BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

たまに三浦綾子-181128。

三浦綾子の本
きのう図書館で
何冊かかりておいたので読んだ。
小説作品ではなく
晩年に書かれたエッセイだった
「道ありき」とだいたいにたような
内容だった

でもなんか読んでしまうんだよね

三浦綾子たまに読みたくなる。

なんでもいいのだが
なにか読みたくなる。
たいてい「道ありき」を読むが
「泥流地帯」や「塩狩峠
銃口」のときもある。
「氷点」はわたしの趣味ではない
キリスト教のおしえや聖書をひもとく
エッセイを読んでみることもある。
ほんとになんでもいい
なぜなら
養老孟司水木しげるとおなじで
どれ読んでもとどのつまりでいうと
おなじようなことが書いてある。
本人も
福音とその意義、よろこび
について書いている
ということを何度も
はっきり語っている

でも読みたいのだ

クリスチャン文学とはいえ
氷点なんか続編もあわせて
800万部とか出てるときいている
日本の、宗派とわずクリスチャン
何人いるかぞんじあげないが
もしかしてそれよりおおいのでは。
まえにかじったとこでは
日本のクリスチャン人口は
国民の人口のだいたい1パーセント
という
その話をきいたときより
信徒さんがふえているとしても
国民の人口は減っている
とかいろいろ考えると
200万、
300万人はいかない、という
ところではないかな

わたしもクリスチャンじゃないが
読んだ。

キリスト教うんぬんじゃなく
それをとおして「人間」の姿を
ちゃんと書いているから
どこかがだれかに刺さるんだろう


ひらがなとカタカナと漢字の
配分がちょうどいいかんじで
お手本にしたい。
ただ、一方で
常体と敬体が平気で混在してるのと
「できる」が「出来る」のときもあれば
「できる」のときもありといったふうに
表記が一貫しないのは
正直いうとすきじゃない
いつも読むとすこしいらいらする
だけど
長年お体がわるくて
夫の三浦光世さんの献身的な
サポートにより
口述筆記で著していたと
きいている。
表記がゆれるのは
しかたないのかなとおもうし
(そこまで気をくばれないというか。)
そもそもそりゃ作者のせいや
三浦光世さんのせいではない。
それに
しゃべった言葉が
ベースになっているからこその
なにかたいへんパワフルで
脈打つような命の重量感を
つたえてきて
いい、ともいえる。
それをなによりだいじにするために
版元も表記とか
あまりうるさくいじらず
光世さんが聞き取った原型を
どうであろうとできるだけ
そのままのかたちで
のこすようつとめたのかも。
表記とか、この表現が、とか
こまかいところが
どうこうじゃなくて
全体がかもすパワーを
内側でしずかに燃える情熱を
うけとるのが三浦文学というかんじ

三浦綾子は北海道の人だった
作品をすこしでも読めば
かなりそれがつたわる。
かならずしも
「巧い」系の作家ではないだけに
あんまり操作されてない
すなおな作家の背骨がみえる。
ながいながい冬をのりこえて
雪解けのしたにのぞく
養分たっぷりの、大地のにおいがする。

まんぞくすると
三浦綾子
また1年くらい読まなくなる笑