BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

一年-200113。

一年前の自分が、ブログに書いたことを
少し読み返した。
よく今日まで
自殺しないでいられたものだなと思った。

くわしい事情を書かないで、
おのれの心情だけをつづっている記事が多い。
人さまに読まれることを、一応意識していたからだ。
自分以外の人が関わることだから、
関わった人を困らせるのはいけないと思った。
だが詳細を伏せても、
もちろん、わたし自身は、
この時に自分になにが起こっていたか、
なにをしてしまったか、
ぜんぶ、つぶさに、知っている。
読み返すと、思い出されて、しんどい。

一年前は、むしろ、あらゆる渦中から抜け出して
すでに安全な場所にいた。
自分が犯してしまった失敗も、
もう過ぎたこと、と言うしかない状態になっていた。
そうなっていたからこそ、かえって
取り返しのつかないことにとらわれた。
つい今しがた起こったことのように恐怖したり、
泣いたり、痛みに苦しんだりしていた。
眠りにくくなり、
眠れてもむちゃくちゃな悪夢に苦しめられて
深夜に飛び起きて、部屋でひとりで泣いていた。

当時は毎日毎日、真剣に、
できるだけ効率的にわたしひとりの力でできる
自殺の方法について検討していた。

つらかった。
外を夜中に何時間も歩きながら、
涙を出まかせにしていた。
首吊りがうまくできそうな木がないか探していた。
自分が確かに生きているという感覚を
失っているのではないかと思う時があり、
確認するために
壁を殴りつけたり蹴ったり、
腕をカッターナイフで切りつけたりという
自傷行為に走った。
おかしいことをしていると
自分でわかっていないわけじゃなかったが、
止めることができなかった。
いったいなんなんだ、ってくらい
気持ちがくるしかった。
狂ったほうがよほどマシに違いないと思った。

よくよく覚えている。

当時の自分に同情しそうになる。

自殺しないようにしてくれたのは
友人や、後輩たちや、
お医者さんや先生、
それから時間と距離だ。

自分に同情しそうになるけど、
本当はこんなもんで済んで良いはずはないとも思う。

甘ったれている。
わたしは逃げて、ここにいる。
本当にちゃんと傷つくことを避けている。
痛みや羞恥や怒りや哀しみを
背負いきれなかったから逃げた。

ちゃんと傷つくとは、
自分と向き合うということと
似ているのではないかな。
なんとなくだけど。
苦手科目だ。
自分がどんなにつまらない醜い人間かを
まだまだ見ていないとおもう。
つまらなさ醜さの感触を、
一度この手でさわって覚えたら、
あとはもう、毎日それを見ないで、
いったんフタをしてしまっても、
かまわないような気はするのだが、
あると知りながら見るのを怖がったまま
ちゃんと傷ついたフリをしたり
考えて生きてますみたいなフリをしたり
それだと、非常にたちが悪い人間のままだ。

わたしが 自分を
まともな人間じゃない気がするのは、
自分の人間らしさから
眼をそらしているから、とも
言えるんじゃないか。
わたしはわたしの
憎悪 怒り 後悔 恨み 痛み 哀しみを
できれば命尽きるまで見たくない。
見たらとても生きていけないように思う。
立ち直れないように思う。
自分が崩れるだろうなと思う。
けど その部分にこそ
とても重要なものがあるような気がしてならない。