持ちは持ち続けていたように見えた。
 城があるってんなら(ガストンがベルを救出しに行きたがっているし、)
 行ってやってもいいんだけど、と考えていたということだ。
 しかるにル・フウはあとになって
 城に前にきたことがある的なことを言った。
 城に見覚えがあるというんなら、昔むかしの人の方向感覚は
 現代人とはぜんぜんちがうんだから、
 山道、けもの道でも、
 城へのルートや周辺の地形まで見覚えがあるもんじゃなかろうか。
 そもそもル・フウが心酔するガストンは
 猟師のようなこともしているみたいだったし。
 ガストンといっしょに行動するなかでル・フウの方向感覚も
 さぞかし磨かれてきたことだろう。
 なのになぜル・フウは 城に来てみてはじめて
 ここに来たことあるなあ、なんて言ったのかなとおもう。
 逆に言えば 城を知っているんであればなぜル・フウは
 率先して道を進み ベルの父を城に連れて行ってやらなかったのか。
 ガストンが城に到着できてしまうと
 ガストンとベルがくっついちゃうから
 それだとイヤだから、ってことか?
 うーーーーん。いや、弱いわな。それじゃ。おかしい。
 「城に来たことがある」自体が、誤訳だろうか?
 なんでだったんだろう。
 日本語吹き替えを観ればわかるかなあ?
・ベルが幼少期をすごしたパリのアパートの部屋に
 医師用の防疫マスクがおきっぱなしになっていたのが腑におちぬ。
 なにがあったのかしらないが、 
 患者の家で、マスクとらないだろ、医者は。
 でも母の死の真相を知りたいというベルの思いが
 あのアパートの部屋の幻影を作り上げた、ということならば、
 そこは夢と魔法の物語ってことで、
 まあ、目をつぶってもいい。
 でもペストなどが流行ったときに、ああいう鳥のクチバシ型の
 マスクが用いられていたなんてこと、
 欧米の子でも、大人に解説してもらわないともうわからない知識だと
 おもうのだが、ずいぶんマニアックな小道具 持ってきたなと感じた。
 もっとわかりやすく 過去の事情を説明しようとは思わなかったのかな。

 

あと、疑問というか、不満だった点もあった。


・ベルに、個性ってものがほとんどなかった。
 読書好きの美しい娘、というのはわかったが、
 もうすこし「風変り」感を実感させてくれるエピソードが欲しい。
 ベルの晩餐のミュージカルシーンと
 ラストの大団円の舞踏会シーンを
 それぞれ20秒くらいずつ削ってでも
 ベルの性格や人間性をもうちょっとだけ掘り下げる
 エピソードを散りばめていって欲しかった気がする。
エマ・ワトソンにはもうちょっとでいいから
 やる気ありげに演技をして欲しかった。
 「思慮深く心優しい性格」はかならずしも
 「無表情で声が小さい」という
 演技で表現するもんではないとおもう。
・王子がベルにやさしくなるタイミングが唐突すぎた。 
 バカがつくほど丁寧なストーリーテリングのくせに
 なんでそこだけそんなに性急なんだ。
・いろんな人がいる、いろんな愛のカタチがあるという
 現代の風潮を意識して、じつにきめこまかくそのへんの
 教育的配慮がなされているのを感じたが、
 さすがにこうまで いろいろ気を遣ってくれなくても、いい。
 ル・フウのダンスシーンとか。
 いや、べつにいいけど(^^)
 かえってディズニー側の基本的なスタンスが
 映画とは真逆です、ってことが強調されている気がして
 だいじょうぶなのこれ、って思っちゃったんだけど(^^)。
・エンディングのデュエットは、歌いかたが下品だった。
 とくに女声のほう。
 だれが歌っているのかしらないけど すくなくとも本編は
 そういうかんじの音楽性じゃなかったじゃないの、全然(^^)。
 なんか上質なフランスのオペレッタを観たあとにいきなり
 なんだろうな 
 和田アキ子かなんか聞かされるような気分だった。
 和田アキ子がわるいわけじゃないけどな(^^)


けど 本作は 楽しめたところもいっぱいあったな。
・ガストンの人気者っぷりが歌と踊りで表現される、
 酒場のミュージカルシーンはたのしかった。
 「お山の大将」感がすごくうまく描き出されていた。
・こまかな時代設定はよくわからないが、
 医師のマスクの形状からみて たぶん
 18世紀のフランスがベースかなというかんじが
 したのだが、当時の民衆のあいだにあった、
 特定の身分の人
 (未亡人、お嫁にいきおくれた女性、物乞い、精神病患者など)
 にたいする差別感情や、
 そうした人たちがすごく生きにくかった、という事情が
 それとなく、しかも案外シビアに表現されていて、
 おっ、と思った。
・ル・フウが歌がうまい。
・ガストンも歌がうまい。
・馬の「フィリップ」がかわいくておりこうさん。
ティーカップの「チップ」がカワイイ。
・時計と燭台のコンビの友情に泣けた。
・城の蔵書に感激するベルがかわいかった。
・ベルを愛しながらも解放してやったときの王子の表情が
 かなり泣けた。「オペラ座の怪人」のあのシーンみたいで。
・城の面々と民衆のバトルシーンは 工夫が凝らされていて
 すごくよかった。暴力をおさえて光と音で表現してたのが
 よかった。でも女は殴ってたけど(^^)
クラヴサンの鍵盤をマシンガンみたいに発射して
 戦うっての笑った。
・そういやクラヴサンに変身させられていた「マエストロ」は
 だから変身が解けたとき歯が何本か抜けてたのか。
 いや、あれはマエストロじゃなかったかな??
・ベルが、呪いが解けたときの王子の顔をみて、
 「あなたってこんなにイケメンだったのね!」じゃなくって、
 「野獣だったときのあなたの面影はどこに?」と
 いう表情をしたのが、わかっちゃいるが すてきだった。
 王子の顔に野獣とおなじ碧眼がかがやいているのを見て
 「あなたなのね」と安堵の表情をうかべたのが
 じつにドラマチック。


いろいろとケチはつけたが
良いところもたくさんあった映画だった。

しかしながら、こうしてふりかえってみて、
今いちばんやっぱりここは、と
残念におもうのは、
「ベルに個性ってものが感じられなかった」
というとこだった。
わたしは、『アナと雪の女王』(2013年)では
エルサにけっこう、個性を感じた。
心の通ったひとりの女の子、ってかんじがして、
いまでもエルサのことを、
「こういう子だった」と思いだせる。
そして、エルサにかなり強く共感した。
でも、ベルには、わたしはそういうのがない。
だから、その意味で『アナと雪の女王』のほうが
まだしもよかった、と感じるのだとおもう。

ベルが、こう、もうちょっとなー。
覇気の感じられる子だとよかったんだけど(^^)

映画の感想-『ラ・ラ・ランド』『ひるね姫』/小林泰三-170416。

ゴールデンウィーク進行で
あしたからしばらくまた 
うんざりくるほど大変になる。
休んでいる場合ではないような気がして
ものすごくきもちがそわそわしてる。
が、きょうは日曜日だから休んだ。
どうかんがえても、
休んでる場合じゃないどころか
むしろ休んでる場合だ。

先週の話なんだけど、
渋谷のBunkamura ザ・ミュージアム
「ゴールドマンコレクション 河鍋暁斎展」
をみにいった。
あれがとてもたのしかったので、
きょうもまた行ってきた。
最終日だった。
また会いたい。だいすきだ。
才気と気迫が 紙をはみ出して
ほとばしってる。
なんといっても新しい。
こんどいつ 
これほど大規模な展示があるかわからないが
埼玉の河鍋暁斎美術館にもまた行きたい。


これも今日の話ではないが、
先日
ラ・ラ・ランド』を観た。

原題:LA・LA・LAND
デミアン・チャゼル監督
2016年、米

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これはとってもよかった。
わたしには 響くストーリーだった。
ただ、
ミュージカルとしてというよりは
ただのドラマとして観てた気がする。
ミュージカルであることを
もちろん認識していたし、
形式としてはまちがいなく
ミュージカル映画なのだが、
役者さんたちが、「表現の手段」として
ダンスや歌をやっている感じではなかった。
技術的な意味で「必死すぎる」。
音楽劇とは、キャラクターが、
あふれるきもちを言葉では
表現しきれないから歌や踊りであらわす、
という、ものだとおもう。
そうでなかったらなんで
普通にしゃべればいいところを
わざわざ歌い踊るのか。
それだからこそ、
歌や踊りを表現の道具として
自分のものにしきっていない役者さんが
いくら一生懸命歌って踊っても
それはあくまでも歌であり踊り。
心の表現ではない、と感じる。
だから本作は、
ミュージカルと言える域には達していないと
言わざるをえないと思った。

その点やっぱり
メトロゴールドウィンメイヤーなどの
ハリウッドミュージカル映画黄金期の
作品を彩った役者さんたちは
ほんとうにすごい。
彼らは 息をするように踊り、歌う。
あと、
『ウエストサイドストーリー』
サウンド・オブ・ミュージック
屋根の上のヴァイオリン弾き
心そのものだ。歌や踊りが。

ああいったのが
まさにミュージカル映画だ。

だがべつに 
ラ・ラ・ランド』において
そこはそんなに深刻に考えていない。
つい長々説明してしまったから
マイナスポイントみたいな印象を
与えてしまったかもしれないが、
言うほどそこにマイナスを感じてはいない。
わたしはすごく楽しんで
この映画を観た。
後半など迷わず号泣であった。

オーディションで、
自分のことを語ってといわれたミアが
女優をめざしたきっかけ、
叔母さんの思い出を
語るシーンに感動した。
「どうか乾杯を、夢追い人に
愚か者に見えても 彼らの混沌に
どうか乾杯を、心の痛みに・・・」
泣かされる歌詞だった。

また、ミアと恋人の
ケンカのシーンもよかった。
お互いに、
「ほんとはこんなことが 
言いたいんじゃない・・・」
とおもっている感じがすごくあり、
それなのに口がとまらないというか、
なにかおかしな狂った空気に
なってしまっているかんじが
じつにリアルに出ていてよかった。
あのギリギリとした緊迫感に
かなり緊張させられた。

自主興行に失敗した
夜のシーンもとてもよかった。
あわててかけつけた恋人の顔を
まともにみようともせず
ミアは車で はしりさる。
彼女の傷ついたみじめな心が
痛いほど伝わった。

夢と現実。
大人ならぜったいにだれもが
ぶつかったことのある 
問題について。
そしてそれでも前をむいて
挑戦しつづけることの
せつなさと重みと傷とについて。

とても愚直に語りかけてくる
ドラマだったとおもう。

おもえば 
エマ・ストーンが出ている映画には
きまってこれまで やられてきたな。
『ヘルプ 心がつなぐストーリー』
『バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。

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エマ・ストーンが出演していることそれ自体とは
関係がないと思うが、
このふたつの映画も、今ふりかえると 
ラ・ラ・ランド』のような
要素をもったドラマだった。

エマ・ストーン
ハリウッドにおいては
この手のドラマのメインキャストとして
登場させるのに適しているとみなされる
年齢層の人なのかもしれない。
メリル・ストリープ
ジュリアン・ムーア
ミアやスキーターの役は
もう向かない、それは確かだろうから。
(バードマンでは エマは主役じゃなかったが)
・・・


それで先週の話はおわりで、


きょうの話にもどると、
河鍋暁斎展2回目をみたあと、
地元にかえってきて、まず図書館にいき、
小林泰三『人獣細工』(角川書店
をかりて、読んでみた。

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www.kadokawa.co.jp


この作家さんのことは
数か月前まで知らなかった。
知り合いからすすめられ、
まず短編集
玩具修理者/酔歩する男』を読んだら、
怒涛のおもしろさ。
その知り合いにこのまえ 
「『玩具修理者』おもしろかった」
と感想をつたえたところ、
こんどは短編集『人獣細工』
に収録されている
『本』をすすめられた。
その『本』を読むために
『人獣細工』を図書館でかりた。
そのあと映画をみる予定であったので、
映画がはじまるまでの数十分だが、読んでみた。
まず表題作『人獣細工』を読んだ。
わたしは夢中だった。
すごい作家さんだ。
なんでこのような力ある作家さんが 
もっと文壇でちやほやされないのか。
『酔歩する男』なんかは
似たようなかんじのテーマを
東野圭吾さんが
パラレルワールドラブストーリー』で
扱っていたと記憶しているが
こう言ってはなんだが
『酔歩する男』の方が圧倒的におもしろい。
パラレルワールドラブストーリー』の
半分のページ数で 
あれよりもずっと深いことを書ききっている。

・・・

時間になると、映画館に行き、
ひるね姫 知らないワタシの物語」を観た。

神山健治監督
2017年 日本

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清新、ということばがぴったりの、
よい映画だった。
ファミリーにもおすすめ。
何回も観たい美しい映像。
ブルーレイがでたら 
買って またみたい。
映像表現における
イマジネーションと
ハイテクノロジー
ノスタルジー
混ぜぐあいが
わたしにはちょうどよく
とても快適だった。
物語は、あまり深く考えないで
みたほうが受け入れやすいだろう。

でも観おわった今
深く考えたくなってしまっている。
一部 説明が不明瞭に思えた部分があった。

ワタナベの狙いが よくわからない。
完全自動運転車のお披露目を
オリンピックのセレモニーという
大舞台でわざと失敗させ、
あとで自分がその製造ノウハウを
モモタローから奪って完成させることで
名声を横取りし
会社を乗っ取ってやろう
ということだったのか?
だが、正直あのワタナベという男、
そこまでのことができる器には
まったくみえない・・・。
仮にその目論見が成功したとしても
そこから何をどうやったら
会社が乗っ取れるのかよくわからないし。
イクミが会社の中枢から引き離され、
末端の系列会社にとばされたことは、
エピローグで理解できた。
本編では そのころのイクミと
モモタローの記念写真がでてきて、
すみっこにワタナベがうつりこんでいた。
イクミが、左遷されても社長の娘であり、
優秀な人材であることを知っていたから
いずれ利用できると考えて 早くから
へつらっていた、ということだろう。 
目端がきかないわけじゃないらしい、
それはわかる。だが、
なんかちっちゃいんだよな。
どうせちっちゃいなら、
話ももっと小さく
まとまってたらというか・・・
たとえば、
オリンピックのセレモニーで
自動運転車のお披露目をしたいのに
車のシステムがうまく動かない
だがセレモニーでは失敗が許されない
いまさらシステムの開発が
うまくいってないという事実を
社長に言い出せず、それで
モモタローが持っているノウハウを
奪おうとした・・・とか
そのあたりの もう少し
けちくさい話だったら 
ワタナベの小物っぽさも 
納得できた気がする。

もしそちらの線でいくなら
夢の世界でも・・・
エンシェン姫が
幽閉の憂き目にあっているのは
彼女が機械至上社会において 
いまわしい存在であるところの
「魔法使い」だからなんだけど
彼女の幽閉を王に進言したベワンが
「じつはかくいう自分も
魔法使いなんです」という
王さまに言えない秘密の部分で
いろいろやってくれれば
現実と夢との話が
それなりにリンクするので 
ムリはなかったとおもうのだが。
ワタナベが会社を乗っ取りたいと 
考えていたことは理解できるのだが、
彼にそれができそうには
とてもおもえない感がすごかった。

エピローグはよかった。
モモタローと亡き妻の
なれそめの物語が語られていて、
妻が亡くなった原因も、
ほのめかされていたのがうまかった。
モモタローの顔に 
ちょっと出すぎだとはおもったが。

ひるね姫は、とくに 
ずっとみたいとおもってて 
みたというわけじゃなかったけど
すごくたのしい映画だった。
またみたい。 
映像がうつくしかった。

R・シュトラウスの「サロメ」。ブラスフェスタ多摩2017。-170320。

9時くらいにおきて何冊か本をよんだ。

そのあとDVDで「サロメ」をみた。

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R・シュトラウスのオペラ。
コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団
ドホナーニ指揮
リュック・ボンディ演出のを
もっている。

カナーンが、サロメの愛情に、
関心がないわけではないかのように
演出しているのが このバージョンの
特徴ではなかろうか。
カナーンが、
すがってくるサロメを追い返したり
ヒザにしがみつくサロメの頭を
両手でかかえたりする
手つきが、ちょっと、やさしい。
サロメの誘いに
懊悩しているようにみえるのだ。

サロメ役のキャサリン・マルフィターノは
オペラ歌手であって
ダンサーではないのに
「七つのヴェールの踊り」を
ちゃんと踊っていて えらい。
キャサリン・マルフィターノは
このDVDの収録のとき
たぶん50歳はとうにこえていた。
なのにそうとはおもえないほど
踊りに迫力があり、
自信に満ちてすごくきれいで、
みていてドキドキさせられる。
こういうのこそがほんとうの
セクシー、ということではないだろうか。
最後のほうは、つかれてくるらしく、
足がぜんぜん上がってないけど(^^)
むりもないとはおもう。
しかも10分くらい踊ってそのあと
やすみなく、長い歌をうたうんだよ。
ものすごく殺生なオペラだ。

衛兵部隊長の
自殺にいたるまでの心の動きを
もっとちゃんと描いてほしいような気もする。
何度みても、なんで死んだの?
ってかんじがする。
愛しいサロメがヨカナーンイカレていくのを
これ以上みるくらいなら死にますという
ことだというのは 理解できるのだが、
やや唐突におもえるのだ。

ユダヤの祭司たちのところや
ヘロデ・アンティパスの狂いっぷりは
とても観ていてたのしい。

オスカー・ワイルド
やっていいこと わるいことというのを
考えない人だったんだな とおもうけど
それなのにぜったいに
品位をそこなわないし、深い。
そして、いつまでも古びない。

歌劇サロメのDVDは
ほかにもいくつか
図書館の視聴覚サービスなどで観て 
比べたこともあったが
もうこのコヴェントガーデンので
観慣れちゃった。
でもほかにもいいのがあったら
みてみたいかなあ。

・・・

夕方からは、多摩センター駅にある
パルテノン多摩というホールにいき
「ブラスフェスタ多摩2017」という
吹奏楽のイベントを聴いてきた。

(BRASS FESTA多摩 2017
パルテノン多摩、15:00開場、15:30開演)

関東県内の高校の吹奏楽部や、
一般の楽団などが出演して演奏し
さらにさいごにはそれらのメンバー
+公募参加のプレイヤーの
巨大合同バンドの特別演奏がおこなわれた。
この合同バンドに友人が参加したので
聴きにいってきた。

高校生たちの演奏は
きらきらしていてとてもよかった。
でもなんだか それを見るのが
たまらなくはずかしかった。
自分もおなじ道をとおってきたので
いろいろなことを思い出して
彼らをみていることが
それはそれは尋常でなく恥ずかしかった。
ほとんど赤面しどおしで
下をむいて、顔を両手でおおい、
目をつぶって聴いてた。
まわりからみたら 
この人なにやってんだろうという
かんじだったにちがいない。
とにかくはずかしくて。

でも、高校生たち、とてもかがやいていた。

片倉高校の演奏は
折り目正しく、正統派そのもの。
決然としつつも 
音のしっぽの処理にこまやかに
気を遣っているせいか 
とてもやわらかい感触の演奏で、
彼らの誠実なきもちが伝わった。
スキでやっているんだな
というのがわかるのだ。

永山高校が披露したマーチングも
元気いっぱいでかわいらしかった。
バスーンが、マーチングに
ちゃんと参加していたどころか
むしろほかのどの楽器の子よりも
動きがキレッキレだったのは
みていて驚いたし、応援したくなった。
あんなに動きまくって 
クルークがひん曲がらないか
またはリードがぱっきり割れて
口の中が血まみれにならないか
はらはらしたけども
意外とそんなことにはならないようだった。

中学校のときに1回だけ わたしも
自分の部活でマーチングにトライしたので
参加したけども、
そのときはバスーンではなく、
臨時で打楽器に入れてもらって、
グロッケンを演奏した。
オーボエの子も、打楽器に入ってたな。
バスーン
マーチングできるなんておもってなかった。

コンクール全国出場常連校として有名な
淀川工科高校の指導者・丸谷明夫氏が
片倉高校と合同バンドの指揮をしていた。

わたしは丸谷氏におそわったことが
あるわけじゃないからわからないが
もし自分が あのバンドのバスーンの席にいて
丸谷氏の手がける練習に参加したとしたら、
たぶん、たのしいだろうなとおもった。
というのも、プレイヤーたちの表情が
とてもなごやかで、不要なストレスを 
かかえてないようにみえた。
わたしも片倉高校や合同バンドの
演奏を少しも緊張しないで聴けた。
ライブって、聴くだけでも、
なんだかイヤに緊張することや、
聴いていてたのしくない、
力がはいるなあ、と感じることが
ままあるものだ。
でも、かれらの演奏には、
そういうのがなかった。
だから、きっとみんな 
練習がたのしかったし、
練習をまたしたいと おもうような
練習だったんだろうなと。
またとないステージに立っているんだろうなと
そうおもいながらたのしんで聴いた。

ラストの合同バンドは
総勢170名だかいたようで、
演奏はものすごい迫力。
フォルテやピアノのコントロール
まったくきかないようだった(^^)
ステージの床が抜けないかどうかが
いちばん気がかりだった。

若い人たちの熱い演奏が
きけてたのしかった。

自分はもう吹奏楽はやらないかも。
とにかく、なんかもう、
はずかしかった。
いろいろおもいだしちゃって。
もうあのようには自分はできない。
わたしにとっての吹奏楽は 
すぎさった青春そのもの。
それにわたしは
バスーンのプレイヤーだから。
また団体やるとしたら
今度はオーケストラか
アンサンブルをやりたい。

心があたたまりまくったきょうのできごと。

きょう、仕事の帰りに、お店に寄って夕食をたべた。
そのお店には4~5か月くらいまえにも1回いったことがあった。
まえに行ったとき、わたし、料理をたのんだのに、
食べようとしたとたん、なにか急に体調がわるくなって、
とってもじゃないがこりゃ 食べられないなと。
というか 頑張って食べるためにこれから数十分 お店に
滞在したとしても、それで体力をつかいはたしてしまって
そのあと家に帰る力がのこらないとおもったんだよ。
そのくらい、急激にしかも深刻に調子がわるくなった。
それで まよったんだけれど、
料理を残して帰ることにしたんだわ。
残すことは、本意じゃなかったんで、
紙ナプキンをつかって、お店の人あてにメモをのこしたの。
体調がわるくなってしまったもんで 申し訳ないが残すと。
でも料理に問題があったわけではけっしてなく、
残すことをもうしわけないとおもっていると。
それでお盆のうえにそのメモをおいて、帰った。
貧血かなんかだったかなーとおもうけど。
一晩寝たらもう治ったけどあのときは実際つらかった。

で、きょう、おなじ店に行ったんだわ。
わすれてて。そんなことがあったことを。
そしたら、お店の女性の店員さんがお水をもってきたときに
「このまえはお手紙ありがとうございました。
体調はいかがですか」って。
そういやそんなことあったわ!!っておもいだして。
「あのときはほんとに残してすいませんでした。
覚えていてくれたんですか。」
といったら
「はい、お手紙、ここに」って
ネームプレートのケースの裏側に、わたしがあのとき
おいていったメモ、たたんで入れてくれてたの。

ほっこりか!!!!!!!!

いやー 1日のつかれが ふきとぶにもほどがあったわ。
それに、あんなことが、ネームプレートに入れて
とっておこうなんて思うくらい、店員さんのきもちには
ひびいたのか、とおもうと、
店員さんも日々、きっといろいろ大変なんだろうなと感じた。
わたしは いつもは 仕事帰りに晩御飯しようとおもうときなんて
ほんとに最高レベルにぐったり疲れきっている時間帯だから、
お店にいっても、お店の人と必要以上になにかからもうとか
まったくもっておもってないんだけども、
でも、ありがとうとかごちそうさまとか
そのくらいのことは やはり惜しまずちゃんと
口にだして言わんといかんなとおもったわ。
店員さんはきっととてもたいへんなんだとおもうよ。
わたしのように覇気も生気もない無表情の
つかれた客がつぎからつぎへとやってきてろくに口もきかず
そんななかでせいいっぱい笑顔をふりまいて働いて
とてもたいへんな仕事だろうなあ。
もうちょっとくらいは 疲れていても 
わたしも愛想というものをもとうとおもったわ。




映画の感想-「アサシン・クリード ASSASIN'S CREED(2016)」-170314。

先週の日曜日に観た。

アサシン・クリード
原題:ASSASIN'S CREED  
ジャスティン・カーゼル監督
2016年
英・仏・米・香港

movie.walkerplus.com

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アサシンクリード」は、
わたしの心のなかの
「中二」の部分が刺激される
すごくたのしい映画だった。

世界を支配する力を秘めた宝物をめぐって、
ふたつの勢力がぶつかり合い、
数百年の時を超えてあれやこれやする
スペクタクルアクション。

目新さ、斬新さは感じなかったし、
素人目にみても
細部に難を感じたが、
全体的に作り手のやる気がみなぎり
重くシリアスな雰囲気が
とぎれない。

パルクールをつかったバトルシーンは、
見せ方は平凡におもえても
やってることは超ハイレベルで
みていてたのしかった。

音楽もすごくおしゃれ。

なにしろ全体的に
雰囲気があったのがとてもよかった。

キリスト教文化圏に
生まれたときからいないことには、
なかなか理解しにくく、
「自分に関係ある」ともおもいにくい
ストーリーだとは感じた。
でも日本でもかつて
ダ・ヴィンチ・コード」が
受けたわけだから、
この映画も、楽しいとおもう人は
けっして少なくないだろう。
高く評価されていい映画だった。

ストーリーはもっともっと
複雑なのかとおもったが
案外そうでもなかった。
このくらいなら、わかる。

マイケル・ファスベンダー
むずかしそうな役をうまく演じてた。
アクションも自分でやってたみたいだし、
体のできあがり具合からさっするに。
ルックスの個性が強すぎないから、
どんな時代の物語にも、
どんな社会的地位の役柄にも
ハマれるのだろう。
ただ、どっちかというと
陰気で不幸せそうな顔ではあるので
ハッピーな男の役は
あまりこないのかもしれないが。

シャーロット・ランプリング
マリオン・コティヤール
でてたことに驚愕。
なんででたんだろう(=_=)?

むしかえすようだが、
やっぱ、素人がみても
「?」とおもうところは
あちこちにあった。
たとえば、アニムスだっけ。
あの、とおいご先祖の記憶を
追体験できるという
ハイテクメカ。
単純に記憶をたどるだけじゃ
だめだったんだろうか。
体まで動かさなくちゃ
いけないことはなかったとおもう。
まあそれいっちゃあ 
おしまいか。

あと、主人公のご先祖は、
どうして大事なあの宝物を
他人なんかに託したのか。

それに、
主人公のご先祖から
宝物を託されたその人が、
ご先祖の記憶の中で、
たまたま歴史的に有名な
言葉を発したから
その人物が誰であるかが
わかったようなものの、
そんな都合のいい「たまたま」って、
あるかなあ。

それと、主人公は
ソフィアとその父の目的地が
どうしてわかったのか。
わたしは観衆であり、
ソフィアの考えも主人公の考えも
ぜんぶ観ているから、
ソフィアがつぎはスペインの
セヴィリア大聖堂に行くということが
わかってたし、
そのあとの計画もわかっていた。
でも、主人公はあのとき、
アニムスから降りた直後で
疲弊しているところへ
先祖の過去の幻影が
実体化して目の前にあらわれるという
謎の体験のまっただなかにおり、
ソフィアたちのスケジュールなんか 
知るよしもなかったとおもう。
なのに なぜ彼は
ソフィアの目的地をさがしあてたのか。
テンプル騎士団の集会に
やってこられたことの理由も
同様に、よくわからなかった。

また、宝物「エデンの果実」とは
けっきょくのところ
なにをどうやって
どういうふうに使うものなのか。
緑色の光を発していたが。
天地開闢のときからあったなんて
ふつうに考えると当然おかしい。
作れる技術がなかっただろう。
元祖「エデンの果実」は別にあり
比較的新しい時代にだれかが
同じ名前の
なにかを作ったんだろうか。
よくわからなさすぎた。

ソフィアとマリアのあいだには
関係があるのかなあ。

このように
疑問はいくつかかんじた。
でも自分が観たものきいたものが
全部だったとはもちろんおもってない。
字幕に書ききれない情報が
原語で話されていても
わたしにはそれらが
聞き取れてなかったとおもうし、
なんでも、人気ゲームシリーズの
実写映画化作品だそうなので、
ゲームのなかでは、
これらの疑問にも
答えが用意されているのかも。
それにどのみち、
疑問点はたしかにあっても
だからといって
ダメな映画だったとはおもってなく
わたしはむしろ積極的にたのしんだ。

じっさい この映画は
もう1回くらい見たい。

映画の感想-「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち MISS PEREGRINE'S HOME FOR PECULIAR CHILDREN(2016)」-170313。

先々週の日曜日、「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」を観た。

ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち
原題:MISS PEREGRINE'S HOME FOR PECULIAR CHILDREN
ティム・バートン監督
2016年、米

movie.walkerplus.com

 

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テレンス・スタンプがでてておどろいた。
テレンス・スタンプいいよねえ。
エンダーズ・ゲームのエイサ・バターフィールドくんが
ずいぶん大きくなったことにもおどろいた。
エヴァ・グリーンがうっとりするくらいきれいだった。
あの人はふつうの現代劇ではなくてこういうファンタジーものとか
こう・・・ キッチリお化粧していかにもなコスチュームつけて
演じる役が ハマるよなあ。
きれいだよね。目もとの、濃いお化粧が
ドキドキするくらいイイ。

今年にはいってからずっと、アクション映画ばかりみていて、
バイオハザードザファイナルも、マグニフィセント・セブンも、
それらはどれも、観ていてなんにも考えなくてよかったし、
観終わってからも、一生なんにも考えなくていい映画だったけど、
「ミス・ペレグリン」は、なにかを考えずにはいられない映画だった。

ティム・バートン監督は、いつも映画に、欠陥をかかえた人間や
まわりとうまくやれない人間を出すよなあ。
そういう人の映画ばかりだよなあ。
自分が、そうだった、もしくはいまもそうなのかもしれないけど。
そうして、それらの 欠陥ある人びとやふつうには生きられない人びとを
とても積極的に認めていて、たたえているようにおもうな。

「ミス・ペレグリン」では、ペレグリン夫人の保護下で生活している
子どもたちはみんな一種の異形であり、ふつうの人たちに
まじっては まず生活できないような力を持って生まれてしまった
子ばかりだった。
どれも使いようによっちゃ ほんととんでもない能力だった。
でも、どの子も、その力をつかってなにかスゴイことをやろうとか
そういったことはしていなかったし、
その手の「自分たちこそが優秀な人種」みたいな教育を
うけている形跡もまるでなかった。
彼らの世話をするペレグリン夫人なども、べつに
子どもたちに「その力をつかってよりよい世界をつくりましょう」とか
言ってなかった。自分たちが、力を持っていない人間よりも
優れた偉大な存在、とも なにもいっていなかった。
彼らはなにも変わらない世界、彼らだけの安全地帯で、
ただたのしく 生活しているだけだった。
お人形あそびをしたり、家庭農園から野菜をとってきてご飯をつくったり、
ホームシアターをみたりしているだけ。
なにもしてない。せっかくすごい力をもってても。
いさぎよいまでになにもしてない感が
どうもなんだかすごかった。
エイサが演じた主人公の男の子も、
一種 特殊な能力者であることがあきらかになった。
でも彼は、その力があったとしても、ふつうの人びとにまじって
生活することは不可能じゃないかんじだったとおもう。
とくに見た目が異形というわけではなかったし。
けども、この男の子も、最終的には
ペレグリン夫人の子どもたちとおなじ
閉じた世界にとびこんでいくことを選んでいた。
こういうときふつう「でも主人公の子は、この子どもたちとの
出会いを経ておおきく成長し やがて ふつうの人びとのなかで
力強く生きていくことを決意するのでした。」
とかいう結末になるもんじゃないだろうか。
ならなかった。
きっぱりと自分から あの不思議な子どもたちのいる
閉じたほうの世界へと旅立っていった。
たいへんな苦労をしてもあきらめずに 
閉じた世界への鍵を探し求め、そして探しあてて旅立った。
そのような結末をものすごく肯定的に前向きな雰囲気で
描いていたことがとても印象的だった。
ティム・バートン監督は 自分がまわりとうまくやれない
子だった、のかもしれなくて、
そんなかつての自分に「それでいいのさ。一生だれともうまくやれなくても
わかってもらえなくっても 自分の道をつらぬきとおしていいのさ。」と
言ってやりたくて
こういう映画を作り続けてるんだろうか。
自分自身のために。
でもそうなのだとしても こうして わたしにもその
メッセージが 熱く響くよなあ。
わたしはティム・バートンじゃないのだけども。

まじわれないならまじわれないでいい、誰になんといわれようとも
自分の道をすすんでいいと いうメッセージでもあったし、
けども べつにだいそれたことをしなくてもいい、
ただ いまそのままの自分でもべつにいい
というメッセージでもあったとおもうわな。
つまるところ自分の存在を恥じなくてよいということかな。
まわりになにかいわれて揺らぐようなものじゃないわけだから。
みたいな?

ティム・バートンだわなあ。









雑記。近況。映画わりとみてた。出会いと別れ。中里学さんのライブ。心境の変化。

しばらく忙しめで 書く時間があまりとれなかった。
でもおおむね平穏な毎日をすごしてた。

映画は「マリアンヌ」「破門」のあとは
「ミス・ペレグリンと奇妙な子どもたち」と「アサシン・クリード」を
みてた。どちらもけっこうたのしかった。
そのうちちゃんと感想を書こうとおもう。
でも書かないかもしんない。
アサシン・クリードはなんとなく続編もありえるような
終わり方だったかもしれない。
マイケル・ファスベンダーはほんっといい役者さんだ。

次の機会にはトリプルXをみたい。
「スノーデン」をみたかったのだが
もう関東は都内くらいでしか
やってないみたいだ。 
行けるかなあ。
あと、今月末にはユーリ・ノルシュテイン監督の
特集上映をみにいくつもりだ。
近所の映画館では自分がいけそうな日にはやらないと
かんちがいしていて、唯一いける可能性があった
長野県松本市まで いこうかとかんがえていたのだけど、
よくよく公式サイトを確認したら、松本市のと同じ日に
電車で30分くらいでいけるところにある映画館で
上映されることがわかったので
そちらにいくことにした。
松本市にいくのもたのしそうだけど。
ずいぶんまえに一度 友だちと長野県に旅行に行き、
松本市を拠点に2日半 いろんなところを観光した。
あれは最高だった。あんなにくつろげる所ってないとおもうな。
すずしかったし みんないい人で最高だった。
今回はいかないが、長野県にはまたいきたい。

ユーリ・ノルシュテイン監督・・・
「外套」は 完成するのかなあ。
ひそかに、しかし確実に わたしは完成のときを
待っているんだけれども。

映画 今年はいまのところかなりみてていいかんじだ。
去年ぜんぜんみなかったこと後悔している。
今年はこの調子でしっかりみるつもりだ。


ずっと、本はたくさん読んでた。
昨年の暮れから 夜道を歩くときあの曲がり角でクマに遭遇したら
どうしよう、という われながら 言いようもなくわけのわからない
妄想みたいなものに かなり真剣に悩まされてきたのだが、
「クマに会ったらどうするか」(ちくま文庫)という
本を読んで その悩みがすっかり解消された。
今年に入って読んだ本としてはかなり衝撃的というか
すごく のちのちまで思い出に残りそう。
「クマに会ったらどうするか」。
ほかにもいろいろ読んでた。
おもにニーチェ読んでた。
気分が落ち着いているとき、ないしやや落ち気味のとき
ニーチェをつい手に取っているかんじがする。
べつにそんなに深く あの人の思想とかを
理解しているわけではないとおもうが。
尊敬している。その強さを。

 


ほかにもいろんなことがあった。2月3月は毎週のように
いろんな人と会って話したり 
新しい友だちとの出会いがあったりして
いま、ずいぶん充実感がある。
でも 別れもひとつあった。
心からかなしくおもう。
落ち込んでる。
自分に落ち度があった。
これもほんとうは くわしく自分の心境をかきたいような気持ちだが
いろいろとわけあって、むりだ。
事情をぼかして書いたんじゃ、自己満足以外のなにものでもない
内容になってしまい、人に読ませる前提のブログなのに、
それじゃ何の意味もないからなあ。
だから書かない。
しかし この件については正直ちょっとまいってる。
いろいろ考えすぎてしまっているみたいで
別れがきまった日の夜からどうもあんまり眠れない日が
つづいてる。
でもまあ自分でまいた種といえば自分でまいた種だ。
それに 自分よりももっと傷ついている相手がいるわけで。
ただ、やっときょうになって、すこし気分がかるくはなった。
自分はわりと なにかあると その影響がまず睡眠にくる傾向がある。
なにかというとすぐ 眠れなくなってくるのだ。
緊張しているとか、落ち込んでいるとかそういうことがあると。
うまいこと眠れない日が続いたことは 以前にもあり
はじめてではない。 
2週間同じ状態がつづいたときはさすがに 
これはまずいとおもった覚えがある。
疲労の回復ができないからヘロヘロになってしまって。
またつづくようなら 対策をかんがえたい。はやめに。

3月5日に、ソロシンガーの中里学さんのワンマンライブきいてきた。
こぢんまりとした会場のちいさなステージに
中里さんとギターとベースとドラムとパーカッションとキーボードと
コーラスとヴァイオリンとさらにダンサーまではいって
すごく豪華な編成だった。
わたしはガクさんはもうもっと大きな会場でやればいいとおもうけどな。
すごくたのしい いいライブだった。
じつは今日の夜も、ガクさんの追加公演的なミニライブがあり
行ってきた。 何度聴いてもあきないんだよな。
いいよね。
みんな中里学さんの歌聴けばいいんじゃないかな。
きっとたくさんの人に受け入れられる音楽だとおもうけどね。
共感できるんだよ。歌詞も音楽も よく考えられているけれども
平易でまっすぐ心に入ってくるし。
エモーショナルだけど押しつけがましさがなく シンプルでいいよ。

www.nakazato-gaku.info


去年のワンマンライブにも 行ったんだけど
そのとき、感想をブログに書いたから
参考までに ここにはらせてもらう。
たいしたことかけていないけど。
このブログ古いんだよな。こっちにはやく
ぜんぶ引っ越してこないといけない。
ブログがふたつある状態になってしまっている。

mollenhauer8rk.blog.fc2.com




ところで、
1か月半ばかりまえ、自分にとってたいへんに大きな
心境の変化があった。
これについては わすれることなくちゃんと 近いうちに
ここで告白したい。
これまでに数人の 信用できる人びとに
自分ですべての事情を話してきたので
だいぶ考えがまとまり、ちゃんと順序立てて
まともに話せる状態になったとおもう。
だからそろそろ書いてもだいじょうぶだとおもってる。

睡眠がどうかんがえても足りてなく 疲れがひどい。
胃とか腸とか調子わるいみたいだ。
どうせねむれないのに ねむりたい願望だけは
めちゃくちゃある。
とりあえず明かりを消して横にはなってみようとおもう。

またあした。