BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

口に出せない/漢字かひらがなか/映画の感想-『her/世界でひとつの彼女』-190517。

気にしないでいられているつもりなのだが、
調子を悪くしているらしいとか人づてに聞くと
どうしても心配になる。
でもそんな気持ちをよせられても
むこうも困るだろう。
心配なときに心配だ、って言えない。
伝わらない。
言える人がほんとうにうらやましいとおもう。
いや、言えない状況をつくりだしたのは
このわたしなのだ。

・・・

漢字を用いて表現できる日本語と
漢字を用いることもできるがひらがなでもいい日本語がある
漢字を用いることもできるがひらがなでもいい日本語は
ひらがなで表現するのがいいかなと自分では考えている。
たとえば できるは「出来る」と書けるが
わたしは「できる」を選ぶ。
できあがる は すべてひらがなで できあがる、とする。
そぐわないと感じるときは「完成する」にすればよい。
「よい」は90%以上の率で「よい」。
すべて、は「全て」と書けるけど、 
まず例外なく すべて、だ。
方法、手順という意味での「~方」は
誤読をまねきかねないので
「~かた」のほうがいいようにおもう。
または、方法、手順の意の「~方」を避けて
別の表現を選ぶことを検討する。
見る方法、という意味の場合 ぜんぶ漢字にすると
「見方」になるのだろうが
「味方」とも音がかぶるし
あまりよい表現とはおもえない。
うまくいえないが 
エレガントじゃない、ってかんじか。
だから 何を見る方法かにもよるが 
たとえば映画の場合
「観方」ではなく「観かた」
あるいは「鑑賞方法」などとする。
「観かた」もほんとはちょっと違和感があるので
できれば使わないのが一番だが
使うとすれば
「観かたとしてはこれを選択しました」
などといったふうに文をつなげて
「『観る方法』のことを言っているんですよ」と
読む人にわかってもらえるようにする。
言うまでもないことだが みるものによって
「みる」の漢字も使い分ける必要がある。
見る、観る、診る、視る などなど
いろんなみるがある。
また 分割する、シェアするの意味の わける は
わたしは漢字かなとおもうが
理解する、悟るの意味の わかる は
断然ひらがなだろう。

たとえ~でも、の たとえ は、ひらがな一択だ。
「例え」ではなく「仮令」なのであり
これも つかってもおかしくないような
場面なんてそうそうない。わたしの場合は。

おもう は まえは 思う だと感じてたが
このところ ひらがなのような気がしている。
迷っているのを自分でも感じる。

つくる は ひらがなかなあ・・・とおもってるが
他人の書いた文章で
「創る」も「造る」も適当とはいえず
「作る」が妥当な場面において 
「つくる」に なっているのを見ると
うわ、何カッコつけてんだよ・・・
などといったきもちになる。
だまって「作る」にしとけや!って。
おかしな話だ。
わたしは 正直なところいうと
「ものづくり」という語句を見るとゾッとする(笑)。

また、漢語と和語を適切に使い分けることも
必要だ。

でも理屈で何もかも 説明することはできない。
場合によっても感覚が変わる。

自分なりの統一表記リストを作ろうかなあとか
考えたりもする。
考えてもどうせこまかいとこまでは
覚えてられないんだろうが。

・・・

スパイク・ジョーンズ監督作品
her/世界でひとつの彼女』(2013年)を観た。

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www.youtube.com
なかなか理解しにくい部分はあった。
人工知能のサマンサがほんとうに
主人公を愛しているとしかおもえなかったし
だから彼女が急に「あのように」なってきて・・・
いったい何を言い出したのか
ほんとうにぜんぜんわからなかったのだ。
つまり
このわたしがまずふりまわされてしまった。

たぶん
言語表現による人間関係、というものの限界・・・
または非言語表現による人間関係の可能性について
いおうとしている映画だったのかなとおもう。
知的でセクシーなおねえさん(人工知能)に
本気で恋をしてしまったイタイおじさんの
物語、ではない。

音楽が美しいけど ちょっとうるさかった。