BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『特捜部Q キジ殺し』-190926。

原題:FASANDRÆBERNE
ミケル・ノルガード監督
2016年、ドイツ、デンマークスウェーデン

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原作の小説はこれ↓

www.hayakawa-online.co.jp

圧倒的におもしろかった。
独立した1本の映画としてもそうだし、
シリーズ1作目『檻の中の女』と比べても
わたしはこちらのほうがおもしろかった。
夢中で観た。
これだけおもしろく作れるんだったら、
なんで1作目からやらなかったんだ、と思った笑。
1作目『檻の中の女』も、わたしは、あれはあれで
おもしろかったと思っているし、そんなに不満はないつもりだ。
だが、こうして考えてみると、やっぱり
「もっとおもしろくあれたはずなのに・・・」
という気持ちがあったのかもしれない。

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さて、『キジ殺し』についてだ。
「彼女」は確かに、過激な性格だった。
自分の気持ちを表現する方法が、極端で偏っていた。
他者に残酷で、暴力的だった。
※彼女のそうした面が形成された背景には、
 家庭の愛に恵まれてこなかったことや、
 思春期だった、ということも関係しているだろう。
とても難しい子だったことは事実であるし、
申し開きのしようもない過ちを、多く犯してもきた。
だが、
「だから彼女は人を愛することができない人だ」
ということにはならないし、
彼女の想いが、ふみにじられて良いことにもならない。
カールが守ろうとしたのは、その部分だったように見えた。

彼女の選択は、方法論の部分まで含めて
この物語にとって完全に正解だったと思う。

特権階級の男の身勝手な征服欲と、その生贄としての女
という構図は、スティーグ・ラーソン
『ミレニアム』などにも通じる。
ディトリウの無垢で傲慢な「セレブらしさ」は
ウディ・アレン監督の『タロットカード殺人事件
でも、観た。

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思えば、カールは、
誰ともうまくやれないムチャクチャな自分と
彼女とを重ねたのかもしれない。
実は、これまでわたしは、
カールのヘンさがあまり気になってこなかった。
物語であるから、彼の思考や行動の理由が
ちゃんとわかるようになっているので、
一見おかしいように見えても、そこには意味があるのだと、
安心していられたからだ。
だが、良く考えると、カールはかなりタチが悪い。
人を怖がらせるタイプの変人だ。
どんなに優秀でも、
はたして警察にいさせて良いものかどうか微妙
・・・と言うか、むしろアウト、くらいの男。
秘書ローセという新たな視点が加わったおかげで、
わたしはそのことがわかるようになった。
彼女はカールを評して
「こんな破滅的な人、見たことない」と。
とてもついていけない、と仕事を辞めたがった。
確かに、そうなのだ。
不潔で、陰気で、暴力的だ。
他人とのコミュニケーションはドヘタ。
世間話はおろか、朝のあいさつもおぼつかない。
ものを考えるスピードが速すぎ、発想も飛躍しすぎ。
犯罪すれすれの越権行為や予算の濫用で、上司を泣かす。
半開きの口が、絶えず何か言いたげ。
いったん舌が回り出すとズケズケ言いたい放題、聞きたい放題。
不穏な感じだけをその場に残して、フイっと姿を消す。
「もう少しで、重要なことが思い出せそうなのに
 思い出せない」
・・・みたいな風に、意味ありげに眉をひそめ、
さらに、目つきはキョロキョロ(孤独で女に飢えてる)。
予備知識なしにカールという人物を見たら、
何だこの人、怖い・・・と感じるはずだ。
捜査される側の立場で彼と一度でも会ったなら
うわあ、もう金輪際会いたくない、と思うに違いない。
してみるとカール役のニコライ・リー・コスは名優だ。

ポスタービジュアルには
わたしの思うカールの性格や雰囲気が、とても良く出ている。
アサドの、バランスの取れた、温かな人柄も、
立ち姿ににじみ出ている。

カールにアサドという相棒がいてくれて、良かった涙

テルマの切り札には、やられた、という気持ちになった。
ディトリウは、おそらく何も知らないままだった。

マークが率いる特捜部Qは、
いずれもっと、国家権力や警察上層部の
圧力を受けるようになるだろうな。

 

・・・

追って、原作小説を読んでみるつもりだ。
そこで、確認できたらしたいことが、いくつかある。
本筋に影響するほどのことではない気がするが、
これってどういう意味なのかな、と思う点が多かった。
前作『檻の中の女』は、小説の方が映画より情報が豊富。
映画でわかりにくかったことの確認も、小説でできた。
映画を観なければ良かったなーとも、
小説を読む必要はなかったなーとも、
まったく思わなかった。
『キジ殺し』も、小説を読もうと思うし、
そこで理解が深まる点がたくさんあるものと期待する。

・カールが現場から持って帰ってきたばかりの
 故ヤーアンスン警部の独自捜査資料の内容を、
 アサドがあんなに早く把握していたのはどういうことか。
 まるで、もう30回繰り返して読んだ、というくらい、
 完璧に内容を理解している口ぶりだった。

・「殺したのは俺じゃない」と言っていた。
 多分、罪を着せられたんだと思うが、だとしたら
 20年経過しているとはいえ、
 「殺してない」と言ってしまって良かったのか。

・ディトリウらとビャーネが知り合ったきっかけは。

・現場から7キロも離れた所で通報したのに、
 追い付いてきたのは早すぎないか。
 間をおかず、すぐ後を尾けてきたのか。
 また、追い付いたにも関わらず、
 その時点で殺してしまわなかったのはなぜか。

・特捜部Qの捜査の進捗に関する情報が、
 容疑者側に漏れている危険性が浮上した時、
 なぜ新入りのローセが、疑われなかったのか。

・双子も、寄宿学校の生徒だったのか。

・キミーの実家の稼業。

・キミーの身体能力が、やや異常と見られるほど高い理由。

・「彼らはみじめな天使なの 
  空の断片が落ちて目に入る」
 「彼のキスで引き裂かれる」
 このような詩的表現の素養を、どこで身に着けたか。

・「実は二人とも死んでいます」の意味。
 (『二人』が双子の兄妹を指していない可能性)

・キミーが実家に帰った目的は。
 「なぜ家じゅうを散らかした」のか。
 また、実家に来たのは本当にキミー本人か。

・銀行口座の残高が突如激減した理由。

・金があるのに、路上生活を選んだ理由。

・20年間送られていたという手紙は
 本人が書いたものか、偽造か。