BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

映画の感想-『ロケットマン』-190901。

原題:Rocketman
デクスター・フレッチャー監督
2019年、英・米

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映画としてはそんなにおもしろくなかったような気がした。

今のままでも、まったく理解できないということはないのだが、
エルトンの心模様を、もうすこしきめ細かく追ってくれても
良かったかな。

生育環境の機能不全や、父親との関係の問題も、
描き切れてなかったと感じた。
どうも、両親も祖母も、それぞれに何か事情があったらしい。
なんといっても自分自身の寂しさや、愛されたいという欲求、
愛したいんだけどうまく愛せない悩みに対応するのに精一杯で
幼いエルトンに、愛情を注ぐ余裕がなかったようだった。
親も完璧ではないから、しょうがない部分もあったんだろう。
だが、愛されていると十分に感じられなかった、という体験は
エルトンの心に「傷」として深々と刻まれてしまった。
大人になっても、その傷に起因する、暴力的なまでの孤独感や
劣等コンプレックスを、かかえたまま生きざるをえなくなった。
愛が得られない家庭で育った。・・・これは、
エルトン・ジョンの半生をつづる映画としては
とても重要なエピソードだと思う。
でも、描き切っている、とは言えなかった。
家族の構成員それぞれが抱えている寂しいきもちを
数十秒の歌でさらっと説明してハイおしまい、って演出は
あまりにザツだった。
ミュージカルで表現するのにぴったりのシーンなんて
他にいくらでもあった。
母親役のブライス・ダラス・ハワードとか、
優秀な役者さんも揃っていた。
ここは、ミュージカルじゃなく、
ストレートなドラマで表現してほしかった。


だが、
おのれの才能の下僕として生きることを宿命づけられた
人なのだろうな、ということは、
観ていてとみに感じた。
エルトン・ジョンを知るうえで
多分これも大事なことではあった。
才能のしもべとしてのエルトン・ジョン
これはストーリーテリングの手法などとは関係なく、
物語をいろどるエルトン・ジョンの名曲の数々が
もう、説明不要の感じでぐいぐいと
わたしに訴えてきたことだった。
本人がどうしたいとか こうでありたいとかじゃなく、
本人の魂が宿命に耐えうる強さを備えていなくても、関係ない。
爆発する才能そのものが主体なのであり、
自分と言う存在は、「才能」さまのための乗り物。
そういう人って、この世に、まれに現れるものだ。
モーツアルトとかミケランジェロとか
そうだったんじゃないかなと思うし、
他にも何人かはそういう人がいたと思うし、いると思う。

多くの場合そうした人は
才能の源泉と、深刻な心の傷とが、
他人には理解できない次元で
わかちがたく結びついてしまっている。

もし、エルトンに、
「音楽の神から見放されることと引き換えに、
 人生を一からやり直せるとしたら、
 その権利が欲しいと思うか」
と尋ねたら、彼は何と答えるだろう。

今こそ人生最低最悪の時、ってシーンでも、
彼が奏でる音はあまりにも美しい。
ひとたび鍵盤に指をふれれば、
ピアノの方がすすんで歌い出す。
無残にもすさみきった実生活とのギャップ。
歌わなくては生きられない人なのだ。

「お前を生んでどれだけ失望させられたことか」。
泣きたいのはこっちの方よ、とでも言いたげに
眼のまわりを真っ赤にして訴える母親の姿が
わたし自身の母親に似ていた。

何であろうと、父親とのことが
エルトンには一番こたえるようだった。
子どものように口をひんまげて
泣くもんか、怒るもんかと耐える姿が
本当にみじめで、いじらしかった。

半生において、実にいろいろと、
やらかしまくったらしい。
修復不可能なまでに壊してしまった人間関係も
たくさんあるみたいだった。
心も体もダメにしてきたことがよくわかった。
自分を恥じてきたことも、理解できた。
でも、たったひとりでも
心がしっかりとつながった友人がいる。
彼の人生は完全に正解だとわたしは思う。

主演のタロン・エガートンは、うまくやりきっていた。
正直そんなに男前ではないし、
華のある役者ともわたしは思わない。
しっかりと場に溶け込み、時には場に埋没し、
周りと影響し合うことで、結果として
良いものを生み出す、という感じの
役者なんじゃないかなと思う。
同性の相手とのラブシーンとか、難しそうなことも
思い切ってやっていて、素晴らしかった。
この人がいなければ形にならなかった映画だったと思う。