BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

他人とのかかわりかた反復演習-190616。

公共の福祉に反しない限り すべての人は 
幸せになる権利と同様、不幸になる権利も有している。

しょっちゅう忘れちゃうから
そのたびに確認しなくちゃならないんだけど
「他人のことはどうしようもない」のだ。
なんでこれを忘れちゃうかというと
わたしは弱くて、ついでになまけものだからだ涙

だが他人は鏡のようなものだ。
わたしはそれを経験則によって知ってる。
他人をどうにかしたいと思うということは
実のところ自分をどうにかしたいのである、
というところまでは少なくとも
考えを持って行くべきだろう。
見失いそうになるたびに、何度でも。
勉強でも読書でもなんでも、
「わかんなくなっちゃった地点に戻ってもう一度」
が基本である。

人は
自分をどうにかするのがめんどくさかったり
他人が自分をどうにかしてくれるのを
心のどこかで期待してたりするうちは 
逃避行為として 他人をどうにかしたがる。

だが落ち着いて考えれば、
わたしでもこのとおり、すぐ思い出すことができる。
「他人のことはどうしようもない」という事実を。
こんなのはある程度の年数生きてきた大人なら
誰でも知っていることなのだ。
それでいくと、
他人が自分のことをどうにかしてくれるだろうなんて
期待しちゃいけない。まずろくな結果にならない。
なぜなら
自分のことを本当にどうにかしてくれる他人なんて現れない。
賢明な人は他人のことをどうにかしようなんて考えないからだ。
たまに、「どうにかしてあげるよ」なんて言って
近づいてくる人がいなくもないが そういうのは
賢明じゃない人か、弱い人か、なまけてる人
それかせいぜい
わたしとつながることでなにかいい思いができると思っている手合いだ。
賢明じゃない人、弱い人、なまけてる人は
その程度だけあって、自律的な思考とか自覚ってものがあまりない。
無自覚に、中途半端に口だけ調子のいいことを言って
無自覚に、フェイドアウトしていく場合が多い。
わかってないだけに罪がなくたちが悪い。
頼ったこっちがバカだったと考えるしかなくなる。
とはいえ「いいことをした」気分に浸りたいくらいなら可愛いものだ。
たまには「いいことしてもらったふり」をしてあげてもいいだろう。
だが 「なにかいい思いができると思っている」系の手合いに
距離を詰められるとすごくやっかいだ。
わたしみたいに頭が鈍いうえに精神的に軟弱だと
つまんないことの片棒を担がされるおそれがあり
しかも責任が取れない。

他人のことには必要以上にかかずらわない。
助けてほしいと本人がいってきたときに
そのときだけ、できる範囲で、助ける努力をすればいい。
人命に関わることでない限り、
前にやってあげたから今回も、などと考えなくてもいい。
基本的に自分が他人にすることは余計なお世話くらいに思っていればいい。
他人のお世話という行為は、常に傲慢か自己欺瞞と表裏一体だ。
わたしのように未熟な人間がへたに手を出していいことではない。
賢明な人の前でやればお里が知れる恥ずかしい行為になりかねない。
自分にできないことまでやらなくていい。

そして自分のどうにかしなくちゃいけないことは
自分でどうにかする。
助けてほしいときは、助けてほしい相手に自分でお願いする。
それでいい。できないことはやらなくていい。
自分にも他人にも期待は禁物だ。
賢明な人は基本的に、自分自身を見つめる作業で忙しい。
自分自身を見つめる作業は、世界を見つめる作業でもあるからだ。