BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

携帯こわれぎみ/大道具Mさん/兄-181120。

携帯電話の調子が悪い。
SIMカードを抜いたおぼえはないのに
抜いただろとしきりにいってくる。
そして何度も何度も勝手に
再起動をくりかえす。
座って安定した状態でつかうと
このとおりまず問題ない。
立っているとき歩いているときに
つかうと、だめ。
これまでに何回か
ぶっつけたり落っことしたり
しちゃってるからなあ。
お店に持っていって
修理かなあ。


じつはパソコンの無線接続も
うまくいってない涙
パソコンがつながってくれればいいが
パソコンだめで携帯もだめだと
わたしかなりつらい涙
無線 どうしてつながらないんだろ涙


おととい日曜日、
うちに壁一面・天井までとどく
巨大な本棚をつくるのだプロジェクトが
ついに、そろそろと始動。
高校時代から
親友といってよいつきあいをしてきて
いまや映像制作会社の
社長さんとなっている友人が
お仕事で親しくしているという
フリーランスの大道具作家・Mさんを
わたしに紹介してくれ、
いっしょにうちに
視察・見積もりにきてくれた。
せまい賃貸アパートで
壁や天井のつくり
資材の搬入経路など
制約もあるので
見てみないとできるかどうか
また、なにができるかもわからない
ということだったのだが
うちのようすを観察した結果
意外といけそうという流れになり
ぶじにMさんに
作っていただく方向で話がまとまった。

この日、
友人の奥さんも
(彼女もクリエイターで、
羊毛フェルトをおもにもちいる
才能ある人形作家さんだ)
6か月になるお嬢ちゃんをつれて
いっしょに遊びに来てくれていた。
奥さんのこともわたしは知っているが
会った回数は多くなく
SNSなどでつながっていた程度
しかもわたしがSNSのたぐいを
やめてしまったせいもあり
接点が減っていた。
まだぜんぜんかたづいてなさすぎる
味もそっけもない部屋に
お迎えするのははずかしかったが
奥さんがきてくれて
すごくうれしかった。
お嬢ちゃん
ほっぺたぷにぷに
なにかミルクティー的なものを連想させる
白くなめらかなお肌
やわらかそうな髪の毛
かわいかった・・・

本棚の打ち合わせがすんでから
みんなで食事にいった
奥さんがまえに見つけて以来
お気に入りだという、
車で10分くらいのところにある
雑貨店兼カフェレストランだった。
わたしの部屋はふたつの市
境いめすれすれにあり
ちかくの幹線道路をこえたむこうが
となりの市、なのだが
お店はそっちのほうだった。
まだとなりの市のほうは
探検していない。
このお店の存在は、知らなかった。
おもに古い和ものの家具を
じょうずに再利用して
ディスプレイなどに使っている
かわいらしいお店だった。
住宅街の一角にある
ほんとにちいさなお店だが
じみにお客がひきもきらない。
奥さん趣味いいなあ。
Mさんが、
店内で販売されていた商品、
たとえば木と金属をくみあわせた
アクセサリーなどの
工法をくわしく解説してくれて
まったく専門外の世界の話で
とてもおもしろかった。
ネジひとつ、板ひとつ、塗装ひとつで
しあがりの雰囲気や強度が
別ものくらいにちがうとか
考えたこともなかった。
彼はホームセンターなんかにいくと
一日いりびたって
お菓子でも買うように
ネジとかいろいろ買い漁ってしまう
と話していた。
きけばお祖父さまが
戦中はたしか旧日本軍の工兵
(パイロット志望だったが
体格などが基準にみたず
断念されたとか)、
戦後も機械工として
最晩年まで活躍されたかたらしく、
おさないころのMさんは
このお祖父さまの工場を遊び場に
いろんな工具機材の使いかたを
おそわるともなく自然におぼえ
作ったり壊したり組み上げたりして
育ったということだった。

ちいさいときのそういうのって
おおきいみたいだ。
わたしもわたしで
いまのすきなこと、できること、
興味関心の方向性が形成された
背景にはやはり
子ども時代の体験が
まちがいなく影響しているとおもう

また、Mさんは
お店におかれた棚や
チェストをひとつひとつゆびさして
本棚にはちょうどこれとおなじ
木材をつかおうと考えてます、とか
この飾り棚みたいに白ペンキで塗ったら、
部屋になじんでよさそうだ、
とか、ていねいに提案と説明を
してくれたのもありがたかった。

うちの本棚は白色になる。

でもこんなに
部材や木材や塗料やメカニズム全般に
つよくてなんでも知ってるかたが
文春文庫と講談社文庫と新潮文庫
活字のフォントのちがいを
みわけられない
というか
ちがうということさえごぞんじない
というのにはおどろいた
お店のカウンターに文庫本がたくさん
あったので、じっさいに広げてみせたが
「ぜんぶおなじにみえる」
とおっしゃった。
まさか。
いままで生きてきてずっとてっきり
みんなこんなこと
知ってるとおもってた。

すごくおもしろかったし
知らなかったことをたくさん
知れた日だった

信用できる人たちの力をかりて
長年の夢をかたちにすることができる。
こんなにわたしにとって安心で、
かつ幸福なことはない。
もし寸分たがわずおなじものが
3分の1や5分の1のお値段で
通販などで購入できるとしても
わたしはこのご縁をだいじにし、
Mさんにこそ
本棚を作ってもらいたい。
完成した棚を
わたしはすごくだいじに
つかうとおもう。


この日の夜、
兄と会った。
実家の光電話回線の名義を
わたしから兄にかえて
ひきなおすのに
わたしの署名や印鑑が必要と
いうことだから。

兄は30分遅刻してきた
昼寝してて遅れちゃったといっていた
日曜日はたしかにいつも兄は
昼寝しているよな笑

書類の記入はもんだいなくすんだ
口下手でものすごく無口な兄が
「すこしはおちついたか、どうだ」
「こまったことないか」
と聞いてくれた
「土日しか動けないから
まだぜんぜんかたづいてないが
おかげさまでのんびりやれている。
いまのところ、体調もいい。」
と答えるとゆっくりうなずいた。

「じつは叔父さんには
いっさいおまえの手伝いをするな、
ひとりでやらせろと言われている。
だけどほんとうになにか困ったら
おれに連絡しな。手伝いにいく。
かまうなっていわれてるけど
近くだし、心配だからよ。
でも、ほんとうに困ったときだけな」。

「そういうことにならないように
気を付けるよ。
ありがとうお兄ちゃん。
ごめんなさい。」
と素直にいって
頭を下げることができた。

ごめんなさいが素直なきもちで
いえるようになったのは
つい10年ほど前のことで
最近すこし板についてきたくらいだった
いえるようにしてきたのは
このときのためだったのかもしれない。

でも
「お母さんはどうしている?」
は、言うことができなかった。
わたしはそれが言えなかったことを
気にしていることに気づいて初めて
自分が
「母のことがまったく興味の外」って
わけじゃないどころか
むしろ気にしすぎなくらい
意識してきたということを、知った。
今回「こうなった」流れのこともあり
「お母さんはどうしている?」の
ひとことやふたこと
言うもんだ、という気持ちもあったが。
それを口にだすのが苦しい、という
感覚がつよかったかも。
「母のことなどすこしも気になっていない」自分を
よそおっていなければ
自分をたもてない、
ということではないだろうか


たとえるなら
この人すてきだなとおもってる男性に
決まった相手がいるかどうか
はやいうちにたしかめたほうが
いいにきまってるし
気になってしょうがなくもあるくせに
どうしても聞けない、みたいなのに
へんな話だが、近かった。
意地をはっているのであり、また、こわくもある
だがこういうのはさきのばしに
すればするほど
負う傷もおおきいものだよね。

兄は
わかれぎわに
「じゃあな、がんばれよ。」と
言ってくれた。
兄にだけは、
悪いなとおもう。
なにが悪いのかとか
どんなふうに胸が痛むかとか
自分のきもちの中身も
兄にこれからどうしたいかも
はっきりわかる。
ほかのことはわからないし
兄についてなにか知ってるわけでも
まったくないのに。