BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

そしてフリーランス/小西甚一「古文の読解」-190606。

5月いっぱいでバイト先を退職した。
長い長いおつきあいとなった会社だが
さすがにもうわたしもいい年齢だ。
あの会社は、若い人のものであると思う。
もう戻らない。戻らないですむようにしたい。

そのあとは、
フリーランスでライター/編集者、
受験対策予備校で 国語科の講師
を かけもちでやる環境を整えてあった、はずだった。
だが、バイト先を退職する4日か5日前のこと、
突如、締結ずみだった雇用契約の不履行が発生。
予備校の先生の話はなくなった。

国語の先生の話が反故となったことについて
事情を書き出すとすごくいろいろ複雑だが

自信がないやつは要らない、と言われた。

話を聞くとどうもそういう言葉がでてきた背景には
春に開校した新校舎の生徒募集が
うまくいっていないことがあるようだった。
わたしはその校舎にいずれ配属されるはずであった。
春に開校したのに、生徒の集まりが思わしくない。
このままでは、赤を出すだけだ。
でも、机もイスも入れて、配線も何もかも済ませた以上
校舎を閉じるわけにもいかないし・・・
塾長にとって、
不本意なものも含めていろんな決断を迫られていた
局面だったろうことは、想像にかたくない。

雇用契約をしたのは3ヶ月くらい前のことだった。
5月いっぱいで退職することが決まったので
6月のどこかから授業開始、ということになった。
わたしに教職の経験はない。
学生時代に、学習塾で長年アルバイトをしてた。
そのときに国語科の先生から任されて、
推薦入試志望の中・高生の小論文の指導を
したことくらいなら、あるが。
今回雇ってくれた塾長は、そのバイト先において、
数学科の先生をされていた。
その塾は、のちになくなってしまったけれども
たまに当時の先生がたと会って食事をすることがあった。
ずっとお世話になってきた人だった。
独立して今の塾を開き、新しい校舎を作るにあたり、
わたしの(国語科限定の)能力を買って
声をかけてくれたそうだった。
でも、わたしには教職の経験がない。
わたしはそれを、雇用契約よりもずっとまえ・・・
塾長から国語の先生やらないかと打診があったころから
強く危惧していた。
だから、塾長に複数回頼んだ。
雇用契約を結んだとき、(入社まで)3ヶ月あるので、
研修を必ずしてほしいということを。
それは必ず、と返答があった。
だけど、実現されなかった。
わたしがやったことは、
塾長が行う授業の見学×3回だけだった。
教材の選定も行われなかった。
どんな教材を使うのですかと尋ねたとき、
センター試験の10年分の過去問題集を渡された。
ひとまず、生徒が国語で満点を取れるようにしてくれと。
集団授業ではなく個別指導塾であるので、
生徒の反応や得意不得意を見ながら、対応していくので
あまり心配はいらないのだ、と言われていた。
それよりも、何回来てもいいから、授業を見学して
どんなことをやっているか把握してほしいと。

でも、初回の授業で何をすればいいのかが
まったくわからない。
センターの過去問題集は、教材ではない。
塾長はそれでいいというが、それでいいの意味がわからない。
授業を見学したけれども、あれは、
前々からの学習の流れがあった上での「今」であり、
わたしがこれから体験しようとしている「初回」ではない。
初回でどんなことが行われたのだろう。
他の先生たちにはどのように仕事を教えていったのか。
先生たちはどのようにして生徒たちの現時点でのレベルや
得意不得意を把握していくのか。
おしゃべりするだけじゃ学力なんかはわからない。
生徒たちはみんななにかしらの教材や問題を
(与えられたのか自分で持ってきているのかはわからないが)
机に広げて取り組んでいる。なぜその流れになったのか。
わたしは最初に何をすればよいのだろうか。
それがわからないでなぜ生徒の前に出ていいのだろうか?
できるよ、ということと「生徒の前に出ていいよ」ということは
同じのようでまったく違うと思うのだが。
不安でしょうがない。
自分が生徒の前に座っていい気がしない。
今の自分が生徒の前に出ることは
生徒の前に誰もいないことよりも
生徒にとって害であるように思えてならない。
受験生の貴重な80分をドブに捨てさせるようなものだ。

とりあえず自分の大学時代のノートや
高校時代の国語科の資料集などをもとに
素人ながら授業案を練り
塾長のもとに持って行き 見てもらったが
「NO」あるいは「微妙」との返事。
そもそも作ってきてと言われたわけでもなく、
また考えて作っていつまでに持ってきて、とも言われない。
塾長は理系の先生であるから、国語科のことは
あまりわからないというかんじであり、
それ自体は、理解できなくもなかったが。

バイト先を退職する7日くらい前のこと、
6月1日のこの時間から授業に入って、という
メッセージが届いた。
驚いて、
「この状態で生徒の前に出るのには
非常に不安がありますが、
それでいいと先生はお考えなのですか」
返信をしたところ、
「不安ならやめた方がいいかもしれない。
仕事の件はいったん保留とする」。
保留ってなんだろう、雇用契約があるのだが・・・
続けて、
「新校舎の事で忙しく、不安を解消してあげる余裕がない」
といった内容のメッセージも。
言葉の はしばしから、じつのところ、
もうこの人は、雇用の話を無しにしたいんだな、
ということは感じた。
わたしが不安を吐露したことが、
塾長のその気持ちを引き起こすキッカケになったのだろう。
さすがにそれがわかんないほどわたしもバカではない。
でも、雇用契約を結んでしまっている。
塾長の言うことの意味が確認したく
その翌々日の夜に塾を訪ねた。
事前に、雇用契約の内容の確認と、
以下のようなことの検討を依頼するメールを送っておいた。

・授業の研修と教材の選定を行ってほしい
・初回の授業で行う内容にOKが欲しい
・研修終了までに期限を設けていただくのもかまわない
・研修終了までは新校舎の電話番や訪問者の受付を行う
・・・

塾長がいうことには、
・この学習塾は、学生の自律的に勉強する姿勢や
 受験本番の場で、まったく知らない問題にぶちあたっても、
 自力でどうにかする対応力を養うことを狙いとしている。
 だから、
 あなたにも、教職の経験がなく授業案がないなかでも
 なんとか生徒と向き合い、授業を成立させるんだという
 気概を持っていてほしかった。
・それをやる自信がないならば、要らない。
・新校舎の生徒募集がうまくいっておらず、
 既存の校舎の運営でも手いっぱいであり、
 自分の力でなんとかできない講師の面倒まで
 見る余裕はない。
・また、この通り、いまは新校舎のこともあるとはいえ、
 朝早くから夜遅くまでの激務であり
 言わばブラック企業なので、それを知りながら
 あなたを雇うことに罪悪感がある。
・・・

自分で授業を成り立たせる気概うんぬんと言われるが、
研修をしてほしいと頼んだら、するとおっしゃった。
また、雇用契約の不履行ということになり、
わたしは生活ができなくなってしまいます と話すと
そうなんだよね・・・と言ったまま 
しばらく塾長は黙ってしまった。
もしかしてかなり参っているのかもしれないと感じた。
新校舎に生徒がなかなか集まらなくて、
しかも既存の校舎の運営と、通常の授業もあるし、
資金繰りを主とする実にさまざまなことで
非常な窮地に立たされていることはたしかなんだろう。
それらの問題の上に わたしというお荷物が載ったので
構っていられない状況であるから、切りたい。
そのことのいいわけとして、
わたしの「自信不足」が持ってこられた、と感じる。
わたしに自信がないことそれ自体は完全に事実だが。
でも、自信がないことの何がおかしいんだろう。
サバイバルナイフを1本持たされても、
使い方を知らないまま突然ジャングルに放り出されたら
どうしようもない。使い方を覚えた、と思えなければ、
一歩を踏み出すことはむずかしい。
知識があっても出力を知らなければ、
それは先生とは言えないとわたしは思うのだが、
「いや、そうではない。使い方を知らなくてもナイフ1本で行ける」
ということを、生徒の貴重な学習の時間を
十何時間かわたしにつきあわせてフイにさせてでも、
体得せよ、と言いたいのだろうか。
ならばわたしが生徒に迷惑料を払うのが筋くらいのものでは。
それはおかしいから、だから事前研修があるんだと思った。
先生は何を考えているんだろう。

でももう先生には、わたしと話す気はなさそうだ。
答えを引き出して理解できたところで、
雇用契約の履行はない。
わたしに訴えられる心配はしてなかったろう。
わたしの性格が弱いことをよく知っている。
言い返せないように仕向け、
さらに 参っているところを見せることによって
「わたしにも悪いところがあったので訴えられない」
と考えさせることができると 思ったことだろう。
事実、わたしは訴えない。
前の前の職場で懲りている。
ああいうのは本当に疲れるのだ。
勝っても全然勝ちじゃない。
それは勝ってみて気づいた。

雇用契約の段階で、
5月いっぱいで退職であるから、授業は6月のどこか、
と話し合ったことも、忘れられていた。
そもそも5月には入ってくれると言っていたのに
あとから1ヶ月もずらされて困ったよ、と言われた。
でも、なんとかしてきてしまったから、
いまさら入ってこられても、困る。
わたしが悪いように言うが、はじめから決まっていたことだ。
退職の期日が早まるように会社と交渉はしたが、
会社にも都合があり、そううまくいくもんじゃない。
あとから何かがどうこうなって困った、という話なら、
新しい校舎の生徒募集がまったくかんばしくないことを、
3ヶ月の間、一度でも話してくれなかったことは。

退職の期日のやりとりについては
メールの履歴を見せて潔白を証明してもよかったとおもうが
そこまでする気力は
このときに限って言えば、わたしにはなかった。

雇用契約は不履行となった。

書けば長いが、まあ、でも、
しょうがなかったのかなと思う。
そうとしか言いようがない。
ムリを押しても始まらない。
お互いにムリをしたんだと思う。
でも、なにもかもわたしのせいのように
言われたことはいやだった。
人間、本当にせっぱつまると結局だれでも
本性はこんなかんじなのかな、と思った。
つまりわたしも。
組織や、他人の雇用などに、責任をもつ立場に
立ったことがないから
自分のそういう面を見ずにすんでいるだけだ。

・・・

国語は勉強しないでも学年上位にいられたほうだった。
本が好きで源氏物語とか三國志演義とか聊斎志異とか
誰に言われるでもなく幼いころから親しんでいたのは
大きかったとおもう。それくらいしか、
国語科の成績がよかったことの理由が思いつかない。
(本当はもっと事情は複雑だとわかっているけれども。)
逆に言うと、勉強したことがないので
なぜ自分ができるかがわからず、
つまり理論がまるでない。
勉強らしき勉強を本当にしたことがないのだ。
それが心配の種であったので
先生になることが決まってから数ヶ月は
それこそ必死で勉強した。
文法書を読みあさり、源氏物語を全巻
辞書を引きながら品詞分解しつつ読み直した。
わたしの国語の力は かくしてムダにアップした。
今や向かうところあんまり敵なしじゃないのか笑。
第一線で活躍する国文学の研究者や
大学教授とだって 4時間くらいはなんとか
サシで呑めるのではないかと思う。
(なんだこの根拠のないアレは。大学の先生に謝れ)
この力が弱まらないうちに できれば誰かに手渡したい。
国語を理解するという なんだかよくわからないことを
「イヤ、そうたいそうなことじゃないよ。楽しいよ!」と言って
水先案内をしてあげられるくらいの役目は
自分にも果たせるのではないかと思う。
それがわたしの思う 国語の先生の姿の一端だ。
でも知識があるだけでは先生にはなれない。
先生は教えるのではなく、待つ仕事であるとも思う。
わたしが持つべきなのは だから
知識ではなく その出力方式だ。

きみには教職が向いているかもしれないと
言ってくれた人がいた。
わたしは今は先生じゃないけど、
先生として生徒の前に立つお作法を
身につける機会が得られるなら
そのときはもう1回、
先生を目指してみてもいいかもしれない。
先生の口を探してみようかと思っている。
まちがっても雇用契約が不履行にならない、
ちゃんとした研修をやってくれる
ちゃんとした大手で 。
少なくとも研修どおりに授業ができる先生に
なれたあかつきには
「少なくとも研修どおりに授業ができる先生」
という自信がついているはずだ。

塾長には、何を言えばいいかわからない。
というか何かを言わなくちゃいけないような
分際でもわたしはないと思う。
でももう会えないんだろうなと。

たぶん、恥ずかしいところを見せてしまったという感じが
先生にはあって、
それはかなり先生にとって大きな問題なのだろうし、
わたしよりも、より深く鋭く
今回のことについて何かを理解し、
わたしと関わったことを忌々しく思っているくらいかも。
恥ということで言うと、わたしはといえば、
生きているだけですでに恥みたいな存在だ。
書くことを生活の主軸に設置しているそれ自体が、
品のないことであるとわたしは思う。
このとおり、自分にまつわることは書かずにおれない。
人を傷つける結果になりかねないと知っていても。
恥ずかしいと感じる気持ちがやや鈍くなっているので、
例えば先生とのやりとりにおいて、
すがりつくような真似をしたことなどについて、
恥ずかしい気持ちがまったくないわけではもちろんないにしても、
たぶん先生よりは、あまり応えてない。
恥ずかしいことをこれ以上しないように始めから気を付けるのが
大人としては筋だが、あまり自分に期待してない。

むろんのことだが、わたしはこのエントリを削除しない。

・・・

というわけで完全フリーランス化。
詳述は今回はしない。

フリーは社会人になって初めてのことだ!

初めてやることは何でもちょっと怖いけど、
自分で営業をかけて
まったく知らない人と仕事をするわけではなく、
誰よりも信頼の置ける友人とするのであるから
わたしは恵まれている。
このようなものはフリーなどと言えないかもしれない。
おぜん立てをしていただき、乗っかっただけだ。

ある友人に
「きみ、自分が独立したと思ってないでしょ」
と言われた。
思ってない(→あばばばばばば)

・・・

塾の先生になるからと思って
必死で古文法の勉強とかしていたときに
わたしをおおいに助けてくれた本がある。
たまたま知り合うことができた
高校の国語科教諭・嘉登 隆先生が
譲ってくださった。
嘉登先生は赴任先の神奈川県内の高校を
この春 引退された。
現在は同県下有数の進学校
非常勤講師をおつとめになっている。
また、家庭学習が困難な学生などを対象とする
無料の学習塾を開いて指導にあたるなど
勇退後も活発に活動されている。
副読用資料として各校で使われている古文法書や
ベネッセコーポレーション発行の古語辞典の監修も
された。
先生は知り合ったばかりのわたしに
ご自分が携わった本を惜しみなく譲ってくださり
高校と 学習塾とで立場や役目こそ違うが
一緒に頑張りましょう、と激励してくださった。
また、自分が出版にからんだわけではないけれども、
昔から親しまれている本で、今読んでもおもしろいからと
以下の本も譲ってくださった。

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www.chikumashobo.co.jp


高校生のときに本書を知っていたら
わたしはもうちょっとまじめに
国語を勉強したいと思ったかもしれない、
もしかしたらだが。
あんまりおもしろくて当日のうちに読了
以来1ヶ月間 毎日1回は通し読みし、
今でもカバンのなかにいつも入っていて
ひまさえあればぱらぱらやって好きなところを読んでいる。
要するに、ハマった。

国語はできないほうじゃなかったが
最後までなんだかよくわからない教科だった、とか
昔はそれなりに本が好きだったけど
いまはもう年に数冊も読まない
とかいう方には 手に取ってみていただきたい。
本書そのものが娯楽として楽しめるみごとな内容であるし
へたな参考書よりも古文理解のポイントをしっかりと
押さえている。
なんかもともと参考書らしいのだが・・・
こんな余裕たっぷりのゆるふわ参考書アリか・・・
昔の受験勉強は今よりもずっと穏やかで平和だったのかな。

高校2年生くらいの
学生さんにもおすすめできる。
理系志望の人に、よりいいかもしれない。
こういう書き方(合理的とはほど遠いいかにも文系な
考え方の人による解説方式)でないと
押さえることが難しい、古文のポイント
というのが あると思うからだ。
それは、大学受験で言えば
国文科の入試や国公立の二次試験レベルで
初めて要求されることだ。
理系で これ読んでも いまいち
古文わかんないと思うようなら、
例えばもう二次試験に国語がある大学はすっぱりあきらめるか
センター単一利用(今はセンターじゃないらしいけど)に
的を絞るという選択もできる。
理系行くような 元来が優秀な学生さんなら
本書を3回くらい繰り返して読めば
二次試験は厳しくても
センターの古文 満点とるくらいの力は
十分養えるとわたしは思う。

わたしは完全にエンタメとして楽しんでしまった・・・
大人なんで。
本、もうボロボロだ。