BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

Please explain to me how you don’t believe in God.-190419。

Twitter上のあるやりとりが話題になっているとの
ネット記事を読んだ。

ノートルダム大聖堂火災で十字架が無傷 「これは神の御業、なぜ神を信じないか説明して」→的確な回答が現れて世界が絶賛 - ねとらぼ


Kaylee Crainというユーザーの

After all the aftermath and destruction of the Notre Dame fire, the alter and cross remained untouched. Please explain to me how you don’t believe in God after seeing this.
延焼と破壊をつくしたノートルダム大聖堂の火災ですが、祭壇と十字架は無傷で残りました。これを見てもなお、神を信じない理由を説明してみてください

とのつぶやきに

Because the melting point of gold is 1064°C and a wood fire burns at around 600°C
それは金の融点が1064度であるのに対して、木が燃えるときは600度程度だから

と返した人がいたそうで
(Dan Broadbent さんのTwitter投稿)

その みもふたもないかんじが 
オモロいというような 内容だった。

両者の投稿を
日本語を母語とし、英語をあまり解さないわたしが
日本語訳で理解するとなると
このやりとりは ズレてるなってかんじがする。

Kaylee Crainさんの投稿が
「神さまの存在を信じない理由は何?」
という「質問」なんだとすると

Dan Broadbent さんはその質問に
「物理法則があるからです」
と回答した ということになるんだろうか。

いな、
Kaylee Crainさんの投稿を
「質問」だととらえないほうがいいのだろうか。
これって奇蹟だよね!スゴイよ!
こんなホーリーなシーンを観ても
神さまの存在を感じないなんてアリ?
(いや、みんなきっと神の存在を信じるにちがいない)
そんな、感嘆の反語表現なんだろうか。
なんだろうか。とか言うまでもなく
まさしくそうなんだろうな。
反語表現なんだろう。

Dan Broadbentさんは
「(わたしはこの写真をみても神の存在を信じません)
金の融点が1064度であるのに対して、
木が燃えるときは600度程度だからです。
(融解に関する物理法則が発現した場面を
わたしは見ました。
十字架は金製と見られ、だとすれば
木よりも融点が高いので
焼けなかったと考えられます。
物理法則は神の掟とは無関係であると
わたしは考えますので、よって
この現象を見ることはわたしが神の存在を
信じるきっかけになりません)」
と 言いたかったのだろうか。
であれば たとえば
カッコをつけたところをぜんぶ
言うべきなんだろうが 言ってない。

それから、
もし物理法則は神の法則ではないと
このかたがお考えであるならば
では物理法則とは何であると考えているのか
物理法則が神の法則ではないことの
この人なりの証明は可能なのか

また、
Dan Broadbentさんのこの投稿は
Dan Broadbentさんが無神論者であるという
ことを かならずしもあらわしてない
と わたしはおもう
ネット記事ではこの人を
あたかも無神論者かのように
書いているけど、
「Dan Broadbentさんと同様の無神論者・・・」
という表現をもちいることによって。
でも、Dan Broadbentさんの投稿が
「十字架が焼けなかった写真を見たことは
わたしが神の存在を信じる理由にはならない」
という文脈なのだとしても
「その写真を見ても信じない」
という条件がここに提示されたと
わかるだけで
「もちろん、ほかのどんなものを見せられようとも
わたしは神の存在を信じないよ」
とは どこにも書いてない。
「ほかのなにかをみたならば信じる」
とDan Broadbentさんが考えている
可能性はある。

だから・・・
イヤ、まあ、どうでもいいんだけど(笑)・・・、
 
このやりとりが
みもふたもなくておもろい、という
まとめ記事のテンションそれ自体は
理解できなくもなかった、それはまあ。
なにがいいたいかはわかる。


わたしはおもうんだけど、
ほんとにふしぎなんだけど
どうして物理法則や、自然界の法則を
人間があとから考えて見つけ出すことが
できるんだろうか。
人間が創り出したものではなくて、
もともとあるルールを発見しているという
ことのはずだが、
そもそもどうして発見できるんだろうか。
それに、
なぜ発見しようと考えたのだろうか。
神の正しさを証明するため
ではなかったのか。
発見しているのではなくて、
「ある」かのように見ているだけで、
ほんとうはぜんっぜんないとか
そんなことだったりするんだろうか。
でも、法則ってことは
実験や計算を何回もして
同じことがおこるのを何度も確認して
これは法則ですと いうことになるんだよね。
じゃあ 法則のようにみせかけて
ぜんぜんそんなものはありません
などということにはならないのか・・・
イヤ、でも
でもでも
この目で見ているこの世界が
ほんとうだという証明を
わたしはとくにできないのだ。
都合のよいように、世界をぜんっぜん
本来の姿とはちがうふうに
わたしは見ているのかもしれないし、
それはでも、もう、ぜんぜん
認識の外なんだけど・・・

Dan Broadbentさんは、
科学とはもともと
神の正しさを証明しようとした
人間が始めたいとなみである
ということを
認めない、といいたいのだろうか。
イヤ、
認めないとは この人は
ひとこともいってない。
知らない、ともいってないし。

このお堂の十字架、ほんとに金製なんだろうか。

・・・

まとめると
わたしたぶん いらんこと考えすぎ。
このネット記事はたぶん 考えてなさすぎ。

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きれいだね。
By Skouame - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16663920