BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』-180825。

※ややねたばれしてるかな。





原題:THE GIRL WITHOUT HANDS
セバスチャン・ローデンバック監督
2016年、仏

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movie.walkerplus.com


原作は、グリム兄弟の童話集に
初版から掲載されている
「手なしむすめ」だそうで、
童話の筋はこのサイトなどでつかめる。
wikiの「手なしむすめ」の項でも
概要は知れる。

www.grimmstories.com


息子の名「ソロウフル」は
ドイツ名だと
「シュメルツェンライヒ
だったとおもう。

いまのところ上映館は
ユーロスペースだけ。
それも日に1~2回くらい。
すくない。よろしくない。
ついでにいえば邦題がダサい。

だけど映画は 
このうえもなくすてきだった。


昔でいう「幻燈」、影絵劇と、
プロジェクションマッピング
みられる映像の、あいの子みたいな、
めずらしい映像表現が採用されている。
あたらしいのに、なつかしい、
不思議な感覚がたのしめた。

絵柄は墨絵でチャペックを再現した
かんじにすこしちかかった。
ジブリの「かぐや姫」をみたかたになら、
まあ、あんなかんじだと説明したい。
ちがうんだけど、あんなかんじを、
80倍ぐらい抽象的にしたかんじだと。

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そう、抽象画。
だが
なにをやってるのかちゃんとわかることに
自分でもおどろいた。
ないところを想像でおぎなう力が
人にはあると聞いたことがあるが。

性と生と愛と信仰とを
熱く語る物語だった。
手をうしなうまでの描写に、
かたずをのんだ。
母の死もむごいが、
なんといっても父の末路が痛々しい。

しかしあの時点で7年経過、が
原作通りの想定なら、あれは・・・?
だって、残されていた少女の手は・・・
父は生ける屍として
かなりながらえたのかも。


ラストシーンをみて、さいしょは
「ということはつまり・・・」。
つい 自分のいつもの価値観、
いつもの世界観で
解釈しそうにはなった。
しかしそれでは理解がうすい。

黄金があっても粉屋は粉屋よ。
守ってくれるとおもったのに。

お父さんのいないところに行く。
自分の足で歩いていく。

しっかりあなたの世話をするわ。
もちろん自分の世話もね。

城には帰りたくない、
ここにも居たくない。

あのラストは
ほんとうの意味での自立、
魂をも含めたほんとうの自由
そんなことをいっていたのだろう。
夫が なかなか
妻子とともに旅立てなかったのも
わかる気がした。

少女は 父の仕事柄、うまれたときから
ゴウンゴウンとまわる 水車の音、
山からおろす きよらかな急流の音に
かこまれていた。

彼女のいくところ、かならず川がある。
「行き先はわからない、でも川は味方のはず」
まよわず流れをさかのぼり
山奥をめざす姿が パワフルだ。
そして精霊はきまって 
水面にあらわれた。


わたし、一年以上まえに
右腕のヒジから下を
切断される夢をみた。
ブログにも書いた気がする。
いや書いてないかも。
ふしぎな夢ではあったが、
怖くはなかった。
自分で腕を斬ったのではなく
なにかの理由で斬られた
そのことだけは認識していた。
でも、わたしの腕を斬った
だれかのことをうらんだりは
まったくしていなかった。
切れた腕を自分で持って、
胸のうえほどの深さがある
澄んだ湖を
服を着たまま、ざばざば歩き、
水上にたつあばら家の、
お医者さんをたずねる。
腕をつないでもらうために。
腕は痛くない。
切断面が真っ赤で、
すこしヒリヒリする。
玄関の引き戸をあけると
すぐのところに階段があり、
その階段のうえで
小型犬が ほえていた。
そこで夢はおわった。
腕をつないでもらうところまで、
話があったのかもしれないが、
おぼえてない。

カウンセリングを
うけるようになってから
「夜、夢を見たら話して」
と言われていた。
夢はなかなか見なかったが
そういや まえに
腕が切断される夢を見たなと、
この夢をおもいだし、
話してみた。

分析結果を
くわしくはおぼえてない。
ただ、渡っていった湖の
水が澄んでいたことなどから、
わるいことを暗示するような
夢ではないと言われたこと、
それから、
「父との関係」
「父と縁がうすいこと」
さらに
「性的欲求」
について
なにかいわれた覚えがある。

だめだおもいだせない・・
なんてもったいないんだ
こんなにもリンクする
要素をもった映画を
こんなに時間がたってから
観ることになると
もしわかっていれば涙

こんどカウンセリングにいったら
もう一度 話をきいてみよう。

あらゆる水は、山からおろす。
いくつもの川が、
ひとつの水源から わかれる。
しかしすべての水は
やがて海へ注ぎ
そして空へ、山へ還る。
ふしぎだ。
つながっている。
まわっている。

少女は天上に
むかったようにみえたが、
じつは海に還ったのかも。

声の演技が
「アニメ」ってかんじじゃなく
「ふつうの実写映画」っぽいのが
新鮮だった。
母の最期のシーンとか。
日本のアニメで
あのように演じられてるの
聴いたことがない。
外国のアニメに触れると
日本のアニメの声って
特殊なのかなと おもわされる。
少女の声をやっていた人が、
二十歳になってないくらいの
お嬢さんぽかったのだが、
声のきよらかさといい、
キイのちょうどよさといい、
深さと艶とみずみずしさといい、
すばらしかった。

精霊にみちびかれ、
安住の地にたどりつくシーンがよかった。
ほんのつかのま
母としての立場を脇におき、
みっともないのもかまわず
木の実にかぶりつき、
庭にねっころがり、
足をぷらぷらさせて、
おもうさまくつろぐ少女。
かわいかった。
なんだか涙がでてくるくらい。

ああいうふうに、
地べたにねっころがって
ぐうたらができる子って、健康だ。
この世を根本的なところで
信頼しており、
自分を愛しているからこそ、
大地に身をなげだせる。

じつのところ
本作を観始めてからずっと
父による性的虐待
暗示されていないかが、
気になりつづけていた。

洗い物をするシーンで
彼女の下半身が
クローズアップされたこと。
母に体を洗ってもらうシーン。
一糸まとわぬ姿を
父にみられておののくシーン。
精霊が女人の姿であること。
などなどがどうも・・
それに
悪魔が彼女に 直接干渉できない理由は
「少女が『きよらか』であるから」だ。
肉体の処女性を意味したのか
魂の純潔を意味したのかが
わからない。
フランス語だったしなあ
結論をいえば後者だろう。
それはそうだ。
だが、なにかそのへんが、
わたしには、いまだに
ごちゃごちゃとしてる。

だが、精霊の庭で
無防備にあそぶ あの姿をみて、
虐待はなかった、と、
信じる気持ちがつよまった。

だいたい娘を犯す 恥しらずの父が
あの末路には、いたらないだろう。
そうだ。そりゃそうか。

肉体を穢されても、
心が清いことはある。
だが辱しめは肉体と心をつきぬけて
魂を殺すとわたしは考える。

少女は
その魂が壊れてないかんじがした。

うーん いや・・・
でもやっぱり
辱めを受けたにもかかわらず
それでも壊れない魂である、
ということをもって、
きよらか、としたのだろうか。

だとすると、少女の魂の強靭さよ。

きになるのは
手が補われる機会が 2回あったのに
どちらも 
彼女と一体化しなかったことだ。
1回めは、
少女が自分で捨てた。
2回めは、
役目をおえて不要になった。
これがなにを意味したのか。

だいじなところだけ
2回くりかえされていたのだ。
グリム童話
識字率の低かった社会における
口承文学の採録の側面があったから
耳で聞いてインパクトがのこるよう
「くりかえし」が多用されている。
本作は映画だから、
いらないくりかえしを
1回にまとめたりして、
うまくやっていたのだが、
「手の喪失」と
「手の補完」にだけは
くりかえしていた。
その反復には かならず 
少女の移動と、悪魔がかかわる。

手を失いたくはなかったのだが
やむなく受け入れた。
それを父と離れる契機にかえて
彼女は旅に出た。

高価な義手を与えられたが
城を出たのち みずから棄てた。
手がなくても
なんでもできるように
なっていった。

夫を救うため
あらたな手を獲得し
たくみに活用したものの
すぐに棄てた。
手がなくてももういいの、
夫とわが子のほかに
なにもいらない。
やっていける、まちがいなく。
そして彼女は飛び立った。

手の喪失は 自立への試練、
手の補完は 自立を阻む悪魔の誘惑
そういうことかもしれない。
彼女は最後には
悪魔をも手玉にとったことになる。

・・・

「どんなものでもいいから
こんなの観たことない!
っていう映画が観たい」
映画を愛すると
だれもが一度はこのように
思うんじゃないだろうか。

「手をなくした少女」は
その願いに応えてくれる。

映画がすきなかたにぜひ
おすすめしたい傑作。