BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』-180825。

※ややねたばれしてるかな。





原題:THE GIRL WITHOUT HANDS
セバスチャン・ローデンバック監督
2016年、仏

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movie.walkerplus.com


原作は、グリム兄弟の童話集に
初版から掲載されている
「手なしむすめ」だそうで、
童話の筋はこのサイトなどでつかめる。
wikiの「手なしむすめ」の項でも
概要は知れる。

www.grimmstories.com


息子の名「ソロウフル」は
ドイツ名だと
「シュメルツェンライヒ
だったとおもう。

いまのところ上映館は
ユーロスペースだけ。
それも日に1~2回くらい。
すくない。よろしくない。
ついでにいえば邦題がダサい。

だけど映画は 
このうえもなくすてきだった。


昔でいう「幻燈」、影絵劇と、
プロジェクションマッピング
みられる映像の、あいの子みたいな、
めずらしい映像表現が採用されている。
あたらしいのに、なつかしい、
不思議な感覚がたのしめた。

絵柄は墨絵でチャペックを再現した
かんじにすこしちかかった。
ジブリの「かぐや姫」をみたかたになら、
まあ、あんなかんじだと説明したい。
ちがうんだけど、あんなかんじを、
80倍ぐらい抽象的にしたかんじだと。

movie.walkerplus.com


そう、抽象画。
だが
なにをやってるのかちゃんとわかることに
自分でもおどろいた。
ないところを想像でおぎなう力が
人にはあると聞いたことがあるが。

性と生と愛と信仰とを
熱く語る物語だった。
手をうしなうまでの描写に、
かたずをのんだ。
母の死もむごいが、
なんといっても父の末路が痛々しい。

しかしあの時点で7年経過、が
原作通りの想定なら、あれは・・・?
だって、残されていた少女の手は・・・
父は生ける屍として
かなりながらえたのかも。


ラストシーンをみて、さいしょは
「ということはつまり・・・」。
つい 自分のいつもの価値観、
いつもの世界観で
解釈しそうにはなった。
しかしそれでは理解がうすい。

黄金があっても粉屋は粉屋よ。
守ってくれるとおもったのに。

お父さんのいないところに行く。
自分の足で歩いていく。

しっかりあなたの世話をするわ。
もちろん自分の世話もね。

城には帰りたくない、
ここにも居たくない。

あのラストは
ほんとうの意味での自立、
魂をも含めたほんとうの自由
そんなことをいっていたのだろう。
夫が なかなか
妻子とともに旅立てなかったのも
わかる気がした。

少女は 父の仕事柄、うまれたときから
ゴウンゴウンとまわる 水車の音、
山からおろす きよらかな急流の音に
かこまれていた。

彼女のいくところ、かならず川がある。
「行き先はわからない、でも川は味方のはず」
まよわず流れをさかのぼり
山奥をめざす姿が パワフルだ。
そして精霊はきまって 
水面にあらわれた。


わたし、一年以上まえに
右腕のヒジから下を
切断される夢をみた。
ブログにも書いた気がする。
いや書いてないかも。
ふしぎな夢ではあったが、
怖くはなかった。
自分で腕を斬ったのではなく
なにかの理由で斬られた
そのことだけは認識していた。
でも、わたしの腕を斬った
だれかのことをうらんだりは
まったくしていなかった。
切れた腕を自分で持って、
胸のうえほどの深さがある
澄んだ湖を
服を着たまま、ざばざば歩き、
水上にたつあばら家の、
お医者さんをたずねる。
腕をつないでもらうために。
腕は痛くない。
切断面が真っ赤で、
すこしヒリヒリする。
玄関の引き戸をあけると
すぐのところに階段があり、
その階段のうえで
小型犬が ほえていた。
そこで夢はおわった。
腕をつないでもらうところまで、
話があったのかもしれないが、
おぼえてない。

カウンセリングを
うけるようになってから
「夜、夢を見たら話して」
と言われていた。
夢はなかなか見なかったが
そういや まえに
腕が切断される夢を見たなと、
この夢をおもいだし、
話してみた。

分析結果を
くわしくはおぼえてない。
ただ、渡っていった湖の
水が澄んでいたことなどから、
わるいことを暗示するような
夢ではないと言われたこと、
それから、
「父との関係」
「父と縁がうすいこと」
さらに
「性的欲求」
について
なにかいわれた覚えがある。

だめだおもいだせない・・
なんてもったいないんだ
こんなにもリンクする
要素をもった映画を
こんなに時間がたってから
観ることになると
もしわかっていれば涙

こんどカウンセリングにいったら
もう一度 話をきいてみよう。

あらゆる水は、山からおろす。
いくつもの川が、
ひとつの水源から わかれる。
しかしすべての水は
やがて海へ注ぎ
そして空へ、山へ還る。
ふしぎだ。
つながっている。
まわっている。

少女は天上に
むかったようにみえたが、
じつは海に還ったのかも。

声の演技が
「アニメ」ってかんじじゃなく
「ふつうの実写映画」っぽいのが
新鮮だった。
母の最期のシーンとか。
日本のアニメで
あのように演じられてるの
聴いたことがない。
外国のアニメに触れると
日本のアニメの声って
特殊なのかなと おもわされる。
少女の声をやっていた人が、
二十歳になってないくらいの
お嬢さんぽかったのだが、
声のきよらかさといい、
キイのちょうどよさといい、
深さと艶とみずみずしさといい、
すばらしかった。

精霊にみちびかれ、
安住の地にたどりつくシーンがよかった。
ほんのつかのま
母としての立場を脇におき、
みっともないのもかまわず
木の実にかぶりつき、
庭にねっころがり、
足をぷらぷらさせて、
おもうさまくつろぐ少女。
かわいかった。
なんだか涙がでてくるくらい。

ああいうふうに、
地べたにねっころがって
ぐうたらができる子って、健康だ。
この世を根本的なところで
信頼しており、
自分を愛しているからこそ、
大地に身をなげだせる。

じつのところ
本作を観始めてからずっと
父による性的虐待
暗示されていないかが、
気になりつづけていた。

洗い物をするシーンで
彼女の下半身が
クローズアップされたこと。
母に体を洗ってもらうシーン。
一糸まとわぬ姿を
父にみられておののくシーン。
精霊が女人の姿であること。
などなどがどうも・・
それに
悪魔が彼女に 直接干渉できない理由は
「少女が『きよらか』であるから」だ。
肉体の処女性を意味したのか
魂の純潔を意味したのかが
わからない。
フランス語だったしなあ
結論をいえば後者だろう。
それはそうだ。
だが、なにかそのへんが、
わたしには、いまだに
ごちゃごちゃとしてる。

だが、精霊の庭で
無防備にあそぶ あの姿をみて、
虐待はなかった、と、
信じる気持ちがつよまった。

だいたい娘を犯す 恥しらずの父が
あの末路には、いたらないだろう。
そうだ。そりゃそうか。

肉体を穢されても、
心が清いことはある。
だが辱しめは肉体と心をつきぬけて
魂を殺すとわたしは考える。

少女は
その魂が壊れてないかんじがした。

うーん いや・・・
でもやっぱり
辱めを受けたにもかかわらず
それでも壊れない魂である、
ということをもって、
きよらか、としたのだろうか。

だとすると、少女の魂の強靭さよ。

きになるのは
手が補われる機会が 2回あったのに
どちらも 
彼女と一体化しなかったことだ。
1回めは、
少女が自分で捨てた。
2回めは、
役目をおえて不要になった。
これがなにを意味したのか。

だいじなところだけ
2回くりかえされていたのだ。
グリム童話
識字率の低かった社会における
口承文学の採録の側面があったから
耳で聞いてインパクトがのこるよう
「くりかえし」が多用されている。
本作は映画だから、
いらないくりかえしを
1回にまとめたりして、
うまくやっていたのだが、
「手の喪失」と
「手の補完」にだけは
くりかえしていた。
その反復には かならず 
少女の移動と、悪魔がかかわる。

手を失いたくはなかったのだが
やむなく受け入れた。
それを父と離れる契機にかえて
彼女は旅に出た。

高価な義手を与えられたが
城を出たのち みずから棄てた。
手がなくても
なんでもできるように
なっていった。

夫を救うため
あらたな手を獲得し
たくみに活用したものの
すぐに棄てた。
手がなくてももういいの、
夫とわが子のほかに
なにもいらない。
やっていける、まちがいなく。
そして彼女は飛び立った。

手の喪失は 自立への試練、
手の補完は 自立を阻む悪魔の誘惑
そういうことかもしれない。
彼女は最後には
悪魔をも手玉にとったことになる。

・・・

「どんなものでもいいから
こんなの観たことない!
っていう映画が観たい」
映画を愛すると
だれもが一度はこのように
思うんじゃないだろうか。

「手をなくした少女」は
その願いに応えてくれる。

映画がすきなかたにぜひ
おすすめしたい傑作。

露出狂のかたと話が合うかもしれない-180823。

ほんとうに多くのかたが
当ブログにお越しくださるようになって
驚いている。
ありがたいことだ。
というのも

読まれなくなるであろう方向に
舵をきったからだ。

まえは
SNSを利用していた。
「ブログを書きましたよ」という
お知らせと ブログのリンクを
そこに投稿していた。
その投稿は 
友だち限定公開に設定していた。
それが 
昨夏、おもうところあって
あらゆるSNSから完全に撤退した。
だから
通知のたぐいもいっさいしなくなった。
ついでにパソコンが壊れちゃった。
いまや当ブログは
携帯電話の画面から
入力しているしまつ。
しかもスマートフォンじゃなく
ガラケーの物理キーで
コチコチ打って入力してる。
(追:19年2月現在 パソコンは買い替えて
新しいものをつかうことができている。
SNSをやめたのは昨夏のこと。
いまもガラケーユーザーであり
3回に1回はガラケーからブログを
更新している)

当ブログを読んでくれているかたは
面識のある友人に
かぎられるとおもっていた。
その友人たちだって
わたしがSNS
「ブログ書きました」通知を
していたからこそ、
たまにはそのリンクをクリックして
ブログを見にきてくれていたのであって、
わざわざブログを
ブラウザにブックマークして
わたしが知らせなくても積極的に
ブログを訪れてくれることなど
まずありえない 
そうおもってた。

だからSNSを完全にやめたからには
ブログ開設当初みたいに
アクセス件数が週に10件もあれば
スゴイ!やったね!というところから
またやりなおしだなと
ふつうにそんな程度に考えていた。

ところが SNSをやめ
「ブログを更新しました通知」もやめたのに
それを実施していたときよりもむしろ
きてくださるかたが増えたことを
把握している。

SNSをやめるけど、
ブログはあるから
気がむいたらみにきて」と
URLを伝えておいた友人もいるが
・・・これ気がむいたら読んで、と
よく知りもしない作家の本とか
ポンとわたされて
ほんとに読む人種はまれだ
たぶんわたしがしるかぎり
わたしくらいのものだ笑
(わたしはそれでも
人に贈り物をするときは
たいてい本を選ぶのだが。
ほかになにも思いつかないので)

SNS通知をやめて
ブログだけになっても
見にきてくれるとは おもってなかった
ありがとう

SNSと、
それによる投稿通知をやめたことは
わたしを確実に図にのらせた。
具体的には ブログを
だれにもいちいち知らせないで書いてるから
何書いたってかまやしないだろう感が
すごくつよまった。
知らせてない、と 読まれてない、が
わたしのなかではほとんど等しいのだ。

「友だちにきらわれるようなこと、
非難されるようなことは書くまい」
という心のリミッタが
SNSをやっていたときには
それなりにあった。

SNSをやめても 読みにきてくれる
友人がいるらしいとわかった以上
SNSをやめたから
だれもどうせ読んでないから
何書いたっていいや」感をあらためて
いまいちど
心の手綱をひきしめなおすべきだが
なんかもう ひきしまらない笑
もう、ゆるめるだけ ゆるめちゃったし、
快適でしょうがないのだ。

だが
「ブログを書いたよと知らせないのに
それでも見にきてくださるかたがいる」
という事実は
すごく心の支えになってくれる。
だれが読んでくれているかまでは
わからないし
特段知りたいともおもわないのだが
(見にきてくれる人 全員の属性を
仮に円グラフにしたならば、
いちばんパイがおおきくなるのは
ごくしたしい友人のはずなのだが、
たまに、え!あなたが?!みたいなかたが
「じつは読んでるんでげす」
といってくれることも
なきにしもあらずのため
こればっかりはほんとに謎なのだ)・・・
でも間違いなくだれかが読んでくれている、
とおもえるのは大きいし
それは非常にたいせつだ。

・・・
そんなに 読まれることがたいせつなら、
なぜSNSと、それによるブログ更新通知を
やめたのか。
読まれたいとおもうなら
続けておけばよかったのに。
・・・たしかにそうなのだが、
わたしはSNSをやめた。
わけを簡単にいうと
わたしは弱いからだ。
合目的的にSNSを利用するならば
そしてその目的を
「より多くの人にブログをみてもらう」
とするならば
SNSのアカウントを
友だち限定などでなく
完全公開設定にし
知っている人も知らない人も
申請してくれる人は
かまわず友だちとして迎え入れる
SNSを、そこの「友だち」を
ブログ更新通知という
自分の目的のみにつかう
ユーザーとの交流などは行わず
ともだちの投稿なども読まない
・・・というふうにやればよかった。
だけどわたしにはそれは
不可能だった。
わたしは知らない人とは
友だちになれなかった。
SNS上の人とのかかわりを
じっさいの人間関係とおなじように
あつかった。
というかじっさいの
人へのアプローチよりも
SNS上の人間関係のほうが
わたしはなんだか妙に こだわった。
たぶんテキストであるから
文字情報であるから
強く反応してしまったんだろう。
それに、人の投稿を読むことが
それほど自分にとって
益ともおもえないのに
なんか、つい、読んでしまった。
人の動向が、やけに気になった。

でもよくよく自分の心のなかを
さらってみるに、
そういうことをやっているとき
つまりSNS上にいるとき、
自分はかならずしも
幸せなきもちじゃなかった。
幸せなきもちじゃなかったのだ。
むしろ、
傷つくことやかなしむことのほうが
おおかった。
気にしてもしかたがないことを
気にして落ち込むことのほうが
おおかった。
つらかった。

それに気づいたとき愕然とした。
もうとてもじゃないが
やってられなかった。
わたしの心の主体が 
「わたし」じゃなくって
(「わたし」であることはただでさえ少ない)
SNSになっちゃっているというか・・・
ようするに ふりまわされている。
弱い、ということだ。
そして
つらさからの解放を求めるきもちのほうが
「だけどSNSをやってないとブログを読んで
もらえる確率がさがるから、やらなくちゃ」
というきもちよりも つよくなった。
だから SNSを完全にやめた。

逃げたということであるかもしれないし、
身を守りたかったということかもしれない。
傷つき、つらい思いをすることから。

結果 SNS上における
友だちづきあいが
なくなったことになるが、
ほんとうにそうなんだ、なくなるんだ
とは 考えてなかった気がする。
というか
すくなくともSNSやめようと
考えた時点では
SNS上における友だちづきあい、
なんてものは ないのだと
理解していたふしがあった。
そうでなければやめるのを
もっと迷ったのではないか。

SNSをもしやめたなら
友だち関係が希薄になり
さびしいかもしれない、
でも、
SNSをやめても
やめたくないとお互いがおもうかぎり
友だちづきあいは続くのだろうし
仮にわたしのほうが
SNSやめてもつながっていたいと
相手に対しておもうのであっても
SNSやめたのか じゃあもういいやと
相手におもわれるようなら
その程度のものなのだと
こういうときいかにも
よく言われそうな
とうぜんのことを 
考えたのだとおもう。
お互いのあいだのことだから、
わたしだけの都合で決まらない部分も
あるのだ。それが人間関係。
それらの経緯あって
ぜんぶを おそらく
語源により近い意味で
「あきらめた」。

SNSを「やめなきゃよかった」と
おもったことは 今まで一度もない。
ただ撤退した当初は 
なんとなくさびしかった。
とくにFacebook
アカウント削除の手続きをしてから
2週間の猶予期間があった。
期間中にログインをすれば
アカウント削除はなかったことになり
また再開できる、という仕組み。
だからそのあいだは
SNSにつなぎたい衝動に
幾度か かられた。
でも、2週間経たないうちに
そのきもちも うすれていって、
やがて、なくなった。

改めてこう書くとなんか 
はずかしいし
徹頭徹尾 ばかばかしく
些末でもある。でも
弱いわたしには 当時、
ばかばかしいことじゃなかった。
けっこう大きいことだった。

だが、
誰かまではわからなくてもいいんだけど
やっぱりまったく読まれないこと前提で
カギ付きの日記帳に
なやみごとなんかを
書きつづるよりは
読まれていること前提で
読まれてもいいように
自分の思いをさらしたい
そしてあわよくば批評されたいし
何かをおもわれたい
というきもちは やはり強い
強い。おそらく人一倍強い。
自己顕示欲というのかなんなのか。
とにもかくにも
おもうことを語る必要を感じるのだ。
 
読まれなくなってもおかしくないことを
したにもかかわらず
ブログを読んでくださるかたが残った
どころか むしろふえたことに
だからわたしは
驚きと 
おおきなよろこびを禁じえない。

それは自分の
おおいなるなぐさめに
つながっている。
たぶん、読まれているから
わかってもらえるように書こうとして
いっしょうけんめい頭をつかい
文章を練るので
それだけあたまのなかが整理され
考えがまとまり
そしてストレス解消につながる
ということが
大きいんだろうなとはおもう。

でも、それだけじゃない。
だれかが読んでくれている、
という事実は
何かもっと心のなかの
あまり光があたらない
静かで すこしうしろめたく
みっともいいとはいえない気がする部分を 
わたしの立場を侵さないように
やさしく慰撫してくれる・・・
そんなかんじがするのだ。

どうせ誰も(または「たいして多くの人は」)
見てやしないんだから
何言ったっていいだろ 的な考えは
すごく思い切ったきもちにさせてくれて
かなりなんでもかんでも書いてしまう
それはたのしいことだ。すっきりする。
でも わたしの
「誰も見てやしないんだから」は
じつのところ
「イヤ そうはいっても 何人かは
見てくれてるとおもうんだけどさ・・・」だ。

この
見られてないという前提の方が
燃えるし たのしいんだけど
でもほんとにだれも
見てくれてないとなると萎える
みたいな
「みせること」と
「みられること」との関係って
なんなのかなとおもう

わたしは自分のそれが
いまだによくわからない。
それによってわたしのなにが
なぐさめられているのか。
自尊心だろうか。
自己顕示欲だろうか。
自分もひとかどのなにかであると
おもいたい きもちだろうか。

でも 名前をかくしている分
わたしは まだ逃げているともおもう。

わたしは
身銭をきって言論や表現の場にたつ
書く人とかクリエイターのかたとかと
お会いして話せるような 
分際ではないとおもう。
自分がわかりあえる人はむしろ
異常性癖、具体的には
露出狂のみなさんではないだろうか。
なんかそっちのほうの気がする。
希望者をつのって露出狂のみなさんと
ミーティングでもしてみたほうが
いろいろわかるのかも。

なんにしても
わたしの友人でもそうでなくても
きてくださってほんとにありがとう。
わたしは露出狂かもしれないのに。

コメントでも
気がむいたらくださると
すごくうれしいです
次は 1文字1文字にいたるまですべて
このコメントをくださったかたのために
ささげよう
って気持ちになります。

だれでもコメントいれられます。
「よっ」みたいなかんじでどうぞ。
露出狂かもしれないんだけど
それでもよければ。

わたしが「承認」しないかぎり
コメントが公開されることはなく、
読めるのはわたしだけです。
公開されるのはちょっとなと
おもうようでしたら
コメントのなかに
そう書いておいてください。

壊れたカサにまつわること、あるいは学習塾の思い出。-180823。

きのうはかなりよく眠ることができた。
ひさしぶりにお薬にたよらずに眠れた。

台風接近の影響で
ひどくめまいがする。
腕の古傷も痛む。
こういう人は意外にたくさん
いるんじゃないか。
天気図をみるかぎり
直撃ではなく
はじっこのほうが掠める程度のようだ。
いまはひどく体調が悪いが
あすの夜には楽になるのではないか。

風が強くて雨もふっているときに
ひとりで外を歩いていて
カサが「おちょこ」になると
なにか非常にきもちが落ち込む。
ひとりだから
「あーあ壊れちゃった」
とかボヤく相手もいないし
ひとりだから
連れのカサにいれてもらえるわけもないし
だから壊れたカサをもって
風にうたれ雨にぬれながら
歩くしかないが
それがどこからどう見ても

「カサがおちょこになって
使えないのでどうにもしかたない人」

な かんじで、みじめったらない。

ぶざまで みじめだ。
壊れたカサにまつわることはすべて。

壊れたカサって、処置にこまる。

学生時代に アルバイトをしてた
小中高生対象の学習塾で、
ある作業をまかされたことがあった。
長年にわたり、たまりにたまった
「生徒たちが忘れていったとか何らかの事情で、
校内に置きっぱなしで持ち主不明となっているカサ」
の、一斉処分だ。

塾内の誰かの持ち物だったことは
ほぼたしかなわけだから、
むろん、できるだけ
持ち主に返す工夫はした。
猶予期間をもうけたうえで処分したのだ。

すべて水で洗ってきれいにふいて、
青い巨大なバケツに
何本かに分けて いれ、
「何月何日に処分するから
自分やきょうだいのものがあったら
引き取るように」
と 全校広報してもらった。
何本かは名前が書いてあったから、
在校生であれば本人に返し、
卒業ずみの生徒であれば、
そのきょうだいが在校の場合あずけて持ち帰らせ、
また、運よく保護者がなにかの用事で来校して
そのときわたしも覚えていれば
お宅の子のカサがありますと言って
わたすこともあった。
そんなことを
2週間くらいやってから
いよいよ処分、としたわけだ。

だがそれだけやっても
あの青い巨大なバケツから
持ち主のもとに帰ったカサは
10本もなかったとおもう。

洗って拭いたときに
気づいてはいたのだが、
あれらの8割がたは、
直しようもなく壊れてた。
強風の日などに、
塾にくるまでの道のりで壊れたんだろう。
雨だったから塾にくるときはカサをさしていたけど
塾を終えて帰るころには雪にかわるなどすれば
カサは用をなさなくなったろう。
かえりは保護者か塾の送迎があるから
カサがなくてもいいのだ。
よって、なかば捨てるようなつもりで
塾に「忘れていく」。
それがあれらのカサが
「持ち主不明」となった
おおかたの事情にちがいない。

ということは 捨てたのだ。
捨てたものを掘り返されたうえ
ピカピカに磨かれてハイこれとつきつけられ
うれしい生徒なんかいるわけない。
持ち主の手にもどった幾本かのケースも
わたされたとき「え~」という反応を
露骨にした子はさすがにいなかったが
内心「なんでいまさら」とみんな思ったとおもう。
持って帰っても、
もう使えないんだし、
ていうか処分のしかたも
よくわからんし。ということだ。

処分のしかた。
カサはこれがじっさいよくわからない。
壊れたカサを おうちの人が
どうやって処分しているか、
見たことがある子どもって、
どれほどいるんだろう。

かくいうわたしも
カサの処分作業をしたから
処分のしかたを知ったわけで。
それはこの大学生のときのことだ。

カサは
最後まで使って、
どうしてももう使えそうにないとなったら、
しかるべき手順をへて処分するもの
ではなく、
「いつのまにかなくなるもの」
に なっちゃってる気がする。
いつからこうなったのだ。
よくよく考えるにつけ ゆゆしいことだ。

当時 バイト先の学習塾があった地域の
ゴミ収集規定によれば
たしか、一般的なカサは。「資源ごみ」。
5本くらいずつビニールひもで束ねて
資源ごみの日にだす。
それでよかった。
ちなみにさっき調べたところ
いまは、大枠では粗大ごみみたいだ。
布のところをはがして
骨組みだけにしたら、
その骨組みは「金物類」。
はがした布はたしか資源ごみ。
だが分解しないで何本か束ねてだすことも可能で
その場合 「粗大ごみ」。
粗大ごみの場合
処分するのにお金がいくらかかかる。
※規定は各自治体の公式サイトなどで確認されたい。

あのとき最終的に学習塾からでた
処分対象のカサは、
いまでもはっきりと覚えている
153本だった。

宇多丸ラジオに木村拓哉。-180822。

心配ごとが、ささやかながらひとつ解消された。
それでなのかわからないが
なんか今日はちゃんと眠い。
すんなり眠れるような気がする。

・・・


夕方から夜にかけて
いつも聴いているラジオ番組に
木村拓哉さんがゲスト出演してた。
出演映画『検察側の罪人』の
公開にあたって、ということだった。

番組パーソナリティの
ライムスター宇多丸さんが
けっこうつっこんだ話を
聞き出そうとしていて、聞き応えがあった。


宇多丸さんが敬愛している、ある著名人が、
若いころの木村さんをとてもかわいがっていて、
宇多丸さんがひそかにヤキモチをやいてた
という話のときは
そのヤキモチエピソードが
あまりに宇多丸さん目線というか、
木村さんがまったくピンときてないかんじが
つたわってきておもしろく、
声をだして笑った。
外でイヤホンをつけて聞いていたから
とつぜん笑いだしたようにみえたのだろう
通行人のかたにみられて
ぎょっとした顔をされた。


検察側の罪人」は
ちょっとおもしろそうだ。


木村拓哉さんは役者として
有能だとおもう。信用している。

なにより、まじめなのはいいことだ。
それに、出演するからには
何がなんでも絶対にこの作品に
自分のなにがしかを刻みつけてやるんだ
というような 意地とか覚悟もたいせつだ。
まじめさと そういう意味での自己顕示欲に
自覚的じゃなくちゃいけないんじゃないかなと
わたしはおもう、役者という仕事は。
木村拓哉さんは自覚的なようにみえる。

アイドルが役者なんて、と
どこにいっても絶対にいわれたであろう
しんどい境遇が、彼にそうさせたのかもしれない。
出るからには何か残してやる、という
ギラギラしたものがあることを自分で認めていて
でもただ垂れ流すだけでなく、
その出力や表出方式のコントロールまでも
たえず 工夫しつづけているようにみえる。
まじめだ。
アイドルが役者なんてと いわれてきたからこそ
だれよりも人一倍、というルートだったとしたら
涙ぐましいほどまじめだ。
なぜなら 役者じゃないけどアイドルだから
がんばらなくたって呼ばれるし
へたでもほめてもらえた側面もあったとおもうからだ。
それでいいんだと本人が思うなら
べつにがんばらなくたってよかった。

あるいみではすごく
不器用なのかもしれない。

美人や二枚目ばかりだから
華やかな世界にみえるが
でも、そういう世界でも、やはり仕事は仕事で
とりくむのは、人間だから
やっぱり似ている。
やっている本人は 仕事の泥臭さやめんどくささ、
複雑さ、わけわからなさ、
「みんなすごいってほめてくれるけど
自分はそんなたいしたことやれてない」感
みたいなものを 感じているものなんじゃないかな。

木村拓哉さんもそういうのは
ふつうにあるんじゃないだろうか。

彼はSMAPのときもSMAPじゃなくなっても
ああだこうだと言われてるみたいだ。

それは 「持ってる人」に見えるから
やっかまれているのが
ほとんどなんじゃないか。

宇多丸さんが木村さんを評して、
長期にわたる影響力やマルチな活躍ぶりという点で
「ネオ石原裕次郎」的な存在だ、
みたいなことを以前からいっているらしい。

わたしは木村さんは いまいちちゃんと
評価してもらえない人だとおもう。

たとえば、出た映画が当たらないと、
かならずしも彼が悪いわけではないのに
木村拓哉はなにを演っても木村拓哉
とかわかったようなわからないようなことを
決まっていわれ、
その論調たるや 木村さんでさえなけりゃ
ヒットしたとでもいわんばかりだ。
だけど、映画は
その(とくに)「よくなかったこと」の原因が
役者の演技だけに求められるほど、
安い娯楽ではない。
それに、役者のせいだというなら
映画が当たらなかったときの責任は
役者じゃなくキャスティングした人にある。
うまくやれないことを 見抜けなかったのだから。
おなじ「映画が当たらなかった」というできごとでも
たとえば主演がムロツヨシさんだったら、
たとえば玉木宏さんだったら、
たとえば小林稔侍さんだったら、

とガワを 変えてみるだけで
ずいぶん予測される展開がかわる
結局そんなものだとおもう。

木村拓哉はなにを演っても木村拓哉
だったときが たしかにあったとはおもう。
それはしょうがない。
さいしょからうまくやれる人なんていない。
が、人間は成長する
忘れちゃいけない。
どんな人間だって成長する可能性がある。

彼のでた映画のぜんぶをみてきたわけじゃないが
すくなくとも「武士の一分」以降は
わたしはあの人はすごく変わったとおもう。

木村さんがいまいちまともに
評価してもらえてないとおもうのが
単なる気のせいだけじゃないとすれば
評価してもらえないわけとして
考えられることなんて
「カッコいいから」「持ってるから」としか
考えようがない。
イメージなんだから。

こんな「ずるい存在」がいていいはずがない、
と思われているわけだろう。
「持っている人」をまともに評価すると
「持ってない人」との差がえげつないことになり、
勝負にならないので、
あらかじめ50点減点したとこから始める、
みたいなことじゃないだろうか。
人間誰しもやる、ものの数にもならぬポカ、
本人は忘れたいであろう過去のあれこれ、
語るに値しない性格上のちょっとした傾向、
そんな話でも でてくれば
それが「持っている人」のことであるというだけで
鬼の首でもとったように さわぐ。
さわぐほうは「持ってない」から。

石原裕次郎さんが活躍していた当時
裕次郎がなんだい、演技はクサイし
歌だってうまくもないし
団子っ鼻が上をむいてるし
たいしてかっこよくもないやい」と
もし言う人があったとしても・・・、
というのと似たようなもんだと
わたしはおもう。

べつにどうでもいいのだが。

観に行ってみようかなあ検察側の罪人

さいきんきいている音-180820。

ショパン
「アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ
変化に富み、楽しくて、日に数回は聴いている。
ノクターンやバラードも。
ウラジーミル・アシュケナージという人の演奏が、
理知的で安定しているように聞こえ、好ましいようだ。

ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ
すきなものだけよく聴く。
名盤の呼び声たかくとも、
こんな演奏どこがいいんだ、とおもうようなのも少なくない。
人気がありいろんな盤があるからピンキリなのは考えてみれば当然だ。
いじいじしていて開放感に欠けるもの、豊潤さがなく聴くと気持ちがカサカサになるもの。
有名な演奏家のならまちがいないだろうと、
適当に選んで買って後悔している
CDなんかがいくつか、いや、いくつもある。
全体をよくみて、ためつすがめつ検討してはじめて、
いいと思ってたはずだったけど自分はこれがすきじゃないみたいだ、と知る、
そんなことは音楽じゃなくても、
なんにでもおこりうることだ。
また、おなじものでもタイミングやこちらの経験値によっても評価はかわる。
だから目くじらたててもしかたがないのだが。

やる気がでてきたら、
まじめに選び直して、自分がほんとうにすきだとおもえる演奏だけを
じっくり集めて、並べて聴いたりしてみたい。

シューマンはピアノだけたまに。
山吹色っぽい。感傷的だけどどこか決然としたかんじのものがおおい。

リストは紫がかった赤がみえる。

シューマンやリストは晩夏から秋のイメージのようにおもう
きれいだ。
ちょっと乙女すぎるが。

ドビュッシーのマイブームはやや鎮まった感があるが
秋にピアノ独奏全曲ライブを聴きに行く。
このライブは6時間そこそこで全部おわるそうだ。
それっぽっちで永遠に名前をおぼえてもらえるひとになったなんてほんとうにすごい才能だ。
ピアノ独奏曲だけがドビュッシーじゃもちろんないにせよ・・・

牧神の午後はかっこいいがそうしょっちゅう聴くようなもんじゃない

あまり神経質にならずわかりやすく感情的でそれなりに歌っているようにきこえるものが
ジャンルはどうあれいまは聴きたいのかなとおもう
ラフマニノフやらシベリウスやらはちょっといまは・・

メシアン
フォーレ
回数はすくないが聴いてる

真夜中にはクーナウやテレマンゴルトベルク変奏曲をえんえんと。

朝バッハ聴くと
たえがたいくらいこむずかしくきこえる。
朝は聞こえないくらいちいさい音でドビュッシーだ笑

ファンクやジャズにふしぎとあんまり関心が向いていかない。

ジミー・スミスとかトゥルーディピッツがそれはそれはすきだったのに興味がわかなくなった。
そんなはずはないからまたいつか聴きたいとおもうようになるだろうと。
マーカス・ロバーツは でもかっこいいとはおもう。
まえに小澤征爾とマーカス・ロバーツがガーシュウィンかなにかをいっしょにやっているとこの動画をみた。
上半身がピシリと一点に定まって動かないことに驚いた。
姿勢や弾きかたひとつとってもいろんなスタイルがあるものだ。

あと
なにをいまさらだがコルトレーンとかオスカーピーターソンを
蚊がなくようなちいさい音で聴くこともある。

夕方や夜に散歩するときは
コールドプレイ
ドロップキックマーフィーズ
オアシス
ゴリラズ
ニルヴァーナ
バンドアパート
ザ・バンド
リンキン
ギロ
欅坂
ワンオクロック
ナンバーガール
藍坊主
銀杏

やかましいけどメロディがくっきりして美しいもの、
わかりやすくかっこいいもの、
くりかえしがおおいものを
爆音できいてる


秩序もへったくれもなくめちゃくちゃなかんじがする

でも、うんと遠目に 全体を上からながめたらなにかしらの法則性や傾向が発見できるんだろうと
だいたいどんなことでもそうだから
音楽もそうだろうとおもう。

ひとついえるのは
わたしにはたぶん
およそ冒険心とか探求心ってのがない、
ということだ涙

古傷と、思い出/大森望さん-180820。

小学校2年生のときのこと、体育の授業で、跳び箱・・・5段だったか4段だったかの・・・にトライして失敗。
跳び箱から転落、右ヒジを骨折した。
骨が一部、外に出ちゃってたと聞いている。
いたた!
子どものことであるし、ショックすぎたためか、記憶がゴッソリとんでしまっている。
どんな痛みだったかも、血がでてたかどうかも、周囲の状況も、病院にどうやって行ったのかも、病院でどのような処置をうけてどんなきもちで入院生活をすごしていたかも、あれに関することで実感のある記憶はひとつとてない。

あとあとになって思いが至ったことがある。
わたしなどよりも、あの場でいっしょにいた同級生たちのほうが、よほどこわいもの、忘れたくても忘れられないようなものをみただろうということだ。

かわいそうなことをした。

久しぶりに登校したとき、教室でみんなのまえであいさつした。
まだ自分でできないことがあるとおもうからそういうときは手伝ってねとみんなにあいさつしなさいと、事前に親からいわれていた。
わたしははずかしがって実際にみんなのまえに立ったらそれすらまともに言えなかった。
だができないことがあったら手伝ってね・・・なんて、ゴミほどどうでもいい。
そんなことよりなによりも、みんなにわびるべきだった。
あの体育の授業ではびっくりさせてほんとうにごめんね、このとおり元気になったからもう心配しないで、できれば忘れてしまってねと、いいたかった。
こわいものを見せといて自分はなにも覚えてないのだ。
同級生たちにわるいことをした。当時は気づいてなかった。わたしはかんがえなしだ。
もう、でも大人になった。
同級生がすっかり忘れてくれているといいのだが。
中学校にあがった時点では、まだ、当時のことを忘れてない元同級生がいた。
野球部の男の子だった。
「あのときはマジでびびった。すごい音がして、みたらおまえが倒れてて、わんわん泣いてて、先生がまっさおな顔しておまえのことおんぶして走っていって、おれら体育館に置いてかれて、マットが血だらけ」と克明に話してた。
あの子も忘れているといいのだが。
あと担任の先生も。
どんくさい生徒をうけもったばっかりにとんだ災難だ。
男の先生で、のちに家に来て、わたしと両親に泣きながら土下座してくれたのをおぼえている。

学校に行ける程度まで治るのにたしか1ヶ月か、もうちょっとか、かかった。
骨が皮膚をつきやぶって露出しちゃうなんて、すごく重大なケガ、時間がかかるケガというかんじがするが、
イメージほどじゃないようだ。
そんなにずっと入院したり学校をやすんだりした覚えはない。
記憶違いがあったとしてもせいぜい学校を休んだのは2ヶ月ってところだ。

考えてみれば、どうするといったって、血がでてたら止めて、骨をついで、破れたところや切れたところを縫い合わせて閉じて、動かないように固めて、あとはおとなしくしているだけだ。
命に別状はない。

ところで、
骨折は、治りかけ、つながりかけでも、もう意外と、ちょっと動かしたりできる。
わたしはそれを知ってしまったために失敗した。
骨を傷めた場合、いまはいろんな固定のしかたがあるみたいだが、
わたしのときは
石膏みたいなもののギブスでガチガチに塗り固めるやつだった(はずすときは電ノコみたいなすごい音がでる刃物をじかに当てて切り分ける。おっかないとか、ちびるとか、そんななまやさしいもんじゃない。麻酔で眠らせてもらえるわけでもない。たまったものじゃない。ギブス除去のときの記憶も、完全にとんでいる。)。

石膏のギブスのなかは、こんな話をするのはどうかとはおもうが、
・・・すごくかゆかった。
はずせないから、洗えないのだ。
これにはまいった。
1週間で、イヤになった。
20日くらいも経つと、ギブスをつけたままモジモジと中身を動かすようになった。
もし治ってなかったら、動かしたら痛いだろうな。治ってるかどうかはお医者さんが判断することだ。動かすことでせっかく治ってきていたのがだいなしになるかもしれない。そんなことを考えて、最初は動かすのを思い止まろうとした。

だが、腕がほんとにかゆくて。
ちょっとだけピクッと動かしてみた。すると、ジンジンするようなかんじはあったが痛みはなかった。
それに気づくと味をしめた。

モジモジやっても腕はギブスのなかであるから、かゆいところをかくことはできない。だが動かすことですこし気がまぎれたかなという覚えがある。
かゆかった。すごくだ。

回復への過程で、密閉タイプのギブスから、上半分が開放されたギブスに交換された(竹筒を割ったようなかんじの細長いトレイのうえに腕を置くようなスタイルになった)。
通気がよくなったが、
これでもやっぱり、かゆかった。
ギブスに接しているところがあいかわらずかゆいし気持ち悪い。

モジモジ、ごそごそと、ずっとやってた。

やがてちょっと動かすだけでなく鉛筆がもてるようになり字が書けるようになった。
着替えもトイレもなんとかひとりでできるようになった。
骨が折れてる腕を、動かすことによって。
最初はそれをみて親も怒った。お医者さんがいいというまで動かすなといわれただろう、と。
でもじきにうるさくいわれなくなった。
動かすなというのに動かすのは動かせるからであり、つまり元気になってきた証拠だからと、親にしてみれば安心できたのだろう。
身の回りの介助をするのもたいへんだったろうし。
わたしもいちいち頼んでやってもらうのはほんとうにたまらなくいやだった。


かゆかった。そして人に世話をたのむのがしんどかった。
とどのつまり治りかけの腕を動かしまくった理由はそれだ。

はたして腕は治った。
だがギプスをはずして みてみると
変なふうに曲がったかたちでつながってしまってた。
使ってなかったぶん、左腕にくらべて枯れ枝よろしく細くなっていた。じつにわれながら、言いようもなく気持ち悪い右腕がそこにあった。
衝撃をうけた。

ふつうにしているぶんには、見た目にはわからない。腕をまっすぐのばしてみると、わかる。
ヒジを境に、腕がかなりヤバイ方向に、異形といえなくもない角度をつけて、曲がっている。
治りかけのときに調子にのって動かしてはいけない理由はこういうことだったわけだ。

でもなんともない。
ふつうに使える。
ふつう以上には使えない。
筋肉や腱も仲良く変なふうに曲がっている。
するとどうなるかというと、いかなるシステムの不具合か知らないが、「脱力」がむずかしい。
意識するとひきつれるような違和感がでて、つらい。
力をぬくとはどういうことか、右腕だけが忘れたかんじがする。
脱力に難があるとどういうときこまるかというと、
スネアドラムを叩くときとかだ。
小太鼓だ。
打楽器の学習は、腕の力をぬくことを覚えることからはじまる。
中学生になり吹奏楽部にはいったわたしはスネアドラムにすごく憧れて打楽器担当を希望し、それはめでたくかなえられたんだけど
そんなわけだから打楽器はちょっとできない、と、わりとすぐに発覚した。
力がぬけないなんて考えたこともなかった。
ケガをするまでピアノをならってたが、
ピアノの先生に「あなたは脱力ができてない」なんて言われたことなかった。

腱や筋肉の連結がおかしなぐあいに仕上がったので「力を抜け」という頭からの指令が腕にうまくつたわらなくなったっぽい、とのちに判明した。

まあしょうがない
生来どんくさくて不器用だ。
腕が健康でも早晩お払い箱になった気がする。
吹奏楽における打楽器は、打楽器用のスペースにいろんな楽器を配置してあっちこっちいったりきたりして演奏する。演奏技術だけじゃなく、段取りを覚えて効率よく行動するとか、チームワークとかそういうこともとてもだいじだ。
あと、基本、ずっと立ってなきゃいけない。
それに、いくつもある大きな楽器をかぎりある時間のなかで運んだり組み立てたり解体したりといった作業も演奏者が自分でやる。体力もだいじだ。

腕が悪いうえにどんくさくてひ弱となると、もうお呼びでない。
打楽器の世界はきびしいのだ笑

話がそれた。
機能的にむずかしいとわかり、打楽器は断念せざるをえなくなった。
ちょうど部活動の顧問の先生から、管楽器への転向の要請があった。

腕のことなんか話したわけじゃないものの、ある意味タイミングというもので、転向(といっても打楽器がほんとうにすきだったからやめたくなくて、かなしかった)。
管楽器はしかしすばらしかった。さいわい、右腕が多少あれでも打楽器ほどには問題にならなかったから
大人になってもつづけることができた。

打楽器ならばつづけられなかった。むりしてやってもつらくなったろう。できないのだから。
腕が悪いんですとかいいわけしながらやるわけにいかないし意味がない。
自分がいくらやりたくても、どこの楽団でもものの役にたたなかったにちがいない。

転向の経緯をめぐって、いまや、なんの屈託もない。


ところで
腕にケガをして予後がわるかったことで
こまるようになったことがじつはほかにもある。

こっちのほうが根深い問題。
毎年数回はこまらされている。
荒天、おもに台風がくる前日からすぎさった翌々日くらいまで、ヒジから下がしくしくとひどく痛む。
雨の日には古傷がうずくとかよくいわれるが、あんなふうなものだ。

小太鼓はもういい。
だけど痛いのはすごくつらい。
こまっている。
もうずっとだ。
のたうちまわる系の激痛じゃない。心が萎える、陰惨で悲壮な痛みだ。
とてもいやなものだ。

でも、痛まないようにするための有効なてだては、
手術でもうけないことには、ないと、いわれてきた。

腕が台風のとき痛むようになったそもそものところについて、自分の過失を自覚しているもので
痛みを軽くできそうな手術があるみたいだからうけさせてくれとは、ちょっと言えなかった。
床をころげまわるくらいの痛みだったら誰の目にもあきらかであるし生活にも障る。手術うけたいと言えばききいれてもらえるかもと、おもったかもしれない。

だが結局わたしはこのことを、小学校2年の事故から長年にわたり治療をしてくださり、予後をみてくれた、大学病院のお医者さんはおろか
家族などにもいっさい話さなかった。
ま~そんなもんだろう。

高校生のとき、
痛みをやわらげる目的ではなかったのだが、
必要が生じて、かつて折った部分にまつわる手術をうけた。
これでうまいこと痛みも消えてくれないかなとひそかにおもったが、
はかない願いだった。

近所の接骨院の先生だけは事情を把握してくれている。
脱力ができないわけを解明してくれたのはこの先生だった。

痛みがでたら先生のところにかけこむ。いつも、薬をいれた「腕専用の超音波お風呂(そんなものがある!)」で腕をゆっくりあたためてかなりらくにしてくれる。

いまだったら医療がすすんでいるから手術をうけたらほんとうに楽になるかもよと、数年前から、すすめられるようになっている。

なおるもんならそりゃ治したい。が、うけたらぜったい治るわけじゃないらしい。だったらいいやともおもう。
いまは大人だし過去の失敗があるから手術後ちゃんとなおるまで意志の力で安静にしていられる、
とはおもわない。
たぶんしょうこりもなくムチャをしてしまうとおもう。
1日だってもたない。
性格が変わってないからだ、しんぼうがきかず、人を頼るのがドヘタという性格が。
まえより悪くなる予感しかしない。
ふつうに使うこともできなくなったらこまる。やめたほうがいいだろうなと。

ペンを持つことはできる。
打楽器はできないけど管楽器はできる。
それでいいんじゃないかとおもう。
見ため的に、よくみるとかなりヤバイ形状をしてることも、じつは言うほど気にしてない。よくみなければいいんだから。
痛むことさえなくなってくれれば最高なんだがなあ。台風がおおい季節などはとても気が重い。


2個も、台風がやってくる。
気晴らしに書いてみたものだ。



パソコンがシッカリとこわれた。
古い機種だからもう直せないから新しいの買ってくれと。
まあそうだろうな。
しかたがないとおもう。
パソコンを使わないとできないことはすべてできない。
スマホ持ってないし。

でもそんなに困ってない。
あれば便利なのになとはおもう。

たいしたことやってないくせにパソコンのまえにずいぶん長時間座ってたことに、いま気づかされている。
パソコンのまえに座ってた時間を、ほかのことに使ってみている。
紙の本で大森望さん責任編集のSF小説のアンソロジーを読んでみたり。
大森望さんの名前をどこかでみたなとおもってた。
テッド・チャンだとおもう。
あなたの人生の物語」(「メッセージ」という邦題で映画化されている)の作者の。
テッド・チャンが、「ネイチャー」みたいな自然科学系雑誌にだけ発表した短編小説を翻訳したのがたしか大森望さんだった。
名前をみた覚えがある。
なにかをかんちがいしているかもしれないがテッド・チャン大森望さんに関係があることはまちがいないとおもう。

あなたの人生の物語」も「メッセージ」も傑作だった。

大森望さんの責任編集のアンソロジーはおもしろい。
小林泰三さんもだがほかの作家さんの収録作品もみんな傑作だ。
「サイエンスフィクション」の「サ」を聞いただけで生きた梅干しみたいな顔になるこのわたしでさえおもしろいと感じる。
作家さんたちもすごいが大森望さんもすごい。

ただ、この本1冊読むのにもう3日くらいかかっている。
読むのがすごく遅くなってかなしい。
こんなことになり、残念だ。
いちばんはやくたくさん読めていたときの半分程度でもいいから
とりもどしたい。

映画の感想-『未来のミライ』『ペンギン・ハイウェイ』-180819。

きのうは『未来のミライ』、
きょうは『ペンギン・ハイウェイ』と
話題の日本製アニメーション映画を
たてつづけに観た。


未来のミライ
細田守監督
2018年、日本

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規模がちっぽけで、単調の感。
エピソードが総じて
ぜんぜんおもしろくなかった。
この映画が全体としてまずかったとは
けっしておもわないが、
話がおもしろくなかった、というのが
重大な問題におもえる。
主人公の4歳児「くんちゃん」の
声がぜんぜん合っていないのも
ずっと耳に入ってくる音だけに
気になった。

ひいおじいちゃんのエピソードは
かなりよかった。
主人公のくんちゃんが、
ひいおじいちゃんの
若かりしころの写真を指差して
「これお父さん!」
と、しきりに言うシーン。
ちいさい子はときに、
こういう謎の主張を、
妙に確信めいた口調で、
することがあると聞く。
たとえば、まだお母さんも
妊娠にきづいてない段階なのに、
「ママのおなかに男の子みっけ!」と、
自分にきょうだいができる未来を
示唆したり・・、
そんな話を自分の周辺でも、
じっさいいくつか聞いたことがある。

彼らはそういうとき、
空想の世界に遊んでいる、
というのともまたちがって・・・
いうなれば、くんちゃんのように、
大人の想像がおよばない、
また大人にはもうできない、
時空を超えた体験から
帰ってきたのであり、
その感想を端的に
大人に知らせようとしている
のかもしれない。

子どもは子どもなりに、
大人は大人なりに生きている。
または、
子どもは親がしらないうちにも
どんどん成長していく
(だから親はそんなに子育てに
完璧を期さなくてもいいんだよ)
ということを、
言いたかった映画だったのかも。


ペンギン・ハイウェイ』は、
かなりおもしろかった。

ペンギン・ハイウェイ
石田祐康監督
2018年、日本

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ダイナミックだが
どこかなつかしく
身近なかんじがする世界観
それと、説教くささが
排されているところがよかった。
音楽が美しかった。
設定の下敷きにはたぶん
不思議の国のアリス
鏡の国のアリスがあった。

子どもの可能性と健全な忘却を
同程度くらい視野にいれ、
がっちりと四角四面に
閉じていた枠組みを
つきやぶっていくような
勢いあるエンディング。
おねえさんがたった一度だけ
主人公を名前で呼ぶシーンと、
主人公のちいさな妹が、
生命の有限性という
たいせつなことに初めて気づく
シーンがよかった。


未来のミライ』は命の系譜、
ある特定の家族の
ファミリーツリーの物語だ。
劇中で樹木のたとえがあったように
えんえんとつらなり つづいていく
タテの、線のイメージがあった。
細田守監督作品で
わたしが知るものには
このように「家族」が主語に
なっているのがおおい。


ペンギン・ハイウェイ』は
タテではなく、
まえからうしろへ、
過去から未来へでもなく、
おおきな円環を描く物語だった。
とてもふしぎなのだが。
「血のつながり」
「絆」
「これまでのだれかひとりが
欠けても成立しえない」
・・・そういったものでなく
未来にはつながらない
だれとも・何とも・関係がない、
それなのにいまそこに確実に居て、
なにごとかをなして消えていく、
そんなものに
光をあてていたようにおもう。