BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

なぜ、大学。-190221。

まえに、転職活動が
なかなかうまくいかなくて
よわりきったときに、
心のよりどころがほしくて
宗教書や哲学書を読みまくった。
仏教キリスト教を中心に
新しいものも古いものも
トマス・アクイナスも
デカルトニーチェ
カントもサルトル
なんでもかんでもとりあえず読んだ
そこに書かれていることから
今をのりきるうえでのヒントを
得ようとしたとか
そういうことではない
宗教や哲学って
「そういうかんじ」がするから
最初は 救われたい
助けがほしいとおもって
手に取った本たちだったかもしれないけど
でも
むずかしくって とてもじゃないが
自分には理解できなかったんだから、
どれも。
自分の「今」に適用できる何かなんて
まったくみつくろえず 
抽出もできなかった。
それなのに やめないで
読みつづけたのは、
埋没したかったからだとおもう。
圧倒的ななにか、
ぜったいに理解できないとおもうような
高度ななにかに
いっときでも挑み、
迷いこむことで
つらい現実から目をそらしたかった。

そのとき道元の「正法眼蔵」も
いっしょうけんめい読んだが
期待どおりぜんぜんわからなかった。

だけど、今よみかえしてみると
案外 もしかして
「むずかしく考えすぎてただけかもな」
と ちょっとおもう。
道元の著書のなかでも
正法眼蔵は難解だと
いわれているから
その情報をどこかから仕入れて
必要以上にびびってしまったことは
わたしの性格的に
かんがえられる。

※ただ 道元はそんなかんじで
まだしもな気がしてるのだが
空海とかは 本気でまったくわからない。

いったん のたうちまわるほど
苦しんでからでないと
ここにたどりつくことは、
いつも、できないんだけど
だいたいどんなことも、
たいせつで、しかも変わらないことは、
かならず とてもシンプルだ。
そして、いつの時代であろうが
誰がいったことであろうが、
根っこはおなじだったりする。
光のあてかたが異なっていたり
言葉がちがっていたり するだけで
みんな 共通することをいっている。
やっぱりまたこれか、と 
おもうこともあるのに
でも、触れてみないと
またか、かどうかは わからないし。
いっぽうで
やっぱりなぜだか
初めて触れたような気もする。
わかっていても、知っていても、
それを
実践できているかというと
できていない。だから、
新鮮に思えるのだろう。

正法眼蔵は、
もどれない過去でなく、
どうなるかわからない未来でもなく、
いまこのときを大切にして
生きるのがいいんだよ
ということをいっているんだと
今は 感じる。

・・・

体調が安定しないことが
われながら心配なのだが
できれば この春にも
大学に入り直したい。

学士とらないと大学院にいきたいと
おもってもいけないからなあ。

うーん。
でも 体調がなあ。
どうなのかねえ。
迷っているくらいだったら
科目履修生
(4年間124単位の卒業をめざす正科生でなく
とりたい科目を1科目とかからとる学生)
としてでも とにかく
半年 やってみるのが先決か。

でも体調がなあ。
まいったなあ。
わたしの心と体は
これからどうなっていくんだろうな笑
なんか、もう しっかりと元気には
ならないだろうなというかんじはするね
5年前、編集の仕事はじめたときと
おなじくらいにはもう
戻れないだろうな。

それがわかっているんなら
気にしてもしかたがないともいえるか。

あと 
どうして大学そんなに行きたいのか
自分でも正直わからない・・・
それがわからないことが
なにか非常に問題のような
気がしなくもない。

はっきりいえるのは
一生勉強してたい。
机にむかって 
いじいじ読んだり書いたり
新しいことを知って
へー、ほー、とか
言ってたい。
そして、それをもとに自分でなにかを
一生懸命かんがえては
こういう場所で
書き散らしたい。

そういう 
ほの暗くなかば狂人じみて
でも確実に熱いヘンななにかを
わたしは うしないたくない。
机とかイスとかノートとか
パソコンとか
書庫とか図書館とか
うすくらがりの 
本のある場所で起こることどもが
とても性に合っているのを
自覚している。
そういうところにいたほうが
落ち着くし、
なんのストレスも感じずに
ひたむきに、真剣でいられるのだ。
それだけはわかる。

資格とかはとくにいらない。
お金もそんなにほしくはない。
1ヶ月 借金とかせず
誰にもたよらずに
まわしていけるだけあれば
それでいいとおもう
だいたい かなしいかな
わたしが勉強したいことは
すくなくとも
そういうのとは無縁。
いつもそうだ。
わたしはお金になるからとか
将来有益だからというので
賢く次の行動を決めることがない。
というか 興味をもつことがいつも
一銭にもならない、将来無益なことなのだ笑

だから大学いっても
お金をうしなうわりに
べつになにも これというものは
獲得できない自信がある。
えられるのは自分の満足だけだ。
それなのになんで独学でなく大学かと
いわれたときに自分でもわからない。

学生だと 
いくら毒にも薬にもならねえ勉強してても
いじいじ本読んでても
部屋でひとりで本読んで
へーとかほーとか言ってても
学生だからとうぜんだ、と
ゆるされるような気がするから
だろうか笑

わからん・・・
大学を卒業しなかったことへの
後悔があるのかもしれないし。

どうなんだろう 
でも・・・

なぜ大学に自分が行きたいのかが
考えたらわかるか 
それともわからないかに
関係なく
体調にも関係なく
大学行きたいんだよな~
だからやっぱり
行ってみないと
心の整理もつかないだろうな。

通信制大学の科目履修生に
とりあえず なるか。
そして同時進行で
いちばんやってみたい学問の
通信講座があるようなので
それを1年間うけてみるか。
その講座の専門性が
いかほどのものかさえ
いまのわたしにはよくわからないのだが。
なにせやったことがないんだから。

もしまた体を壊したり
自分の頭が悪すぎて
ぜんぜんできないとわかったとしても
いつでもやめていいのだし
自分のお金だから
だれにもめいわくはかからないからな・・・

いやー わからんね。
そもそも大学とはいったいなんなのだ笑。
なぜわたしをこんなにまどわせるのだ笑