BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『ボヴァリー夫人』-181209。

原題:MADAME BOVARY 
ソフィー・バーセス監督、2014年
ドイツ・ベルギー・アメリ

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フローベールの原作を
傑作だからぜひ読んでおきなさいと
おしえてくれたのは、
短大の先生だった。

たいそうなストーリーではない。
たいくつな田舎の
たいくつな男に嫁いだ若奥さまが
夢見た結婚生活は
こんなじゃなかったのにと
失望感をつのらせたあげく
男たちとの道ならぬ恋におぼれ
浪費がたたって借金まみれ
男にも金にも神にも見捨てられて破滅、
ただそれだけの物語だ。
だが、
精緻な心理描写が印象的だった。
不倫相手のひとりが、
彼女に手紙を書くシーンは、
「こう書いてやったら
あの女はさぞかし喜ぶだろうと
考えて満足しつつ、
『僕もあなたを愛しているが、
あなたの将来のために
よくないと思えばこそ、
あえて身をひくのです』
と書きつづる」。
(わたしが記憶をたよりに
適当に再構成したもので、
じっさいの文は
もちろんこんなものではない。)
〇〇がこう思って〇〇しました、
・・・自由間接話法だが、
フランスでは
フローベールがほとんどはじめて
まともに取り入れたときく。
しかも完成度が高いというか
「エマはこう思ったのであります」と
作者視点が混入する
スタンスさえも飛び越えて
登場人物と完全に同化した形で
ミアの心、シャルルの心、
レオンの心・・・を
描写してみせる。
ひとつのできごとを、
時制を超え立場を超え、
視点を自在にきりかえながら、
客観的に描き出す手法も
今っぽかった。

話がおもしろくって読んだ
というよりはもっと
深くて、でも醒めた部分で楽しめる
知的な興奮に満ちた小説だった。

エマのやったことの
是非はさておき、
理想と現実のギャップに苦しみ
もっと幸せになりたい、
もっとこうなるはずだった、
と 不満におもうことは
きっとだれにでもある。
人がわたしの人生の
パーツであるはずはない。
みんなそれぞれの人生を生きていて、
わたしを満足させるために
存在しているわけではない。
そうわかるまでに
意外と時間がかかる。
わかるまでは
ままならぬ人生の責任を
他者に求めようとしたり
反対してくる人のことを 
まるでわざとわたしに
意地悪しているように思ったり
そういうことって、ある。

エマはわたしであるともいえる。
フローベール
ボヴァリー夫人は私である」と。

人間なんてのは
そうたいしたもんじゃない。
正しいことだけやって
生きることなどできない。
これが人間。
そう冷徹につきつけてくる物語だ。

・・・

映画の出来はいいとはいえない。
原作を知っているとがっかりする。
原作を知らずに観ると たぶん
なにがなんだかわからない。
ストーリーを楽しむ物語じゃない。
こういうのを映像化するのは
むずかしいとおもう。

ミア・ワシコウスカはよかった。
一国傾城レベルの美女ではないにせよ
いなかの みんなのかかりつけの先生が
こんなきれいなお嫁さんをもらったら
そりゃあ1ヶ月やそこらは
彼女のうわさで
もちきりだろうなという
ちょっと目をひく美人さん、感を
過不足なく出してくる。
ミアが演じるエマは
ヒステリックでも
エキセントリックでもなければ
享楽主義者でも 色情狂でもない。
無神経なお姫さまでもなんでもない。
ふつうの人なんだけど、
ちょっとなにかが狂って、
なにかがどんどんズレていく。
そこ、すごくだいじだ。
彼女は特別でも異質でもない。
戸惑いながらも
もう自分を止めることはできない。
苦しいエマの心模様を
ミアはとつとつと演じる。

「ファンタスティック・ビースト」の
エズラ・ミラー
不倫相手を演じていた。
美しい青年の役で、
一見の価値があった。
あのクリーデンスがねえ・・・。

エマの捜索のシーンは美しい。
男衆が松明をかかげ
原っぱに散開していくようすが
上空からとらえられている。
みんなが「マダム・ボヴァリー!」と呼ばわるなか
ひとりだけ「エマ!」と呼ぶ声がある。
夫が、心配して
みずから探しているのだ。

気の利いた冗談のひとつも言えない
さえない男に見えても、
妻を尊重し、せいいっぱい愛していた。
債権者が言ったように
「退屈こそが唯一の返済手段だった」。
(身のたけを知り、
ボヴァリー夫人として
ふつうに暮らしていれば、
こんなことにはならなかった)
けど、人の心を
柱に縄でしばりつけて
おくことなどできない。

あざやかな青色のリボンをなびかせて
不倫相手のもとに走るエマは
素朴ないなかでは 目立つ。
不倫のうわさは村じゅうをかけめぐり、
みんな彼女の陰口を言っている。
エマは すべてを失った。
でも、
「村の女になること」
だけは どうしても
受け入れられなかったのだろう。
新婚当初、
川で洗濯する女たちをみたエマは
困惑したような、
でもなにか決定的なものを見てしまった、というような
気まずい表情をうかべていた。