BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

決裂。理由。-181025。

母親とは決裂した。
ほとんど力ずくで
関係を絶ち切った。
それでここにきた。
もののたとえではなく
ほんとに力ずくで絶ち切った。


自分は一生
家をでられないかもと
内心おもってた。
自分の人生はけっきょく
自分のものじゃなくて
母親の人生のやりなおしボリューム2
なのかもしれないと
だったならもう生きていたくないと
そんな何年も何年もつづいた
恒常的ななやみにくわえて
昨年暮れになると
前職のことに起因する
フラッシュバック反応や
ストレス性の心のはげしい苦痛が
かさなるようになり
自死をかなり真剣に考えたことも
一度や二度じゃなかった。
いや、
考えることも一度や二度じゃない。
と言い換えておく。


でも自殺はいけないとも
やっぱりおもって。
死ぬよりさきにやること
あるんじゃないかと。
それがわたしの場合
母親から自立を勝ち取る、
自分の人生が母親のものかも
というきもちから自由になる、
そのためにたとえ結果だめでも
徹底的に母親と闘う
ということだった。

が、勇気がでなかった。
わたし、すごく弱かった。
たとえ結果だめでもといったが
何回やってもだめだった。
それでも
自分があきらめがつくまでは
と、リトライするのが
ほんとにつらかった
勇気がほんとにでなくて
でも今日こそは、
でもできそうにない、
そんなあせりと
ぐずぐずとした苦痛と
さらに予測不能
フラッシュバックやストレス反応と

しんどくて
生きているという感覚が
なくなりはじめ
カッターナイフで腕を切りつけて
その痛みで正気をもちなおす
という
ストレスなのかストレス解消なのか
わけがわからないこともやった。


そういうさなかにあって
勤務先の人たちには救われた。
みんなやさしい
みんなあたりまえに
コミュニケーションがとれる
仕事は質量ともむりがない
業務はもともと得意分野でもあり
できないこと、
つらいことなど、ひとつもない
人にも環境にもめぐまれて
わたしは職場でだけは
いくらか羽をのばすことができた。

この場所がなければ
8か月くらいまえに
たぶんわたしは自殺をしてた。

なかんずく
ひとあしさきに ご実家をでて
一人暮らしをはじめた同僚がいた。
わたしとは事情が真逆で
本人はべつにまだ
家を出たくはなかった、
出る必要を感じてなかったようだが
それをおうちのかたに伝えたところ
ばかもの早くでていけと一喝
やむなく引っ越しをきめたそうだ。
本人が望んだかどうかは
この際べつとして
わたしはそんなふうに言って
おしりをけっとばして
追い出してくれる
おうちのかたがいる、ということが
心底うらやましかった。
いいなあ、家をでていけと
おうちのかたのほうから
言ってくれるなんて。
わたしは絶対にダメだとまで
言われているのに。

一人で暮らしていくことが
すなわち自立、では
かならずしもないだろうが
でも
一人で暮らして
自分のみのまわりのこと
ぜんぶ自分でやっていくことで
きっとこの人は飛躍的に
りっぱに成長していくだろうと
わたしにはおもえた。
本人が今
そうしたかったかどうかは
しつこいようだが
わきにおいとくにしても、
わたしにはまったく
うんざりするほど
この同僚が
というかまだ見ぬ近い将来の
より堂々とした
より大人になった
同僚の姿が
見えるようで。まぶしかった。
うんざりするほどだ。

それに、
いいなあーなんて
指をくわえて見てる
自分はもしかしたら
一生出られないかもなとか
じつは半ばあきらめてる
でもそれはイヤで
でもできなくて
しまいに複合的な
ストレスに耐えられず
自傷行動に走る
あまりに不健康な自分のありさまが
どんなに情けなくおもえたことか。

あとにつづきたかった。
自分はこの同僚のような
ありがたい環境じゃないけども
それをうらんでもしかたがなく。
基本設定なんだから。

もしいまこの
あとにつづきたい、
自分が情けない、ってきもちを
なにかほんとうに
行動に変えることができなかったら、
わたしはそれこそ一生
自立ができないだろうし
それを一生
悔いるんだろうと。

わたしが
これが最後のつもりで
もう一回だけ、
母親と対峙できた、
それだけの勇気をもたせてくれたもの
それは勤務先の仲間の、がんばる姿だ。

けっきょく
説き伏せるとか
承諾をえるとか
納得させるとか
いう、理想的な形にはできなくて
だからこんな
超弾丸引越しスペシャルに
なってしまったわけなのだが。

まあそれはやはりまた別の話。