BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

読書感想-『夏の嘘』/映画の感想-『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』-160724。

ベルンハルト・シュリンク
松永美穂
『夏の嘘』
(新潮社クレストブックス)

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www.shinchosha.co.jp

 

ちょっとした嘘が、
一番知られるとまずい人に
最低最悪のタイミングで
ばれてしまったり、
嘘はついてないが
「言ってないこと」が
いっぱいあったり、
人に気をつかうあまり
スナック感覚で嘘をつきまくったり、
嘘というか妄想に
駆り立てられてしまったり、
自分で自分を長年だましてて
何がほんとかわからなくなったり
・・・
みたいな 嘘にまつわる
短編集。

『シーズンオフ』
『森のなかの家』
『最後の夏』
リューゲン島ヨハン・セバスティアン・バッハ
がすごくよかった。
とくに『リューゲン島の・・・』は好き。

ほとんど関係が崩壊している父子の物語。
だが父親がかなりの高齢ということもあり
息子が一念発起、
和解の最後のチャンスのつもりで
おたがいの唯一共通の趣味である
バッハの音楽祭に 出かけるのだが。
どちらかかが何かの嘘をついている
とかいうのではなく、
また、お互いに欺き合っているとか
いうのでもなく、
自分のほんとうの心を
この人にだけは見せることができないと
おたがいに思って 
かたくなってしまっていた。
息子がかなり辛抱強く、
また昔みたいに したくもない
大喧嘩をしないですむように
工夫しながら、それでいてけっこう大胆に
父の心を引き出そうと努力していた。
でも父は、心をみせてくれない。
「お父さんの心が見えない」的なことを
息子がいうと、
「もし見せたとしても 
おまえはわしの本当の姿が
気に入らんのだろう」と。
とてもいたましかった。
このつらい父子関係は
もう長年のことであり、
ほんの2~3日の旅行で 
ほぐすことができるほど
かんたんなわだかまりではない。
ふくみをのこす終わりかたではあった。
しかし、ラストシーンはよかった。

ベルンハルト・シュリンク
『朗読者』や『逃げてゆく愛』は
かたっ苦しくて
難解なところがあったけど
『夏の嘘』はずいぶんやわらかく
わかりやすいかんじだった。
それでいて
いままでの本より深かった。
文庫になるといいなー。

・・・

映画を観た。

インデペンデンス・デイ:リサージェンス
原題:Independence Day: Resurgence
ローランド・エメリッヒ監督
2016年、米国

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www.youtube.com
もう前作から20年もたつのかー。
わたしは前作を、ビデオか、
テレビの「洋画劇場」でしかみてないが
あの空を埋め尽くす特大の
エイリアン宇宙船は思い出深い。
「今日がわれわれの独立記念日だ!」
っていう最後のセリフも。
細部はよくおぼえてないが 
スゴい映画だったということだけは
記憶にのこっている。

今回は最初の40~50分くらいは
ノレなくてかなりまいった。
「けっ! けっ!」って思ったり
「その上官の役、
浅野忠信内藤剛志のほうが
よかったんじゃね」って思ったり
「そのセリフ 字幕いらんわ!」とか思ったり
「なんで牛乳 わざわざ中国製?」って
ケチをつけたりしながら観ていた。
登場人物たちのことが
よくわかってきて
好きになってくると
だんだんノッてきて
けっこうおもしろくなっていった。

アメリカ合衆国の西海岸か東海岸
「折りたたまれる」シーンがスゴかった。

クライマックスのバトルシーンを、
昼間の地球上でやってくれたのはよかった。
明るくて何をやっているのかよくわかるし。

人死にの場面をあまり露骨に
描かないでおいてくれたのも可。

「リサージェンス」をみてはじめて、
自分がデヴィッド博士のこと
すっごく大好きだったということに
気が付いた。
博士のお父さんが、
デヴィッドに
「まったく、おまえには
世界が破滅しないと会えないのか!」
って言うシーン、すごくよかった(^^)

リアム・ヘムズワースは 
ハンバーガーとコカ・コーラ
すくすく育ってきました的な
アメリカ人青年くささが実にいい。
彼の恋人役のお嬢さんは
哀しくてもくじけることなく
自力で堂々と戦う姿がかっこよかった。
どんな状況におかれても
冷静さをうしなわないところがすてき。
アンジェラベイビーもかわいかった。
でもアンジェラベイビーの役 
別になくてもよかった。

だが40~50分も
微妙な時間が続いたのは
どうもいけなかった。
意外な展開や、ほかのどの映画でも
みたことがない、というような
モノスゴイなにかが
あまりなかったのもさびしかった。
さっきもいったように
海岸がウワーっとせりあがって
折りたたまれるところはすごかったが。
後半の盛り返しはさすがに
エメリッヒ監督、だったが
さしひくと個人的には
100点満点中70点くらい。

ゲロのほうがまだ秩序がある、
というくらい、
非論理的で、
いくらなんでも荒唐無稽がすぎた。

説明的なシーンが
ちょいちょいご親切に挿入されるが
わたしとしては 
そういうのはべつにそんなに
きめこまかくフォローしてくれなくてもいい。
ああした地球存亡の危機的な緊急時には 
「そのあとどうなったか」とか
「あの人はどうなったか」とかいうことが
わからないままになることも
あるだろうし。
それよりももっと
度肝をぬいてくるシーンがみたかった。

冷静にかんがえると 
もうエメリッヒ監督は
古い部類の監督さんなのかなあとか
おもわなくもない。

でも観ているときはたのしくて 
とくに後半は集中して楽しめたし
なぜだか笑えて来るレベルの
迫力あるシーンの連続で 
よかったとおもう。

つぎは『ロスト・バケーション』が
ちょっとみてみたい。
邦画もみたいな。

芸事にふれたい願望。諸星大二郎と星野之宣。HELLSING OVAの感想。

ミス・サイゴンとアラジンとライオンキングが
人生に一度くらいはみられるといいとおもう。 
チケットとれるのかな?
あとヴェルディアイーダか椿姫もみてみたい。
アイーダは高校生のときに1回みたきりだ。
クラシックのなにかをまたききたい。
マーラーを生演奏でききたい願いはまだかなえていない。

あと池田達也さんのベースをまたききたい。


いつのまにか諸星大二郎さんの
Facebookアカウントをフォローしていたようで
きょう諸星大二郎さんがなんとかをシェアしましたの画面が表示されて
おどろいた。「生命の木」が掲載されたときのジャンプ?の
巻末の目次ページだった。
諸星大二郎さんのマンガはほんとにどれも宝物だけど
わたしは生命の木から 諸星大二郎ワールドに入っていったし
あれがいちばんいまでもすきだな。
日本の潜伏キリシタン関係の歴史に興味もつようになったとき
勉強できそうなものをかたっぱしから集めていて
当時お世話になっていた学習塾の先生におしえてもらったんだよね
生命の木。
そののちあれ「奇談」っていう映画になったよね
みたけど(^^)
イヤー すごかった(^^)
藤崎恵麻ちゃんはかわいかった(^^)


その「諸星大二郎 生命の木」の目次のとなりに
星野之宣 カルネアデス計画」の目次がならんでいることの
ゴージャスさにもだいぶびっくりしたけど。
星野之宣さんの「レインマン」は2巻を買ったきりまだ読めていないから
早く読みたい。


きのう、「HELLSING OVA」の最終回をみたが、
まだ全部を1回ずつしかみていないからか
おわりかたにいまひとつ納得がいかなかった。
もう完結しているマンガでありアニメだけれど
やっぱり結末とかにはふれないほうがいいのかなあ?
一応やめておくか。
納得いかなかったというのは、
アーカードが最後ああなってああなったのを見て、
「それができるなら最初からやっといてもよかったんじゃないのか」
おもったのだ。
彼はどうも、自分が生きていずれ死ぬという人間としての運命を
生きているうちにはどうしても受け入れることができなかったから
悪魔の誘惑にあまんじてヴァンパイアになったみたいであり、
たとえ老いて見た目がおとろえても、短い命をどうにもできなくても
ふつうに生きて死んでいくことを受け入れている人間たちに対して
敬意をはらっているようなところがあった。
英国の女王さまとかインテグラのようなふつうの人間に
あこがれているようなところがかいまみえた。
でもどんなにそういう存在になることをいまさら望んだところで
もう「ほぼ不死」のヴァンパイアになってしまったから
どうしようもないからただその生を生きているんだ、とおもってたんだが。
できることなら人間みたいに 死ぬ存在になりたいと
おもっているんだとおもってたから、
最後にああなってああなったとき、
「なんだ、それができるなら もっとまえにやればよかったのに」と
おもった。
「それ」を自我を保ったままやることができるなら
自分ひとりの命になれるから
すくなくとも「不死」ではない状態になれていたんじゃないのかな?
長命であることはどうしようもなかったかもしれないけど。

「ほんとはもう不死のヴァンパイアなんてイヤ」だけど
それでもまだ看板をはずせない理由がなにかあったんだっけか?

そこがよくわからなかった。
もっとよく見ていたら理解できたかもしれない。
いきなりアニメーションから入ってしまったが
原作もやっぱり読んでみないと。
だが意外と書店には売ってないね。

HELLSING」すごくおもしろかった。
こんなアニメーションを日本は作れるのか。
日本すごいな。
なにがすごいってその執拗さとマニア気質みたいなものがすごい。

音楽も映像も音もすごく凝ってた。
ミレニアムの首領の「少佐」の長い長いセリフが忘れられない。
「諸君 わたしは戦争が好きだ」から始まるやつ(^^)
あれはほんとにすごかった。
アニメーションでみていたとき
最初は聞き流していたが
なにかすごく異様なことが起こってるということに気づいて
巻き戻してもう1回、もう2回とくりかえしきいてしまった。
あとインテグラの「サーチ アンド デストロイ!」も
なんかすきだった。
ふだんの生活で使ってみたい(^^)

それにしてもバトラーのおじいちゃんはなぜ最後に
あんな行動をとったのか??
まったくわからない。

いろいろと謎がおおい物語だった。
その謎がおおくて難解なかんじが
「説明不足」とか「伏線をほったらかし」などと
評価されるのではなく
作品の魅力の一部になっているのであろうことが
容易に想像できるかんじだった。

やっぱり原作を読まなくちゃいけない。
読んでもわかるのかどうか。

いいよねHELLSING



 

『ブラッククローバー』が破壊的につまらない-160719。

アルスラーン戦記と モブサイコ100
ベルセルクのアニメーション版が
もうはじまっているんだな。
まだどれも 観始めていないんだけど
時間ができたら動画共有サイトなどで
まとめてキャッチアップしたい。
ベルセルクのアニメ版が 
聖鉄鎖騎士団、ファルネーゼのところから始まるときいて 
それはちょっとおどろいた。
作る人によっていろいろ解釈があるものだ。
たのしみだなー。
すきなマンガがアニメーションになるのは
ほんとにうれしいよ。
マンガは音がないし動かないけど
それがアニメになると 
しゃべって動いてるところが観られるから。
あと 読んでも理解できなかったところとかが
アニメだとわかりやすくなってて理解できたりするし。
大胆に換骨奪胎がなされるからこそ
「こういうことが言いたかったのか!」とか
新たな発見ができたりする。

それにさいきんのアニメは
絵も音楽も動きもかっこよくて
演出もおしゃれで、驚かされることばかりだ。

いま週刊少年ジャンプ
ブラッククローバー』というマンガをよんでいるが
残念だがこれはちっともおもしろいとおもわない。

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ふつうにまじめに、ちゃんと描かれている
マンガだということに異論はないが、
いかんせん独創性が 
かけらもかんじられない。
こう言っては申し訳ないのだが、
『ワンピース』を
おもしろいと言って嬉々として受け入れる読者たちが、
なぜ同じマンガ誌上に
ブラッククローバー』のような作品が
存在することを容認しているのか 
正直言ってまったく理解できない。
ワンピースをおもしろいと思っているんだよね?
だったら『ブラッククローバー』は
読めたもんじゃないと思うのだが。

わたしは、「ファンタジー」の世界には、
「仲間」とか「あきらめない」とか
そういう、今の価値観の言葉を
不用意に持ち込むべきじゃないとおもう。
ブラッククローバー』には、
「あきらめないのが俺の魔法だ!」
「石ころは石ころでも 
 おれはダイヤモンドを砕く石ころだ!」
なーんてのがあったが
正直言って噴飯ものだ。

現代の現実世界を舞台とする
スポーツマンガとかだったら 随時 
必要に応じてそういうセリフも
使って良いとおもうが。
よっぽどうまいこと作りこんでくれないと
ただでさえファンタジーには 入り込みにくいのに
「現代」を感じさせるワードを 
鈍いセンスで不用意に挿入されると
興覚めしまくるから やめた方が良い。

「仲間」「友情」「勇気」
そんな言葉をわざわざ使わなくても
まさしく「仲間」「友情」「勇気」を
伝えてくるファンタジーこそ 
すごいとわたしはおもうがな。
ついさっき書いたけど『ベルセルク』とか。
うしおととら』とかすごい。
進撃の巨人』もいい線いっている。
進撃はちょっとちがうか。

それとも今の少年少女は
はっきりと 
「仲間」「友情」「勇気」とかはっきりと
書かないと そういう概念を理解できない、とでもいうのか?
だとしたら、へそで茶が沸く。
若者の感性を信用しないで描かれた少年マンガ
いったいどこが少年マンガなのだ。

インデペンデンスデイ・リサージェンスを結局みなかった。斉木楠雄のΨ難。

インデペンデンスデイ・リサージェンスを見に行こうと思ったが

あんまり暑いからやめた。

暑い時期の自分の 生活全般にたいする意欲の減退っぷりには
ほんとあきれるわ。

みにいきたいんですけどねー
だるいっすわー。 暑いんだもん。
だるいっすわー。
もう5度くらい気温が下がってくれれば
行くがなー。
だれか一緒にいってくんないかなー


家でずっとブログの移行作業とかしていたから
肩が凝ってしょうがない。

斉木楠雄のΨ難(さいきくすおのさいなん」ていう
アニメをたまたま知ってしまったが
ばかくさくてほんとすばらしい。
最高。
心が疲れた大人こそ観るべき癒しの1本。


おもうんだけど シリアスなものよりも
笑わすもののほうが 作るの大変だよね絶対。
センスがものをいうわなー。




読書感想-『カルトか宗教か』-160717。

竹下節子
『カルトか宗教か』
(文春新書)

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books.bunshun.jp 

人がカルトにひかれていくときの心の動きや、
実際にハマってしまった時の脱出のしかた(させかた)、
カルトと対決するにあたって伝統的宗教が
どんな役割をになうべきかなどを教えてくれる本。
 
この本を、なにが知りたいがために読むことにしたのか、
忘れてしまったのだが(忘れんなよ!)、
自分が知りたいとおもっていたこととはまったく別の、
しかも期待以上のものを与えてくれた本だった。
ご興味があるかたは
ご自分でぜひとも読んでみてほしいのだが・・・
わたしが この本を読んで
「おもしろいな」「読んでよかったな」
と感じた部分を以下にあげると
 
まず、
ヨーロッパ、とくにフランスは、
カルトとの闘いに関してベテランである。
日本がいま体験している宗教文化的なできごとを、
200~300年くらいまえに通過してきている。
それからずっとカルトと向き合っているから、
ベテランなのである。
これはどういうことか?ということを
かなり詳しく教えてくれた。
いろんな考え方があるもんだ。
歴史ってのは切り口によって
ほんとにいろんなものが見えるもんだ。
 
次に、
ではそのフランスは、現在、どんなふうに
カルトと向き合っているのか。
また、伝統的宗教(とくにキリスト教)のみなさんが
その場にどうからんでいるのかを参考にしながら、
日本でのカルトとの闘いかたを提示していた。
本家キリスト教の人にとってみれば、
無認可の亜種がポコポコ生まれて
自分はメシアですとか言っちゃってる人とかもいて、
まったくもう、と言いたいところなんだろうが、
「認めない、でも排斥もしない、
 対話をみずから申し出、門戸は常に開く」
というスタンスを保持しているそうで。
そこからいくと、日本ではたとえば
オウム真理教の人たちが街に施設を建てようとすると、
「オウムは出ていけ!」なんて反対運動が起こるが、
(そりゃ心情としては当然だが。)
これはただ忌み嫌い排斥してるだけで、
対話も理解も試みてないということに。
ただこわがって排斥するだけ、というやりかたでは、
「友だちや家族がカルトにハマってしまった
 できれば脱会させたい」
というときに困る。
たとえどんなにみょうちくりんなグループにみえても、
そこに入りたいとおもうだけのファクターが、
その団体に、または外の世界にあったから入ったのであり、
ダメだダメだの一点張りは、
少なくともいまの彼・彼女には通用しない。
では、そんな彼・彼女をやっぱり取り返したい場合、
どうしたらいいのか?
その点について解説する「カルトの見分け方」の章に、
とても心に残った一節があった。
いわく
「夫婦や親子のような近い関係にあった誰かが
 ラディカルに新しい生活を選んでしまったら、
 残った方が以前とまったく同じ生活を営むことは
 もはやできない」。
でも、
「一時の別れはあっても人生は続いているし、先がある。
 その『先』の部分でもう一度出会うことも可能なのだ。
 長い間カルトにかかわっていた人は、
 普通の生活に戻ったときに、
 そこのテンションが低いと方向を見失ってしまう。
 迎える方も、以前のままではなくて、
 試練の中で成長し強く大きくなっているのが望ましい」。
 
また、
国連・世界保健機関(WHO)では、
「健康とはなにか」について再考がおこなわれていて、
WHO憲章の「人の健康の条件」の改正案にあらたに
霊性(spiritual)の健康」が追加された。
って知ってた!?
わたし知らなかった!
WHOは
「どこも病気じゃないから健康かといったらそうじゃない。
 逆に、病気だからって不健康ということにもならない。
 あなた自身を世界にむけてポジティブに発信し、
 世界から積極的にもなにかを受け取り、
 それを幸せだと感じられる状態が健康なのだ」
という考えなんだって(意訳)。
この「霊性の健康」、
世界と関係しあうことを幸せだとおもう という点が、
カルトのシステムからは抜け落ちている場合が多い、
ということだった。
なにをいってるんだおまえは。と思うかもしれないが、
そう思うあなたにこそ本書を読んでみてもらいたい。
 
そして、
「特別な修行・呼吸法をがんばって、
 不滅の肉体を手に入れよう!」
「霊魂のステージを上げて
 さらに進化した特別な存在になろう!」
とかいうのを提供してくるかたがたについて、
著者は「生命の進化とは、退化とはそもなんぞや」
というところから、ていねいに語り起こしてくれる。
この本でそのような話が読めるとは、
ぜんぜん思っていなかったから意外だったうえに、
しかもその部分は、まさかの本書における圧巻であった。

科学って、実は精緻かつ深遠で、
しかもすごくロマンチックなんだな。
カルトのみなさんが、お金もうけのために
あっちこっちのなんやかんやな思想を
切り張りして作ったような教義は、
内容がどうにも性急で浅くって、
早い話がザツなのだ。
 
一部のカルトを名指しで非難するような本ではなく
(例として実在の団体をあげることはあったが)
おもに海外の例をあげながら、
日本ではどうしたらいいかを 
個別レベルにまで落とし込んで解説を試みる内容。
 
おしまいに、
なぜだか、読み終えたときに あったかい
優しいきもちになれる本だった。
よし、あしたもがんばろう!と思える。
ぜひ多くのかたに読んでみていただきたい。

Photoshop。深キョン。『青の祓魔師』。吹奏楽コンクール断想。-160707。

Photoshopの新しい技をひとつ 
デザイナーさんに教えてもらい
仕事がとてもらくになった。
いままでいつも困っていたことを 
どう解決すればいいかがわかり
心配ごとが一気に減った。
心が安定。最高。
もう心配しないですむ・・・



深田恭子ちゃんの写真集 わたしちょっと見てみたい。



青の祓魔師』というマンガの
アニメーション版の新シリーズが
放送されるときいて うれしい。

以前放送されたアニメ版旧シリーズは 
当初は原作をなぞる形で物語が進行していたのだが、
とちゅうからオリジナルのストーリー展開となった。
それが自分にはそれほどおもしろい内容ではなく
最後のほうは、まともに観なかった。
もしも、オリジナルストーリーに切り替えずに
原作通りの展開で放送が続けられていたら、
「不浄王」という悪魔と戦う長編に突入していたはずだった。
個人的にはこの「不浄王」編こそ『青の祓魔師』の
ここまでの物語におけるハイライトだとおもっている。
なのになぜ「不浄王」編をやらずに、 
オリジナルストーリーに差し替えられてしまったのか
当時、本当に理解に苦しんだ。
「不浄王」編を放送しないなんて
じゃあなんのために『青の祓魔師』をアニメ化したのか。
そういうふうにおもったくらい、解せなかった。

そこへきて、ちかいうち始まる新シリーズは
まさしくその「不浄王」編を放送するという。
そうだよね! 
ぜったいそうするべきだとおもうわ、わたしも。
カラーで動いてしゃべっているところ、見たいもん。
すごくたのしみだな。
青の祓魔師』は 
わたしがあらゆるマンガのなかでも最高に好きな作品、
というわけではないし
「いま日本でいちばんおもしろいマンガはなに」と問われて
青の祓魔師』をあげるマンガファンは 
おそらくいないだろうともおもう。
でも とてもよくできた、安心して楽しめるマンガであり、
ずっと読んでいる。
これからどんな方向へ話がすすむかわからないが 
がんばってよい終幕へとかけぬけてほしいとねがう。



7月下旬から8月あたまあたりというと
思い出すのは吹奏楽コンクールだ。
コンクールなんてものがすきだったことは1回もないが
ある楽団にいたとき 吹奏楽コンクールの課題曲として
演奏した『吹奏楽のためのラメント』という曲は
あれだけはおもしろかった。
あの夏はよかったな。
ああいうふうにだったらまた 
コンクールにとりくんでもいい。
あのときは、音楽を解釈するということがたのしかった。


でも疲れたからもう今日は書かない。
またこんど。



タイヤに穴が開いている。

わたしは自分のことを基本的に 
穴があいたタイヤをつけた自転車みたいなもんだと認識している。
ほかのだれよりもわたし自身が わたしにまるで期待してない。
いままでにわたしを見限った人は、少なくない。
その人はけっしてまちがっていないと考えている。

でもその人たちがわたしを見限っても
さしあたりわたしは生きる必要がある。
(・・・ん? ある・・のか??)
そのとき問題になるのが
この「自分は穴があいたタイヤをつけた自転車」感覚だ。
どうあっても心から出ていってくれないこいつに一度とらわれてしまうと
だいぶつらくなって何日も浮上できなくなってしまう。
生きてきて幾度となくそういうことがあった。

でもここ数年はふしぎと その感覚がわいてこない。

しょせん自分なんてそういうやつだからなにやってもだめなんだよな 
というような 徒労感的なものにつぶされることがなく、比較的らくだ。
そういうやつだけどしょうがないだろ!
そういうやつは生きていたらいけないのか! というかんじになる。

たぶん けっこういま たのしいからなんだろうな。
なかでもここ2年間はたのしい。
体はほんと毎日 かんべんしてくれってくらい疲れてんだけど。
心は意外にも元気いっぱいでたのしい。
やだなーとおもうことも やりたくないこともいっぱいあるし
乗り越えられそうにない高さの壁ばっかり たちふさがってきて
きついけど・・・。こいつをどうやって制覇してやろうかと
必死こいて戦うのはたのしい。
あと 自分の力を常時120%以上発揮して戦うせいいっぱいのかんじが
いい。すっごいやだけど。いい。
使いものにならない系であるという烙印がすでにおされているからか
あまりそのことにかんしてモジモジしないですんでいるのもいい。

まわりはおそらくいい迷惑なんだろうが・・・。