BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

知覧-鹿児島の作家さんの本・・・なにが「戦争」か-180602。

知覧についての本が、17~20冊。
有名な高木俊明「特攻基地 知覧」もあるが
鹿児島のちいさな出版社から出た本も、ある。
著者は相星雅子さんという地元の作家さん。
内容は「富屋食堂」と鳥濱トメさんに関する短いルポだ。

読み返した。

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華のときは悲しみのとき : 知覧特攻おばさん鳥浜トメ物語 (高城書房出版): 1992|書誌詳細|国立国会図書館サーチ


高城書房


知覧、富屋食堂、鳥濱トメさんについては、ネットなどで。

生前のトメさんは、
特攻隊の兵隊さんたちについて、あちこちで語ってきた。
「あの子たちは運命を従容として受け入れていた。
 りっぱに戦って散った、神さまのような人たちでした。」
そう結ぶのが常だった。
しかし、著者がいぶかしむように、
また、人ならばだれもが理解するであろうように、
まさか「神さまのような人たち」だったわけはなかった。
彼らはもちろん、まだまだもっと生きたかった。
目前に迫る死という運命に戸惑い、恐怖し、
愛する人たちとの別れが悲しくて、毎日泣いていた。
そして飛び立った。そういうことなのだ。当然だ。
特攻兵のみなさんと親しく交わってきたトメさんは
こうした彼らの素顔をちゃんと見て知っていた。
しかし、公に語ることはなかった。
それはなぜなのか。

「本当は、彼らも死ぬのが怖かったのでしょうね。
 彼らの等身大の素顔について語ってくれませんか」
著者が水を向けると、
トメさんは途端にだんまりをきめこむ。
著者は、そんなトメさんの真意をこう解釈した。

「母ごころ」(本書202ページ)。

「『特攻隊はこのように
  泣きごとも恨みごともいわず、
  時代の要請に応え身を捨てて
  祖国を守ろうとしました。
  しかし、その時を前にして
  彼等がどれほど苦しみ悩み、
  生きたい気持ちとたたかわなければならなかったか、
  わたしは知っています。
  彼等の心中をしのぶとき、このように酷い、
  戦争というものが
  二度とあってはならないと思うのです』
<中略>
 トメさんは実はこんなことくらい百も承知だったのである。
 わかっていながら故意にこの論法を採らなかった。
<中略>
 彼女は特攻隊員たちの心の軌跡を
 口さがない世間の興味の対象にされたくなかったのだ。」
(同 201-202ページ)

著者は、それでもトメさんに語って欲しかったと言っている。
彼らの苦悩と涙を、語り残せる人がいるとすれば
彼らの「鹿児島のおっかさん」だったトメさんをおいて
他にないからだ。
「そこに触れることを避け、
 暗黙の共感にとどめておくとすれば、
 いつかそのことは歴史から消されていく。
 そして特攻の壮行だけがひとり歩きして
 戦争の温床にされかねないのである。」
 (同202ページ)

とはいえ、本人が話したがっていないのに、
「それが世界平和のため」だからといっても、
ムリに語らせなくちゃいけない法もない。
人がやりたくないものをムリヤリというような、
力でいうこと聞かせる系のアレが、
まさに戦争をひきおこしたんだぞ! 
とかそこまでいうつもりもないが、
人の心はだいじだ。
人の世界を回すのは人の心だから。
「私が見せてほしいのは
 あなたの胸の引き出しの中ですよ。
<中略>
 隠してあげているつもりのガラクタ屑こそ
 最も真実で 美しいものですよ」
(同20ページ)
トメさんに話をしてほしい著者は、
このように内心で願いながら、当初はトメさんが
その気になるのを待ったらしい。
しかし、最後にはトメさんの気持ちを尊重し、
周辺取材から先述の推論をみちびくにとどめている。
力ずくでも「真実」を、
それがジャーナリスト魂というものだとしたら、
著者はそれを貫けない人、ということになるのかもしれない。

でも、わたしはこの本が好きだ。
著者のまなざしがやさしい。
掲載された写真に見る、若かりし頃のトメさんの姿は、
作家・島尾敏雄の妻、ミホを思わせる。

・・・

そういえば「帰還せず」という本にも、
取材対象から話を聞き出し切れないという
くだりがあった。

www.shogakukan.co.jp


太平洋戦争期、
アジア戦線に送られた兵隊さんで、
敗戦をうけ本国復員命令が下ったにもかかわらず
自分の意思で、帰らないと決めた人がいた。
著者がその人たちに取材してまとめたのが本作だ。

インタビューに応じてくれたかたのなかに、
こういうことを語った人がいた。
自分が「帰らない」と決めたのは、
上官たちが「あること」をする現場を
偶然目撃してしまったからだ、と。

「あること」の内容は不明だ。
本人が明かさないのだ。
著者は、無理に聞き出すことをしなかった。
どれほどか帰りたかったろうに、しかし帰るまい
一個の男にそう決断させたほどのこと。
それさえわかれば、
強いて聞かなくてもいいではないか。
といったことを述べている。

・・・

特攻隊=「戦争」とは理解しない。
戦死より病死が多かったという
レイテやサイパンインパール
それが戦争だ、と言われると、反論したい。
「おなかがすいてしょうがなくて、
 妹の粉ミルクを毎日こっそりなめていた」
そんなエピソードがあたかも
「戦争」の象徴のように語られることも
腑にはおちない。
(「戦争」ではなく「飢え」のエピソードだ)。
群盲象を評すとかいうけど・・・。

「戦争」をしないため、「戦争」を知るべき。
それはそうかもしれない。
まちがっているとまではおもわない。
しかし、体験してないからわかりません、
知らないので正しく判断できません、
なんていうのでは、この場合お話にならない。
やったことはないけど、でも、しない。
わたしたちはそう決断するのでなくてはいけない。