BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

グレイテスト・ショーマンの1シーンにおもうこと

グレイテスト・ショーマン」を先日観たんだけど。

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主人公が手がけるショーの出演者たちが
「見られても怖くない 
自分の存在を謝る必要もない
愛される資格がある 
これこそがわたし」
と 力強く歌うシーンがあった。

彼らはみんな、見た目にいちじるしく
「ふつうとちがう」特徴がでる 
身体障害や、疾患をかかえている。
そのせいで、ずっと 周囲から
「フリークス」「化け物」などと
さげすまれ
嫌われ、差別を受けてきた。

ショープロモーターのバーナムは しかし、
彼らのそうしたルックスにこそ着目し 
前面におしだす奇抜なショーで 一世を風靡する。
が、彼はやがて 
その手でいちから育ててきた 
「フリークス」たちを 
ないがしろにし始める。
さらなる成功を求め、もっと上流の人びとにも
自分を認めさせたいと、おもうようになったからだ。
やんごとなきかたがたを振り向かせるためには
「フリークス」がうごめく野卑なサーカスよりも
もっと正統的な、それも一流の、
音楽会などを開いたほうがいい。
そう考えたバーナムは、
オペラ歌手ジェニーのリサイタルをひらき、
みごとな成功をおさめる。

アフターパーティーには
バーナムが、近づきたいと夢にまでみた
上流階級の人びとが出席している。
いつものショーのメンバーたちが
盛会を祝おうと会場を訪れるが
こともあろうにバーナムは 
彼らが会場に入ることを拒む。
ルックス的にきわめて目立つ彼らが 
どかどかと入っていったら
せっかくきてくれた高貴なかたがたが
びっくりしてしまう、と思ったからだ。
バーナムは、「フリークス」たちの鼻先で、
ドアを閉めてしまう。

しめ出された「フリークス」たちが
深く傷つきながらも
すぐさま歌い始めたのが
先述のナンバー、「This is me」だった。

わたしはこのシーンに、違和感があった。
それがなにかは不明だった。
でも、何度となくあのシーンのことを思い返して、
理解できてきた。

違和感とは、
彼らがバーナムにうけた仕打ちから 
立ち直るのが早いと感じた、
ということだとおもう。
けれども、彼らはもう、
あの歌をうたう準備が
とっくの昔にととのっていたので、
あれでよかったのだ。

目の前で 信頼してきた者の手で
つめたく扉をとざされるあの場面。
あれはひどいものだ。怒って当然だ。

あなたがわたしたちを
「化け物」じゃなく「特別」なんだ、と
言ったんじゃないの。
あなたがわたしたちを
この世界に引き入れたんじゃないの。
なのに上流階級の人たちとお近づきになれたら
わたしたちはお払い箱?
あなたも わたしたちを化け物よばわりする 
ほかのやつらといっしょなのね。
そんな怒りと屈辱にふるえる
彼らの姿が描かれても 
おかしくはなかった展開だ。

けれどすくなくとも
「This is me」の詞には
バーナム個人への怒りや 
かなしみの言葉はみられない。
自分たちをいじめたやつら、
彼らの考えかたそのものを、
乗り越えて生きていく、と。
ほかでもないバーナムが
そんなやつらのひとりだったとしても、
それすら乗り越える、と。
とっくに決意している人たちの歌だった。

バーナムが彼らを
ショービズの世界にひきこんだのは、
多分に、お金儲けのためだった。
「フリークス」たちも、それを知っていた。
彼らは、それでもよかった。
目的が何であれ、バーナムは
人生で初めて
「あなたは生きているだけで価値がある」
と言ってくれた人なのだし、
歌い踊る喜びや 
仲間とすごす楽屋のひとときという 
かけがえのないものを
与えてくれた人なのだ。
そのよろこびが、
あの美しい歌がうたえるほどの力を
彼らの心に つちかっていたようだ。
ある意味で 
バーナムからも、巣立つ準備ができていた。

かたや そのバーナムが、
自身の原点といえるもののこと、つまり
「わりと あたりまえのこと」を 
思い出すのには
まだまだこの歌のあと、
数十分もかかったのだが。