BRILLIANT CORNERS-2

本や映画の感想。まれにやる気があるときは別のことも書いています。

やわらぐ-181119。

ひとりで生活をするようになって、
かえって
「さびしい」というきもちが
やわらいだ。
ずっと、つよい苦痛をかんじてた。
それはまぎれもなく
わたしの孤独、わたしのさびしさだった。
絶望まじりの激しい痛みだった。
だけど、
いまは苦痛とまでは感じない。
こういう孤独も知っている。
こっちなら大丈夫。
すこしは痛いけど
やさしくて
しっとりとした感触の・・・
すごくしずかなきもちだ。

じぶんを恥じるきもちが
なくなったぶん
楽になったのかも
ひとりで未熟で
みじめではずかしかった。
わかってもらえない
(つまりわかってもらいたい)
伝わらない
(つまり伝えたい)
だが、かなわない。
なのに、しがみつく。
怖がっていた。
それらすべてがいつも
恥ずかしかった。

いまの生活を獲得するために
おおくのものを犠牲にした。
親を泣かせ、殴られもし、
きちがいの称号をさずけられ、
他人さまにはさんざん
めいわくをかけた。
ぎりぎりのところにきていた心は
すごく荒れてた。
わたしと関わったばかりに
見たくもないのに
そんな汚ならしい心に
触れさせられて
引いた人もたくさんいるとおもう。
わたしの本性を知ったというか。
家族をたいせつにする信条を
おもちのかたには
なんという見下げた不孝者かと
わたしを言う人もいるだろう
まあわたしも自分が孝行者とは
そりゃおもわない。

まだちゃんと数えてないが
今回のことがらみで
2人くらいは友人を失った。

悔やむとこだとはおもう。
謝らなくちゃいけない
のかもしれないし。
恥じたりとか。
ほかにもっと順当で穏便な道が、
とか

だが悔やんでない。
去った友人を追わない。
ここに来ることができてなかったら
もうとっくに首でもくくってた。
ざんねんだがわたしは
いろんな意味で
この程度の人間ということだ

限界だったみたいなんだ。
なにしろもうぜんぶおわった。
そしてはじまった。
こっちの道を正解にしていく。
それだけだ。