BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

パソコンバッグが気に入った/メガネは最低5台もち/無条件/なんのために書くのか-190506。

ノートパソコンの携行用バッグを購入した。
見た目にはそこそこ それっぽさというか
重厚感があるが
バッグじたいは ぜんぜん重くない。
ハンドルの部分は丈夫で持ちやすい。
中身をつめて持って歩いてみても
おもったよりずっとラクで満足だ。
2㎞くらいなら パソコンや周辺機器を入れて
肩にかけて歩いても すこしもつらくない。
走ったらさすがにつらそう。
あと、毎日はまだ試してないから
毎日2㎞だとどうかは まだわからない。

・・・

きのう、あたらしいメガネをひとつ作った。
来月から環境が激変するので
それにともなって気分を変えようと。ふんぱつ。
カッコイイフレームがみつかって 
気分はさいこうだ。

コンタクトレンズをつかわない
メガネ専門ユーザーであり、
メガネがなくちゃ自宅のなかですら
安心して歩くことができないほど
視力にもんだいがあるにもかかわらず
まともにつかえるメガネを 現状1つしか持ってない。
これはけっこうゆゆしい。
最低でも5つくらいは ほんとは持っていたい。
うちわけとしては
気分とか服装とかシチュエーションによって
かけかえる外向きのもの3つ、
家でかけるもの1つ、
家でかけるものの予備1つ、ってかんじ。
家でかけるものの予備とは
たとえば 「お風呂掃除」みたいな作業・・・
湿気とか熱などの、
おもにレンズを劣化させる要素のある環境で
作業しなくちゃならないときに かけるものだ。
コーティングがはがれてたりキズがあったり
デザインがもうおよびじゃないなどなどの事情で
外向きにはもう使えないけど
視力矯正の用途には なんのもんだいもないみたいな。

メガネ5台、まずはこれが理想だ。

なのになかなか手持ちのメガネを増やせない理由だが
メガネって けっこう高いのだ。これがまた。

・・・

メガネ屋さんに一緒に行ってくれた
友人夫妻と食事をした。
ふたりと話すのは とてもたのしい。
このふたりと話すといつも
わたしひとりでは
とても到達できなかったようなレベルで
考えのヒントが 発見できたり
わたしがうまく表現できない考えやきもちに
名前をつけるのを 手伝ってもらえたりする。

わたしは自分まで頭がよくなったような気になれる。

それに、わたしのものではない別の頭脳や
別の感性の持ち主と話をすることの
きわめて新鮮なおもしろさやおどろきを
感じさせてもらえる。

わたしがふたりに なにかを提供できたと
思えたことは1回もない。
でも、
わたしがふたりに
なにも提供しなかったとしても
わたしとずっとかかわりたいと
ふたりは言ってくれる。

それは わたしにとってみれば
そこにいるだけでいい、
生きていればそれでいい、と
言ってもらっているのと同じだ。

・・・

「なんのために書いているのか」か。
ほんとにむずかしい。
それを面と向かって聞かれると弱る。
できれば聞かないでいただきたい。
聞かれたらその場その場で
てきとうなことを言っちゃうとおもう。

書くことが、ストレスの発散や
ヒーリングにつながることを実感しているので
ストレス発散目的で、とか
答えることもおおい。
本心で言ってる。
でもそれだけじゃない。

自分が、書く性質の持ち主であることを
苦痛に感じることも ひんぱんにある。
ストレス発散目的の側面もあるのだが
書くことや 書くことをめぐるいろんなことが
ストレスになることもあるのだ。
書くとだれかのきもちを傷つけかねないし
傷つけたと知ったらわたしも傷つく。
そんなことがあった日には
もう書くのやめようかなとかおもう。
でもやっぱりやめるのはしんどい。
うまいこと書けないことにいらいらする日もある。
書くのやめようかなと 
自分で思うのはつらくないが
他人に 書くのやめろ、とか
そういうことは書かないでとか
そういうこと書くなんてあなたらしくないとか
不用意に言われようもんなら
めちゃくちゃ怒る。
その服を着るのはやめろ
そういう服装はしないで
そんな服を着るなんてあなたらしくない
これは 人に言われても平気なのだが。
すじのとおった理屈もへったくれもありはしない。
他人に入ってこられることには
がまんができないのだ。
すごくむかつくとおもうね。
あんたになにがわかるのかと。


いつも 
わたしはいじいじしている。
書くことについて 使命感などといったものはおろか
まだ どんなちゃんとした覚悟もない。
あるのは 
ほかのもので代替がきかないかもしれない
衝動と欲求だけだ。

たぶんだけど、
なんのために書くのか、なんて聞く人は
たとえこちらがどう答えようと
理解してくれない。
理解ができる人は、
なんのために書くのかなんて
いちいちわたしに聞かないでも
理解してくれるんじゃないかとおもう。

なんのために書くのかと言われたら
困る、というのの
いいわけにしかなってないかも
しれないけど。