BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-「アサシン・クリード ASSASIN'S CREED(2016)」-170314。

先週の日曜日に観た。

アサシン・クリード
原題:ASSASIN'S CREED  
ジャスティン・カーゼル監督
2016年
英・仏・米・香港

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アサシンクリード」は、
わたしの心のなかの
「中二」の部分が刺激される
すごくたのしい映画だった。

世界を支配する力を秘めた宝物をめぐって、
ふたつの勢力がぶつかり合い、
数百年の時を超えてあれやこれやする
スペクタクルアクション。

目新さ、斬新さは感じなかったし、
素人目にみても
細部に難を感じたが、
全体的に作り手のやる気がみなぎり
重くシリアスな雰囲気が
とぎれない。

パルクールをつかったバトルシーンは、
見せ方は平凡におもえても
やってることは超ハイレベルで
みていてたのしかった。

音楽もすごくおしゃれ。

なにしろ全体的に
雰囲気があったのがとてもよかった。

キリスト教文化圏に
生まれたときからいないことには、
なかなか理解しにくく、
「自分に関係ある」ともおもいにくい
ストーリーだとは感じた。
でも日本でもかつて
ダ・ヴィンチ・コード」が
受けたわけだから、
この映画も、楽しいとおもう人は
けっして少なくないだろう。
高く評価されていい映画だった。

ストーリーはもっともっと
複雑なのかとおもったが
案外そうでもなかった。
このくらいなら、わかる。

マイケル・ファスベンダー
むずかしそうな役をうまく演じてた。
アクションも自分でやってたみたいだし、
体のできあがり具合からさっするに。
ルックスの個性が強すぎないから、
どんな時代の物語にも、
どんな社会的地位の役柄にも
ハマれるのだろう。
ただ、どっちかというと
陰気で不幸せそうな顔ではあるので
ハッピーな男の役は
あまりこないのかもしれないが。

シャーロット・ランプリング
マリオン・コティヤール
でてたことに驚愕。
なんででたんだろう(=_=)?

むしかえすようだが、
やっぱ、素人がみても
「?」とおもうところは
あちこちにあった。
たとえば、アニムスだっけ。
あの、とおいご先祖の記憶を
追体験できるという
ハイテクメカ。
単純に記憶をたどるだけじゃ
だめだったんだろうか。
体まで動かさなくちゃ
いけないことはなかったとおもう。
まあそれいっちゃあ 
おしまいか。

あと、主人公のご先祖は、
どうして大事なあの宝物を
他人なんかに託したのか。

それに、
主人公のご先祖から
宝物を託されたその人が、
ご先祖の記憶の中で、
たまたま歴史的に有名な
言葉を発したから
その人物が誰であるかが
わかったようなものの、
そんな都合のいい「たまたま」って、
あるかなあ。

それと、主人公は
ソフィアとその父の目的地が
どうしてわかったのか。
わたしは観衆であり、
ソフィアの考えも主人公の考えも
ぜんぶ観ているから、
ソフィアがつぎはスペインの
セヴィリア大聖堂に行くということが
わかってたし、
そのあとの計画もわかっていた。
でも、主人公はあのとき、
アニムスから降りた直後で
疲弊しているところへ
先祖の過去の幻影が
実体化して目の前にあらわれるという
謎の体験のまっただなかにおり、
ソフィアたちのスケジュールなんか 
知るよしもなかったとおもう。
なのに なぜ彼は
ソフィアの目的地をさがしあてたのか。
テンプル騎士団の集会に
やってこられたことの理由も
同様に、よくわからなかった。

また、宝物「エデンの果実」とは
けっきょくのところ
なにをどうやって
どういうふうに使うものなのか。
緑色の光を発していたが。
天地開闢のときからあったなんて
ふつうに考えると当然おかしい。
作れる技術がなかっただろう。
元祖「エデンの果実」は別にあり
比較的新しい時代にだれかが
同じ名前の
なにかを作ったんだろうか。
よくわからなさすぎた。

ソフィアとマリアのあいだには
関係があるのかなあ。

このように
疑問はいくつかかんじた。
でも自分が観たものきいたものが
全部だったとはもちろんおもってない。
字幕に書ききれない情報が
原語で話されていても
わたしにはそれらが
聞き取れてなかったとおもうし、
なんでも、人気ゲームシリーズの
実写映画化作品だそうなので、
ゲームのなかでは、
これらの疑問にも
答えが用意されているのかも。
それにどのみち、
疑問点はたしかにあっても
だからといって
ダメな映画だったとはおもってなく
わたしはむしろ積極的にたのしんだ。

じっさい この映画は
もう1回くらい見たい。

映画の感想-「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち MISS PEREGRINE'S HOME FOR PECULIAR CHILDREN(2016)」-170313。

先々週の日曜日、「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」を観た。

ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち
原題:MISS PEREGRINE'S HOME FOR PECULIAR CHILDREN
ティム・バートン監督
2016年、米

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テレンス・スタンプがでてておどろいた。
テレンス・スタンプいいよねえ。
エンダーズ・ゲームのエイサ・バターフィールドくんが
ずいぶん大きくなったことにもおどろいた。
エヴァ・グリーンがうっとりするくらいきれいだった。
あの人はふつうの現代劇ではなくてこういうファンタジーものとか
こう・・・ キッチリお化粧していかにもなコスチュームつけて
演じる役が ハマるよなあ。
きれいだよね。目もとの、濃いお化粧が
ドキドキするくらいイイ。

今年にはいってからずっと、アクション映画ばかりみていて、
バイオハザードザファイナルも、マグニフィセント・セブンも、
それらはどれも、観ていてなんにも考えなくてよかったし、
観終わってからも、一生なんにも考えなくていい映画だったけど、
「ミス・ペレグリン」は、なにかを考えずにはいられない映画だった。

ティム・バートン監督は、いつも映画に、欠陥をかかえた人間や
まわりとうまくやれない人間を出すよなあ。
そういう人の映画ばかりだよなあ。
自分が、そうだった、もしくはいまもそうなのかもしれないけど。
そうして、それらの 欠陥ある人びとやふつうには生きられない人びとを
とても積極的に認めていて、たたえているようにおもうな。

「ミス・ペレグリン」では、ペレグリン夫人の保護下で生活している
子どもたちはみんな一種の異形であり、ふつうの人たちに
まじっては まず生活できないような力を持って生まれてしまった
子ばかりだった。
どれも使いようによっちゃ ほんととんでもない能力だった。
でも、どの子も、その力をつかってなにかスゴイことをやろうとか
そういったことはしていなかったし、
その手の「自分たちこそが優秀な人種」みたいな教育を
うけている形跡もまるでなかった。
彼らの世話をするペレグリン夫人なども、べつに
子どもたちに「その力をつかってよりよい世界をつくりましょう」とか
言ってなかった。自分たちが、力を持っていない人間よりも
優れた偉大な存在、とも なにもいっていなかった。
彼らはなにも変わらない世界、彼らだけの安全地帯で、
ただたのしく 生活しているだけだった。
お人形あそびをしたり、家庭農園から野菜をとってきてご飯をつくったり、
ホームシアターをみたりしているだけ。
なにもしてない。せっかくすごい力をもってても。
いさぎよいまでになにもしてない感が
どうもなんだかすごかった。
エイサが演じた主人公の男の子も、
一種 特殊な能力者であることがあきらかになった。
でも彼は、その力があったとしても、ふつうの人びとにまじって
生活することは不可能じゃないかんじだったとおもう。
とくに見た目が異形というわけではなかったし。
けども、この男の子も、最終的には
ペレグリン夫人の子どもたちとおなじ
閉じた世界にとびこんでいくことを選んでいた。
こういうときふつう「でも主人公の子は、この子どもたちとの
出会いを経ておおきく成長し やがて ふつうの人びとのなかで
力強く生きていくことを決意するのでした。」
とかいう結末になるもんじゃないだろうか。
ならなかった。
きっぱりと自分から あの不思議な子どもたちのいる
閉じたほうの世界へと旅立っていった。
たいへんな苦労をしてもあきらめずに 
閉じた世界への鍵を探し求め、そして探しあてて旅立った。
そのような結末をものすごく肯定的に前向きな雰囲気で
描いていたことがとても印象的だった。
ティム・バートン監督は 自分がまわりとうまくやれない
子だった、のかもしれなくて、
そんなかつての自分に「それでいいのさ。一生だれともうまくやれなくても
わかってもらえなくっても 自分の道をつらぬきとおしていいのさ。」と
言ってやりたくて
こういう映画を作り続けてるんだろうか。
自分自身のために。
でもそうなのだとしても こうして わたしにもその
メッセージが 熱く響くよなあ。
わたしはティム・バートンじゃないのだけども。

まじわれないならまじわれないでいい、誰になんといわれようとも
自分の道をすすんでいいと いうメッセージでもあったし、
けども べつにだいそれたことをしなくてもいい、
ただ いまそのままの自分でもべつにいい
というメッセージでもあったとおもうわな。
つまるところ自分の存在を恥じなくてよいということかな。
まわりになにかいわれて揺らぐようなものじゃないわけだから。
みたいな?

ティム・バートンだわなあ。









雑記。近況。映画わりとみてた。出会いと別れ。中里学さんのライブ。心境の変化。

しばらく忙しめで 書く時間があまりとれなかった。
でもおおむね平穏な毎日をすごしてた。

映画は「マリアンヌ」「破門」のあとは
「ミス・ペレグリンと奇妙な子どもたち」と「アサシン・クリード」を
みてた。どちらもけっこうたのしかった。
そのうちちゃんと感想を書こうとおもう。
でも書かないかもしんない。
アサシン・クリードはなんとなく続編もありえるような
終わり方だったかもしれない。
マイケル・ファスベンダーはほんっといい役者さんだ。

次の機会にはトリプルXをみたい。
「スノーデン」をみたかったのだが
もう関東は都内くらいでしか
やってないみたいだ。 
行けるかなあ。
あと、今月末にはユーリ・ノルシュテイン監督の
特集上映をみにいくつもりだ。
近所の映画館では自分がいけそうな日にはやらないと
かんちがいしていて、唯一いける可能性があった
長野県松本市まで いこうかとかんがえていたのだけど、
よくよく公式サイトを確認したら、松本市のと同じ日に
電車で30分くらいでいけるところにある映画館で
上映されることがわかったので
そちらにいくことにした。
松本市にいくのもたのしそうだけど。
ずいぶんまえに一度 友だちと長野県に旅行に行き、
松本市を拠点に2日半 いろんなところを観光した。
あれは最高だった。あんなにくつろげる所ってないとおもうな。
すずしかったし みんないい人で最高だった。
今回はいかないが、長野県にはまたいきたい。

ユーリ・ノルシュテイン監督・・・
「外套」は 完成するのかなあ。
ひそかに、しかし確実に わたしは完成のときを
待っているんだけれども。

映画 今年はいまのところかなりみてていいかんじだ。
去年ぜんぜんみなかったこと後悔している。
今年はこの調子でしっかりみるつもりだ。


ずっと、本はたくさん読んでた。
昨年の暮れから 夜道を歩くときあの曲がり角でクマに遭遇したら
どうしよう、という われながら 言いようもなくわけのわからない
妄想みたいなものに かなり真剣に悩まされてきたのだが、
「クマに会ったらどうするか」(ちくま文庫)という
本を読んで その悩みがすっかり解消された。
今年に入って読んだ本としてはかなり衝撃的というか
すごく のちのちまで思い出に残りそう。
「クマに会ったらどうするか」。
ほかにもいろいろ読んでた。
おもにニーチェ読んでた。
気分が落ち着いているとき、ないしやや落ち気味のとき
ニーチェをつい手に取っているかんじがする。
べつにそんなに深く あの人の思想とかを
理解しているわけではないとおもうが。
尊敬している。その強さを。

 


ほかにもいろんなことがあった。2月3月は毎週のように
いろんな人と会って話したり 
新しい友だちとの出会いがあったりして
いま、ずいぶん充実感がある。
でも 別れもひとつあった。
心からかなしくおもう。
落ち込んでる。
自分に落ち度があった。
これもほんとうは くわしく自分の心境をかきたいような気持ちだが
いろいろとわけあって、むりだ。
事情をぼかして書いたんじゃ、自己満足以外のなにものでもない
内容になってしまい、人に読ませる前提のブログなのに、
それじゃ何の意味もないからなあ。
だから書かない。
しかし この件については正直ちょっとまいってる。
いろいろ考えすぎてしまっているみたいで
別れがきまった日の夜からどうもあんまり眠れない日が
つづいてる。
でもまあ自分でまいた種といえば自分でまいた種だ。
それに 自分よりももっと傷ついている相手がいるわけで。
ただ、やっときょうになって、すこし気分がかるくはなった。
自分はわりと なにかあると その影響がまず睡眠にくる傾向がある。
なにかというとすぐ 眠れなくなってくるのだ。
緊張しているとか、落ち込んでいるとかそういうことがあると。
うまいこと眠れない日が続いたことは 以前にもあり
はじめてではない。 
2週間同じ状態がつづいたときはさすがに 
これはまずいとおもった覚えがある。
疲労の回復ができないからヘロヘロになってしまって。
またつづくようなら 対策をかんがえたい。はやめに。

3月5日に、ソロシンガーの中里学さんのワンマンライブきいてきた。
こぢんまりとした会場のちいさなステージに
中里さんとギターとベースとドラムとパーカッションとキーボードと
コーラスとヴァイオリンとさらにダンサーまではいって
すごく豪華な編成だった。
わたしはガクさんはもうもっと大きな会場でやればいいとおもうけどな。
すごくたのしい いいライブだった。
じつは今日の夜も、ガクさんの追加公演的なミニライブがあり
行ってきた。 何度聴いてもあきないんだよな。
いいよね。
みんな中里学さんの歌聴けばいいんじゃないかな。
きっとたくさんの人に受け入れられる音楽だとおもうけどね。
共感できるんだよ。歌詞も音楽も よく考えられているけれども
平易でまっすぐ心に入ってくるし。
エモーショナルだけど押しつけがましさがなく シンプルでいいよ。

www.nakazato-gaku.info


去年のワンマンライブにも 行ったんだけど
そのとき、感想をブログに書いたから
参考までに ここにはらせてもらう。
たいしたことかけていないけど。
このブログ古いんだよな。こっちにはやく
ぜんぶ引っ越してこないといけない。
ブログがふたつある状態になってしまっている。

mollenhauer8rk.blog.fc2.com




ところで、
1か月半ばかりまえ、自分にとってたいへんに大きな
心境の変化があった。
これについては わすれることなくちゃんと 近いうちに
ここで告白したい。
これまでに数人の 信用できる人びとに
自分ですべての事情を話してきたので
だいぶ考えがまとまり、ちゃんと順序立てて
まともに話せる状態になったとおもう。
だからそろそろ書いてもだいじょうぶだとおもってる。

睡眠がどうかんがえても足りてなく 疲れがひどい。
胃とか腸とか調子わるいみたいだ。
どうせねむれないのに ねむりたい願望だけは
めちゃくちゃある。
とりあえず明かりを消して横にはなってみようとおもう。

またあした。

映画の感想-『マリアンヌ』『破門 ふたりのヤクビョーガミ』-170212。

午後から外にでて映画館に行き、
映画を2本たてつづけにみた。

・・・

その場の思いつきで
ぜんぜん毛色のちがう
2本の映画を選択した。

『マリアンヌ』
原題:Allied
ロバート・ゼメキス監督
2016年、米

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www.youtube.com

1941年、第二次世界大戦下のモロッコ
カナダ人の諜報員のマックスと
フランスのレジスタンスのマリアンヌが
ナチスドイツ要人の暗殺作戦を遂行。
作戦上の必要から偽装夫婦生活を送るうちに
ふたりは本当に愛し合うようになり、

作戦を成功させたのち英国で結婚する。
子どもにも恵まれ幸せな日々を送るが、
ある日マリアンヌに二重スパイの嫌疑が。
マックスに、妻を殺害せよとの命令が下る。
妻が裏切っていたなどと信じたくない彼は
彼女の無実を証明しようと奔走するのだが。

話は先が読めまくるし、
映像にも、特に印象ぶかいものはなく 
正直あくびがでるほど退屈だった。
この手の話はめずらしくないしなあ。
カサブランカ』(1942年)
(モロッコつながりで思い出したのだが)
とか平凡なメロドラマだけど
公開当時はものすごく評価されたよね。それは
当時のまさにその時代を映した映画だったからだと思う。
べつに悪い映画だと思うわけじゃないが、でも、
現代の鑑賞に堪えるとは必ずしも言えないだろう。
なんか『マリアンヌ』を観ていたら
今『カサブランカ』みたい映画をやることに
何の意味があるのかよくわからなかった。
悪い映画だと思ったわけではないのだが。
二度はみないと思うね。

自分を愛していると言ったのはウソだったのか、
信じたいけど信じられないけどやっぱり信じたい
複雑な夫の心のうごき・・・ そういうのなら
個人的には『ナイロビの蜂』(2005年)のほうが
もっとうまくじっくりと描いていたように思う。

この映画で一番印象にのこったのは、
マックスがフランス語を学ぶシーン。
どういう意味のセンテンスなのか、
フランス語の早口言葉みたいなもので
マリアンヌと一緒に発音の特訓をしていて
マックスの発音がへたくそでかわいらしい^^)

ブラッド・ピットはやっぱりカッコイイ。
おひげをそってちゃんとした服を着て
髪をととのえると、年齢をちっとも感じさせない。
マリアンヌはマリオン・コティヤールが演じていて
こちらもほんとうによかった。
あの女優さんは魅力的でわたしは大好き。

・・・

『破門 ふたりのヤクビョーガミ』
小林聖太郎監督
2017年、日本 

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www.youtube.com
こちらは とくになにを
期待したわけでもなかったせいか
観てみたら かなりおもしろくて、
なんだ、みてよかった! と
明るい気持ちになった。
黒川博行のシリーズものの小説の
6作目だかが原作だそうで。
ヤクザと、うだつのあがらぬ青年の腐れ縁コンビが
出資詐欺にあって莫大な金を持ち逃げされ、
それを奪い返すために大阪を走り回るという話。
血の気が多いトラブルメーカーのヤクザ(佐々木蔵之介)と、
口だけ達者なナマケモノの青年(横山裕)のコンビが
なんだかいい感じで みていて楽しい。
佐々木蔵之介のことは まえからすきだが
横山裕のほうはまったく知らなかった。 
こんな役者さんがいたんだなとおもい
あとで調べてみたらジャニーズの人だった。
キャスティングした人は見る眼がある。

出資詐欺をはたらく男を演じた
橋爪功もいい味だしていた。
いかにも こずるくて
なんとなく憎めない小悪党。

ヤクザの勢力関係とか出資詐欺とか、
わからない人は いくら聞いても
わからないたぐいの 小難しい話だが
それでも、誰でもなんとかついていけるように
じつにうまくまとめていた。

関西弁の会話劇もたのしく、あきずに楽しめた。
もっとずっと見ていてもよかったような気がした。

北川景子さんは
めちゃくちゃかわいかったけど
やや浮いてた。いなくても困らなかった。

「マリアンヌ」は二度はみないけど
「破門」はもう1回くらい観てもいい。

映画の感想-『スウィート・ヒアアフター』-170205。

ひさしぶりにDVDで観た。

原題:The Sweet Hereafter
アトム・エゴヤン監督
1997年、カナダ

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雪の日か 2月くらいになると
おもいだして 観たくなる映画だ。
冬のカナダの山間部が舞台の物語だからだろう。
雪道を走行中だったスクールバスが湖に転落、
乗っていた20人もの子どもたちが犠牲になる大事故が発生する。
街にやってきたスティーブンス弁護士は
被害者遺族による原告団を結成、
バスを作った会社を相手取った賠償請求訴訟の準備を進める。
しかし、事故の生き残りの少女がある重大な証言をしたことで
事態の様相が変化し始める ・・・
まあそんなような だいたい そんなような物語だ。
ほんとはぜんぜんちがうけども!!

『ピクニック・アット・ハンギングロック』(1975年)
みたいな魅力がある映画だと思う。

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言葉で解説することになんの意味もない。
筋書きはちゃんとあるのだが、それが理解できたからといって
どうなるものでもなく、感じ取ることを楽しむ映画。
どこがいいんだか さっぱりわからんという人もいるだろう。
みんなほめるけど自分にはよくわからない映画、なんて
わたしにもいっぱいある。

でも『スウィート・ヒアアフター』は、わたしは好きだ。
生き残りの少女を演じたサラ・ポーリーが いつ見ても神秘的。

また来年の今くらいの時期におもいだしたら観よう。

20年前の映画なので 
登場人物たちが使っている 携帯電話が超デカい。

アトム・エゴヤン監督の
手紙は憶えている』と
サラ・ポーリーが監督した
テイク・ディス・ワルツ
みたかったんだよなー。

・・・

現在公開中の映画では
『沈黙』と『スノーデン』と『ローグワン』がみたい。
マグニフィセント・セブン』ももう4回くらいはみたい。
マグニフィセント・セブン』たのしかった。
あと『破門』もちょっとみてみたい。
佐々木蔵之介がでるから。
でもどれも地元の映画館では 都合のいい時間にやってない。
来週の土日は連休だから すこし遠出して
の映画館にいってみたい。

映画の感想-『ザ・コンサルタント』-170122。

きょうは午前中は洗濯をしたり 
ノラネコに手をかまれたり
あと ノラネコに
ヒザにパンチをくらったりし
午後おそくになってから外にでて、
映画をみにいった。

ザ・コンサルタント
原題:The Accountant
ギャビン・オコナー監督
2016年、米

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www.youtube.com


主人公はクリスチャン・ウルフ(ベン・アフレック)。
アメリカの田舎町の会計事務所で働く公認会計士だ。
愛想がないが、数字には図抜けて強い切れ者で、
地元の老夫婦の、お金の悩み相談なんかを
うまくさばいたりして、とても優秀な男だ。
そんなウルフのもとに、ある日、
大企業から 財政調査の依頼が入る。
社内の会計補佐のデイナ(アナ・ケンドリック)が、
使途不明金があるようだ、と指摘してきたので、
調べてほしいという。
ウルフはその頭脳を活かして、
やっぱり会社の金の流れがおかしいと証明し、
さらにくわしく調べようとするのだが、
なぜだかここで会社の方から一方的に依頼を打ち切ってくる。
そしてまもなく、ウルフは何者かから命を狙われ始める。
使途不明金の件を最初に指摘したデイナも危ない目に遭うが、
間一髪、ウルフに救出される。
実は、ウルフは田舎町の会計士という表の顔のほかに
世界の超危険人物たちの秘密の帳簿を取り仕切り、
年収10億を稼ぐ裏社会の会計士という顔も持っている。
しかも、仕事を妨害してくる者を抹殺するために、
1.5キロ先の標的も撃ち抜く狙撃術と近接格闘術も備える
とんでもない男なのだ。
受けた仕事が中途半端に終わることが大嫌いなウルフは、
今回も、命をねらわれたくらいでは仕事を投げ出さない。
何としても企業の不正をつまびらかにしようと、動き出す。

・・・
といったストーリーだ。

クライムサスペンスとバトルアクションとドラマとが
よくブレンドされてた。
伏線が何本もはりめぐらされけっこう複雑なのだけど、
どれもほったらかしにされず、順調にほどかれていき
最後にきれいにつながるのが、美しかった。
秩序と予測不可能性のバランスがわたしの好みだったらしく 
あきることなく最後まで楽しめた。
必要な人しか出てこないのも良い。

ウルフ役のベン・アフレックがとにかくハマってた。
見た目といい人物像といい キャラが合っていた。
会計補佐のデイナを演じたアナ・ケンドリックも、
小鹿ちゃんのようでかわいかった。
『50/50』(2011年)に出てた女優さんだ。
デイナが、変わり者のウルフに偏見を持つことなく、
まっすぐに関わろうとする姿がとても良かった。
ウルフは、途中で彼女と別れることになるのだが
「きみは称賛に値する」と置き手紙をして去った。
「みんな僕を怖がって力で押さえつけようとしてくる。
 でも君は非力にも関わらず 僕を怖がらなかった」
という意味だろう。

敵の親玉を演じたジョン・バーンサルも良かった。。
「ほんとはヴァンサン・カッセルに出てほしかったけど
 だめだったからこの人になったのかなー」
とか失礼なことを考えながら最初は観ていたのだが
そんなふうに思ったのは本当に最初の方だけで、
すぐに、この悪役の存在が得難いものに感じられていった。
照明の効果もあったんだろうが、終盤の対決シーンで、
急に子どものように無防備な表情になったのがすごかった。
あの顔をみられただけでもかなり、この映画を観た意味があった。

悪者たちの居場所を探し当てたウルフが
屋敷の窓ガラスを威嚇射撃していくシーンもアツい。
撃たれる悪者たちにしてみればあれは怖いと思う。
闇に紛れ、どこから撃ってきているのかわからないうえに
とってもじゃないが一般人が扱える火力の銃じゃないのに
そのくせ狙いが異常に精確なのだ。
(普通、銃は、火力が増すほど狙撃の精度が落ちるはずだ)
それで分厚い窓ガラスをドッカンドッカンやってくるので
音と衝撃が半端じゃなく、観てるわたしもふるえあがった。
屋敷じゅうの窓が割られたところでようやく銃撃が止み、
静寂が戻ってくる瞬間も
逆に、今度は何が起こるのかと息をのむほど怖かった。

ウルフの近接格闘術、なんだかどこかで観たような
憶えがあったのだが、多分『ザ・レイド』(2011年)の
「プンチャック・シラット」だろう。
ウルフの父親が軍人だったという設定だし、
米軍の戦闘術にシラットが取り入れられているという
話を『ザ・レイド』を観た時にどこかで聞いたことがある。
父親直伝の格闘術、ということなのだろう。
大柄なベン・アフレックがやるので格闘シーンは大迫力。
相手をした悪者たちも、ちゃんとみんな強かったし。

しかしウルフは
仕事を完遂しないと気が済まないというのはわかるのだが
なにも殺さなくても良かったじゃないか、とはおもった。
最後、なんで殺したんだろう。やりすぎのような気がした。
いわゆる「法で裁けないクズの粛清」というのとは
ちょっと 話がちがうんだし・・・。
ウルフのようなのは敵に回すと怖いだろうな。

場面転換や回想シーンの映像表現から想像するに
テレビや日本語吹き替え版で観ると
おそらくあんまりおもしろく感じられないとおもう。
でも、スクリーンで、字幕版で観る分にはとても楽しめた。
公開中の今のうちがおすすめ。
わたしはあと1回くらい観たい。

シリーズ化とかするかもしれない。してもいいかもしれない。
続編がやるなら観たい。弟と再会する可能性もあるし。

映画の感想-『凶悪』-170108。

白石和彌監督
2013年、日本

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www.youtube.com

雑誌記者の主人公のもとに、
死刑囚の須藤という男から、手紙が届く。
いわく、彼には警察にも話していない、
殺人の余罪が3つある。その殺人は
「先生」と呼ばれる人物の主導で行ったことで
その「先生」は今も罪を問われることなく
のうのうと暮している。
「先生」の罪を暴いて記事にしてほしい。
・・・
主人公ははじめ半信半疑だが、独自に調べた所、
須藤の告発に信ぴょう性があることがわかってくる。
主人公は、記事にできるかどうかわからないまま、
この事件を本格的に追い始める・・・
というようなストーリー。


死刑囚・須藤を演じたピエール瀧
セリフが棒読みぎみで演技もぎこちなかった。
でも、興ざめするほどひどかったわけでもなく、
大健闘していた。
ああいう人間もいないことはないと思う。
多面的な人物像を懸命に演じていた。
どうみてもカタギじゃない風貌と
じっとりと暗くすわった瞳、
貫禄というにはだらしのないゆるんだ体格が
役柄にすごくマッチしていた。

主人公を演じた山田孝之
終始寡黙で何かもの言いたげなのだが 
結局何を言いたいのかよくわかんない、
というのが個人的にやや不満ではあった。
まあ、こんなもんかなあ?と。
闇に葬られかけていた重大な犯罪の証拠を
握っていると思われるキーパーソンが死ぬ。
死の瞬間を目撃した主人公が
すごい叫び声をあげて嘆くシーンがあった。
あれは 
「ああ!これで犯罪の証拠が
 永遠に失われてしまった!」
そう思って嘆いているんだと さすがにわかった。
だけどそれ以外の部分では
主人公の心の動きが本当にわかりにくかった。
全体的にあの主人公のことがよくわからない。


リリー・フランキーはすごかった。
この映画とどっちが先だったかわからないが、
彼は たしか本作とほぼ同時期に
是枝裕和監督の『そして父になる』で
愛情深く庶民的な父親役を演じていた。
あれとこれを、同一人物がやっている、だと・・・
おそろしい。

主人公の妻を演じた池脇千鶴
主人公の母役の女優さんも、よかった。

「先生」に保険金殺人を依頼する一家を演じた
脇役の役者さんたちも、いい演技をしていた。
彼らは、良くも悪くも、
やったことの重大さに一生耐えられるような
強いメンタルの人間ではなかった。 
ああなって、むしろよかったのでは。

「世の中のいずれ死ぬ年寄りどもの首を
ちょっと早めにくくってやるだけで
ねむっていた金があふれだしてくる。
不景気だなんだって言われているが、
あるところにはある。
栓がつまっているだけだ」
「金は、使ってやらなくちゃ回らない。
それじゃかえって世の中もよくならない。
弱って死んでいくだけの
年よりの金庫のなかで 
金を眠らしておくより
自分たちが使ったほうがいい」
先生が、そんな意味合いのことを言ってた。
そんな風に考えているんじゃあ、
こうした悪さをしようと考えるのもうなずける。
すごい思考だ。
そんなことを思ってしまえる「勇気」というか。
一歩ふみだしてしまえる「勇気」というか。
震えあがるわ。
しかしなんでまた
そんなことを考えるように
なったのだろう、「先生」は。

主人公の妻は、夫がこの事件の取材にかまけて
認知症の義母のケアを任せきりにしてくるので
とてもまいっている。しかし夫は
「事件の真相を明らかにすることで
 犠牲者たちの魂が救われる」。
それを聞いた妻は
「死んでいった人たちの魂なんてどうだっていい。
わたしは生きている。わたしは苦しんでいるの」
と 一蹴した。
妻のこの言葉で、主人公の心が 
どう動くかなあと期待して観ていた。
でもやはり、主人公の心が動いたかどうか
よくわからなかった。それがすごく残念だった。
主人公の心の動きがよくわからなかったことが
本作の一番残念な点だった。

役者さんはおおむね大健闘。脇役も光っていた。
でも映画としてはやや冗長の感があった。
もうすこしスピード感があったらおもしろかった。
なんの説明も前触れもなく
当初 主人公視点だったストーリー展開が
須藤の回想視点にシフトしたのも違和感があった。

ひとつ疑問。
いよいよ これがバレたら
須藤が逮捕されるぞという段で
「先生」が、須藤に告げる。
「おまえの舎弟の五十嵐がね、
『ひとりで逃げたいから助けてくれ』って
 相談してきたよ。
 もちろん断ったけどさ」
須藤は残忍な性格だが情にもろい所もあり、 
舎弟の五十嵐をとてもかわいがっている。
その五十嵐が自分を裏切り、逃げようとした。
そう「先生」に聞かされて真に受けた須藤は、
五十嵐を殺してしまうのだ。
・・・
五十嵐が「先生」に逃走の相談をしていたというのは
本当か?
仮に、そんな事実はないにも関わらず
「あんたの舎弟、逃げようとしてたよ」と
須藤に告げ口をしたところで
「先生」に何かメリットがあるか。
他人の人間関係を、ウソまでついて故意に破壊し、
それを眺めて楽しむなどという趣味は
「先生」にはないように思えたのだが。
五十嵐は本当に逃げようとして「先生」を頼ったのか。
だとしてもなぜ「先生」はそれを須藤に話したのか、
あのタイミングで。
そこがどうもよくわからなかった。

あ。
・・・
いや、わかるわ。今気づいたけど わかる。
五十嵐が裏切ったよと須藤に告げ口しても
「先生」にはメリットがない、と今 述べたが、
メリット、あるね。
須藤が刑務所に入り、五十嵐が死んでくれれば
「先生」の立場は安泰なのだ。
彼ら以外に秘密を知る者はいない状況だったのだから。
五十嵐は須藤ほどには「先生」を信用していなかった。
「先生」はそれを察知していたのではないか。
五十嵐を生かしておくと自分のためにならない。
余計なことを他所でしゃべりだす前に消えて欲しい。
できれば死んで欲しい。でも自分で手を下すのも億劫。
そこで、五十嵐の裏切りをでっちあげ須藤にほのめかす。
須藤が勝手に腹を立て、五十嵐を殺すようにしむけた。
そういうことか。

正真正銘のクズだ・・・

五十嵐の
「小銭持ってないっす!」も
そう考えるとすごくよかったんだな。
あれはよかった。あのあとの舌打ちも。

世のなか悪いやつがいる。
でもその人たちと自分とが無関係とも思わない。
みんな同じ人間だ。みんな同じ人間なのだ。