BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

世界的に有名なネズミの話-180503。

一時期にくらべると読まなくなったが、マンガは今もすきだ。

この前お会いした方に、
これまでに読んだマンガで、いちばんおもしろかったと
おもうものはなに、との質問をいただいた。
少し考えたすえ、ふっと頭にうかびあがった一作を紹介してみる。
いろいろあるけどやっぱこれかなあ、と思ったものだ。

アート・スピーゲルマン
「マウス」
Maus A Survivor's Tale  
晶文社、全2巻、小野耕世訳 91年~94年)

f:id:york8188:20180502022206j:plain

 

f:id:york8188:20180502022217j:plain

www.shobunsha.co.jp

 www.shobunsha.co.jp


・・・
これがいちばんだったっていう気持ちが
ほかの作品といれかわる形で変化することは、
(すくなくともとうぶんは)ないかな?
こういうのって、読んだ時期とかそのときの自分の心とかが
深くかかわる、すごく主観的なものだ。

短大時代に、学校の図書館で読んで以来、傑作と認識しつづけている。
卒業の直前、図書館にいってみると、
蔵書登録除外・ご自由におもちかえりください
のプレートがかかった箱がおかれ、そこに本作全2巻が。
まよわずもらって帰ってきた。
案外手に入りにくい作品らしいので、
そんな機会に恵まれて、ツイてた。

作者は米国のアンダーグラウンドコミック界で著名なかたとか。
邦題サブタイトルは
アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語」。
お父上ヴラデック・スピーゲルマン氏へのインタビュー内容が
ストーリーの基となっている。

ときは第二次世界大戦期、ヴラデックは
ポーランドで若手実業家としてならしていた。だが
ナチスドイツの侵攻とユダヤ人殲滅策(ホロコースト)が激化、
スピーゲルマン家は屈指の資産家で各界に顔もきくが、ユダヤ系。
安穏としてはいられなくなってくる。
自分と家族の命を守るため
ヴラデックはその財力と機智、直感力と運にものをいわせて
幾多の危機をのりこえ、ホロコーストを生きのびる。
しかし、苛酷だった時代は彼ののちの人生に暗い影をおとしてしまい、
その影響は息子(作者)との関係にもおよぶ・・・。

若かりしころの父のサバイバルドキュメンタリー、
(「友だち?おまえの友だちだと?・・・ 友だち同士を
部屋にとじこめ 一週間たべものがなかったとしたら
そしたら、友だちとはなにか おまえにもわかるさ。」)
父と息子の心の相克、自殺した母と息子の愛憎。
克明につづられる物語の内容の濃さもなのだが、

特徴的なのはその描写スタイル
ユダヤ人はネズミ、
ドイツ人(ナチスドイツ)はネコ、
ポーランド人はブタと、人の顔が動物で表現される。

これが単純に、人のキャラは人の顔で・・・なら
おそらく本作のおもしろさは半分以下。
というのもヴラデックは、
ユダヤ人の利用が禁じられていた列車にのりこんだり
道ばたの子どもらに「ユダヤ人だ!」と騒がれたりと
危険な局面に何度も遭遇しながら、これをきりぬける。
これらをふつうに人の顔のキャラで描いたら
ありきたりなシーンの連続になっていたのでは。
それが動物の顔方式を選んだことで、
「ネズミだけど今だけブタのお面をつける」
など、表現の幅が拡がった。
巨大なドブネズミを見て悲鳴をあげてしまい(自分もネズミなのに!)、
身を隠していることがばれそうになる、そんなブラックユーモアも
従来の手法じゃ生まれなかった。

人のキャラが人の顔で描かれていたら、
内容がおもしろかろうと 
最後まで読んだかわからない、ともおもう。
海外のマンガにでてくる人間のキャラは
絵柄が日本のそれとあまりにちがい、なじみにくい。
どんな文化圏に育った人が見てもネズミ、
老若男女だれが見てもネコ、・・・
シンプルな絵でかかれたことが
世界的に読まれる作品になった理由のひとつのはずだ。
この父子だからこそ、といえそうな
こまやかな取材の成果といえる超精確なライフストーリー、
そしてカミュもまっさおのぶこつなメタファーのうちに
ゴリゴリ彫りだされる人間存在の実像とが
だれにもマネできないバランスで共生していることも、
その表現手法にひと工夫がなかったら
こんなに多くの人に知られないまま絶版になってたかも。
つまり、人の物語を動物の顔で・・・という手法を
選んだ時点で、本作の「勝ち」が決定した。

ヴラデックが基本的に(若いころも老いてからも)
「いいやつ」じゃなく、むしろ「クソ野郎」なのもいい。
ウソをつき人を裏切り、年寄りを見捨て、
どっちが安全か、何を差し出せば相手を動かせるか
葛藤そっちのけで選びに選んで生きのびた彼の物語は、大胆で等身大だ。
こうだったから生き残れたということであり
でもこうでなくちゃ生き残れないような世界を
作ってしまったのもまた人なのだということでもあり。

なにも、これが世界一のマンガとかいうわけではない。
おもしろいマンガはいくらでもある。
が、ぜったいにわすれられず、
読み返すたびになにか新しいきもちがわく
「マウス」はわたしにとってそういうかんじのマンガで、
心のなかでつねに一定の地位にある。

粗忽が過ぎる-180501。

ことやものを忘れる 約束ごとの日にちとか誤認する
何もないところで転ぶ、ぶっつける、落とす、言葉をまちがえる
昨年暮れに倒れたあたりから。
もともとぼんくら傾向の人間ではあるが、
「忘れる」とかは、ないほうだったのに。
それが昨今どうも わがことながらやや目に余る。

転ぶ と 忘れる が かさなった。

連休直前の26日、徒歩で帰宅途中につまずき、
足首を傷めた。靭帯断裂。
痛くなってきて、翌27日、接骨院へ。
固定してもらったおかげで痛みが消え、治ったとおもった。

今日、10キロほど、外を歩き回った。
ぶりかえした。

はいていた靴は
足首とつまさきの2点で足をホールドするタイプ。
ケガをして以来、手持ちの靴をいろいろ試したところ
スニーカーやサンダルよりもこの靴のほうが
自分にはラクだったため、採用していた。
安定感があり歩いていたときにはわからなかったが
接骨院に行って
(連休の中日に来るようにと言われていたので。)
玄関で靴をぬごうとしたとき、
靴がびくともしない。
患部がはれ、靴と密着してしまっていた。
それを見た先生、歩きまくった事実をたちどころに看破。
大人なのに ギッタギタに叱られる(涙)。
28日も29日も30日も
2万~3万歩(各10~11キロ余)歩いたことはもうおっかないから黙秘。
ふつうに「ばかじゃないの!」と けなされた(涙)。

いっこうに脱げず 先生しびれをきらし
靴の足首部分のストラップをハサミで切るといいだした。
さいわいゆるめたりきつくしたりできるベルトタイプ。
(ストラップがベルトのようなデザインのものでも、
接着され調節不可の場合がある、廉価品だと)。
どうにかゆるめて 靴を脱ぐことができた。

安静といわれても 歩かなくちゃ駅にもいけないからな。

本が読みたかったので。
徒歩で1時間半、約7.5キロの場所にある図書館の
書庫にあるとわかり、歩いて行った(電車で行け)。
しかし休館日。
とんぼがえりするにももったいなく思え、ちかくの映画館へ。
(たしか)レディプレイヤー1というのが
観たい気がして、2時間後の上映回のチケットをとった。
鑑賞ポイントがたまっており、無料。

思い入れあって選んだ映画ではなかったせいか、
1時間40分くらいたってみるともうこれが
「映画のチケットをとったことは覚えているが、
なんという映画のだったかおもいだせない」。

チケットで確認しようと考え財布をさぐったところ、見当たらず。
こういうミスはあんまりおかさない。
切符チケットのたぐいは必ず財布のなかだ。
でも、ねんのため
本のページのあいだとかジーンズのポケットとかいろいろ。

ないなあ。

映画館の発券機で、出たチケットを取り忘れたと思われる。
むずかしいとはおもうが、こうなったら
映画館で、発券口にむなしく残されたチケットが
忘れ物として届けられてませんかと 聞くしかないか。
座席指定で迷うとG-12シートをとる。今回もたぶん、G-12。
座席番号という具体的な手がかりを提供すれば、
怪しい者じゃないと思ってもらえるか。

フロントで聞いてみた。すると、
「何時からの、なんという作品のチケットでしょうか」。

そうだ、作品を忘れたんだった。
上映開始時刻も正確にはわからない。
「それが、わからないのです。」真摯に答えてしまった。
もはやG-12シートのはずとか くいさがれる雰囲気でなくなり、
「もうしわけございませんが・・・」シャットアウト(涙)。

ざんねん。
あ。
いまおもったんだけど、
会員IDで購入履歴をあたってもらう手があった。
むしろそれをこそためすべきだった。
フロントの人も言ってくれればよかったものを。
でもまだ経験があさく、そこまで思いつかない新人さんだったのかも。
ならばやむをえない。

足が悪いんだからとっとと帰れ、というお空の配剤か。

お空もそんなにヒマじゃないわなあ・・

そもさん-6-180430。

人は、みずから設定した、こうあるべき的枠組みに
みずから入っていくくせに、その枠のなかで苦しがる。
枠外だと感じることも、やっぱり苦しい。
子どものときには
ゲームの何を持ってる どんな家に住んでる
お母さんお父さんが何してる 誰が好ききらい・・・
余命数か月みたいなときにまで
ステージ〇〇、のこされた時間の「充実度」、
治療法や医療機関の選択、治療の効果、
入院なら面会者の属性や面会頻度・・・。
はまってたまるかと反発しても、反発は意識とも逆説できそれも苦しい。 
枠外と感じるのもつらい。枠から枠へ移動が続く。

定年退職者は社会から解放されたんだから、とか書いた。
社会から解放されるの反対には、社会に入る、がある。
年代?年齢?的な段階とともに出入りする枠もあるのかなあ。
社会に入るも、社会から出るも、
おなじときの流れを意識したうえでの考えだ。
生まれて→学び→社会に入り→働き→社会を出て→
余生を過ごし→死ぬ。始まって終わる的な、線状のときだ。

初めて会社組織に所属したのは24になる年のこと。
高校と4大をふつうにはいって出て新卒で就職したら
21とか22か。2年遅れだ。
「いま何歳だ。みんなに遅れている。どう追いつくつもりだ。」
と、母。むりもない。
おくれたくないと思ったなら、必死で卒業し新卒就職した。
でもそうは考えなかった。社会に出るのが怖かったからだ。
母の発言からも、
「いくつになったら〇〇」みたいな枠組み意識を感じるな。

時間は見えず、イメージが難しい。比較的単純だから、
「生まれて学んで働いて働くのをやめ年とって死ぬ」
の線イメージが定着したのかなあ。

一定の年齢になるとみんな学業を始めさせられる。
学齢でわけられ、原則追い越さず退行しない。
友だちは同学年。人間関係のつくられかたは会社組織でもほぼ同じだ。
年のはなれた友だちをもつのがむずかしいのは
年齢別の枠にみずからをはめこむからでは。
年齢差のひらいた恋愛関係が白眼視されるのも・・・。

似たようなことを先に書いたが、
各世代の枠設定のなかに、さらに細分化された
価値意識があるみたいだ。
世代別枠からほかの世代別枠にいけないし、
世代別枠内のせまい別枠からも自由にはでられない。
難度高のジャングルジムみたいだ。

常時絶賛はまりこみ中のこの枠を、仕切りを、
社会といわないのはなぜなんだろう。
諸君は社会にでていきます。大学の卒業式でえらい人が言いそう。
社会にでていきますもへちまもあるか。
生まれてこのかたずっと枠、社会のうちだ。
年齢別の枠にくわえ
幼稚園という世代別枠とそのなかの別途仕切り(その数、無数)
小学校という世代別枠とそのなかの別途仕切り(その数、無数)
中学という世代別枠とそのなかの別途仕切り(その数、無数)
高校という世代別枠とそのなかの別途仕切り(その数、無数)
短大という世代別枠とそのなかの別途仕切り(その数、無数)
大学という世代別枠とそのなかの別途仕切り(その数、無数)
就職という世代別枠とそのなかの別途仕切り(その数、無数)
ついでに娘の枠、子どもの枠、長女の枠、中間子の枠、
父と母の連絡係の枠・・・その数、無数。
よくもまあこんな複雑怪奇ジャングルジムを平気で。
鉄のバーに頭ぶっつけず足もふみはずさず。鈍感。
今ようやく頭をぶっつけられたのだと、ことほぐべきか?

定期試験、部活、楽器、
学校裏の公園でくだらないこと語り合う
地元の繁華街 渋谷の楽器店 予備校
楽団の練習帰りに大人の人にごはんをおごってもらう
社会ではなかったか。もやもやしてなかったか。
まだ〇〇でないから、〇〇できない。
〇〇になったから、〇〇せよと言われる。
卒業式でえらい人がいう言葉も、
社会にでるのがこわいというおびえも唐突で抽象的だ。
すきな本をななめよみして愚にもつかぬことを書き散らし
りっぱな論文をものした気になって悦に入り
学習塾のバイトなんかして、なおかつまだきみは社会に出てないと
なにかを免除された存在扱いしてもらえる、気楽な身分だった。
でも、じつのところいつだって社会にはいたのだ。
わたしですらそれに気づいてきたのだから、
もっと早く敏感に気づいた人もいるだろう。
労働と休暇というふたつの枠設定においてはとくに。
実態に即さないこの枠組みの崩壊が目に見えてきているんだろう。
はまろうにも枠がないのを感じ、
むきだしの自分に戸惑ってる人がいるのでは。

「生まれて学び働き働くのをやめ年をとって死ぬ」
人生はそういう流れだと思っちゃうけど、違うかも。
ほかにイメージするとしたらどう?
シュタイナーをもっと読めばわかるだろう、彼の考えが。
もと天上の存在がある時期から穢れにまみれ
枯れて死ぬ、それがさだめとか考えてたはずない。
瑕瑾なき幼年、痛みを知り活力にみつ青年、
枯れゆく老年のイメージも虚構と断定されるだろう。
そりゃランボーは天才っていわれるよ。今ならわかる。
「ああ、季節よ、城よ、無疵なこころが何処にある。」

hide 20th メモリアルイベント-180429

きのう聴いてきた。

hide20th-spirits.com


いまの自分は 生来の「暑さが苦手」にくわえ
体調の波、人混み不可、「音」への不安、
長時間の移動不可などなど
各種トラップが体の周辺にはりめぐられた状態にあり
野外イベントとか問題外だとおもってきたが
幸運にめぐまれ、行けない要素のほぼぜんぶを回避できた。

正直いうとhideその人のことは知らない。
音楽的にも人間的にも愛された人だということくらいは
一般常識として把握しており、亡くなった日のことも覚えてはいるが

目的は布袋寅泰(^^)

イベントは最高のひとことだった。

オーディエンスはみんなお行儀がいいうえに
すごく自由に この日この時間を楽しんでいた。
会場はコスプレの祝祭と化しており
「(いろんな時代の)hide」「氣志團」であふれかえっていた(^^)
再現度がきわめて高く いたるところで簡易撮影会が発生。
コスプレしてる人たちだって たぶんみんな一般のお客なんだけど
あちこちで「写真撮らせて!」に応じるものだから
休む間もないみたい。
あんな重装備のファッションじゃ、暑かっただろうに
ちょっと調子が悪くなったときとか用のテントに入って 
彼らが一息いれてるとこなんて一瞬もみなかった。
炎天下、襟をゆるめることもなく。

あんまりみごとなコスプレに見入ってしまい
「カッコイイですね!」と声がでた。
目があった氣志團(のコスプレ)さんが
にっこり笑ってうなずきかえしてくれたのが思い出にのこった(^^)

聴きたかったのは布袋寅泰だが
このイベントのおかげでZIGGYのファンにもなりそう。
なにより森重樹一
もう55歳にも手が届くというのに なんだあの声。
周りが言うには、のどが枯れてて力がぜんぜんでてなかったそうだが、
あれで完成形ととらえてもいっこうにさしつかえない。

なんでいままでこのバンドの音楽をちゃんと
聴いてこなかったものかと。
ガンズとかモトリークルー聴いてれば、
ふつうにいつかは出会ってそうなものだが、
存在さえしらなかった。
おもえば友人にZIGGYのファンが何人かいる。
言っておいてライブに誘ってもらおう。

布袋寅泰はすごかった(^^)
長身で足が長く、細いのにがっしりとしていてかっこいい。
ステージのはじからはじまで走りまくるばかりか、
ツイストステップは踏むわ飛ぶわ跳ねるわ
しかも音も声もまったくみだれない。
ライブが命の人なんだろうな。
立って動いて弾くことに慣れているかんじだ。

布袋寅泰の音楽って、彼のファンじゃなくてもわりと
口ずさめるナンバーが多い(キャッチーで覚えやすい)。
演奏をまともに聴いてみておもったんだけど
五音音階をあんまり使わないからなのかも。
五音音階だと民族音楽っぽいような予期しにくい音の動きがうまれ、
独自性が出しやすく、変化に富んでカッコイイ。でも、
ドレミファソラシド基盤のほうが みんな聞き慣れているし、
次はこの音がくるなと予感しやすく、聴くとほっとする。
だから覚えやすくもなるのかなと。
ちゃんとは音楽を勉強しなかったけど、ピアノくらいは
1~2年ならった・・・みたいな人に
ペンタトニックではなくドレミファソラシド、
ふつうの西洋音楽由来の音階をベースとする音楽を
作る人が多いようにおもう。
ピアノもなにもぜんぜんならってないと
ペンタトニックでもなんでも無自覚にぶちこんだ音楽を作ってきて、
破壊か、または革命かみたいな 話になってくるとおもうのだが。

※いやあそもそも ピアノもなにもぜんぜんならってないのに
音楽で自分を表現しよう、ということになる人というのが
この世にいることを知るにつけ
その発想の飛躍というか勇気というか無謀というか
いったいなんなのかといつも思う。
ならったことなく楽譜も読めないのに、
音楽やろうって思うってどういうこと。あまりにもすごい。


耳にするとほっとする、
布袋寅泰がそうした気持ちを聴く人にもたせたいのかはわからない。
安心感よりスリルを挑戦を予測不可能性を追求してこそ
ロックだ、とか彼なら言いそうだ。
でも、音楽的には安心感を、親しみやすさを
聴く人にあたえる結果となっているみたい。
本人が知ってうれしいかはべつとしても
それが愛される秘密だとしたら 音楽って複雑。

なんでも布袋寅泰がいうには hideと親交はあっても、
ステージで共演する機会はついになかったのだそうで、
「いっしょにやってるきもちになりたい」と
hide愛用のギター(フェルナンデスのMG-X?)のボディに
「ギタリズム」の あの幾何学柄を施した
特注の1本で「ロケットダイブ」を聴かせてくれた。

連れが「年寄りほどよくしゃべる」とつぶやいてたのがおもしろかった。
出演順が先だった若手のJやdefspiralは 思えば比較的
演奏中心のステージだったんだけど
たしかに氣志團(は ちょっと別か)以降ベテランの
ZIGGY布袋寅泰になると 人生とか命とか
熱く語る場面がおおかった(^^)

シュタイナー哲学の講読講座を受けだした-180428

ルドルフ・シュタイナーの、講読講座を受け始めた。
会場が近くてありがたい。

昨年暮れに倒れて仕事を辞め 体は壊れて動かず
心もなんだか死にたいおもいにさいなまれ
なにもかも失ったみたいなかなしいきもち。
それでも ぼんやりする頭のなか、
勉強したい、という欲求の残滓だけがあった。

退職の数か月まえから 
思うところあって通信制大学に入り、勉強を始めていた。
仕事辞めることになると夢にもおもってなかったし、
仕事は続けつつ今後のためにというつもりだった、もちろん。
それが、辞めて今やぼろぼろ。経済基盤も失った。
大学行ってる場合じゃない。やめたほうがいい。
それが妥当ってことくらいは考えればわかった。
でもとにかく、働くのをやめるのはアリでも 
学ぶのをやめるのはナシだった。
学ぶのまでやめたら今度こそおわりくらいのきもちさえあった。

わたしの「学ぶ」はしょせん
本を読んで知識をえて「へー」と感心する程度だ
病気でもできる。大学は辞めない。働けなくても。
だれになんといわれても。
死んだように生きるのだけは死んでもイヤだというののほうが
社会通念にはずれたおろかな選択をして
人に非難されることよりも だいじな気がしてたんだろう。
よくわかんない。バカだとおもうが、もう選んでしまった。

Facebookの「イベント」でみつけた、
シュタイナー哲学の講演会に出席してみた。
オランダの哲学博士イェッセ・ミュルダー氏が初来日し、
青山学院大学で開催したもの。なんでこれにしたのかなあ。
シュタイナーなんか何もしらない。

テキストは『自由の哲学』。
有名だから学生時代に何度か読んだが
当時はちんぷんかんぷん(そりゃそうだ)。
それが、講演会にそなえて読み返したところ、
かつて読んだときよりはなんか、わかる。かも??
これなら講演も大丈夫かも、という予感。
講演はおもしろかった。
博士はドイツ語で話された。
高校でならったとき以来の田舎っぽい言葉の響きが
なつかしくもあり、たのしい時間を過ごせた。
※その後、この講演会で通訳を担当した竹下哲生氏が
 開いた講演会にも参加。

「おもしろい」と感じたので、
シュタイナーもっと読んでみよう、と思ってた矢先
今回の講座のことを知った。

講座で読むのは
『教育の基礎としての一般人間学』『自由の哲学』だ。

第1回では、
シュタイナーの「人間」という存在のとらえかたは
一般的なそれと根本的にちがう。
それがわからなければ彼の理論のなにごとも理解できない。
講師の今井重孝先生がそう話された。
なんだろう、と不安になったがそうでもなかった。
シュタイナーの「人間」のとらえかた、は、すんなり理解できた。

シュタイナーは神秘思想家ともいわれる。
電波さん、非科学的などと敬遠されもする。
だが彼は彼のアプローチで、真理に到達していたと
考えて読んでみたいとおもう。
真理なんじゃないかな、無視できないなと
感じる人がいつの時代にも一定数おり、
その人たちが彼の思想を後世に伝え続けている。
教育の現場で実践を試み、一定の成果をえている。
電波の「思想」にはうらうちがなく、すぐ馬脚をあらわす。
こんなふうに後世まで残らないものだ。

シュタイナーは彼以前の人にこそ
理解されたはずだ(ヘンな言い方だけど)。
真理は不変で、多くない。
古いものは散逸し、体系的に見直せない。
仮に見直せても、見る者が見る者でなければ、
かつて願われたようには理解できない。
ものが「文学」だと文学研究者が文学研究の眼でみる。
壺におしこめられ洞窟の奥に隠されていた巻物は
歴史学者や考古学者がみる。
お互いが意見を交換し合うことはむずかしそうだ。
なぜそんなにわかりにくくなってしまうのかね。

でも、真理は不変だ。
「人がそれをわかるかわからないか」とは無関係に。

ぜんぜんちがうジャンルのことなのに
ふたつは同じことを言ってるって、気づいたりする。

シュタイナー教育における「子ども」についての
考えかたの基礎は、
ヘブライの民の言い伝えにあるという
月のなかの「神の館」につうじるとおもう。

シュタイナーのどれかの著書に、
われわれ人間は、宇宙の中心にいるのではなく、
その周辺にいるのだ、というようなことが書かれてた。
あれは、「ユリイカ」の
エドガー・アラン・ポー一流の宇宙論を 
思い起こさせる。

また、
バタイユが「呪われた部分」で扱った「蕩尽」
・・・国ごとや特定のエリアを分析対象とする経済学でなく
もっとグローバルな視点で見るべきとする「普遍経済」の、
基本的なスタンス・・・についての話も 
シュタイナーから連想させられる。

ちがうものだが、同じことを言ってる。打ち合わせたわけでもないのに、
別のルートをたどり、同じひとつの場所にたどりいている。
各人がそれぞれの言葉で その場所のことを論じている。

もっともっとたくさんの本を読み いろんな人に会って 
その考えにふれるようにつとめれば、
そうしたことのおもしろさを感じる機会も増えるんだろう。

そもさん-5-180427。

働くことが、しんどいだけのことだというわけでは
ありえないはずだ。
働いてきて困らされたこと、体を壊したことは多々あった。
それらは今このように考え込むきっかけともなったが
いつでも、楽しく刺激的だった。

働くことのつらさきつさをだれもが言う。
でも、もしほんとうにつらいことなら、
「就職祝い」はないし、
無職の人は羨望の的ではないのかな。
定年までつとめあげ自適の生活を獲得した人が
死んだ魚のごとき目をして公園を徘徊することもない、
だって「つらいこと」がおわったのだから。

逆に、そんなにもつらいという労働から解放された
おじさまおばさまが、
せっかくの自由時間を堪能しているようには
とても見えないのはなぜ?
彼らが楽しそうにしていてくれないから、
年齢を重ねることが怖くなる。
たのむからもっといきいきとしていてくださいよと
おもわれてならないものだ。

どうして自分は働くか、わたしのいままでの答えは
働いていないと生きている感じがしないから、だった。
けど、それをまじめに言うと、「重い!」と、引かれる。
ということは、べつの「重くない」動機づけがあることになる。

商社の営業事務として働いていたことがあった。
組まされた男性営業マンが毎日グチ、文句、ため息ばかり。
聞いていてこちらまでイヤな気持ちになったものだ。
そんな彼が、始業時刻になっても出社してこなかったことがあった。
わたしが知る限りそんなこと初めて。
昼ごろ、本人から連絡がはいった。
出勤途中、駅で倒れ、救急搬送されたという。
検査の結果、ひどい高血圧の状態にあることがわかり、
その後数日、彼は自宅休養となった。
やがて復帰してきた彼が、同僚に
「自分にとって仕事ってなんなのか、
なんのためにこんなに一生懸命やってんだ、と
つくづく考えてしまった…」
と、話しているのを聞いた。
すこしたって、わたしは彼に、
「このまえ、自分はなんのためにこんなに一生懸命
仕事してるんだと考えた、とおっしゃってましたね。
その答え、でましたか?」と聞いてみた。
彼は、しばらく考えたあと、
「まあやっぱり、生活のためだよね、家族のため。…」と。

自分が知る人すべてに
同じ質問をしたわけじゃないから自信はないけど、
なぜ働くのかという問いに
「生活のため」
「家族や自分が、将来、やりたいことがやれて、
最低限困らない、豊かな生活を送るため」
という答えを用意している人は多い気がする。

すくなくともそうだった時代があったことを知ってる。
高度経済成長期だ。
あのとき努力したから今がある、と
将来思えるように今こそがんばる、
そんなふうにみんなが前をみつめ上を向いて
せいいっぱい働いていた。
その姿勢がほんとに効果的だと
(がんばっただけほんとにちゃんと返ってくると)
だれもが前向きに信じられた、そんな時代だったと聞く。

あのときがんばったから今がある、
と振り返るその「今」とは、
歳をとってこたつでお茶を飲みながら昔話をしている
満ち足りた老年としての「今」だとおもう、イメージとしては。
過去の自分の業績のうえにある、こたつでありお茶なのだ。

ある意味では
「将来のために今がんばろう」と
がんばりはじめたそのときから、もうおのれを、
心おだやかなこたつとお茶の日々に向けて
閉じ込めてきた、と言えなくもない。
ほしい将来を想定してがんばってきたんだから。
獲得したその未来は、あらかじめ設定した枠のうちだ。

でも おもうんだけど・・・そうなると、いつも、
欲するのは「将来」のなにかでしかない。
将来、今よりもよくなりたいから今がんばる、
老いては「昔はがんばった、昔はよかった」となつかしむ、
夢見るためのであれ懐古のためであれ
その基点かつ帰点であるところの
「今」の充足は、どこにあるのかな。
今は、将来〇〇になるための今でしかないんだろうか。
高度成長期のそのときにはそれでも
ほんとにうまくいっていたんだろう。
うまくいっているときには人は考えないから、
「問題」もない。
だからよかったんだろうけど、いまは、ちがうだろう。
社会が大きく変わってしまったからなのか、
人の心が一億抑うつ化しつつあるからなのか、
どちらがどう影響し合ってこうなったか、
答えを出すのはむずかしいだろうが。
身を粉にして働いても働かなくなってもこの際関係なく
今このときを輝かせることに注力してないんだと
今のわたしたちはちゃんと感じているのかもしれない。
なんとなく、だから心が満たされなくて、
それだからこそ
「自分は何のためにこんなに一生懸命…」と思うのかも。
じっさい イメージとして例をあげただけのもので、
こたつにあたってお茶をすすりながら
あのときがんばったから今があるんだよとか言えている
おじさまおばさまなど身近に何人いるか知れたものじゃない。
うまくいってるときは人は考えないから問題もないことになる、
ただそれだけのことであり、ふたをあけてみれば
うまくいってはいなかった、ということになるのだとおもう。

無題

活字にふれるようになってからこのかた、
自分の生活に反映させるなにかをえるためという頭で、
本を読んだことは、ほとんどなかったようにおもう。
本を読んで、それでなにか考えたことがあったとすれば
「読んだ本のこと」であり、
こういうことを読んだ、だからそれを自分の生活のここに活かそう
とかいったようには 考えた記憶がない。
そんなことももしかしたら、あったのかもしれないが・・・。
聖書や仏教の経典を読んできたのまで
単純に娯楽だったとはさすがに自分でもおもわないし。

読んできたものを
自分の生活にとりこむ、
これまで自覚的にやってこなかったことだけど、
やってもいいかもしれない。
本に「正しいこと」が書いてあるわけじゃないことは
さすがにわたしも知っているが。