BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

裁きをおこなえる神さまでも、子どものいる家にきてはいけない-190408。

「子供が最も安心して過ごせる家庭の場」かあ。
いい言葉だな。

わたしの、両親との愛着構築には
すくなからず問題があるとおもうのだが、
しかしそれは
おそらく比較的軽いほうだとおもう。
そうおもうのは、
幼少のころにまで とおくとおく
さかのぼるとひとつかふたつ、
思い出せるからだ、
大事に扱われたことが、あったのを。

わたしは結果的に
ふつうより弱く、
ふつうよりも甘えたな人間であった。
だから 
愛情をもって接してもらったという
あたたかい思い出を、
ふつうの子どもが求めるよりも
もっともっと必要としたのかなとおもう。
でもじゅうぶんには得られなかったので、
そのなけなしの思い出から、
もう吸っても吸っても出てくるわけのない
甘い蜜をむさぼろうと
いまでもしてしまっているのかもしれない。

しあわせだったときもあったんだよね、
そんなふうに 思えれば
失われたけど、でもあの温かかった
「時」はうそじゃないと 
そう思うことができれば
それはそれでいいのかな、というか
そうあきらめて前に進めばいいのかなと
考えたこともあった。

親元にいてだいじにあつかわれ
しあわせをしあわせであるのだと考えもせずに
浴びたことがあったことを否定しない。
けど、そのときですらもう、
母親と父親の夫婦関係は崩壊していた。
父親はわたしの兄と弟をしらふで殴った。
連れて行ってもらった神社の縁日が
おもしろくなかった、とつぶやいた弟を 
父は電柱におさえつけ
何十回となく背中をなぐりつけた。
弟がわんわん泣いたまま家に帰ると
暴力をふるったことが母に知られて
まずいとあとになって思いついたのか 
父は急にやさしくなって 帰り道ずっと
猫なで声で弟を泣き止ませようとしていた。
弟の背中は真っ赤にはれ上がっていた。
わたしは怖くて泣くしかなかった。
あんなに大声で弟が泣いていたのに
ご近所のだれもたすけてはくれなかった。
みんな縁日に出かけてたんだろうから
あたりまえといえばあたりまえだ。
父親は当時から外に女性をつくっていた。
母親は当時から兄をせっかんしていた。
母親が兄をどなりつける声が怖くて
わたしはトイレにたびたびかくれた。
トイレのドアはいつもこじあけられた。
母親は当時からわたしにつらくあたっていた。
母親は父親がわたしに性的虐待を行っているとも疑った。
事実無根だった。
母親はわたしをたびたび「いやらしい」といった。
父親は当時から多額の債務をかかえて
それを母親に隠していた。
わたしがしあわせみたいなものを
感じていたかもしれないときでも、
もうわたしのいた家庭は
しあわせとはいえないものになっていた。
そうしてこのわたしも
しあわせらしきもののシャワーを
疑いもなくじゃーじゃー浴びていたのでは
かならずしもなかった。
「気づいていない」ときもあったが
でも反面まちがいなく気づいていた。

となると、
わたしが感じていたらしいしあわせとは
いったいなんだったのかとおもう。

それを疑わないでいたかった。

今いる場所もいいのだが、
ゆくゆくはもっともっと遠くに行きたい。
血縁のあるだれにも知らせずに。