BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

きょういちにち。-200523。

美容院に行き髪の毛を切ってもらった。

ツーブロックの快適さにやみつきになり

今回も伸ばさずにまた同じところを

刈ってもらった。

前はツーブロック初心者ということで

刈りアトが青く残るほど深くは刈り込まず

マイルドな刈り込みにしてくれていた。

今回はもう全然、もっと思いきりやってくれちゃっていいよとわたしが言ったので

それでも青く残るほどにはしないでくれたが

前回よりしっかりめに刈り込んでもらった。

手でさわるとシャリシャリして気持ちがいいので

「芝生」と呼ぶことにした。

 

これは一回やっちゃうとハマって

やめ時がわからなくなるんだよね〜、

髪の毛伸ばす気一生なくなると思うよと

言われた。

本当にその通りだろうなと感じる。

でもまあ50歳とかになっても

ツーブロックのさわやかなショートヘアが

バシッと決まるイケてる大人の女を

わたしが目指せばなんの問題もない。

50歳とかまでちゃんと生きていられるかについては天命だからわからないが

そういうイケてる大人でありたいと

思ってそれなりに自分が頑張るであろうことは

いまから十分想像できる。

 

短い髪が好きなわたしには

快適さを保つためにも

まめに美容院で切ってもらうことは

とても重要なことなのだが

それ以前に

髪の毛を切ってもらうことそれ自体が

なんか趣味みたいな感じに最近思える。

スッキリ気持ちよく短くしてもらうと

本当に気分が良い。

 

きょうのあいだに2回、コンビニエンスストアに寄った。

朝と夕方、それぞれ別のお店に入ったのだが

その両方の店舗で、久しぶりに、

マスクが販売されているのを見た。

わたし自身の記憶では3ヶ月半から4ヶ月ぶりかと思う。

10枚入りくらいの不織布マスク

2種類くらい売られていた。

COVID-19問題が起こる以前は

マスクなんて、コンビニでいくらでも買えて、種類も色々あったなかで、

だいたいどのコンビニに行っても、

またどこの駅の売店でも、

これとこれはたいてい見かけたな、

っていうマスク商品が数種類あったと思うのだが(ここで言っているのは、パッケージの見た目の話にすぎない。)

きょう見かけたのは

そのどれとも明らかに違うもの、違うメーカーのものだった。

コンビニの方でも毎日のように客から

マスクマスクって言われるから

ずっと前から手当たり次第

あらゆるメーカーに手配していたのが

ようやく今になって届き始めたのかもしれない。

でも今日見たかぎりでは

それらのマスクは

意外なほどたっぷり売れ残って

いくつもラックにかけられていた。

一時はあんなにだれもが血眼で

マスクを探し求めていたのに。

でもコンビニが頑張って手配したように

消費者も消費者で各自ネット通販とかで

いつ入荷するかしれなくても必死で予約購入とかしたし 自力でマスクを作ったりもしたからな・・・

うん、今はとりあえずマスクはもういいや・・・って感じかもね。

わたしも花粉症対策で買い置きしてあった箱入りのマスクが底をつきかけて

一時はどうしようかなと思ったが

とりあえず今は困ってない状況だ。

 

 

それにしてもだいぶ疲れている。

じつはゆうべ明け方までゼンソクの

ゼーゼーになやまされて

ほとんど熟睡ができなかった。

いま、眠いという感じではない気がするが

かなり疲れて体が重いようだ。

今夜はなんだか落ち着いており

セキもまったく出ないので

早めに休もうと思っている。

やらなきゃいけないことは

それなりに溜まっているのだが・・・

近況/映画の感想-『エル ELLE』-200522。

今日は一日家にいてネットフリックスで映画を観るか
何か書くか本を読むかしていた。

帯状疱疹に関してはかなり良くなってきた。
だが耳のうしろの、一番悩みの種だった部分
発疹はなくなったものの いまだにかなり痛む。
まだあと1ヶ月は最低でも薬を飲むそうだ。
がんばろ~。

ゼンソクは膠着状態にある。
家にいる時は基本 ベッドの上だ。
日中あまり活発に動くと 夜中のセキが重くなる。

もし、また大きな発作を起こしたら
自分はどうなるのかなあと、ちょっと思う。

ゆうべと今日、ポール・ヴァーホーヴェン監督の
『ELLE』(2016年)という映画を観た。

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会社社長のミシェルが自宅でレイプ被害に遭遇する。
犯人は顔を隠していて誰だかわからなかった。
過去にいろいろあった彼女は警察を信用できず
通報しないまま、自力で身を守ろうと動き始める。
身辺には疑わしい人物が何人かいるのだが、
なかなか決定的な証拠をつかむことができない。
そんななか、次第に
ミシェル自身の秘められた怪物性があらわになっていく。

日本語吹き替え版があったら観たかったのだが、
ネットフリックスもU-NEXTもAmazon prime videoも
字幕版しか用意されていなかったので
吹き替えで観ることはあきらめて、字幕版で2回観た。

イザベル・ユペールのあまりの美しさなまめかしさに
目を疑った。当時多分66歳くらいだったと思う。
ヒロインの母親役を演じた女優さんも
調べたら公開当時92歳とのことだった。
信じられなかった。
ふたりとも生き生きとしてとにかく美しかった。

ヒロインの親友を演じた女優さんも、
イザベルとはまた違う、庶民的な雰囲気が
とても素敵な人だった。笑うとかわいらしかった。

実際にはミシェル(ユペール)のような人物は
なかなか存在しないと考えざるを得ないと思うのだが、
その ありえないはずのキャラクターを
少なくとも映画を観ている間だけは「ありえる」と
思わせるだけの圧倒的なリアリティが
ミシェルというキャラクターには付与されていたと思う。
というかこういう人物がもし本当にいるとしたら、
その人はいったいどれだけ強靭なメンタリティの
持ち主なのだろうな、と考えた時、
ミシェルは「強い人」などというレベルを通り越して
もはや狂人、あるいは変質者の域に
達しているかもしれない、と思った。

この映画については近いうちもっと詳しく書いてみたい。

ワイヤレスイヤホンが便利。-200520。

Bluetooth接続のワイヤレスイヤホンを購入した。
と言っても、最近ものを失くすことが多いので、
うっかりどこかに落としたりしないように、
首かけ式のものにした。
音がとてもクリアで美しいことが気に入っている。
それに、無線接続なので、音の出もとの端末とつないでいる限り、
端末を置きっぱなしにしたまま部屋の中を動き回っても、
音を聞き続けることができるのが、自分には画期的に思える。
今まで、普通の有線のイヤホンしか持っていなかったので、
音楽とかを聴きたければ、パソコンやスマートフォン
物理的に接続していなくてはいけなかったし、
例えば外で買い物をする時に、スマートフォンアプリの
お店の会員カードとかを提示する時には、
イヤホンと繋いだままだとやりにくいので
イヤホンをはずしてスマホを操作しなくちゃいけなかったし
考えてみればいろいろと、煩わしい面があった。
便利に使っている。もう1個くらい買おうかな。

無題-200520。

やりたいことも、どう生きたいも、何もない。それでも生きていて良いのだとすれば今のところは特に死ぬ理由もないから、死ぬまで、ただ生きる。それはそれで、退屈だ。

でもやりたいこととかちゃんとあって、意志的に生きている人がいることを考えると、わたしみたいな半端な人間が、へたに動くのは害悪のようにおもえる。わたしは生きていてもいいんだと思うけど、それ以上を望むのは、もう遅すぎるとおもう。これが18歳とか28歳だったら、まだ、滑り込んでも許容されたかなとかおもうけど。

 

まあ、でも、そもそも、ないんだよな。何も。

ないんだから、あった場合のことを考えてもしょうがない。

ある人の前には、恥ずかしくて、とても出られない。

一応今日も、自殺だけは考えなかった。

正直言ってとても退屈で、罪悪感がつのる人生だ。

でも、ほんとうに、ないんだよな〜。

無題-200517。

人を愛することも ある意味において、 責任を取る、ということと関係しているように思う。

わたしは責任を取りたくないために、

人を愛することもできないでいるのかもしれない。

つまり、幼稚で、未熟なのだ。

映画の感想-『アナイアレイション 全滅領域』-200517。

『アナイアレイション 全滅領域』という映画を観た。

原題:Annihilation
アレックス・ガーランド監督
2018年
米・英合作

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タイトルからはちっともおもしろそうな感じがしないけど、
観てみた結果、すばらしい映画だった。

こんなすばらしいストーリー、
すばらしい映画ができたその同じ土壌で
なんでまた『ゴースト・イン・ザ・シェル』みたいな
どうしようもない映画が生まれて、しかも受容されたのか
正直言ってぜんぜん意味がわからない。

『ゴースト・イン・ザ・シェル』も
『アナイアレイション』の監督に手がけてもらっていれば
もっとちゃんと攻殻機動隊のエッセンスを継承した 
まともな映画ができあがったんじゃないのかなあ。
この映画については近々もう少し深く 考えてみたい。 

映画の感想-『ベンゴ』-200515。

原題:Vengo
トニー・ガトリフ監督
2000年、フランス

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フラメンコの映画観るのけっこう好きなんだけど
この映画は知らなかった。
トニー・ガトリフという映画監督のことも知らなかった。

音楽やフラメンコのシーンがすばらしかったのはもちろんなのだが、
あんまり重要視されていないように感じられるドラマの部分も
(ものすごく簡素で薄いのではあるが、)
けっこううまく作られている印象を受けた。

女にモテて、お金も社会的地位もある主人公カコと、
身体的障害・知的障害を抱えた甥のディエゴの
対比的なキャラクター配置はうまいと感じた。

カコは教会に行くのだが、
ディエゴは絶対に行かない・・・というのをみた時、
映画的に、ちゃんとこの二人の関係性には
意味が持たされているのだ、ということが確認できた。
それに、物語の結末を観た時に、
自然に、まっさきに思い浮かんだのは
ディエゴのことだった。だから、
この映画は、カコの物語なんだけど、
ディエゴの物語でもあったのだなと、わかった。

カコは愛娘を亡くしたばかりで悲嘆にくれていて、
頻繁に教会に通い、聖母マリアに祈りをささげている。
彼は、兄が犯した罪のせいで、敵対グループに恨まれている。
敵対グループは復讐(Vengo)を予告してきており、
甥のディエゴの命も危ぶまれている(カコの兄=ディエゴの父)。
カコは、娘を亡くした今、甥っ子をことのほか溺愛している。
このうえディエゴの命まで危険にさらすことはしたくない。
だから、甥っ子をいつでも自分の目の届く所に置きたがっている。
そのカコが、教会に行く時だけは、ディエゴを伴わない。
カコの娘にひそかに思いを寄せていたらしいディエゴは、
僕も一緒に教会に行きたい、と言いそうなものだが、
不思議と、そういうことは言わず、
おとなしく、ディエゴが教会に行くのを見送る。

なぜカコは教会を求め、ディエゴは求めないのか、
だと思う。

カコの魂は、ありていに言えば完全に
「スレて」しまっている。
どんなに娘を亡くしたことがかなしくて、
この心の痛みから救われるなら何でもする、
というくらいのことを思っていたとしても、
今までの暮らしのなかで、享受することに慣れてしまった
さまざまな愉悦や快楽を、いまさら棄てて、

信仰に生きるなどということは、できないだろう。
それだからこそ、カコのような人間だからこそ、
神にすがらなくてはいられないのだと思う。

でも、ディエゴの魂はカコとは真逆の状態だ。
身体的・知的障害があるために
俗世の快楽という「誘惑」とは、無縁でいられる。
映画的に、そういうことになるのだろう。
ディエゴは神のあわれみを求めにいく必要を感じていないのだ。

カコを演じているのはアントニオ・カナーレスという
世界的に著名なフラメンコダンサーらしいのだが、
この映画のなかではダンスを完全に封印していて、
ストレートな演技だけで心を表現することを要求されていた。
それって、しんどそう(笑)・・・
ダンサーなのに・・・
わたしはアントニオ・カナーレスが、この映画の中で、
役者としてうまくやっていたのかどうかは
正直言って、良くわからなかった。
だけど、カコが一人でひそかに教会に入っていき
泣きながら、聖母マリアにあわれみを乞う場面は
かなり、心にくるものがあった。
なんてみじめなんだ、かわいそうに、と思った。
彼は一族のリーダーだ。
罪を犯した兄は、行方をくらませている。
敵対グループの復讐を警戒しなくてはならない。
一族をまとめなければならない。
弱みを見せられない。
だからみんなの前では一生懸命、平静を装っている。
でも、教会では床にひざをついて、しくしく泣いている。
本当は娘の死に傷付いて、一人で立っていられないほど
憔悴しているのだ。
「苦しすぎて耐えられない、ほんの少しで良いから
 あわれみを・・・」
マリアの救いを乞うている。

カコが、最後に、ああなったので、
この先ディエゴはどうなるのかな、
ということが真っ先に気になって、いろいろ想像した。
でも、どの角度から考えてみても、
この先ディエゴが、少なくとも実生活の面で困ることはない、
という結論にたどりついた。
ディエゴはカコ以外の人たちからも十分に愛され守られており、
あらかじめ、神のめぐみのなかにある。

カコが欲しかった結論を持っていたのはディエゴ、という
ことになるのだろうと思う。

シンプルではあるけれども
うまく作られていたのではないだろうか。


あのラストシーンは良かったな。
それまでのどのシーンとも雰囲気が違っていた。
てんでばらばらに鳴っているだけの機械音が、
カコの薄れゆく意識のなかで秩序をなして、
徐々に、楽音を構成していく。
そして無機物である鉄塊と溶け合うことはなく、
ラクタのうえにただ倒れて血を流す、人の肉体・・・
あれは奇妙に印象的だった。
結局最後まで、ぬくもりや、あわれみといった
優しいものに迎え入れられることはなかった、という、
カコの哀しい末路を示していたのだろうか。
突き放した感じで、悪くなかった。
ちょっと『ダンサー・イン・ザ・ダーク
ラース・フォン・トリアー監督、2000年)
っぽい気もした。