BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

ウディ・アレン強化期間『アニー・ホール』『インテリア』/『イエスタデイ』まとまらない感想-191126。

ウディ・アレン監督作品 強化期間

アニー・ホール』(1977)
Annie Hall

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『インテリア』(1978)
Interiors

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70、80年代といったかなり前の映画作品は
YouTubeなどで探しても
日本版の予告編が見つかりにくい。
英語で探すと出てくる。

立て続けに傑作を観ることができて満足。

アニー・ホール』おもしろかった。
ウディ・アレン監督の最高傑作と
言われていると聞いていたので、
観る前から、どんなにおもしろいのかと期待してて
あまりにも期待し過ぎてしまったかもしれないと
いざ観る時には案じてしまったほどだったが
その期待値をなおも超えてくるおもしろさだった。
というか わたしにとっては
大量のめちゃくちゃ興味深い「宿題」を
どっさり課された感じがする映画だった。
わたしはなんといっても恋愛経験が全然なく
大人らしい大人でもない。
そのために
なんかあんまり彼らの心の機微がわたしには
理解できてなかったんじゃないかなという
気がしたのだ。
わたしが『アニー・ホール』の良さを
本当に身に染みてわかるようになるには
これからきっと何年もかかる。
その間 何度もこの映画を
観返したくなるだろう。
ダイアン・キートンの晴れ晴れとした笑顔が
かわいい。衣装もとてもおしゃれで素敵。
あいかわらずウディ・アレンにはイライラしたが
他の作品ほどじゃなかった。

これまではずっと、ウディ・アレン監督作品は
ブルージャスミン』か 
『女と男の観覧車』が 
好きだなあと思っていたけど
ここにきて俄然『インテリア』が
おもしろかったランキング1位に躍り出た。
ひとつの家族が静かに崩壊していく様子が
観ていて本当にひりひりするほど痛かった。
みんな自分の罪悪感や劣等感を
自覚しているのかいないのか
そっくりそのまま他人に転嫁して
受け取った人もまた誰かに転嫁して
延々とトス回しをしており、
誰も自分の胸ではキャッチしないし、
かといって誰も 
もう良いや、落としちゃえ! 
・・・ともならない。
傷付けることも傷付くこともできないことが
家族の絆の崩壊を
不可逆的なものにしてしまった気がする。
だが新しい人間関係を取り込んでいくことで
まったく新しい形で絆を結び直すことも
できるんだろうか。
イヴがかわいそうだった。
ジョーイがかわいそうだった。
レナータがかわいそうだった。
フリンがかわいそうだった。

フリンはきっと誰にも秘密を明かさないだろう。
自分で わたしなんてダメだわ、と卑下してみせるのは
まだ良いけれども、
他人に、あんたとわたしは同じ負け組だから
気が合いそうだ、みたいなことを言われるのは
本当に頭にくるものだと思う。

ウディ・アレン
70年代、80年代の作品にも
こんなに良いものがあるんだな。

・・・

このまえ、『イエスタデイ』という映画を観た。
原題:Yesterday
ダニー・ボイル監督
2019年、英国

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最高に優秀な映画だったとは思わないし、
まともに考えるとそれなりに、
不満に感じた部分も少なくなかった。
だが、設定がユニークだったことと、
なんといってもビートルズであるから音楽が良いし、
それに役者さんたちが魅力的、
しかも美しいシーンも数多く・・・と
いろんなところで圧倒的に勝ち逃げされた感だ。
それで良かったんじゃないかなと思っている。
先に手の裡を知っていれば
難癖のひとつもつけられたけど、
完全にやったもん勝ち。

本人に能力がまったくないわけではないけど
能力以上のことをやらなくてはならない、
しかも自分は最初からズルをしているんだと
自分だけは知っている。
とてもつらいシチュエーションだ。

ビートルズがない世界はつまらない」。
主人公は自分が表舞台から去る代わりに
この世界にビートルズを残すという選択をした。
だが、彼が残したのはビートルズ的なるものに過ぎない。
ビートルズはない、それは変わらないのだ。

やりたいことと自分の能力のバランスの取り方、
主人公の本当の望みは。
彼はそれがずっとわからなかったのかもしれない。
やっぱり音楽で認められて、
スターになってみたいもんだけど、
でもどうやら僕の力ではそれは難しい、
ということもわかっている。
いかに折り合いをつければ
自分が一番腐らないでいられるか。
それを知るために やはりこの不思議な体験が
必要だったということなんだろうか。
つまり彼ひとりが自分の生き方の指針を決めるのに、
世界がまるごと協力してくれた、みたいなことに
なるんだろうか。
エド・シーランは主人公と出会ったことによって
「いつか自分を超える存在が現れるとおもっていた」。
主人公の方が自分よりも優秀であることを
素直に認めるに至った。
主人公もそういう風に 素直に負けさせてくれる
誰かに現れて欲しかったのかもしれない。
エドは、一層音楽の道で奮闘していくためにだが、
主人公は、音楽の世界ではやっていけないという
引導をわたしてもらうために。
世界からビートルズの存在がかき消えるという事件が
起こったことに何か理由があるならば
それは何であったのだろうか。
もう音楽をやめよう、と考えていたところへ
仲間たちが贈ってくれたギターのこと。
複雑な表情で贈り物を見つめる主人公が
「このギターにふさわしい曲を・・・」と言って
歌い始めた曲、それが「イエスタデイ」だった。
自作の曲ではなかった。
多くの人を喜ばす曲を生み出す人になりたい、
でも、それは自分の仕事ではないのだ、と
すでにこの時理解していたのかもしれない。

彼女は主人公が売れない時から
ずっと心から応援し支えてくれていた。
主人公も彼女を愛していたようだけど、
勇気がなくてずっと告白できなかったらしい。
そんなこんなでうだうだしてるうちに、
他人の曲でスターになるというズルいことをしてしまい、
本当のことを言えば彼女に軽蔑されるだろうと思うと
もうますます告白なんかできなくなっちゃったんだろうな。
結局単純に勇気がないんだけど。
スポットの当たる場所で音楽をやる資格を返上してから
彼女のもとに走ったのはその意味ではとても偉かった。

それにしてもエド・シーランは終盤の流れを
いったいどんな思いで見守っていたのか。