BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

病むということ-98年の大学運動部集団レイプ事件の被害者女性によせる-190709。

20年前に、大学運動部のメンバーが
中心となって起こした集団レイプ事件の、
その後をたどる記事を読んだ。

www.tsukuru.co.jp

被害者女性は20年経った今でも(掲載当時)
PTSDに苦しめられており
日常生活もままならないようだ。

被害者女性の手記を読むと
彼女が自分を激しく責めていることが伝わってくる。
また、頑張ろうとしてしまっていること、
「申し訳なさ」を感じていること、
それゆえに 本当の意味では
休養できていないということも。

彼女を支えている人たちのなかでも、
お母さんの苦労はひとかたではないだろう。
お嬢さんに、本当は伝えたいんじゃないか。
そんなに頑張ろうとしなくていいよ
いつまででも寝ていていいよ
生きているだけでいいよと。
それが言えたら、そしてお嬢さんにそれが伝わって
心から安心して休養してくれたら
どんなにいいか、と思っているんじゃないか。

だけど、お母さんの心のなかも、
実のところそうそう単純じゃないはずだ。
お母さんは、元気だったころの、お嬢さんを知っている。
事件のことは、お嬢さんが悪かったのではないと知りつつも
元気じゃなくなったお嬢さんを見ていると
やり場のない不満がふつふつと、わきおこるだろう。
「自分の娘なのに、元気じゃない」ことに。
どうして元気じゃないの? 
どうして治らないの? 
いつ、あと何年で、何月何日に治るの?
壊れてしまったお人形のように(修理すれば直るかのように)。

被害者女性の苦しみが長引くことを危惧して示談に応じたことも、
その選択自体が間違いだったはずはないが、
損をしたような、失敗だったような、
わだかまりとなって、残ってしまったのかも。
示談で終わったんだからもういいでしょ、
もらうものもらったでしょ、と
加害者側からは言われるだろうし。

結婚して子どももできたんだから
レイプされて心の傷を負ったといっても
大したものじゃないんでしょ?
くらいのことは 今でも
方々から言われるのではないのか。

お嬢さんがのちに結婚されたとき、
お子さんが生まれたとき、
どんなに お母さんは、期待したことだろうか。
これがいい機会になって 
娘も以前の元気を取り戻すかもしれないと
何度 希望をかけただろう。

被害者女性の思いが、
かなり想像できるように思う。
彼女ほど重度ではないにせよ、わたしも
自力ではまず癒やせないと思われる
心的外傷を負っているからだ。
わたしも、今でも、
一昨年の暮れのできごとを忘れることができない。
不眠や、フラッシュバック反応には
ほとほとまいっている。

退院して退職したあとの自分の受け入れ先となった、
親を、信頼することができなかった。
親は、休めと口では言うが、
休ませてはくれないだろうと。
内心では わたしが休むことや 
元気がないことに不満を抱え、
条件付き期限付きでの休養を
要求したいんだろうなと思っていた。
わたしは、もし、具体的に
何かの条件を提示されたとしても
それは別に良かったと思う。
だが、おかしな話かもしれないが、
心のうえでは無条件で 自分をいたわって欲しかった。
いつまででも寝ていてもいいと言って欲しかった。
でも
もし親が「寝ていていい」と思ってくれていたとしても
思ってくれている、ということを信じられないのだった。
期待しておいて、信用できなかった。

足の切断手術を受けたとか、胃を半分とったとか、
「どう見ても休んでなくちゃいけない」状態だったら
数ヶ月くらいは自分も気楽だったろう。
でも、目に見えない部分の問題で 
休んでいたいなんて、
甘えだと思われるだろうなと思った。
・・・
非常におかしなことを言ってると自分でも思うけど、
わたしは要するにこう考えてた。
「休養なんて甘えだと思われていることを察知する」
「甘えだと認識して、つらくても奮起するか、
 奮起できなくて申し訳ないというようすを見せる」
「早々に床上げをする」
「さっさと働き始めて、元気な姿を見せる」
これらすべてをクリアしなくては、
休養することが許されない。・・・と。

こんなつまんないことをせわしなく
グルグルと頭のなかで考えているんじゃ
休まらなくて当然だと思う。

そばで見ていてさぞかしうっとうしいだろうな、とも。
家で落ち着いて寝ていることなんかできなかった。
寝ているところに、いつ親がどなりこんできて、
いつから仕事をするんだ、いつ病気が治るんだと
「いつ、いつ」と言ってくるだろうなという意識があった。
また、
「暗い顔で家のなかをうろつかれるとイライラする」
「治す気があるのか」
いつそういうことを言われるかと おびえてた。
親の口癖でもあったので。
まいっているときにこういうことを言われると
傷つくものだ。

そこへタイミング良く、以前の職場仲間から声をかけてもらい
早々にバイトを始めてしまった。

わたしは、実際には、寝ていようが、働こうが、
それはどうでも良かったのかもしれない。
ただ、無条件に、休んでいていいと言って欲しかった。
休んでいていいのだと、自分自身、思いたかった。
それなのに、
「自分は休んでいるべき時なので、休ませてくれ」と
一言でも言わなかったことをまず後悔している。
正直なところいうと、言ってもどうせ本当のところは
通じないと思っていた。
一昨年のできごとについても、
どなられたり、物を投げつけられたり、
吊し上げられたりしたときに、
やめてくれと、言わなかったことを後悔している。
何を言われても何も感じやしませんといったふうに
バカなキャラを演じてきたのも良くなかった。
「こいつは こういうふうに扱ってもいい奴だ」と
相手に思わせてしまった。
それも自分のせいだと思っている。

親に内心で思っていることがあっても
その1%も伝えてこなかったことも
「思っていることがあるなら言え。
言わないなら、思ってないということ」
と言われればそれまでであるから
今さら 思っている、と言い出すこともできず。
怒鳴られるのが、否定されるのが怖くて
何も言わずにきたことも、
自分のせいだと思っている。
しかも、
悔やんでいるし、自分のせいだと思いつつも、
同時に、相手を責めたくてしかたがない。
責めてもいいはずだと思っている 
そのことも認める。
自分にも落ち度があると思うから言えないのだ。

つまり、自分もずるいわけだ。

自分と、この記事の被害者女性は他人であるから
すべてが同じとは思わない。
だが、
この女性も、心のなかに
とても一言では言い表せない いくつもの激しい感情が・・・
それも、矛盾する感情が 混在しているんじゃないのか。
暴行被害によって負わされた心身の傷以外にも
彼女をむしばむものはあるのだ。

病人であるということは、気まずい。

自分は病人だから休んでなくっちゃいけないんだよ、
働けとか何かをしろとか言わないでね、
すぐ治らないからってイライラしないでね、
治療にすごくお金がかかっても全部払ってね、
ずっと寝ていても、怒らないでね、
いつも優しくしてね、
できないことは全部手伝ってね とか
なんの気まずさもなく言える病人が、いるもんかね。
わたしは、見た目に感情が読みにくい病人・・・
意識がないとか いわゆる植物状態の人・・・でさえ
見えない心の奥底の部分では
ふがいなさや気まずさを感じているはずだと思う。
その反面で
看病する人自身が気づいてもいない本心をも
残酷なまでに読み取っているだろう。
ある意味で疑い深く、敏感になるのだ。
「口ではこう言っているけど
内心(どうせ)〇〇だろうな」とか。
期待しては何度となく裏切られた気持ちになり、
強い孤独を感じているだろう。
誰にも伝えられなくても、 
激しく葛藤しているんじゃないのかな。

看病する側も、病人が悪いのではないと知りながら
イライラとか どこにもぶつけようのない不満とか
いろいろ噴出してくるもんなんだろう。

病気や、病む人は、それ自体にはなんの悪意もない。
でも、病気は、病気に苦しむ人は、
とりまくすべての人を程度の差こそあれ混乱させ、
見たくもない本当の姿とか、汚らしい部分とかを
露呈させてしまうものなんじゃないかな。

だけど病む人を救うのもまた人なのだ。