BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

思い出すきっかけ-190908。

退職の際にお世話になった労働組合
(単独で加入できるNPO法人だった)
の、職員の方のTwitterアカウントが、
Twitterのページに上がってくるようになった。

組合は、今もさまざまな人の労働問題の解決に
当たっているようだ。
ツイートによると、
相談当時のわたしととても良く似た職種、
良く似た問題で悩んでいる、女性の相談者のために、
現在 会社側と団体交渉中ということだった。
これってわたしのことか?と思ったくらい、
問題の概要が似ていた。
でも、ツイートがなされた日付が、ほんの数日前。
わたしが、退職して会社と争ったのは、
1年半も前のことだ。別の人だろう。

わたしがこの労働組合にはじめて相談したとき、
この職種での相談の例はめずらしいです、と
言われたおぼえがある。
その職種の労働者からの相談事例は当時まれだったみたいだ。
忙しいのはみんな一緒、どこも似たようなもの、こういうものと
がまんする人もいて、問題が顕在化しにくいということだった。
元気なうちはムチャな働き方をしていても気づかないし、
悩みもしない、ということもあるだろう。
そんなもんだと、確かに思う。

自分の会社から、パワーハラスメントの謝罪や
残業代の支払いなどの要求への回答を引き出すために
プレッシャーをかけたかった。
だからわたしはできるだけ
メディアの取材に応じたし、
情報も公開していた。
そちらがそういう態度ならこちらも行動していますよ、
隠したいかもしれませんが泣き寝入りはしませんよ、
そう態度で示せば、うまくいく可能性がある。
労働組合の方の助言をえて やっていた
それらのわたしの行動を報道番組などで見た人が、
もしかしたら
「自分の職場環境と似ている。
 思い切ってわたしも相談してみよう」と
思ってくれて、
それでこうして今、似たような案件の相談が
持ち込まれたのかもしれない。

もしそうだとすれば、わたしが行動したことで、
わたしと似た境遇にある人が、
「助けて!」と言えた、ことになる。
それは良かったのかなと思う。

・・・なんてことも思ってないわけじゃないが、
実際にはそんな気持ちの良いものじゃない。
当時、体験したことを
140字に満たないつぶやきの文章から
つぶさに思い出してしまう。
言われたことされたことだけじゃない。
当時の外気の冷たさや 
自分の体調が悪かったこと
部屋のどこに何があったか
どんな音がどのくらいの音量で聞こえたか
何について何を思ったか 
あらゆることを思い出す。

あの頃すごく参っていた。
過労からの病み上がりでくたくただった。
いつも胸が苦しく頭が熱くて息がしにくかった。
何かにひどく焦っているのに何もできない感じがした。
毎日、できるだけきれいに楽に自殺する方法について
ネット検索して考えていた。
眠れなくて、真夜中にうろうろと外を歩き回り、
首をくくるのに良さそうな樹木を物色した。
子どもの頃に、近所のマンションの屋上に
上らせてもらったことがあったのを思い出して
あのマンションだったら今も屋上に行けるかも
しれないと考えたことも一度や二度ではなかった。
一方で、自殺を決行したのに死ねなかった方の
手記などもたくさん読んでいた。
宗教書も哲学書も手当たりしだい力尽きるまで読んだ。
だが、うつの傾向があったらしく やがて
その本さえまともに読めなくなった。
腕をカッターナイフで切りつける
壁や家具を蹴ったり殴ったりするなどの
自傷行為にも及んでいた。
こんな喪失感、無力感、かなしみを
二度と感じずにすむのであろうから、
死んだほうが良いに決まっている、と思う反面
たとえこんなつまらない人間でも
生きていて良いのだと思いたい、という
そのはざまに落ち込んで 最悪だった。



SNSなんてのはろくなもんじゃない。
頼んでもいないのに こうして余計なものが
上がってきて、目に飛び込んできてしまう。

わざわざ見にいくもんではない。

わたしは気持ちをわかってくれる人が
隣にいてくれれば良いのになあ、と思う。
誰にもわかってもらえない、
苦しいときにそばにいてくれる人がいない、
と感じることは しんどいことだ。

でもこんな風に過去にさいなまれたり
さびしく感じたりするのは、
天候が優れなくて気分がふさがっているとか
そんなことだからだ、とも
冷静に思ったりする。