BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想をおもに記録しています。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

コンプライアンス上のアレがナニなもんで/幼稚な心-190419。

銭湯の番台さんが、
ゆうべあなたを見かけたわよと。
きのう夜遅く帰宅して、近所を
散歩してたところを目撃されたみたいだ。
番台さんはご近所らしく
わたしが歩いていたらしい地点を
お互いにわかるように正確に説明し
あなたはあの●●●●のところにある
●●●●アパートに住んでいるの?
くらいのことを聞いてきた。

銭湯の番台であり
すぐちかくの、マッサージチェア
ひとやすみできるソファーなどに
何人かの人が座っていた。

とっさに警戒心がつよまって
「そんなことここで答えられないよ、
個人情報だから」。

番台さんは あらごめんなさいと
それ以上きくことはしないでいてくれたが
あとで、住んでいるところを聞いても
何かしようっていうんじゃないから
大丈夫よ、みたいなことをいって
笑っていた。
イヤ、なんというか・・・
番台さんがどうというんじゃないんだけど
だれが聞いているかわからないから
ということを 言いたかっただけなんだけど・・・
・・・まあいいか

でも ただ単に 
きのうあなたのことみたわよ!と
わたしに言いたかっただけの番台さんに
あんなふうに ぴしりと
言わなくてもよかったかなと
今はおもう。
ぴしりと言いたかったわけじゃないけど
そういう口調になってしまったのだ。

・・・

人の心のあたたかい部分に触れたと
感じたとき
このわたしも
幸福感をおぼえる。
でも、ほとんど同時に
これもいっときのことだから、と
とてもさびしいきもちになるのだ。
それはすぐに、
かなしいおもいをしたくないから
やっぱりあんまり人と深く
関わらないほうがいい、という
考えにつながっていく。

だれであろうと人を
愛しそうになったときはとくに。

ここ2年くらいでようやく
ちょっとわかるようになってきた。
どうもわたしは自分でおもうよりも
もっともっと強い程度で
神経質であり 自意識が強く
こだわりがかなり強く
人のすききらいが激しく
かんたんにいうと
それはそれは めんどくさいたちらしい
自分がそういう性格であるらしいことから
察するに
たぶんけっこう人にたいして
心をとざしているほうなんじゃないかなと
おもったりしてる。
いや、ちがう。
とざすようにしているつもり、だ。
なぜなら 
人と深くかかわるのが すごくこわい。
裏をかえせば人とかかわることに
憧憬といっていいほど強い、希求がある。
人の心に触れるとは
ほんとうはどういうことか、を
一度もまともに理解したことが
ないようなかんじがしている。
それがわかってない、だから
自分は人間としてだめなんだ、
くらいの感覚がある。
わたしがかくも不安定で
未分化であることは
わたしをよく知る人のなかから
「他人を信じすぎ。心を開きすぎ。」
と 忠告する声が
頻繁にきこえることからもあきらかだ。
「会う人みんなを肯定的にとらえすぎている」
「うたがっていない」
「どんな人間にも
裏の部分、奥の部分があるということを
ふだんから かみわけておかないから
そういうのをちょっと見ただけで
それほどまでに深く傷つくのだ」
そんなことも言われたことがある。
つきあいが長ければ長い人ほど
親しければ親しい人ほど
そうした部分をわたしに指摘してくる。
そのたびに、
自分のことじゃないような
かんじがする。
自分ではむしろ
人のことが信じられてないし
強い警戒心と猜疑心をもって
人を見ているところがあると
おもっているからだ。
でなくちゃこんなにしんどくないと。
なのに親しい人には
わたしがそれとは真逆のスタンスで
他人と接しているように見えるらしい。
どうしてこうズレるんだろうって
おもってきた。いつも。
かんたんにいうと
壊滅的に不器用なんだろう。
無遠慮に突撃していってしまうのだ。
そうかというときゅうに
関わるのを怖がったり
もう会いたくないとか言い出したり
わけわからんところがあるんだろう、
相手からしたら。
あんなに深くかかわろうとしてきたのに
急にスンっと閉じるので
なんなんだこいつは
という場合が多々あるにちがいない
異常に自分を開示するくせに
何も見せたくない、と閉じたがる。
でも 確認しておきたいが
そんなことをまさかコントロールして
やってはいない。
人の心に触れたいきもちと
それを極度におそれるきもちと
どちらも徹底することができないのだ。
それで、そのときどきで強まったほうが
おもてにでてしまう。
どんな法則性のもとに
スイッチしているんだろう。
やはり近づきたいとおもえばおもうほど
恐れて遠ざかる、というかんじだろうか。
人を愛しそうになると、かえって
距離をおきたくなると
さっき自分で書いていたからな・・・
客観的にかんがえてみると
非常にきもちわるい。
もっといえば イタイ。
人間らしい、とも いえばいえるが
それはまわりの人にいわれることで
自分で言っちゃいけないやつだ。
いい大人で このていたらくは
かなり 幼稚といっていいとおもう。
考えれば考えるほど
よくもまあこんな人間を
見捨てないで 何年も何年も
付き合ってくれているな。
わたしのまわりの人たちは。
わたしが実際にしてきた/している
ばかなこと・・・
たとえば大学に入ったのに卒業しなかったとか
いまだに職をふらふらと変えているとか
結婚をしたことがないとか
そもそもこういう破滅的にイタイブログを
書いて全世界に公開している中二なところとか
一般的な大人らしくないであろう
わたしの全部
それらは かんがえてみれば
ものの数でもないとおもう
そんなことよりも何よりも
このわたしという存在が、なのだ。
わたしとかかわってくれている人たちは
ひとりのこらず全員
菩薩のように心が広いんだな・・・

ざんねんだけど
これがわたしの現在であるらしいのだ。
わたしにはこういう
ものの考え方、感じ方、行動上の
傾向がある。
そんなにすぐには 変わらない。
これでなんとか操縦していくしか
ないということなのだ。