BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

神棚光臨。-190125。

壁一面、天井までめいっぱいの
巨大な書棚をつくるのだプロジェクトが
ついにいったんの完結をみた。

6畳ちょっとの
ひろいとはいえない部屋だが
もと床の間と思われるスペースと
その壁を一面 
かけらほどの躊躇もなく 全利用。

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照明器具が提げられるように
なっているのがすてきだ。
また、
折りたたみ可能なミニテーブルが
もうけられている。
手前にみえる
上からひっぱる型の金属のバーだけでなく
下から支えてくれるちっちゃな
バーもついているので
ノートパソコンやら
本十数冊くらい置いてもぜんぜん大丈夫。
この照明とミニテーブルの趣向は
わたしの発案ではもちろんない。
デザイン・設計の段階で
ご提案いただいたものだ。
わたしはそういうことちっとも
思いつかない。
信用できる人に作ってもらえること、
安全性が確保された頑丈なものであること、
それさえクリアされれば 
じゅうぶんというつもりだった。
それが、こうしたご提案のおかげで
想像をはるかにこえた
とってもすてきなものになった。

取り外し可の かさ上げ台(ひな段)つき
一段のなかに 2段構えで本が収納できる。
奥行きがけっこうあり 
文庫サイズならば
がんばれば3段構えも可。

うしろにしまった本の背表紙が
1センチほどのぞくので、
タイトルや著者名が確認でき 
本をさがすのに こまることはない。

現状 てもちで圧倒的に多いのは
文庫サイズの本たちだ。
全8段ちゅう上6段までを 
文庫サイズ想定の高さにしてもらい
のこり下2段を
ハードカバーや大判ものの
本が入れられるサイズにしてもらう。

引っ越しのときに 
持ってくることができなかった本が
じつのところまだある。
その冊数は ひかえめにいっても
かなり多い。
ぜんぶここに入りきるとは
もとより思ってない(マジか!)。
せめて分類を工夫して 
どの本たちにとっても 快適なよう
収納してあげたいと考えてる。
なんかこう・・・たとえば
仲間どうしになるように
収めてあげたい。
セリーヌと、中上健次
ブコウスキーあたりは
いっしょにしたら喜ぶかなとおもうけど、
そこに村上春樹
いれたらアレだよみたいなかんじ。

賃貸でクギが打てないし 
天井の強度もわからないから
「つっぱり棒」的なものによる
倒壊対策の効果が未知数とのこと。
そこで、しっかり採寸をしてもらって
ほんとにぴったりとはめ込むサイズにし
直角三角形の「天井」つき、
むかって左側に「壁」もつけてもらうことで
構造的に倒れにくいようにする
というご提案をいただく。

倒れなくするためにクギを打つ
というのはむりだったものの、
「壁」つきにしてもらうことで
クギをうつことそれ自体は可能になった。
どういうことかというと
その「壁」に
写真フレームを貼ったり
時計やミラーを付けたりして
たのしむことができるようになった。

写真ではみえないが 
むかって右サイドに すじかいも
いれてもらってある。
「これで倒れるときは、本棚っていうか
建物ぜんたいが倒れるときだから大丈夫♪」
っていわれた。
それならよし笑!

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最下段まで 入るように撮るの、むずかしい。

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設置作業を手伝ってくれた友人K

本をいったん入れてみよう!
という話になって 
作業をしていたときに
彼はいつのまにか
酒井順子さんの「本が多すぎる」
を見つけ めだつように立てかけて
ニヤニヤしていた。

彼は高校時代から わたしが
文字通り全幅の信頼をおいてきた
親友といえる人物だ。
すごくセンスのいい男でもあり
Kからすすめられて読んだ本、
いっぱいある。
まずハズレはなかった。
麻生晴一郎
「心熱く武骨でうざったい中国」
渡辺京二
「逝きし世の面影」
は その最たるもので 
どちらも いまでも読んでる。
渡辺京二のほうは その後わたし 
著作ほぼぜんぶ読んだ。

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むかって右側上部に すじかい的なものを
入れてくれている。
おかげで安定感抜群。

お顔を入れてないが
↑こちらが 今回
デザイン・設計・施工・設置まで
手がけてくれた大道具作家・宮本洋平さん。

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www.instagram.com


屋号「大道具 宮本」のロゴ。
すごくかっこいいよねこれ。
漢字のハネ、ハライが
塗料のハケのあとみたいに
なっているところがいい。
ルックスもなかなか
特長をつかんでいてすてきだ。

あとインスタグラムアカウント。

いずれも
宮本くん本人より掲載許可いただきずみ。

もとはたしかテレビ局の
大道具担当だったんだけど
現在フリーランス
テレビ番組のセットや
舞台装置、
イベントブース設営などのかたわら
こうした注文家具のたぐいも
うけおっているみたい。
東京都郊外にアトリエをお持ちだ。
本棚作りをひきうけてくれてからは
わたしのおねがいもあって
アトリエからこまめに
進捗状況を知らせる写真をよこしてくれた。

宮本くんは先述のKの仕事仲間。
別件でKと会ったとき わたしはまだ
引っ越してまもなかった。
「巨大な本棚を入れたい。
夢だったから。おもいきってやる」
あてもないのにそう語ったところ
「できそうな人いるから話してあげる」
と その場で宮本くんに連絡を入れ
ご縁をつないでくれたしだい。

ご本業があるなかで 
このような大きなものを
作ってもらうことになったので
すごく忙しくさせてしまい、
最後のほうは とんだめいわくをかけた。
宮本くんにとっても
Kは仲間だ。
Kの口入れとあっては
ことわるっていう選択肢は
なかったんだろうな・・・
って おもってた。

だけど、
メールでやりとりをするなかで
「頼まれてもぴんとこなかったら
結局ことわっちゃうことにしている。
魅力的な案件だとおもったから引き受けた」
ということを話してくれて、
ことわられる可能性も
あったのか・・・と。

終始一貫、
宮本くんに依頼して正解だった。

信用をおく友人の紹介だから
信用できる、それはもちろんだ。
でも、それだけじゃない。
部屋にきていただいて
採寸と現地調査をしてもらったときに
(この訪問はたった1回だったが
いざ完成品を設置してみたら 
ほぼ手直し不要、
完全にピッタリ!だった
・・・ゴ、ゴイスー)
たくさんお話をするなかで
宮本くん個人を わたしは信頼した。

救いようのない「本の虫」っぷりに
共感してくださったこと、
そして
このオーダーの背景、
会ったときには話せなかった
わたし個人の思いを
くみとって動いてくださる
そんな人だったことが、おおきかった。

じつのところ
「本がたまっちゃって
しょうがないから
なんとか片づけたいんよー」
というのとは、何か、ちがうのだった。

「本」「読む」
わたしという存在にとって
おそらく最重要事項だ。
わたしは本を読むことによって
ものすごく多くのことを吸収する。
本は傷ついた心をなぐさめてくれるし、
いついかなるときも
友だちであってくれる。
もし読むことがなければ 
社会的に生きてはゆけない。
いままでもずっとそうだった。
友だちであり、先生であり、
帰る場所でもある。
説明すればするほど 
わけのわからぬ話になりそうだが
だいじというか、・・・
それは、かけがえがないのだ。
「本がなくなる」
「読めなくなる」
「本を管理する環境が損なわれる、
意に反したものになる」
いずれも 
わたしには、大事件だ。
なくなるとか読めなくなるとか・・・
想像さえ、したくない。

このたび始めた
あたらしい生活において
おのれの価値観の再確認と再構築を
はかるつもりで わたしはいる。
なにがどうなるか、わからない。
転居の 準備段階のころ、
もしかして読書という行為さえも
今後もやるかやらないのか 
だいじかだいじじゃないか
考え直す対象なのかもしれないなって
おもったことがあった。
それを試みた。
むりだった。
本とそれにまつわるすべてを
わたしから
とりはらったらと 考えると
つまり、読まずに生きられるか
読まないことにするということは
あってもしかたがないから
蔵書を処分するということだが
できるのか、
それを考えたら
全身に悪寒が走った。
不安すぎ。
これは、抜いちゃまずい柱だ。
なんぼなんでも動かしちゃいけないやつだ。
これを抜いたらわたしが崩れて
再構築もなにもなくなる。
そう確信するよりなかった。

さらに内省するに、
この書棚そのものが
今後のわたしの心を支える価値観・・・
内面的支柱とでもいうべきものを、
象徴する存在だった。

もし通販などで
10分の1のお値段で
まったくおなじ書棚が
購入できるとしても
それって お話にならない。
ぜんぜん知らない人が作ったものだ。
作った人もわたしを知らない。
その人はわたしがどんなきもちで
書棚を必要とするか 知るよしもない。

ほかのだれでもない
わたし個人の信頼において
築かれるものでなくちゃ。
本格的にしっかりと
身銭を切るものじゃないと。
わたしの頭のなか、
わたしのほんとうのきもちのかけらが
つめこまれる場所だから。
加えて、
このわたし自身がこれから
どんな人生を送りたいのか
どうでありたいのかを模索中の
半端な人間であるのだから、
(そしておそらくわたしは一生涯
そういう人間・・・)
きめっきめ こてこての
作りこまれたものでは 
ちょっと違うかなというかんじがする。
しっかりと頑丈である一方で
いかようにも使いうる幅をもった
シンプルなものだといい。

・・・

そのへんのところ
深く宮本くんに 
話したわけじゃない。
具体的に話してたら
よかったかもしれないんだけど・・・
それどころか わたしもなんでこんなに
本棚のこと気になるのかなと。
フルオーダーで本棚作ってもらう!
うれしくって 
周囲の人などにそう話したとき
「通販でもっと安いの売ってる」
「本をもうちょっと処分して
収納ケースとかに入る分だけにしたら」
「断捨離すればお部屋が広くつかえる」
「書棚を安くおさえれば、浮いたお金で
もっといいものが買える」
何度もいわれた。
「イヤイヤ、
な~にをいっているんだこの人は。
なにもわかっていらっしゃらない」
どうして自分がそう感じるのか・・・
理解したのは つい最近だ。

でも、宮本くんは
なにかを感じ取って
くれたんだろうとおもってた。
棚がなくって 
ビニールひもでしばられたまま
積み上げられた本たちを見て 
彼は
「ちゃんとした場所を作ってあげないと」
と言った。


現状 わたしは 部屋にいるときは基本
本を分類・整理するという口実のもと
棚の下にうずくまって
本を読んでいる。
したがって分類も整理も
びたいち すすんでいない笑!!

外から戻って玄関のドアをあけると
あたらしい木材と塗料のにおいが
とても新鮮。

積みきれなくて置いてきたはずの本が
数冊まぎれこんでた
うれしい誤算が発覚。
高橋和巳の丘、無事に発見できた。
これで「邪宗門」が読める・・・
迷った結果買わなかったと記憶していた
吉本隆明の最晩年のエッセイが
やっぱり買ってたらしく 顔をだした。
行方不明だった、シュタイナーの
自由の哲学」が
出てきてくれた。
引っ越し前にかなりの冊数を
断腸のおもいで処分したはずが
銀河鉄道の夜」が
うっかり3冊みつかった。

いろいろなことを おもしろがっている。

あしたも本の整理をする日として
すくなくとも半日は開けてある。
ゆっくり読・・・いや片づけるつもりだ。

宮本くんという才能ある人物と
ご縁をつないでくれたK、
信頼に応える以上の存在であってくれた
宮本くんに
心からの感謝をとどけたい。

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