BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

中里学 活動休止前ラストワンマン-190428。

中里学さんのワンマンを聴いてきた。

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2019年4月28日(日)18:00~

このライブをもって
無期限の活動休止期間に入るとのこと。
活動休止が発表されたのは1年前。
以来 今日にむけていくつもの
プレイベントが敢行されてきた。
わたしもそのうち何回かには足を運んだ。

・・・

今年の2月くらいだったと記憶してる。
当時、わたしは中里学さんを
よけいなおせわだが・・・心配してた。
というのも、
活動休止を発表して以降
歌のうまさとか音楽的な技術力は
聴くたびに充実度を増していき
怖いくらいに良くなっていくのに、
彼自身のマインドが
どうしてかその音楽にぜんぜん
沿ってきてないと 感じるようになった。
わたしが認識するかぎり
1ヶ月半くらいは そんなときが続いた。

すごくハッキリと
それを言葉で思考した瞬間があったんだけど
なんという言葉だったっけな
わすれちゃった。

彼は
かなしみや苦しみも、歌う。
だが、これまでは その歌が
わたしの心をいたずらに
沈ませることはなかった。
激しい心の傷みを歌っても
彼の歌にはかならず ひとしずく
癒やしや なぐさめが こもり、
聴いていて やすらぐ。

けど、休止前数ヶ月の彼の歌は・・・
聴いていると なぜだか無性に
イヤな気持ちになる
不快な疲労を感じる
そんなことがあった。

イヤな気持ちの内容を
説明することはむずかしい。
疲れると感じたわけもわからない。
そんな感覚をおぼえること自体
彼の歌を聴く場合において
ほんとにめずらしいことだった。

歌の世界のかなしみや苦しみを
表現しているのではなく
彼自身のマインドの低迷が
歌に「出てしまっている」
そういった感じ。
感情が「出てしまう」のと
「心を歌う」ことは、ちがう。

どうしてだったのかは知らない。
人間、いつも万全ではいられない。
何かつらいことがあったとか
当時チケットの売れ行きがまだ
伸びてなかったようだから
それでちょっとあせってたとか
そんなことかも。

でも、彼がプロであることを
わたしなりに知っていた。
コンディションのいかんにかかわらず
一定以上のレベルの音楽をやる人だ。
何年も彼の音楽を聴いてきたなかで
ああ今日は調子わるいんだなとか
はっきりと感じたことなんか
1回もなかった。

なのに今回だけ。
われながらしんどい感覚だった。
こんなことなんで
感じてしまったんだろう、って。
ただふつうにライブの日を
心待ちにしたいだけだったのに。
ラストライブ・・・
彼の歌を聴いたことのない友人を
誘って一緒に聴きたいなあと
考えていた。そうすれば、
チケットの売上にも貢献できるし。
でも、この調子ではとてもじゃないが、
友だちなんか誘えない。
わたしが自信をもって
誘うことができないのでは
どうしようもない。

それに、ふしぎだったのは
聴いていて、「良くない」ものを
確実に感じるにもかかわらず
テクニカルな面はむしろ
かつてないほど「良い」
ということだった。
そんなことあるのか??
なにが起こっていたのか
あの2月ごろのことは、
今おもいだしてみても謎だ。
・・・
なんかヤダなー、
ガクさんおかしいなーと 思いつつも
以後も何度となく開催された
プレイベントにはできるだけ顔をだし
中里学さんを わたしは
定点観測的に見守ってきた。

そして3月末か今月初旬ごろ
あ、なんか、もう大丈夫だな
と おもったときがあった。
それを機に、わたしは
中里学さんの歌を聴いたことがない友人を1人と、
中里学さんを知っているが もう10年以上も
彼のライブを聴いてない友人を1人、
ラストライブに誘った。

・・・

当日の
オープニングアクト
富岡大輝さんという人だった。
歌もギターもうまくておどろいた。
美声とは言えない個性的なあの声を
ああまで自在にコントロールできるのは
スゴイものだなと感じた。
ひとりで歌っているのに
バックにオーケストラがいるような
錯覚さえおぼえた。
ただ、曲が単調で、たった3曲でも
聴くのにちょっと忍耐を要した。
また、歌の内容が妙におさないなと
感じた部分はあった。
アプローチがまっすぐすぎるというか
相手が誰であろうと正面玄関から
ドーン!と入っていけ、的な
愚直さを感じた。
彼が、「夢」とか「勇気」「人生」を
「夢」「勇気」「人生」以外の
言葉を遣って表現できるように
なったら、そのときはまた
聴いてみたい。

・・・

ラストライブは文字通り最高のひとこと。

この日に向け 1年間というもの
中里学さんの音楽は先述のとおりあきらかに
良くなっていく一方だった。
本番じゃないのにこんなに
上がっちゃって大丈夫なのか
当日大コケするのでは、と
これまたよけいな心配をしちゃうくらい
良くなっていってた。
そしてそのままの勢いで本番へ。

2時間だまりこくって聴き入るしかない
すばらしさだった。
あんまりいいと もうこっちからは
何かしたり言ったり したくなくなる。
損なってしまうんじゃないかと、怖くなる。

全体的にテンポ感が
いつもより速く
あっさりめに片づけていったのが印象的。
わたしに限って言えば
このくらいビバーチェのほうが
心情的につらくなくて よかった。
1曲1曲歌いあげられてしまうと
もうこれで最後なんだよなっていう
さびしさが胸にせまりすぎて
きっと楽しめなかった。

「命の輪廻」のラストで
中里学さんがはじいたギターが
耳に からっと心地よく響いた。

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あの音は
植物の種が 空のワイングラスか何かに
勢いよく投げ入れられたところを
連想させた。
「命の輪廻」はそのタイトルのとおり
生命のサイクル、縁のめぐりを歌ったものだ。
「生まれ落ちて 土に還る日まで
ぼくらは めぐりめぐる」
という歌詞がある。
それだからじぶんも 
種を思い浮かべたんだろうなと考えた。

そこへ、「命の輪廻」が終わり
ほぼノンストップで始まった次の曲が
「種」だったので驚いた。

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コンサートって、
こういうことちゃんと考えて
プログラム構成しているんだなーと
いまさらながら、感心。

・・・

中里学さんの音楽には
称賛にあたいする美点がたくさんあるが
とくに言えるのは多彩さだろう。
歌いたいことは、彼はつねにひとつだ。
でも、その伝えかたを変えてくる。
前回発表した曲とはちがうテイストの
音楽を積極的につくってくるので
ライブでも、いろんな曲調の
歌が聴けて、飽きない。
今回のライブもそうだった。
何度も歌われてきたおなじみの曲も
フルバンド編成ならではの 
あざやかなアレンジの効いた
演奏をたのしませてくれ、
短期間に何回もライブに足を運ぶファンでも
たいくつすることはなかった。

みずから変化し続けることがいかに
人にとって困難なことかは、
だれでも知っているところだろう。
やりつづけるのは
なみたいていではない。

・・・

ちいさい子が何人かきていた。
会場となったホールには、
小さい子づれが安心して聴ける
親子室のたぐいがなかった。
大都市の大きなコンサートホールとかになると
わりと標準装備なのだが。
おおきな音を怖がってか
赤ちゃんがむずかる声が
客席のあちこちから聞こえた。
ラストライブというので
しめっぽくなりがちな雰囲気を
あの泣き声こそが
やわらげてくれていた。
赤ちゃんたちが 絶好のタイミングで
泣いてくれるから
大人が泣かなくてすむわけだ(笑)

・・・

時間が経つのがすごく早く感じた。
終わってほしくないなーとおもうような
たのしい時間ほど
あっというまにすぎさっちゃうものだ。

バンドメンバーがひきはらい、
ひとりになった中里学さんが
今日この日のためだけに作ったという
「足跡」
を ギター1本で披露してくれたのが
この日のライブのラストナンバーとなった。

照明効果がきえて
ぱっとステージがあかるくなったとき、
そこに立っていた中里学さんの
なんと残酷に小さく見えたことだろう。
たよりなく、おずおずとして
見えたことだろう。
自信のなさ、
ギターを持たない あしたからの生活への
いいようもない不安や所在なさ、
それらを彼はなんて正直に全身で
表現していたことだろう。
彼はこの丸腰で
あしたから生きていくのだなと。
ほかの誰もがそうであるように
彼にも支えが必要なのだとおもった。

中里学さんは
ライブを終えたくない、と何度も言った。
いつか必ず戻ってきたいと言ったし、
でも 今日が最後で 明日からは
もういない とも言った。
やめたくないならば 
やめなければいいのになぜ休むのか、
必ず戻ってくるというんだったら、
なぜ今は やめるのか。
はたから 言わせれば
ミュージシャンの
「活動休止」って、謎が多い。
病気治療、といったような
理由が語られるものをのぞいて、
いつも それは謎であるし、
つっこみどころが多い問題だ。

だが、
休まなければ続けられないことってあるとおもう。
本人が決めることだ。
誰の諒解もいらない。
中里学さんも、活動休止を決めた理由や
決断にいたった経緯を一度もおおやけに語らなかった。
どこかでだれかに語ったのかもしれないが、
わたしは聞かなかったし、
仮に聞いたとしても、
それを中里さんの本心だと
わたしが思ったかどうかはわからない。

でも、これだけは言える。
「足跡」を聴いたとき、
わたしは 
中里学さんが活動を休止することを、
初めて、自分なりに納得した。

・・・

中里学さんの音楽に
わたしはずいぶん救われた。
心なぐさめられたことが
何度となくあった。
彼の音楽には弱さがある。
人の心の痛みを知る人が
作ったものにだけ宿る 
かなしいやさしさがあり、
心の痛みを乗り越えたことがある人が
作ったものにだけ宿る
節度をわきまえた鼓舞がある。

中里学さんはパーソナルな言葉を
詞に用いない。
いつもごく抽象的でかんたんな
それひとつでは 使い古されすぎて
もはや意味すら消えかけて感じるような
あたりまえの言葉ばかりを組み合わせて
歌を作る。
それがわたし個人に刺さる。
考えてみればすごく不思議なことだとおもう。

中里学さんの音楽を愛している。
きっとまた彼に再会できる日がくることを
願っていたい。