BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『ベンゴ』-200515。

原題:Vengo
トニー・ガトリフ監督
2000年、フランス

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フラメンコの映画観るのけっこう好きなんだけど
この映画は知らなかった。
トニー・ガトリフという映画監督のことも知らなかった。

音楽やフラメンコのシーンがすばらしかったのはもちろんなのだが、
あんまり重要視されていないように感じられるドラマの部分も
(ものすごく簡素で薄いのではあるが、)
けっこううまく作られている印象を受けた。

女にモテて、お金も社会的地位もある主人公カコと、
身体的障害・知的障害を抱えた甥のディエゴの
対比的なキャラクター配置はうまいと感じた。

カコは教会に行くのだが、
ディエゴは絶対に行かない・・・というのをみた時、
映画的に、ちゃんとこの二人の関係性には
意味が持たされているのだ、ということが確認できた。
それに、物語の結末を観た時に、
自然に、まっさきに思い浮かんだのは
ディエゴのことだった。だから、
この映画は、カコの物語なんだけど、
ディエゴの物語でもあったのだなと、わかった。

カコは愛娘を亡くしたばかりで悲嘆にくれていて、
頻繁に教会に通い、聖母マリアに祈りをささげている。
彼は、兄が犯した罪のせいで、敵対グループに恨まれている。
敵対グループは復讐(Vengo)を予告してきており、
甥のディエゴの命も危ぶまれている(カコの兄=ディエゴの父)。
カコは、娘を亡くした今、甥っ子をことのほか溺愛している。
このうえディエゴの命まで危険にさらすことはしたくない。
だから、甥っ子をいつでも自分の目の届く所に置きたがっている。
そのカコが、教会に行く時だけは、ディエゴを伴わない。
カコの娘にひそかに思いを寄せていたらしいディエゴは、
僕も一緒に教会に行きたい、と言いそうなものだが、
不思議と、そういうことは言わず、
おとなしく、ディエゴが教会に行くのを見送る。

なぜカコは教会を求め、ディエゴは求めないのか、
だと思う。

カコの魂は、ありていに言えば完全に
「スレて」しまっている。
どんなに娘を亡くしたことがかなしくて、
この心の痛みから救われるなら何でもする、
というくらいのことを思っていたとしても、
今までの暮らしのなかで、享受することに慣れてしまった
さまざまな愉悦や快楽を、いまさら棄てて、

信仰に生きるなどということは、できないだろう。
それだからこそ、カコのような人間だからこそ、
神にすがらなくてはいられないのだと思う。

でも、ディエゴの魂はカコとは真逆の状態だ。
身体的・知的障害があるために
俗世の快楽という「誘惑」とは、無縁でいられる。
映画的に、そういうことになるのだろう。
ディエゴは神のあわれみを求めにいく必要を感じていないのだ。

カコを演じているのはアントニオ・カナーレスという
世界的に著名なフラメンコダンサーらしいのだが、
この映画のなかではダンスを完全に封印していて、
ストレートな演技だけで心を表現することを要求されていた。
それって、しんどそう(笑)・・・
ダンサーなのに・・・
わたしはアントニオ・カナーレスが、この映画の中で、
役者としてうまくやっていたのかどうかは
正直言って、良くわからなかった。
だけど、カコが一人でひそかに教会に入っていき
泣きながら、聖母マリアにあわれみを乞う場面は
かなり、心にくるものがあった。
なんてみじめなんだ、かわいそうに、と思った。
彼は一族のリーダーだ。
罪を犯した兄は、行方をくらませている。
敵対グループの復讐を警戒しなくてはならない。
一族をまとめなければならない。
弱みを見せられない。
だからみんなの前では一生懸命、平静を装っている。
でも、教会では床にひざをついて、しくしく泣いている。
本当は娘の死に傷付いて、一人で立っていられないほど
憔悴しているのだ。
「苦しすぎて耐えられない、ほんの少しで良いから
 あわれみを・・・」
マリアの救いを乞うている。

カコが、最後に、ああなったので、
この先ディエゴはどうなるのかな、
ということが真っ先に気になって、いろいろ想像した。
でも、どの角度から考えてみても、
この先ディエゴが、少なくとも実生活の面で困ることはない、
という結論にたどりついた。
ディエゴはカコ以外の人たちからも十分に愛され守られており、
あらかじめ、神のめぐみのなかにある。

カコが欲しかった結論を持っていたのはディエゴ、という
ことになるのだろうと思う。

シンプルではあるけれども
うまく作られていたのではないだろうか。


あのラストシーンは良かったな。
それまでのどのシーンとも雰囲気が違っていた。
てんでばらばらに鳴っているだけの機械音が、
カコの薄れゆく意識のなかで秩序をなして、
徐々に、楽音を構成していく。
そして無機物である鉄塊と溶け合うことはなく、
ラクタのうえにただ倒れて血を流す、人の肉体・・・
あれは奇妙に印象的だった。
結局最後まで、ぬくもりや、あわれみといった
優しいものに迎え入れられることはなかった、という、
カコの哀しい末路を示していたのだろうか。
突き放した感じで、悪くなかった。
ちょっと『ダンサー・イン・ザ・ダーク
ラース・フォン・トリアー監督、2000年)
っぽい気もした。