BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

プレジデントオンラインの「少年A」の記事-190809。

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「帰れ、ブタ野郎」うんぬんのくだりは
この記事以外にも、これまでに、当該事件に関連する
いろんな書籍で、読んだ覚えがある。
でも、この記事でまた、同じくだりを読んで、
今までは思ったことがなかったことを、初めて思った。
少年Aは、
安全なシチュエーションを与えてもらわないと、
怖くて親にかみつけなかったんだろうな、と。
鑑別所の面談室なら人の目があるから
親もいくらなんでも、いつもみたいに
怒鳴ったりひどいことを言ってきたり
叩いてきたりしない、と思えただろうし。
それに、そういう自分も今や人を殺して捕まって
ある意味では「行きつくとこまでいっちゃった」わけで、
今なら何を言っても許される、みたいな気持ちだ。
人を殺すくらいのことをしないと、
安心して親に、ブタ野郎と言うことさえできなかった。
なんか、そういうことを感じる。

「親にたてつくのが怖かった」。
こう言ってみると、いかにも弱虫っぽい。
だからって関係ない人を殺しちゃダメだ。当然だ。
だけど、
「自分が決定的なことを言ったら親がさぞかし傷つくだろうな」
そうした逡巡は、子どもとしてはごく自然ではないか。
※もちろん、わたしはわたしの子ども体験しか持たないから
 他の人の子ども心は、正直言うとわかんないんだが。

傷つけちゃったら親に悪いな、というのもあるし、
あと、「傷つけちゃった」「悪いことをした」という
罪悪感や一種の責任と向き合いたくない、ともいうか。
ようするにあくまでも自分はいっさい悪くありません、
という状況下で親を傷つけることができれば、
それが一番ラクで、気分が良いのだ。
「自分は悪くない! 親がこうこうだから
 自分も〇〇しなくちゃいけないんだ!」
という いいわけのしかたは、便利だからなー。

そしてそういういいわけの中に、
自分をかくまっている限り、
人は子どものままなんだろう。
徐々に、そういうスタイルのいいわけを
しないでいられる時が増えたらいいな、と。
間違えちゃった! 失敗しちゃった!
次がないように気をつけるっ!
みたいな風に、
ただ言えればそれでいいじゃないかという感じだ。

虐待、性的虐待、いじめなどのように
やられたほうがいっさい悪くないタイプの目にあわされた人が、
長く長く苦しんで、ずっとうまく生きられないのが
ひどいことなのは、だからだと思う。
だって本当にその人は悪くないんだから。

ただでさえ人が自立するのは大仕事なのにな。

ガマンをガマンとも思わずに堪え続けた面が
少年Aには もしかしたらあったのかもしれない。

親を傷つけるのが怖くて。

きっといろんないろんないろんな、
心の発達の問題などがあったんだろう。あるんだろう。
あまりに繊細で優しい性格であることも
その一端としてわたしは認めたい。

本当は淳くんや彩花ちゃんじゃなくて、
親を殺したかったんじゃないかな。
いずれにしても
すべての子どもが自立に至る過程には、
親を殺すか、死なすか、棄てるかの
どれかの作業が必ずあって、
それをやらなくっちゃ先に行けない
という感じをわたしは持っている。
もちろん、
実際に人命を奪うという意味ではない。
親を棄てた! 親を死なせた!などと 
つらい考えにさいなまれずにすむ形で、
静かにそれを成し遂げる人が多いことだろう。

わたしは、自分は親を棄てた、と思っている。
おそらく心を殺しただろう、とも。

命を実際に奪うことまではしなかったが。

もし本当に殺したならばきっと、
もう殺したのでこれ以上苦しまないですむ、
もうあの人とのことで悩む必要はない、と
安心することができたかもしれない。

そう考えることもある。
そのくらいの考えは平気で持てる人間であるのが
わたし、って感じだ。
そこが、気ちがいと言われるゆえんだろう。