BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『Malu 夢路』-201114。

原題:Malu(无马之日)
エドモンド・ヨウ(楊毅恆) 監督・脚本
2019年、マレーシア・日本合作

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【ちょっとネタバレ的なこと書いたかもしれないのでご注意を。】


日比谷で観た。
これはすごく良かった。
もう1回観たい気がする。
音楽(細野晴臣さんらしい)もめちゃくちゃ良かったし。

「理屈じゃなく感覚で観る」みたいな感じと思われる映画が
(要するに自分が理解できない映画、ってことになるか笑)
実のところわたしはあんまり得意じゃない。
「最後にこうなった」とか「あの人がどうなった」とか
それなりの結論や説明が用意されている脚本の映画が
好きな方だと思う。
それでいくとこの映画は、わたしがあんまり得意じゃないはずの
「理屈じゃなく感覚で観る」映画の方だったと思う。
でも、わたしはこの映画、すごく好きだった。

「(本格的に眠るのではなく)目を閉じる」という
アクションが多用されていたのが印象に残った。
鳥の声に耳をすませる、胸にだかれる、
膝枕に身をゆだねる、などなどの時に。
そういうアクションの時の、登場人物たちは、
本当に心地良さそうな、
もう他に何も要らない、といった感じの
表情を浮かべて目を閉じてるんだけど、
そんな様子とは裏腹に、
「夜あまり良い睡眠が取れてない」
「夜まともに眠れないほど心配なことがある、
 重大な悩みごとや隠しごとを抱えている」
といった、心の状態が
あの目を閉じるというアクションで
表現されていたことも 感じた。
ああして目を閉じる時に何を考えてるのか、
閉じたまぶたの奥に何を求めてるのかってことが気になった。
あんなにしきりに目を閉じてみたところで、
多分 彼らが求めている景色は
まったく見えないのだろうと想像された。
過去にも未来にも多分、欲しいものは見えないんだろう。
だから彼らが目を閉じることには「思考停止」くらいの
意味しかないのではないかと 思った。
つまりやっぱりそれだけの 
重すぎる現実があるということだ。

姉妹が、不思議なほどどんどん似ていった。

水原希子さんは雰囲気あってとても良かったけど、
泣きの演技がやや大仰だったように感じた。
それに対して実姉のホンは、妹の変わり果てた姿を見ても
どう反応して良いかわからないって感じでオドオドしてて
コントラストがきいてて良かったと言えば良かったのだが。
あの好対照な感じを出すために、
水原希子さんに大げさな泣きの演技をさせたのかもしれないが
ちょっとそれにしてもやりすぎじゃないかなと思った。
基本的にとても静かにひそやかに進行する映画だったので、
ほんのちょっとのやりすぎもスゴく目立ってしまい、
どうかという気持ちになった。
なんであれでOKを出したのかちょっと謎だ(笑)
水原希子さんが悪かったと言いたいわけではないが。

それにしてもゆったり静かな物語の中で
意外なほどいろんなハードなこと起こりまくってたな・・・

母親が心を病んだのは
子までなした男に棄てられたことがきっかけだったのだろうな。
彼女は幼かった娘ふたりを巻き込んで投身自殺を図り、
未遂に終わったらしかった。
おそらくはその事件をきっかけに、姉は祖母の家に引き取られ
妹は母の元に残った。
なぜ妹は祖母の所に連れて行ってもらえなかったのかなと思う。

ランは介護に疲れて母親を殺したっぽいし、
日本に渡ってからは時に姉の名前をなのって売春をしていた。
ランはさまざまな言語と名前を使い分けていた。
本当は頭の良い女性なのだと思う。

永瀬正敏は、(微妙なところではあるが、)
多分 ランを手にかけたのはこの男だったんだろうな。
妻も殺したのかな、ひょっとして。

映画の感想-『Maiko ふたたびの白鳥』-201104。

原題:Maiko: Dancing Child
オセ・スペンハイム・ドリブネス 監督
2015年、ノルウェー

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ノルウェー国立バレエ団のプリンシパル西野麻衣子さんが
出産・休業を経てチャイコフスキーの難曲『白鳥の湖』で
復帰するまでを追ったドキュメンタリー映画だった。
正直なとこ、楚々とした妖精のような、というよりは、
大阪のド根性ねえちゃんという感じの人だなと思った。
バレリーナもいろいろだなと感じた。
彼女をプリンシパルに戴くバレエ団の方も、わかってるなと。

西野さんは
「息子が可愛くないわけじゃないけど、
 家にこもって息子と毎日つきっきり、
 というママは、わたしにはとてもできない。
 クレイジーバレリーナだから」
と、夫に率直に気持ちを伝えていた。
夫は「僕が育休を取るから大丈夫だよ」と
西野さんの気持ちを受け止めて
「一緒に頑張ろう」と言っていた。
自分の気持ちをなんでもいいあえて、
何か困った時は じゃあどうしようか、と話し合える
こういうパートナーシップは、良いだろうなと思った。

白鳥の湖には つま先立ちで何度も回転をするシーンがあり
どんなダンサーにとっても疲れるしキツイ難所らしかった。
まして産休から復帰したばかりで万全とは言えない西野さんは
練習中はほとんど成功できなかった。
でも本番でバッチリ最後まで踊り切ることができ、
パートナーの男性ダンサーは
「僕まで興奮した!」と言って
西野さんの完全復帰を自分のことのように喜んでいた。

きよういちにち-201112。

夜から有楽町に行って『博士と狂人』という映画を観た。
良かった。 
もう近場で観られる映画でめぼしいのはみんな観た。
こうなるとほかにも映画が観たければ
多少むりしても遠くまで足をのばすことになる。

でも今日はそれだけのことをしたかいはあった。
そう思えるときはほんとにうれしい。

さっき帰宅した。
今日はかなり寒かった中で夜おそくまで歩き回った。
あした起きたら風邪ひいてるとかいうことのないように、
はやくふとんに入ろうとおもう。

映画の感想-『スリーピー・ホロウ』-201110。

原題:Sleepy Hollow
ティム・バートン 監督
1999年、米

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ジョニー・デップが若々しかった。
年齢的に今よりもずっと若いというのももちろんあるのだが
ジョニー・デップはほんとに出る映画出る映画
全部、その都度 美容整形でもしてるのかと思うほど
顔つきも印象も変わって見える。
「天才だけどややエキセントリックで案外怖がりな若手刑事」
の役を、結構楽しそうに演じていた。
その役柄がジョニー・デップという役者に
合っていたのかどうかというと、
なんかビミョーな気がするが。
でもそんなこと言っといてなんなんだが、
よくよく考えると、
ジョニー・デップに合っている役柄」って
どんなのなんだろう・・・
正直言うとジョニー・デップって、わたし、
大して真剣に役者をやっているように見えなくて、
そこがあまり好きになれないんだよなあ。
いつも、心ここにあらず的な風に見えないか???
なんか、自分のやっていることなんてどうでも良いと
思いながら演じているようにしか見えないんだよな。
スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』(2007年)
(これもティム・バートン監督作品だったが)
で主役をやっていて、歌ったりとかして
あれは観ていて結構楽しかったけど、でも
あれもなんかちょっと手を抜いているように見えたというか・・・
ジョニー・デップのファンは多いみたいだけど、
わたし、たいして好きじゃないな。
この役者について何かをまじめに考えたことないよ。
パイレーツ・オブ・カリビアン』とか
そんなに良かったかなあ(笑)・・・????

クリスティーナ・リッチも、
役柄によって別人かというほど印象が変わって見える人だ。
全然可愛らしくないように見えたり、
逆にまぶしいくらい可愛かったり。
この映画では後者だった。
すごくきれいだったし、
役柄が非常に合っていたように思えた。

この映画は さらっと1回で観るには
話がやや混み入りすぎの感があり、
夜中のだらけきった頭で観てると、
どうでも良い、としか思えず、
理解するのがめんどくさくなってくる感じだった。
でも昼間の多少さえている頭の時に
もう一度観返してちゃんと理解しよう! とか
そういう気になるかというと、特にならない(笑)

だがティム・バートン監督の映画らしく、
洗練されたスプラッタ描写やグロ描写が光ってた。
ぐちゃぐちゃして気持ち悪くて、できれば見たくないのだが、
なんか、出て来られると、それはそれで妙にじっと見てしまう。

木の根元の所が冥界と繋がってる、とか
あまりにも特異でおもしろすぎる発想に思える。
そういうのをあんなに念入りに映像にして見せられると、
どんなもんかと思ってつい見たくなる。

「検視中の遺体からそこそこ大きめの昆虫が出て来る」とか
絶妙に不快な感じを良く表現してくるよなと思った。

映画の感想-『ロパートキナ 孤高の白鳥』-201109。

原題:Ulyana Lopatkina: A Russian Star
マレーネ・イヨネスコ 監督
2015年、フランス

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『ミッドナイトスワン』という映画にめちゃくちゃ影響を受けて
このところ、バレエに関するドキュメンタリー映画を観たり
YouTubeでバレエの有名なプログラムの動画を観たりしている。
今まで観たなかでは『ライモンダ』とか好き。
いろんなダンサーがそれぞれの解釈でパフォーマンスするので
同じライモンダでもバージョンがいろいろあっておもしろい。

この作品は、ロシアのマリインスキー・バレエ団プリンシパル
ウリヤーナ・ロパートキナについてのドキュメンタリーだった。
Wikiで確認した所によると、ケガで2016年から1年ほど
踊らなかったそうで、そのまま引退という形になったらしい)

これまでに、パリ・オペラ座バレエ団のドキュメンタリーを2本と
ロシアのバレエダンサーのドキュメンタリーを3本観ているのだが
(今の所どれも、中心的に取り上げられているのは女性ダンサー)
お国柄なのか、ダンサーの人柄・性格とかによるのかわからないが、
フランスとロシアとでは、ダンサーの踊りへの取り組み方も、
踊りそのもののスタイルも、かなり違うみたいだなと思った。
一言でいうと、
「ダンサーの踊りへの取り組み方」ということでは、
フランスは合理的で「自分のために踊る」感じ。
ロシアは求道的で「芸術と真理と国のために踊る」感じ。
「踊りそのもののスタイル」ということでいうと、
フランスは割と生々しく見える。人間の体って、やる人がやれば
こんなにいろんな動き方をするのか! という驚きがある。
ロシアは軽くてやわらかくて、どこまでも様式美的で、
重力がはたらいてないんじゃないかと思うような動きに見える。

といってもしょせんわたしは素人で、
全然それらしいことは言えそうにないのだが・・・

このロパートキナという人なんかをみていると
特にそういうことを思った。

でもロパートキナがとりわけ思慮深い性格で
バレエによって哲学することを好む人なのかも。
あるいは、ロパートキナが特別じょうずなために、
軽くてやわらかくて、様式美の極致みたいなものを
誰よりも良く見せてくれる、というだけのことかも。
だからフランスとかロシアとかは関係なくて、
ロパートキナはあらゆるバレエダンサーのなかでも
一線を画している、というだけの話かもしれない。
そこはわからない。
もうちょっとたくさん、バレエの動画や映画を
いっぱい観れば今より少しはわかるのかもしれない。

映画の感想-『オーレリ・デュポン 輝ける一瞬に』-201108。

原題:Aurelie Dupont danse l'espace d'un instant
セドリック・クラピッシュ 監督
2010年、フランス

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パリ・オペラ座バレエ団の元エトワール オーレリ・デュポンに
密着したドキュメンタリーだった。

本番が近づいてナーバスになるのか
足が痛いとかどこがわからないとかまだ完璧じゃないとか
パートナーのリフトが安定しないことが怖いと言って
「悪いけど(このままじゃ)できないわ」とか
弱音やグチっぽいことをたらたらとこぼす姿も
克明にとらえられていた。
でもなんか感じが悪くないし、
人にむやみに八つ当たりをしたりしないのが偉いなと思った。
周りもオーレリのこの程度のなきごとには慣れているのか
オーレリが何度も何度も似たようなグチをこぼしても
「衣装を着けてメイクをしてお客の前に立ったら
 ちゃんとできるから大丈夫だよ」
「本番ではアドレナリンが出るから痛くないよ」
などと辛抱強く応じて
場の雰囲気がちっとも悪くならないのがすごかった。

『ライモンダ』の踊りを終えた所の横顔が
あまりにもきれいで見とれてしまった。

妊娠・出産を経て復帰を果たすも
容姿も踊りも稽古の内容も
すこしずつすこしずつ精彩を欠いていくのが
素人目にもわかった。
でもそれもダンサーの現実なんだと思った。
それが悪いということではなくごく自然なことで、
自分がいた場所は次の世代に明け渡し、
学んだことを後輩たちに伝えることが
自分の新しい役目になっていく、
そういうことなのだろう。

映画の感想-『仮面の男』-201108。

原題:The Man in the Iron Mask
ランダル・ウォレス 監督・脚本
1998年、米

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良い予告動画が見付けられなかった。

ルイ14世の出生の事情や父親のことをめぐっては
昔からいろんな俗説があるらしくて、
この映画の場合は、
ルイ14世には、実は容姿が瓜二つの双子の弟がいるが、
 弟の方は時の廷臣たちの策略で宮廷から引き離され、
 長年、投獄の憂き目にあっている。
 しかし、国王ルイ14世があまりにも能なしなので、
 国を憂えたかつての『三銃士』が再び立ち上がり、 
 兄弟のすり替えを企てる」
・・・という筋になっており、
アレクサンドル・デュマの『三銃士物語』をベースとする
娯楽冒険活劇、ということのようだった。

夜中になると こういうただの娯楽活劇というか
本当に何も考えなくて良いようなやつを観たくなるなあ。
観たくなるというかそういうのしか受け付けない。

感想としては、
全然おもしろくなかったけど、ゴージャスではあった。
そういうのが観たかったといえば観たかったわけだから
まあ結果としてはこれで良いのだ。

でも全然おもしろくなかった(笑)
やっぱりどうせ観るならおもしろいに越したことはないよ。

なんか、おもしろくなかったうえに、
中途半端にくだらなかったんだよなあ。
ジェラール・ドパルデューも、ジョン・マルコヴィッチも、
他にどんな映画に出てて、どんな役をやっているか
知っているだけに
この映画で彼らのやっていることはほんとにアホくさくて
くだらなくて(役者に責任があるわけじゃないが。)
「めちゃくちゃお金のかかった『ドリフの大爆笑~』」を
観ているような感じがしてしまいに失笑だった。

中途半端にくだらない、というのはつまり、
うまく説明できるかわからないが、
「ドリフの大爆笑~」は喜劇だとはっきりわかるけど
この映画は、喜劇とか、悲劇とかそういう話以前に
観客に何を思わせたいのかがわからなかった。
例えば、
「この物語を爽快な冒険活劇としておきたいのであれば
 そのキャラクターは絶対に死なせたらダメだよね」
っていう、結構な重要キャラを、
平気でさくっと何人か死なせていたのは理解に苦しむ。
脇役でも、死なせちゃいけないキャラはいる。
死んだと思わせておいて本当は生きてたよパターンかと
思ってなりゆきを見守ってみたが、結局それもなかった。
それってもうなんか根本的にダメだと思うんだよな・・・
この物語をどうとらえれば良いのかわからなくなる。
確かにデュマの原作では、・・・というのもわかるのだが
このタッチのこの映画だったら、絶対にやっちゃいけない
ってことをやっておきながら、このタッチをあくまで押し通す、
ということの意味が良くわからなかった。
何がしたかったんだこの映画は。

原作と別のルートを用意しても良かったのでは。
いろいろと、もっと他にやりようがあった気がする。
デュマの小説なんか今やったら古いに決まってる。
それを1998年に映画化するならするで
そうするだけの、今だから、という意味を、
持たせるべきだと思うのだが。

なんか、アトスが気の毒なだけだったな、という感じだった。
フィリップは優しいから最後にああ言ってくれたけど、
そうは言っても結局、フィリップの父親は(笑)

クリスティーナもああなっちゃったらもう
家族とか、いろいろ、支えて来たものはどうなるのか・・・
つらすぎ。

レオも、まだこの時はほんの若手だっただろうから
しょうがなかった部分もあるのだろうが、
どうにもこうにももったいない使われ方をしていた。
この映画の見どころはレオの一人二役
「酷薄・非道なルイ14世」と
「心優しくピュアな王弟フィリップ」を 
レオひとりで演じ分ける、というところに
あったと思うのだが、
肝心のそこが壊滅的にうまくいってなかった。
ルイとフィリップは見た目はそっくりだが性格が違う。
この映画ではふたりの性格の違いの表現において
せっかくのレオを全然活かしてなかったと思う。
例えば、不美人の女性を道端のゴミ扱いするルイに対して、
心優しい弟は、女性がつまずいて転びそうになると、
その人の容姿が美しくなくてもサッと手をさしのべる。
そんな「行動」の違いプラスそれを見た周囲のリアクション
(優しい王:実はフィリップの姿に、驚きのあまり静まり返る)
という合わせ技の、わかりやすーい古ーい表現にとどまっていた。
だが、なんかもっとこう、
レオだったら他のやりようがあったと思う。
脳が腐ってるか腐ってないかを視線ひとつで表現する
みたいな高度なことがあっても良かった。
でもそういうのがやられた様子がまったくなかった。
レオナルド・ディカプリオは堂々とした雰囲気の美男子だが
ポーカーフェイスで目が笑ってない所がある役者だ。
だから
「財力知力ステータスとも申し分ないが愛だけは手に入らない」
「本人は無自覚だが周りからみると完全に精神を病んでいる」
「トラウマティックな体験とサバイバルの中で人が変わった」
「恒常的に強度の精神的重圧がかかる仕事をしている」
みたいな、内面に問題を抱えた人の役が似合う。
でも、この映画はそもそも全然そういう感じの話じゃなかったし
レオにルイ/フィリップの二役を任せるならばそれだけの
高度な演技を、という選択もされていなかった。
なんかこの映画のレオは
単純に、やる気がない、という風にしか見えなかった。
デュマみたいな わかりやすーいふるーい冒険物語の
ふるーい紋切り型のキャラクターを
わかりやすーく演じなくてはならなかったのが
気に入らなかったのかもしれない。

アンヌ・ドートリッシュルイ14世とフィリップの母)
は、とても良かった。
この人は要するに双子の息子を産んですぐに、
男どもの政治的判断によって弟の方を手放さなくてはならなかった。
産んだ子が双子だったという事実も無論おおっぴらにできなかった。
誰とも分かち合えない悲しみと秘密を、その胸ひとつに押し隠して
生きてきたというわけなので。
アンヌの大きな瞳をみているだけで、
ほんとうにこれまでいろいろつらかっただろうな
ということがしっかりと伝わってきたのは良かった。