BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

でかいかえる/T2 トレインスポッティングのこと-190527。

夜道を散歩していて、路上に巨大なかえるを発見した。
静止していたし、灯りが乏しくて、生きていたかどうかわからない。
今まで自分が見たなかでは文句なしにいちばん大きかった。

・・・

「T2 トレインスポッティング」について考えることは難しい。

f:id:york8188:20190603010332j:plain

movie.walkerplus.com


アルフォンソ・キュアロン監督作品「ROMA」(2019)は、
もしあの映画の、物語の背景(1970年代初頭メキシコの、
不安定だった政治情勢)を一生懸命頭に入れてから観たとしても、
べつに、それだけあの映画の本質のところが
深くつかめるようになる・・・なんてことはなかった。
もちろんよく観ていれば、あの物語がどんな時代を背景として
描かれたものであるのか、わかるようにはなっていたが、
でも、「時代を語ろうとしていた物語ではなかった」と
確実にわたしは理解している。

T2はその点どうかなとおもう。
T2のディテールは、ROMAよりももうちょっと声高に、
わたしに訴えてくる。ねえねえ気づいて!ちょっと考えてみて!
なにせ第1作「トレインスポッティング」が96年発表で、
続編の本作はその20年後の2017年に公開。
20年だ。長い。
第1作で、96年当時のスコットランドの若者の姿が描かれた。
2017年のT2は、ちゃんと20年経過して、2017年が描かれる。
第1作で登場した若者たちが、50前のいい大人になって帰ってくる。
時間がふつうに経っている。20年後に作られた映画なのに
映画のなかでは「あれから5年後・・・」とかじゃないのだ。
その20年に意味があります、ってことだとおもう。
物語のなかのスコットランドももちろんそうだが
リアルのスコットランドの20年をも、
考えないでものをいうわけにはいかない。

理解できるのは
マークたちが、時代の流れから取り残されたってことだ。
90年代末、彼らはまだ20代でこれからだったのに、
不況で正規雇用の口は望めず、職業訓練も受けられなかった。
お金があんまりない労働者階級で、良い教育も受けてない。
がんばってせいぜいバイトくらいしか食いつなぐ道がなかった。
バイトっていったって日本とは事情もちがうだろうし
不景気であるのだから、仕事の内容も待遇もたかがしれている。
日々への激しい閉塞感から、クスリや犯罪に逃げた。
第1作「トレインスポッティング」はそうした若者たちの
日々を描いた物語だった。
それから20年のときのなかでスコットランドはめちゃくちゃ変わった。
EUによる経済支援策で、景気が上向いた。
ひどい状態だった都市部の環境が
いちじるしく整備され、観光地化も推し進められ、
移民も比較的前向きに受け入れられるようになる。
もっとも、移民の受け入れについての考えかたは
スコットランドの人びとの誇りみたいなものと関係しているらしく
前向きに受け入れましょうという方針は、わりといつものことのようだが。
でも、せっかく景気がよくなっても、20代の10年間、ろくな仕事につけず
それどころかジャンキーとしてやってきてしまった若者には
正規雇用の道はもとより絶たれているということみたいだ。
そういえばわたしも、10年くらいまえに
いちど非正規雇用になってしまうと
正規雇用にキャリアアップすることは
きわめて困難だよ・・・と 誰かに言われた記憶がある。
そういう考えかたが日本に今もあるのか、
それがどの程度支配的な考えかは知らないが。
日本よりもいっそう階級意識が露骨でシビアなのが
あちらの国であるし、システムがいろいろちがうので
日本よりもたぶんすごく事態が深刻なんだろうな。
バイトでどうやらこうやらやってた、スキルも何もない者が
30代から正社員になんて、
ほんとうに絶対ムリってかんじなんだろう。
ましてジャンキーとなれば。
ましてそれでさらに10年だらだらやって
今や46歳とかってことになれば。
しんどすぎる・・・
そんなスコットランドの46歳前後の男たち・2017、
それがT2 トレインスポッティングだ。
しんどすぎる。最悪だ。
暗黒の90年代末から 景気が回復傾向に向かう20年間のうち
できるだけ早い段階で、せめて更生施設なりでクスリを断ち、
社会復帰を目指す方向に自分をもっていってたら、
話がちがったかもしれないのにねえ。
クスリやってたらマイナスからのスタートだが
やめたら最低限ゼロからのスタートだ。
でもそんなこと夢にも考えてないってふうに、
完全なジャンキーだからねあの人たちは。
そもそも、第1作でマークが「更生施設に入らせて」と
頼んだのに、彼の両親はダメだと言った。
クスリ断ちをするのに用いられる薬がかえってよくないとかいって。
更生施設に入れるのはダメってかんじが当時はあったんだろうな。
しかし完全なジャンキーだからねあの人たちは。
あの仲間たちのひとりは死んでるし、
ちいさな命もひとつ犠牲になっている。
むごい話だ。

マークたちはジャンキーだ。頑張れなかった男たちだ。
T2では 50にもなろうといういい大人の彼ら・・・
20代のときとちっとも変わってないどころか
むしろよけいひどいかんじに仕上がった彼らの姿が
シンプルに、みっともなく描かれる。

だが彼らを罰するための物語じゃない。
正当化する物語でもない。
社会がこんなやつらを生み出したのさ、なんて
批判的なニュアンスもさらにない映画だ。
そこは大事だと感じる。

彼らが悪いともかわいそうだとも社会のせいだとも言わない。
では社会に取り残され自分自身にも負けた
「負け組」すぎる男たちを描くことで
T2は、何を言おうとしたのだろう。
「希望」かな、って、わたしは思う
その希望があの男たち全員にもたらされる、
というわけじゃないんだが・・

悲惨すぎるので救いのある終わりかたにしましょう的な
ありかたではなかったんだよな・・・
あのおわりかたはそういう不自然なものではなかった。

希望ってのが、必ずしも良きものとは
かぎらないという考えもあるのかなと。
希望を見ると、どんな状態であろうと
生きようとしてしまう。
マークたちはたぶんもうあの人生から
決定的な形で脱出することは できない。
ろくな死にかたをしないだろう。
今はまだそれほどの年齢じゃないからいいにしても
もうすこししたら、みじめな思いをしながら、
だらだらと死んでいく。
すごく想像が容易だ。
でも希望を感じると人は生きてしまう。
ほんとうに希望の灯なのか、じっさいのところは
視界の端に入り込んだ白いほこりなのか。
マークたちにとって生きることが幸福かどうか
わからないとも言えるのではないか

たとえ事実は視界に入り込んだちっぽけなほこりであったとしても
それを希望と信じ、死に抗う、
生きるしかない、人間のかなしさを言う映画であるのだろうか。