BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『1917 命をかけた伝令』-200309。

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www.youtube.com

原題:1917
サム・メンデス監督
2019年、英・米合作



※やや深めに内容に触れています※ 

スゴかった。
スゴイ。まずはそれに尽きる。
ダンケルク』(クリストファー・ノーラン監督、2017年)
の焼き直しみたいなもんじゃないの~? とか、
勝手な思い込みで観るのをやめないで本当に良かった。
ダンケルクダンケルクでめちゃくちゃ傑作だったけど。

主人公は1人だと思っていたので、
2人だったことがちょっと意外だった。
それがのちに 1人になったが、
そうなるまでの展開もかなり意外だった。
そっちなんだ、と思った。

英国軍の塹壕とドイツ軍のそれとが
全然違ったのが ちょっと興味深かった。
英国軍のは、いかにも急ごしらえでせまっ苦しく、
おせじにも片付いているとは言えず、雑然としていた。
ドイツ軍の塹壕は、ここまでやるかと思うほど
キッチリ整然と作られていた。

当初、全編ワンカット撮影という触れ込みだったが、
実際は、9~10分くらいの長回しで撮ったシーンを
巧みにつなぎ合わせて、あたかもワンカットのように
見えるように仕上げた、ということだそうだ。
イヤ、もう全然、それで良いです・・・。
そのことを知って観ても、
いったいどこで切れていたのか、継ぎ目の部分は
わたしは正直言って2か所くらいしかわからず!
よほどしっかりと計画を立てて、
クルーと役者が一丸となり、
ずっと前から何度も何度も練習しないと、
このような撮影のしかたは不可能だったと思う。
爆弾をあんなにたくさん設置するのは大変だし
飛行機もそう何度も何度も落とすわけにいかないし
お金がいくらあっても足りない。
そうなると失敗できる回数にも制限がありそうだ。

どんなに流麗で、美しい映像だったことか。
大スクリーンで観ることができて幸せだった。
あの炎上する廃墟のシーン。
まばたきするのも惜しかった。
何てものを見せてくれるんだろうか。
『レヴェナント』(2015年)を思い出した。

平原地帯の廃屋のシーンのあたりから、
この物語が、どこか神話的というか、
そうでなければ正統的なRPGのような
様相であることを感じるようになった。
主要キャラが2人(のちに独りとなる)しかおらず、
その旅路は波乱万丈でありながら、とても孤独だった。
ある所では、農家を発見し、そこに牛がいたので
ミルクをゲットしたり、
またある所では思わぬ出会いがあり、
各所でいろんなものを失ったり、受け取ったり、
与えたりしながら、突き進んでいくわけだ。

シーンが時間の流れ通りに進み、途切れることがないせいか、
上等兵と一緒に自分も走っているつもりになれた。
伝令を拝命してからデボンシャー連隊の元にたどりつくまでの
丸一日を、そっくりそのまま体験した気持ちになれたわけだ。
それだけに、緊張感たるやすさまじいものがあった。
何と言っても命が懸かっている。
特に中盤くらいまでは尋常じゃなかった。
ドイツ軍が立ち去ったあとの塹壕を探索するシーンで、
巨大なネズミが現れて、悪さをするのだが、
そこなんかもう、緊張で心がギリギリの状態だったので
わたしは「わあっ!」と本気で声を上げてしまった。

この物語を観ていて、ふたつ、
わたしが これ良いなと思ったことがあって、

ひとつは、
スコフィールドとブレイクが、
戦地慣れした上等兵であり、そして、若かったことだ。
彼らは、観ていた限り
武器の扱いや兵士としての基本動作が相当板についていた。
必要な時に迷わず発砲し、手早く人を殺す。
常に気を強く持ち、使命を見失うことがない。
訓練された兵士であることを逸脱しなかった。
そのため わたしは
旅をしている間は、余計なことをまったく
想像しないでいられた。
「この人たちは戦争がなければ大学にでも行っている
  普通の青年なんだよな~」
とか思う必要がなかった。
でも、彼らはとても若かった。
目の前で起こることへの反応が早く鮮やかで、烈しい。
そんなふたりに伴走する気持ちで物語を追うので、
わたしの映画体験も、鮮やかで烈しいものになった。

森にたどり着いた時のあの涙が、胸を打ったのも、
ラストシーンがあんなにも美しかったのも、
彼らがじっと感情を押し殺して
ひたすらに走り続けたからこそだった。
スッキリと明解な感触の物語に仕上がったのは
主人公が若い兵士だったからだと思っている。


もうひとつ好きだったところは、
「敵」がいない物語だったことだ。
戦争映画なので、もちろん設定上の相手はいるが(ドイツ)、
「敵」として表現していなかった。
例えば悪魔のように残酷な行動をとらせるとかして
殺されて当然かのごとく描く、という手法を採っていなかった。
戦闘を描くためにこの映画を作ったのではないのだと思う。
描こうとしたのは、破壊の無残と、そのなかの美では。


あのような若い人たちが、
「人を殺した者」となって故郷に帰ったことは、
彼らの人生にどれほどの影響を与えたのかな・・・。
人を殺したら、殺したことがなかった頃にはもう戻れない。
若いドイツ兵を力任せに首を絞めて殺害したことや、
腐ってパンパンに膨張した死体の山をかきわけて泳いだことや、
自分より30も年長の上官が怯えてひいひい泣くのを見たことを、
故郷に生きて帰れたとしても、
どうやって抱えて生きていったのだろうか。

1600人の命が懸かった重要な命令の伝達役を
わずか2人に任せたのはどうしてだったのだろうか。
連隊にたどりつく前に死ぬ確率が非常に高いのに
なぜたった2人なのだろうか。
もし2人とも死んだら、デボンシャー連隊も壊滅するのに。
「この作戦が中止になっても明日になれば
 また別の作戦の命令がくる」
「この闘いは最後のひとりになるまで続くのだ」
というセリフの意味がわかるような気がした。
第8連隊も、その上も、司令部は、結局のところ
「伝令が2人とも死んで、命令が届かなかったとしてもやむなし」
「最悪1600人が死んでも、それはそれでしかたない」
と思っていたのだろう。


スコフィールドがブレイクに、
ほんの少しだけ故郷の事情を打ち明けていた。
セリフが翻訳によって簡略化されすぎていたのか、
どういう意味だったか今ひとつわからなかった。
家族とあまりうまくいっていないようなことを
言っていたと理解したが、
はっきりとはわからなかった。
あの言葉をきちんと聞き取るためにも、
もう一度くらいはこの映画を観に行きたい。

ちょっと音楽がドラマチックすぎるなと感じた所が
数か所あったし、
「そのシーンは要るか要らないかギリギリだけど
 多分ギリギリ『要らない』方じゃないかな・・・」
とか思った所も なくはなかった。
それをあえて入れたために緊張感が減じたという意味で。
だけど、そういうのは本当にほんの少しだった。
映画全体の素晴らしさを思えば、
大したことではなかった。

わたしなら この映画を人にすすめるとしたら
スクリーン鑑賞を推したい。
感染症の流行問題があるのでアレだが
レイトショーなど空いている時間を狙って
観に行ってみては。