BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

手記-其の壱(仮題)-20171127~20171129頃

2017年11月27日深夜、
職場で仕事中に昏倒。
同僚が外出先から戻ってきたところ、
意識不明の状態で倒れていた わたしを発見
ほかの仲間とともに介抱のうえ
119番通報してくれた。

東新宿
Kセンター病院に救急搬送。
救急病棟→神経内科病棟に
入院することに。

搬送→病院に到着→なんらかの処置を受ける
が行われたはずなのだが この間のことを
自分ではほとんど覚えていない。
(あとから少しずつ思い出していったことも 少ないが、ある。)
脳の異状を疑われたことは想像にかたくない。
たしか 先生の鼻と自分の鼻を交互に指でさわるとか
そんなような動きが正常にできるかどうか、というチェックを
何度もされたおぼえがある。

あと、これは家族にもだれにも言ってないことなのだが
はずかしいことに どうやら処置中にわたしは失禁したようだ。
はずかしいなら書かずにおけばいいじゃない、と
われながらおもうのだが、
なんか、書いておくほうがいいような気がしたから書いてみた。

自分ではまったくなにひとつ まさになにひとつ 
自分の体をコントロールすることさえも
できなくなってしまったこの夜に、
わたしの命を救おうとしてくれた
すべてのかたに深く感謝申し上げる。
介抱してくれた会社の同僚たちにももちろんのこと。
きっとものすごく驚かせてしまったことだろう。
仕事中だったのに わるいことをした。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

みじかい入院期間だったが、
いろいろなことを見聞きした。

なかでも、
わたしよりもずっとずっと年長の
同室の入院患者さんたちが
夜になって
信じられないような変貌をとげた姿を
まのあたりにしたことは 
自分にとって わすれがたい経験となった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

入院初日は救急病棟
意識がまだはっきりしていなかったようで、
この日のことは 正直あんまり覚えてない。
ただ、救急のためか 
じつにさまざまな患者さんがいたようだ。

音、声は よくよく聞こえていた。
聞こえすぎだったかも、とさえ思う。
距離感がつかめず 実際にはもっとはるか遠い病室の
話し声などが 耳元で聞こえるような感覚があった気がする。
ふだんは自分に必要のない音声として 自動的に
きりすてているはずの音や
自分と関係のない人の 関係のない話し声まで
どんどん耳に入ってくる、というかんじに近かった。

「その筋」のご職業の男性患者が 
おそらく「おくすり」関係の症状で
ちょっと説明がはばかられるような
苦しい処置をうけているようす。

これまたおそらく「おくすり」関係の症状で
廊下をところせましとかけまわる
男性患者の
「やっほー!!」という雄たけびと
それをおいかける数名の看護師さんの 足音。

「〇〇さん!あなたは重度のインフルエンザなんですよ!!」
「知ったことか!バカヤロー!」
という恐ろしいやりとり。

わけありっぽい壮年の男性患者は
「〇〇社関係の人の面会は断ってくれ・・・」と
特別対応を求めていた。

わたしの左隣か、むかいか、
はすむかいあたりのベッドのおじいさんは
腰の骨を痛めておいでで、横になることが難しかった。
なにより、おじいさん自身がとても痛がるので
寝かせたくても それは容易ではない。
どのようにベッドを整えて寝かせてあげれば
いちばん負担が軽くすむか、を検討・決定するまで
当面、車イスで過ごしてもらわざるをえなくなったようで
おじいさんは、ご機嫌ななめにもほどがあった。
(でも 横になると 痛い、ってあんなに騒ぐのに!。)
やつあたりで 看護師さんにモノを投げつけるなどし、
きつくしかる男性職員の声が聞こえてきたのも
一度や二度ではなかった。

・・・そんな記憶はある。
(あれ! けっこう覚えてるね(^^)!!)

わたし個人のことでいえば、
ベッドから起き上がるパワーも気力もなく。

血管がほそくなりすぎていてうまく血が採れないと
スタッフさんを何分もわずらわせ
あげく 血液がドロドロですと言われる。

身ひとつで担ぎ込まれたため、
ほんとうになにも、なにも持ってない。
お金は1円も持ってない。
メガネもない。
パソコンも携帯電話もない。
明日も見えない。
なすすべもなく 起き上がれもせず
ただひたすらに横になっていた。
しかも、眠れなかった。
自分でもおかしいんじゃないかとおもうような
全身の倦怠感におののき、
ものすごく寝たいのだが、
まったく眠くならないのだ。

もうなにがなんだか。
というか 自分がいるところがどこだかも
実をいえばあんまりよくわかってない。 
ゆうべの処置室で
何度も何度も聞かれた覚えがあるのだが。
入院した病院の 正確な名前は退院時に知った。

だが 状況的にも肉体的にも
ほんとうに横になっているしかなかったのは初日だけで、
初日の消灯あたりになると 頭痛などがほんのすこしおさまり、
熱も下がってきて、頭はしっかりし、
「会社に行かないとなあ」と独り言をいうほどまでになっていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だが 特筆したいのは
先述したとおり、2日め以降だ。

わたし個人の状況
頭がけっこうしっかりし
普通の声量で普通に話せるようになってきた。
インターンの先生がたの長時間の質問にも
横になったままだが 問題なく答えられた。
ただ 搬送前後のことはほとんどなにも思い出せなかった。
あと、頭がやはり 割れるように痛い。
左側頭部に薄い膜がはったような(ビニールラップを頭の
左半分に巻いているような)違和感がある。
胃が痛む。
体が激しくだるい。

食事は 残すが とれる。
一応 自力で歩ける。
脳の異状への懸念から 搬送直後より首になにか
金具のような固定具がつけられていたようなのだが
いつのまにかはずされていた。
腕に針で挿入された何本もの管が痛む。
血圧計がかさばってわずらわしい。

神経内科病棟にうつされた。
同室には、命に別状こそないが
不慮の事故などで重いケガを負った患者さんが
多く収容されていた。

たしか6人部屋にわたしをふくめ 
5人の患者さんがいて、
ほぼ全員 年配の女性。

彼女たちは、昼間はみんな、しっかりしていらした。
面会にみえるご家族に、
自分が不在のあいだの家のことを指図したり
保険関係の書類の保管場所を知らせたり。
しっかりとした口調であれこれと話しているのが
カーテンごしに にぎやかに聞こえてきた。

わたしは 
みんな ふだんはおうちの おかあさんなんだな、
暮れの忙しいときにこんなことになって
大変なんだろうな・・・とか 思いつつ
ひとり ぐったり寝てた次第。

※というのも ほんとはわたしも 母に 
 家からiPadを持ってきてもらって そいつをかり、
 ベッド上で 仕事をしたいと考えていたんだけれど、
 母のiPadはなんと、プロバイダ契約未締結だった。
 自宅に導入してる無線LAN回線につないでのみ
 使える、つまりWi-Fi環境がない場所では 
 ほぼ、ただのつるつるの板にひとしいわけだ。
 プロバイダ契約しないで タブレットを使うなんてことが 
 可能だと わたしはこのときまで知らなかった。
 病棟にWi-Fi環境はない。
 モバイルWi-Fiお持ちですかとか
 テザリングさせてくださいとか
 同室の患者さんたちに  まさか聞ける雰囲気じゃなかったし。
 できることがないもので、日中はもう 横になっているしか
 なかった。
 夕方遅く、会社がバイク便で わたしの荷物を送り届けてくれた。
 だがそこにメガネは入っておらず、
 携帯電話の充電も今にも切れそうな状態(のちに切れた)で
 けっきょくあんまり できることは増えなかった(^^)

「※」が長くなりすぎて 何を書こうとしてたんだか 
われながら忘れかけた。

おっと。思い出してきた。そうそう、
・・・ともかく、
そのように 
昼間は気丈にしておられた奥さんがただが、
面会がおわる夕方以降、
ようすがかわってきた。

看護師さんが仕切りのカーテンをしっかり閉めないで
立ち去ろうとすると、
まるで10代の女学生のような甲高い声で
「カーテンを閉めてよ!」と いちいち叫ぶ
80代にもなろうとおもわれる奥さん。

骨折したのは両足で 腕は健康なのだが
「できない。食べさせて頂戴」といって
看護師さんに「はい、あーん」を求める、
40代の奥さんも。

21時の消灯以降はさらに なんというか
状況がエスカレートしてきた。

寝付けなかったわたしは、
職場からバイク便で届けられた 自分の荷物のなかに
数日前に図書館でかりた本があるのを見つけ
ながめて ひまつぶしをしていた。
21時すぎごろ、左隣のベッドから
「ああっ!! だれか早くきて! 助けて!!」という
悲痛な叫び声。
70代後半くらいの、右足と首を痛めたおばあちゃんだ。
どうしてナースコールを押さないんだろうなとおもったが
叫び声はおさまるようすがなく くりかえされた。
容態が急変したのかと 心配になってしまい
おもいきって
「すみません、開けます」と断り
隣のカーテンを開けてみた。
おばあちゃんは、ベッドの下にナースコールを落として
しまっており、そのために叫ぶしかなかったのだった。
これかあ、とおもって ナースコールを拾い上げ、
押したうえで、両手でおばあちゃんの手をとり、
そこにしっかりとにぎらせてあげた。
おばあちゃんは、
「ありがとう。」と
笑いかけてくれた。
わたしはそのまま病室をでて ナースセンターに向かい、
こちらにやってくる看護師さんに手を振ってしらせ
「隣のおばあちゃんが 助けてほしいみたいでした」と
伝えた。
看護師さんにあせる様子がなく、ゆっくりとした
足取りで歩いてきたことに、ちょっと違和感をおぼえたのだが、
看護師さんのあとについて病室に戻ってみて、
そのわけがわかった気がした。
おばあちゃんのナースコールの要件とは、
「スタンドの明かりを消してほしい。」だった。
(スイッチは起き上がらなくても押せるよう手元に延ばされている。)

さらにその1時間くらいのち。
今度ははすむかいのベッドから
「さめざめと」という表現がぴったりの
泣き声が漏れ聞こえてきた。
よくよく聞くと
「情けない、情けない・・・」と
つぶやいている。
両腕と頭をケガした女性だった。
小用をたすことさえ看護師さんの力をかりないとできない
自分の状況が情けない ということなんだろう。

他のベッドのだれも反応しない。
いびきが聞こえる。みんな寝入ってるんだろう。
わたし、さっき隣のおばあちゃんを手伝った手前
この女性のこともなぐさめてあげたほうがいいのかなと。
さっきみたいにカーテンを開けて入っていき
彼女をなぐさめてあげればどんなにかいいだろう。
だが、
正直なところわたしは心底ふるえあがっていた。
真っ暗な病室のなかで
昼間は元気だったあの女性が
しくしく泣いてるそのかんじは
ほんとにちょっと表現がむずかしいくらいなにか異様で
わたしは本気で怖かった。
ちょっといったん 部屋の外にでてロビーで一息いれてこよう。
5分くらいして戻ってきて そのときまだ状況が変わってなければ
そのときこそはあのカーテンを開けて、
彼女の背中でもさすってあげよう。
そんなことを考えて、のそのそ起き上がり、
ロビーで 深呼吸を何回もしてみた。
数分後、意を決して病室に戻ってみると
泣き声はやんでいて、彼女のいるところから
おだやかな寝息が聞こえた。

ほっとしたわたしは、窓際の自分のベッドに戻ろうとした。
すると、さっきナースコールを落として困っていた
隣のおばあちゃんが、カーテンの隙間越しに
わたしをみとめ
「ありがとうございました。ありがとうございました。」
と声をかけてくれた。
反応することができなかった。
わたしは正直言うと
この 全体的な・・・病室の・・・
とにかく異様な状況に ほとほとまいっていた。
なんなんだろう、この人たち。
みんな、昼間とは別人みたいだな。すごく元気だったのに。
ちゃん返りしたみたいだ。
いい大人が泣いたりして。

でも、
ベッドに戻って再び本を読み始めたとき、
思いが千々に乱れ ちっとも活字に集中できないことに気づいた。
隣のおばあちゃんは、ナースコールを拾ってあげただけなのに、
わたしににっこり笑いかけ、礼まで言ってくれた。
彼女の 無邪気な笑顔が眼前にちらつき、
なんだか・・・
「この人たちってなんなんだ。いい大人なのに・・・」とか
思ってる自分に、はたして
あの笑顔を、あの礼を享受する資格があるのか、なんて。
そんなことを思って、
いたたまれなくなった。

何とも言えない気持ちをもてあまし、
起き上がって またぞろ ふらふらとロビーに向かった。

そのころになるともう、
なんだかむしろ
堂々と 子どもっぽくわがままな患者っぷりをさらけだす
同室のおくさんがたが
うらやましい?みたいな気持ちにまでなってきていた。

わたしは 見てて正直なところ引いたんだが、
医学的?見地からいえば あるいは、
体と心が治っていく過程には
ああしていったん 子どもに還るような期間が
あって当然なのかもしれないとも。

結果を先に言うと わたしは
入院中一度たりとも ああはなれなかった。
かたくなに、「ああなること」を拒んで過ごした。
神経内科病棟の入院患者は
(脳の異状の危険性が払しょくしきれない状態のため)
たとえトイレに行くことひとつとっても
ナースコールを押すことが必須とされていたのだが、
わたしは早々に 押すことをやめた。
手洗いにはあくまでも自分で行った。
点滴バッグのスタンドを引いて
自動販売機スペースや地下の売店にもこっそり行った。
自分は 同室の奥さんがたにくらべれば
身の回りのことなど自力でやるのになんら問題がなかった。
と自分では思う。
(わたしも脳の異状を確認するための検査待ちの状態だったのだが。)
だれかがナースコールを押すたびに
すぐちかくのナースセンターで「オーラリー」の通知音が
鳴り響くのに気づき
自分が あの音を鳴らさせるのはイヤだな と
速い段階から思うようになっていった。
※無断で売店にまで冒険したときはさすがにあとで
 めちゃくちゃ 看護師さんに怒られた。

・・・

ロビーのイスに腰かけ 
ボーゼンと虚空を見つめるわたしに
看護師さんが いれかわりたちかわり 声をかけてくれた。  
「いえ・・・、なんかその・・・眠れないものですから。」
と答えると
メガネをかけた小柄な看護師さんは
「まあ・・・、そうですよね(^^)」
と苦笑まじりに 共感をよせてくれた。

入院2日目はそのようなかんじ。
一睡もできなかった。
初日は眠れたのかというと・・・
それはそれで まんじりともしなかったのだが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところで、入院2日目のおそらく午前中のこと、
研修医(インターン)の先生がおふたり
やってきて、わたしの病歴やらについて
詳しいインタビューを行っていかれた。
男女2人組のこの先生方はどちらも
クラシック音楽をたしなまれるとのことで
たしか長身の男性のほうはチェロあるいはコントラバス
小柄な女性のほうはヴァイオリンをやられると 話していた。
逆だったかな。
わたしも音楽がすきであるし
おふたりと(彼らにとっては仕事なのだが)
話せたことは
すごく気持ちに はりあいがでた部分があって
大変ありがたかった。
おふたりのうち、男の先生のほうは、
主治医の先生がわたしや家族に
検査結果を報告する場にも のちに同席してくださり、
先生の説明の要旨を だれにもわかりやすいように
まとめたレジュメを用意してくださった。
のちに近所の内科医院や 心療内科に通うようになってから 
各医院の先生に見せるなどすることができ 
大変に役立った。