BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

230319。

Abema prime のアーカイブ動画で、中途身体障害(もともと健常だったところへ、加齢以外の、病気やケガが原因で、人生の途中で負う、身体障害)をとりあげる回があって、みた。結婚してまもないときに配偶者が交通事故で障害を負って車椅子生活となりそれを奥さんが支え続けているというケースと、男子大学生が事故で半身マヒとなり発音障害や記憶障害も残り、電動車椅子ユーザーになった、というケースがあり、奥さんと男子大学生は、出演して、スタジオの質問とかに答えてくれていた。

やっぱ、暮らしの中ですごくいろいろ大変なことがあったり困ったり苦悩したりしているんだろうなーと勝手に想像してたんだけど、ふたりとも、全然そういう感じではなかった(障害があるからって困ってるだろうなーと決めてかかるのは偏見だわな。)そのことがとても印象的で、わたしとしても、すこし感じたことがあった。

なんか、ふたりとも、「街に出ればバリアフリーが進んでるところが多いから車椅子でもべつに困ることはない」ということを話していた。あと、奥さんのほうは、「夫の車椅子が公園の砂場にハマってしまったときに周りの人たちが協力して助けてくれた」「車椅子だから障害者だからと見られたり『迫害』をうけたと感じたことはない」と振り返っていた。また、夫はいったん復職したものの車椅子で満員電車で出勤したりすることがしんどかったらしくある日とつぜん会社を辞めてきて、いまは独立して介護事業を立ち上げようとしてるとか、いろいろアクティブにがんばってることの話もしてくれた。学生さんも「お医者さんや看護師さんの支えのおかげで中途障害になったことを受け入れることができた」ということをいってた。それに、体が思うように動かないのに身だしなみにもファッションにも気をつかってて、おしゃれで素敵だった。

この人たちの話を聞いてて、なんか、「自分が世界をどう見るかによって、世界は本当にその姿を都度、変容させるのかもしれないな」とおもったりした。

シンプルにたとえると、

「この世は意地悪な奴ばっかりだ。街では襲われたり怒られたりする。みんなわたしから何かを奪おうと狙ってる。騙されないように用心してなくちゃ」とか思ってると、

不思議なことに、ほんとに意地悪な奴とか、自分から何かを奪おう自分を騙そうと狙ってくる奴ばっかり、まわりに引き寄せちゃう。

逆に、

「この世は、まあ、たまにイヤな奴もいるけど、基本的には人はみんなやさしくて、街は安全で、困ったときには誰かが助けてくれるものだ」

とおもってると、

ほんとに、人はだいたいみんな優しくて、街は安全なものになり、困ったときにはなんとなく誰かが助けてくれて、たまにはイヤな奴もいるけど決して全員がそうなのではない、 という世界になる。

なんでそうなるのかわかんないし、本当にそうなのかどうかもわからないが、

なんとなく、それってあるかもなーと思ったりした。

 

この世界をどういうものだととらえるかは、経験によって、今までに出会った人によって、あるいは世界について教えてくれた人が世界のことを何と言っていたかによって、とか、いろいろなことで変わってくるはずだ。

そう考えると わたし自身、たしかになと、おもうことがいろいろある。細かいことだけど。たとえばわたしは、

20代後半くらいから、髪の毛の、右側に白髪が出始めて、いまは右側がかなり真っ白なのだが、白髪が出始めたころ、美容師さんが、生えかたがめずらしくてきれいだと言ってくれた。ものすごく頭を使って仕事などをすると頭髪の半分側に白髪が出やすいことがあるので、頑張っている証拠だとも言ってくれた。そのことがわたしの心のお守りになってくれて、わたしは最初から自分の白髪がまったくイヤじゃなく、いまでは白髪のまわりのまだ黒い髪も色を抜いて、白とか黄色を入れ、目立たせている。いま、世間ではインナーカラーが流行り、シルバーヘア、グレーヘアが受容されだしている。

それから、親が、わたしの体とか生まれつきのことだけは、一切悪く言わないでいてくれたせいか、わたしは自分のルックス、とくに身長が普通よりも高いことによってコンプレックスを感じたり悩んだりしたことは、今まで一度もない。小学校の時はとくに飛び抜けて背が高い状況だったので、一回くらい学校でいじわるな子にからかわれるとか、なんかそういう傷つくことがあってもおかしくなかっただろうし、実際はあったのかもしれない。でも、まったく覚えていない。自分が気にしてないことなら、なにかイヤなことを言われたとしても、心がダメージを負わないのだろう。傷ついた思い出がないから、結果「まわりの人たちはみんな優しくて、わたしの背が人より高いことについて、嫌なこととか言わないでいてくれた」という認識になっている。

 

もし生きることがつらいときは、自分を取り巻くこの世界を どういうふうにとらえるか ということを、すこしでも変えることができれば、そのぶん、世界の姿も変わるのかもしれない。

 

周りの人がこの世界についてどのように言っているかによって 自分の世界のとらえかたも変わると思うので やはり生まれ育った環境や親との関係とかはほんとに大きいのかも。親がこの世界のことを嫌ってたら、子どももこの世界のことを好きにはなれないだろう。

でも生まれ育ちや親との関係だけがすべてではないとわたしはおもう。

それに世界のみかたを完全に変えることはできなくてもほんのちょっとなら変えられるかもしれない。そのほんのちょっとでも、だいぶ違うだろう。「この世はイヤなことばかりで、自分に害をなす怖い場所だ」とおもっていても、あとから自分の力で頑張ってみて、ほんのすこしだけ「まあ、そんなにはイヤな場所じゃないかもしれないし、たまには良い人もいるかもしれない」と感じられるようになる可能性は、じゅうぶん、あるのではないか。

 

人生の途中の、まだこれからだと思っていた時に、身体障害を負うなんて、世界が嫌いになってもしかたがないできごとなのに、前向きにがんばって生きていけているのは、本人の努力や、まわりの人たちの支えのおかげで、世界のみかたを前向きに変えることができた、後ろ向きになりかけたのを前向きに取り戻すことができた、からだとおもう。