BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

Twist&Jams 「カザルスの沈黙 〜El silencio de Casals.〜」を聴いて思ったこと。-191104。

www.youtube.com

Twist&Jamsの演奏を 先日聴いてきた。

twistandjams.wordpress.com


しばらく聴く機会がなかった間に、
新曲が発表されていた。
このCD↓ にも収録されている。
お求めになりたい方は
ライブにおいでになるなどして
メンバーに問い合わせてみていただきたい。

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「カザルス」はもちろんパブロ・カザルスだろう。
となると、「沈黙」は多分、
彼にまつわる、有名な逸話を指していると見られる。
第二次世界大戦後のこと、連合諸国が
スペインのフランコ独裁政権を容認したのに抗議して、
フランコを認める国での公開演奏を拒んだ、
というエピソードだ。

ja.wikipedia.org

ひとりの音楽家が「演奏をしない」ことが
文化的、政治的に意味を持った。
そこまでの影響力を持つ音楽家
今の地球上にいるとは わたしには思えない。
これからも、現れないのではないだろうか。

「カザルスの沈黙」を聴いたとき、
まず タイトルに「沈黙」とあるにしては、
手数が多く、速くて、にぎやかな曲だと感じた。

パブロ・カザルスの演奏は、
油が乗っていた若い頃のものでも、
抑制的に聴こえ、
深く成熟した、大人のメンタリティを思わせる。
それに、カザルスの写真や映像で知られたものと言えば、
比較的、晩年のものが多い気がする。
※もっともこれは、わたしが個人的に
 1000年生きている仙人みたいな音楽家の演奏を好むので、
 その写真と言えば老齢~晩年のものばかり覚えている、
 という考え方の方が的確のようにも思える。
 ハイフェッツもコーガンもギトリスも
 ミケランジェリルービンシュタインもみんな、
 バリバリ弾いていた若い頃よりも、
 良い歳になってからの演奏の方が好きだ。

そんな印象があるからか、「カザルスの沈黙」が
あの演奏ストライキに着想を得たものとした時、
このようにアクティブな曲に仕上がっていることを、
意外に思わないわけにはいかなかった。
少なくとも「沈黙」という感じではないし、
平和なき国際社会を静かに憂う老音楽家・・・を
思わせる曲とは言えないからだ。
Twist&Jamsは「カザルスの沈黙」を
なんでまたこのような曲にしたのかな、と思った。

「カザルスの沈黙」が
そうした自分の印象とは まったく別の
さまざまなイメージを呼び起こす
曲だということに気づかされたのは
何度か繰り返し、聴いてみたあとだった。

カザルスが、フランコ政権を容認する国での
演奏活動を拒否するようになったことで、
困らされた人は多かったと聞いている。
彼との共演を熱望する音楽家やイベンターは
世界にごまんといた。
それなのに、カザルスは事実上引退してしまったのだ。
フランコ政権を支持しない国」での演奏は可にせよ、
そういう国は、当時ほとんどなかったのだから。
カザルスの不在には、世界が弱り切ったことだろう。
やがて、
「カザルスが来てくれないなら、
 彼のいる所にこちらから出向こう」
と呼びかけ合う動きが生まれ、
それはプラド音楽祭誕生の呼び水となった。
(カザルスはプラドに亡命していた)

「カザルスの沈黙」の
歯切れ良く疾走感あふれるストロークからは
「足音」が聞こえる気がする。
カザルスに来てもらえないなら
待っていないで、会いに行こう。
会いに行って、そこで一緒に演奏しよう。
集まろう! 会いに行こう、カザルスに!
距離こそ離れていても思いはひとつ、
楽器ケースを小脇に抱え、空港へ港へ急ぐ
楽家たちの、はやる足音が響くように感じる。

その一方で、
カザルスがその胸の裡で燃やし続けた 
怒りの苛烈さもしのばれる。
それはフランコの圧政と暴虐への怒り。
独裁政治を容認する国際社会の愚昧への怒り。
楽家が好きな時に好きな場所で
好きな音楽をやる・・・そんな当たり前のことも
できなくしてしまう、人間の愚かな選択への怒り。

フランコ独裁政権が行っていた、
カタルーニャ地方への弾圧が収束したのは 
フランコの死後のことだった。
カザルスはそれより先に亡くなった。
故郷が解放されたところを
見届けることはできなかったことになる。

腹に据えかねていたのだ。
心で泣いていたのだ。

カザルスの思いにきちんと触れた気がする、
「カザルスの沈黙」を聴いたことで。

メロディーラインは
速く、ドラマチックに彩っているものの、
「鳥の歌」を強く意識していると思う。
カタルーニャの民謡だ。
古い愛唱歌だが、
カザルスがチェロ編曲版を発表したことで
広く親しまれるようになった。
1971年、国連本部でこの曲を弾いた際に
カザルスが
「わたしの故郷の鳥たちは、
『Peace! Peace!  Peace!』と鳴くのです」
とスピーチしたというのは、わりと良く知られた話だ。

www.youtube.com

www7b.biglobe.ne.jp

歌詞を読めばわかるように
「鳥の歌」は本来
エスの聖誕を祝う、シンプルなクリスマスキャロルだ。
神のいます世界は平和に満ちてこともないはずで、
鳥の歌声はとこしえの調和をことほぐためにある。
その鳥たちが、あろうことか
平和をください、平和をくださいと言って鳴く、
その悲哀と異常を、カザルスは訴えたかったのだろう。

国連本部でのカザルスのスピーチの動画を
観たことがある。
彼は当時90代で、亡くなる2年前だった。
老齢で口調もたどたどしいなか、
腕を懸命にふりあげて、
「『Peace! Peace!  Peace!』」
と数回も繰り返していた。