BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

望むこと-181215。

このまえのフラッシュバックは
重かった。
終わったとでもおもっていたのか!
そうかんたんには解放してやらないよと
げらげら嘲笑されたような気がした。

みじめ、のひとことだ。
すっごく、負けた、勝てないって
かんじがする。

言語化するのがむずかしい。
つたえるのに適切そうな表現を
もちあわせてない。
それが
わたしが自分の心の問題を
わかってほしい人に
わかってもらえないと感じる
原因の最たるものであるとおもう。

ついでにいうと
相手がそれをわかりたいと
おもってくれるとは限らないし
それに、
わかりたいとおもってくれていても、
どうしたって受け付けない
そんなこともあるだろう。
すると、わたしと関わったぶん
むだにつらい思いをさせる。
たぶん
相手との関係を
損なうことにつながりかねない。
すごく繊細な話だ。

それで
こういうのは、基本的には
だまってプロの力をかりるのが
妥当ということになる。

だが
「治る」のがいつなのかわからない。
考えたくないが、
治らないかもしれない。

生活が多分に侵されている。
具体的には
フラッシュバックが起こる。
フラッシュバックの
トリガーになるおそれのある
機械音などが聞こえそうな場所に
身をおくのが苦痛なことがある。
おもに音や声に過敏になりやすく
人がたくさんいるところに
いるのが苦痛なことがある。
フラッシュバックも
音にやたらぴりぴりするかんじも
頻度はずいぶんへったが
ゼロにはなってない。
起これば半日から、
わるくすると数日も
だいなしになる。
また
心に起因しているとおぼしき
体の不調がのこっている。
おおきいのは
睡眠障害と頭痛だ。
これもかるくはなったが
もう、こうじゃなかったときが
どんなだったか思い出せないくらい
ぺったりしぶとく体にはりついた
問題だ。


フラッシュバックは
まいらされる。
フラッシュバックに
おそわれているときの自分は
まわりからどう見えるんだろう?
たぶんだいたいの場合
電池がきれた機械じかけの
人形みたいに
かたまってるんじゃないかとおもう。
冷や汗をだらだらかきながら。
正気にかえったとき
体がガチガチになっていて痛い
だいたいその場に
立ち尽くしてるか
しゃがんでるか
地べたに倒れてるかだ。

そういうのって
これからどうなっていくのか。

生活をしていく。

いくら待っても
「治らない」かもしれないのだし
「それ以外は」元気だからだ。
「いつ起こるかわからないけど
フラッシュバックがあるかもで、
ちょっと頭痛いし睡眠不足だし、
外で倒れたらいけないから
365日24時間、家で寝て」
なくちゃいけないはずがない。

そうした日々をおくるのは
少なくともいまの、このわたしには
現実的じゃない。
寝てたいと夢想したことも、あったが。

わたしはいま、
まともじゃない部分があって
ときに歩みが停滞しても
生活をして仕事をして
本を読んで
友だちとつきあいたい。

だから、わたしの
まともじゃない部分について
多少はまわりの人に説明をして
わかってもらう必要を感じる。
不定期に停滞することを
ゆるしてもらいたい、
いや、ちがう。
それがくりかえされて
不義理をすることがあっても
わたしを「きらわないでほしい」。
わざとやっているわけじゃなく
なまけたつもりもないと
知っていてほしい。
何回も。

難題だ。
なによりもまず、
わたしが言葉を持たない。

わたしがよりもとめるのは
フラッシュバックが起こらなく
なることではなく
いやな記憶が消えることでもない。
まともじゃない部分があるままでも
望む暮らしをおくっていいと、
認められることのようだ。