BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

源氏物語よみかえし/胡蝶、若菜上下~柏木、宇治十帖-190405。

源氏物語をひさしぶりに
原文で読み通した。
学生時代には何周となく読んだが
もう何年も離れてた。

さいしょは 読むのがしんどかった。
言葉の扱い、表現のしかたに
現代の感覚との ズレを 
やはり感じた。

1000年も前のものだ。
ズレを感じてあたりまえだ。
むしろ1000年も前のものにしては
ズレてないほうだ、と
考えるべきなのかもしれない。

ある表現を
理解しようとするときに
要求される感覚が
英文をわかろうとするときのそれに
よく似ているなとおもったり。
それから おどろくほど
不親切でもある。
主語や目的語をバスバス飛ばす。
「さ」「で」「かく」「この」
「人」なんて1文字2文字に
あらゆる意味をぶちこんでくる。
「わかるわよね、このくらい」。
光源氏」「柏木」「夕霧」
「玉鬘」などといった人名は
後世の人たちが物語を読んで
つけておいてくれた
ニックネームにすぎない。
原文では「上」「かの姫」「おとど
「大将」「六の君」「尚侍の君」などと
官位や生まれた順番であらわされている
文脈や作中の時制で
呼び名はコロコロかわるので
それじゃわけわからないから
昔の人が名前をつけたのだ。
ありがたい。だがそれも
当然のことながら原文にはなく
現代語訳に触れるときはじめて
でてくるキャラクター名だ。
原文に親しむ その道はたぶんけわしい。
訓練を積めばかならずできるようになるが
時間がかかる。忍耐をようする。
「この弘徽殿の女御はあの弘徽殿の女御じゃない」
みたいな哲学的なことを
ぶつぶついいながら
読んでいくことになる。
この敬語は誰に向けられたものなのか
あのかたに敬意を払うために
こっちは一回謙譲で下がるので
はい下げて はい上げて
最上敬語だからもう一段上げて
はい 侍るで初期化・・・
といったことも 考えるよりも先に
頭が動くくらいになってはじめて
読むことそれ自体に
苦痛よりは快楽を感じるようになり
内容をちゃんと
楽しめるようになるのだ。

だから
むりをすることはないので
現代語訳を読みましょう。

さて、
「浅くも思ひきこえさせぬ心ざしに、
また添うべければ、
世にたぐいあるまじき心地なむするを、
この訪れきこゆる人々には、
おぼしおとすべくやはある。」
源氏物語 二十四「胡蝶」)

「浅くも思ひきこえさせぬ」は
「浅くは(あなたのことを)思っていない」
ひっくりかえせば
「深く思っている」だ。
場面的には
光源氏が、
親友の落としだねを
内緒で養女にむかえる。
玉鬘(たまかずら)だ。
彼女にしっかり貴婦人教育をほどこし
ときの帝か上皇か皇太子の
お妃にさしあげることで
自身の政治的発言力を盤石にしよう
という魂胆だ。
娘が天皇と結婚すれば
自分は天皇のしゅうとになれる。
当時の政治として ごく
オーセンティックなやりかただ。
しかし、会ってみたら
彼女、ものすごい美女だった。
立場は親なんだけど 
光源氏は玉鬘を
かなり本気で好きになってしまう。
これだけの美女だと
隠しても噂がひろまるもので
源氏の君がさいきん若い女の子を
囲ったらしいよ。
養女だとか。けっこう美人だって。
でもやっぱデキてるのかな・・・
わかんないけど会ってみたい!
付き合いたい!求婚したい!
玉鬘をめぐる男たちの争奪戦が勃発
帝にさしあげるならまだしも
(ほんとはそれもイヤなくらい)
やきもきする光源氏
がまんできなくって自分も彼女に
言い寄ってしまう。

光源氏は玉鬘の養父である。
このベースがあるところで・・・

「深く思っている」ところへ
「また(ほかの気持ちが)添う」
ということは
「深い思い」はまず「親の愛」
と解釈できる。
したがって
「浅くも思ひきこえさせぬ心ざしに、
また添うべければ、」

「親として深くあなたのことを思う気持ちに
また(ほかの思いが)加わるので、」。
「世にたぐいあるまじき心地なむするを、」
は、
「こんな愛って、またとないとおもうよ」。
とんでもない養父だ!!
たとえはあれだが 
ちょっとまちがったら
娘への邪恋を正当化する
くさった男のいいわけではないか。
「パパとしてのパパに愛されて
男としてのパパからも愛されるんだから
おまえはとっても幸せなんだよ」。
・・・ちょっとまちがったらもなにも
まんま このとおりだ。そこへ
「昔のお話だから」
「ただしイケメンは許す」
の2枚のフィルタがかかることで
ギリギリ「あり」の枠におさま・・・
ってないか。
源氏物語の大前提として
光源氏は「超絶美男子」。
・・・
「この訪れきこゆる人々には、
おぼしおとすべくやはある。」
「あなたを訪問されるあの方がたよりも
(わたしを)低く扱われるおつもりが
あるのですか」
つまり
「あなたと付き合いたいと
いってきている
あの数多の殿方たちよりも
まさかこのわたしを
低く扱ったりしないでくれたまえよ」。

なんかこの
「ひっくりかえして本当の意味をとりにいく」
ところや
「『ないという状態』が、ある」という表現で
「ない」と言ってくる的な ものの言い方が
どこか、英語っぽい。
漢籍っぽくもあるが。

・・・このように
ああ、そうだった
この時代の文章は
こういうのだった、
と何度となくおもわされた。

だがふしぎと
読むうちに慣れてきて
もう一周、と 
また読み返したときには
さいしょどこにそんなに違和感を
おぼえていたのだったか
もうあんまり
わかんなくなっちゃっていた。
ウーン、そうきますか・・・と
ひっかかったところに
付箋でも貼っておけばよかった。

さきにふれたように、
ひとつの言葉に
10も20も 意味があり
なにかこう 未分化というか。
不安定なかんじはあるようだ。
文のあたまとしっぽが
ぼんやりとしていて
どんどんうしろにつなげることが
できてしまうので
とりとめがなく ぬらぬらとして
読みづらいかんじもうける。

でも 自由だなあ!!!ともおもう。

地の文からし
つねにかなり冗長なのだが、

うしろめたいところがある登場人物
重大な秘密をかかえた登場人物の
「いいわけ」、「ほのめかし」
そんな「セリフ」にはとくに 
文のぬらぬら感が顕著だ。
人に言いにくい魂胆を
かくしてるものだから
しゃべらせるとまあ まわりくどい。
語るに落ちたすえ
あんた かくしごとしてるでしょ!
と かえって バレてしまったりする。

物語の主人公の光源氏なんかは
あっちで浮気 こっちで不倫
奥さんも彼女も星の数ほどいるから
年中どこかで
いいわけしてる。
したがって彼のセリフは
つねに くそながい(笑)

だがここでは光源氏以外の人物の
セリフをあげてみたい。

「六条の院にいささかなることの違い目ありて月ごろ心のうちにかしこまり申すことなむ侍りしをいと本意なう世の中心細う思ひなりて病つきぬとおぼえはべしに召しありて院の御賀の楽所の試みの日参りて御気色を賜りしになほ許されぬ御心ばへあるさまに御目尻を見奉り侍りていとど世に長らへむことも憚り多うおぼえなり侍りてあぢきなう思ひ給へしに心の騒ぎ初めてかくしづまらずなりぬるになむ。」
源氏物語 三十六「柏木」)

「。」1個しかつけられない!!!

※当初 読みやすいように適宜改行と読点を
入れておいたんだけど、一文がいかに長いか
感じ取っていただけるように
それらの加工をすべてはずしてみた。

「六条院(源氏の君)と、
ちょっと行き違いがありまして、
この数ヶ月、内心すごく恐縮していたんです。
そのことが気になってしかたなくて、
生きる気力もなくなってきて、われながら
病気だなこれは、と思っていたくらいでした。
そんなときに、院のお声がけがあってね。
・・・朱雀院さまのお祝いの宴の 
雅楽演奏のリハーサルですけれど・・・
ごきげんうかがいに行ったんです。
でも、そのときに、やっぱりぼくのこと
お許しくださっていないんだな、って
院の眼つきで 感じてしまったんです。
それで、いよいよもうぼくなんて
生きている価値もないんだ、
なんて思い始めて、もう
何もかもイヤになってしまって。
心が不安定になってきて、以来ずっと
寝付いているってわけなんです」

まあこんなことを言っている。

柏木という人物のセリフだ。
かんたんにいうと彼は
上司である光源氏の、奥方に
おそれおおくも横恋慕。
なかばむりやり関係して
子まで成してしまった。
ふだんの柏木はまじめで内気。 
そんな大それたことをしといて
平気でいられる性格じゃない。
奥方と不倫しているってこと、
奥方の おなかの子の父親が
じつは自分だってこと、
ほんとはバレてるんじゃないか。
びくびくものの日々に
彼のメンタルは崩壊寸前だ。
そして、やはり、バレていた。
宴席で 源氏にそれとな~く
でも柏木にだけはわかるように
きついイヤミをいわれ 
ギラっとにらみつけられたのが
決定的な打撃となり
柏木は寝込み、やがて命を落とす。
柏木と、源氏の息子・夕霧は親友同士だ。
おみまいにやってきた夕霧に
柏木はくるしい息のした、
上のように語りだす。
そして 
「ぼく、これでも小さいときから
院のこと尊敬してきました。
ぼくについてのどんな中傷を
院が真に受けられたのかわからないけど・・・
院と気まずいままで死ぬのかとおもうと
心残りです。折をみて、ぼくのかわりに
きみから御父上に、とりなしてくれませんか」。

微妙に調子のいいことをいっている。
「いかなる讒言などのありけるにか」
つまり
「(ぼくについての)どんな中傷があったのか」
中傷もなにも
源氏の妻と不倫したのはほんとうなのだ。
まあいかにもいいとこのおぼっちゃんの
弱気とずるさが同居した
セリフだなとはおもう。
でも、だいじなのは
もうすぐ死ぬというときに
ほかのだれでもない親友とふたりきり
言わずには死ねない秘密があり
ほんとうのことを 言いたくて・・・
でも結局、言えない、ということだ。
すごくはずかしい秘密なんだけど言いたい
言いたいんだけど言えない
その はげしい逡巡が
一文のぬらぬら、だらだらと
つながったセリフとして 
出ているのだとわたしはおもう。

夕霧は
柏木が結局なにを言いたかったのか
わからないまま。
柏木は案の定 
死んでも死にきれず
夕霧の夢に化けてでる。
そこでようやく
真相へたどりつくカギを
彼に託すことになるのだ。

いいわけだから
秘密だから
言いにくいから
だからついつい長くなる
そういうことで人の心を
表現している・・・
考えてみれば リアルともいえ、
新しい。

・・・

また、浮舟を出家させることによって救済するのが
横川の僧都比叡山の高僧)である、という点も
よくよく考えると おもしろいのかなと
感じる。
というのも比叡山はもとは
志高いお坊さんたちが
世の中を救う法力を得ようとして
厳しい修行にあけくれた聖地だった。
でも、京の都と距離が近かったので
教えを乞わんとする貴族やその子弟を
迎え入れたりするうちに
政界 財界との癒着がつよくなり
欣求浄土方面の宗教へとひらいていった
ところがあった。
なにより、比叡山は女人結界だった。
でも、そんな比叡山
深奥も深奥で活動する高僧が
女性である浮舟を救済した。
この僧都
お母さんが病気でふせっているときくと
修行をストップしておみまいにいくなど
たしかにちょっと変わってる。
叡山で修行するお坊さんは
俗世を捨てて山にはいるのであり
やれ家族が病気なんていった事情で
だいじな修行をとりやめて
おでかけしたりは
まずぜったいにしない。
たしかに彼はちょっと変わってる
変わってるけどそれでも
女人を手ずから救うというのは
新しすぎるのだ。

浮舟は僧都に救われて出家し
以後はかわいい弟がたずねてきても
愛した恋人が手紙をよこしても
かたく心の門をとざして出てこない。
内心どんなに会いたかったか
彼女の心情が描かれないから
想像するほかはないのだが
「ものも宣はねば」
(何もいわない)
それが彼女の意志だった。
薫に目を付けられた女性が
「わたしよりも妹を」
妹も結婚したので迷惑して
「いえいえ・・・あ、そういえば
わたしの遠い親戚が姉にそっくりよ」
そうやって みがわり、みがわりと
流され流されして
ヒロインの座に
漂着するのが浮舟だ。
薫とつきあうようになったのに
匂宮とも結ばれて
おいつめられたうえに入水自殺
何を考えているのかよくわからないが
それがいつしかこのように
誰よりも強い意志を示す女性に変身する。

苦しみながらも
自分で選んだ道を貫いて生きようとする
新しい女性を世に送り出した
それが横川の僧都なのではないかとおもう。