BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

どうしてもこうとしか考えられない。

世の中にはものすごくおもしろい物語を書いたり考えたりできる作家さんが
いっぱいいてあふれているしな・・・とかいろいろと思って、
それで自分ごときがいまさらなにを書くのかと 考えて、
自分の書くことなどどれもゴミの役にもたたない、というきもちで、
書かない日もあるし、
とくに書きたいことがない または肉体的に疲れていて早く休みたい
といったような理由で 書かない日もあるし、
「自分の書くことなどゴミの役にもたたない」とよくよく感じていて
なおかつ いますぐここに倒れ伏して寝てしまえるほど疲れているのに
そんなことはどうでもよくて、とにかく書かないと
なにかに耐えられない・・・という衝動に駆られて書くこともあるし

いろいろだが

基本的に うまれてこのかた辞めずに続いたのは
この書くという作業だけであり、いまも続いている。
そして、なんとかかんとか、これで給料ももらっている。

わたしは、音楽も愛したし、楽器の練習をがんばったが、
楽器では、ここまでにすらなれなかったと確信する。
わたしを生かしてくれるのは楽器ではなかったのだとしかいえない。
楽器の練習を続けられなくなったことには、
長期的な治療が必要な故障をかかえたことなど、
具体的な事情や背景がなくもないが、
仮にわたしがそれでも楽器をぜったいにやりたいんだとおもっていたら、
べつに、やっちゃいけないってことはなかったとおもう。
できたとおもう。やればよかったとおもう。
でも、その道を選ばなかったんだから、
これをどう自分のなかで咀嚼するかといえば、
「そっちじゃなかった」としかいいようがない。
わたしが自分で選んだ。
楽器はたのしいしまたやりたいけどな。
もし右手も左手も失って本を読む目も音楽を聴く耳も失ったとしても、
いや、むしろそれだからこそ、
わたしは足だか口だかでもつかって書くな。
手なんかなくたってそんなことは書かない理由にならない。
紙と鉛筆しかなかった時代じゃない。
その時代だって 手がなくても書く人は書いてたし。
いまはパソコンがある。どうやったってできる。
楽器をやらないでいることは、いまや可能だが、
書かないでいることは、とうてい不可能だ。

知っている。自分の書いたもんなど
ゴミの役にも立たないということを。
完璧でないということを。
これ以上になれないかもしれないということにも おびえている。
こんなことやってなんになるんだろうな。とおもっている。

けど、わたし、書いてないとすぐ、死にたくなるんだよね!
まったく残念な人間でね!
文字通り自殺したくなっちゃうんだよ!
どうも、ストレスに弱いようなんだよ。
心の中の、ストレスの受け皿が小さくてね。
書いて書いて発散しつづけてないとすぐ死にたくなるんだよね。
だからほんとに、その意味で、書いてないとだめなんだよ。
だれかの役に立つからではなくて自分が死なないように書いているわけ。

だからしょうがないわなあと。