BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想をおもに記録しています。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

虐待するのもそれを非難するのも悲劇-190523。

我が子を虐待するのも、
虐待するなんてひどい親だ、と非難するのも、
罪悪であり悲劇だとおもう。
虐待することのほうにかんしてはいうにおよばないが、
非難するほうにかんしては、
非難することによって
『もちろんこのわたしは虐待などはしない良い親です』と
みんなに知らせたい/認められたい 的な、
非難する側の 複雑な心の 背景を感じて痛々しいからだ。
「わたしは虐待なんてしません」は、
こう言っちゃなんだが当たり前だ。
いちいち知らせなくていいし、
自分を認めさせるための材料としてまったく不適切だ。
(「なるほどあなたは虐待をしない親ですね」と
認められたとして それがそんなにうれしいか。
というか、「・・・で?」って話だよ。単純に。)
でも言わずにいられないんだとしたら、
すごくかなしいことだとおもう。
さらにいうならたぶんテーマはなんでもよくて
ただなんでもいいから認めてもらいたくてたまらない、
自分はほかよりマシだとか優れているとかおもいたい、
スゴイね!イイネ!っていわれたい、
そんな思いばかりがこの社会にあふれてるんだとしたら
ほんとにつらいな。
べつに、ふつうにみんな、がんばってるいい親なんじゃないのか。
虐待する親だって、虐待したくて子どもをもうけたわけじゃ
もちろんなかったろう。
それなのに虐待するようになったのはどうしてなんだろう。
誰が虐待をする親か、自分は虐待をしない親か
そんなことをたしかめるよりも
なぜ虐待をするつもりはべつになかったのに
するようになったのか、
なにがその人にそうさせたのか
そこを知っといたほうがいいような気がしてならない。
人をとりまく環境と、人の弱さということに
問題が関係しているのだとしたら、なおさらだ。
わたしなんかはたぶんこの先も
人の親になることはないんだろうが ・・・
親にはならなくても人とは関わるわけだから。
自分の弱さのこと、ダメさのこと、落とし穴のこと、
ちゃんと 理論上だけでもいいからわかっとかないと、
人にひどいことしちゃうかもしれないし ・・・
ひどいことされても気づけなかったり
気づいたときにはもう逃げることができなかったり
するかもしれないではないか。